バレンタイン
 いよいよ迎えたバレンタイン当日。迅さんに言われていた通り、玉狛支部へは夕飯の後に向かうことに決めた。
 これから空閑君にチョコを渡すのかと思うとそわそわしてしまう。そう気疲れして作る気力もなくなったので、夕飯は本部で食べることにした。その間も、カバンの中には空閑君に渡そうとして準備したチョコが眠っているわけで。意識するほど勇気は萎んでいき、夕飯を食べ終えた私はまだ玉狛に向かうこともできず、本部の中をうろついて気を紛らわす。

「――あれ、水沢先輩?」

 不思議そうに私に声をかけたのは三雲君だった。まさか、皆揃って玉狛支部で作戦を練ったり、訓練していると思っていた私にとって青天の霹靂だ。

「三雲君? どうして本部に?」
「さっきまで太刀川隊にお世話になってまして……」

 太刀川隊、とオウム返しすると三雲君は曖昧に相槌を打つ。言い淀む様子を見るに、訓練してたとかそういう話かな。だとしたらあまり聞かない方がよさそうだと、早々に話題転換。

「三雲君はこれから帰るとこ? 玉狛?」
「えぇ、まぁ」
「それじゃあ一緒に行ってもいい? 私もちょっと、玉狛寄ろうと思ってたから」

 提案すれば、三雲君は快く頷いてくれた。よかった。一人じゃ勇気が出ないけど、三雲君も一緒ならどうにか、玉狛支部には行けそうだ。
 今日はレイジさんの迎えもないとのことなので、二人並んでのんびりと夜道を歩く。

「三雲君、帰ってからご飯なの? お腹空かない?」
「それなりには……。でも太刀川隊にいる間、いろいろお菓子をいただいたりもするので」

 三雲君と、互いに白い息を吐きながら他愛のない会話。今日は出水君がどんなことを話していたとか、いつの間にか唯我君とも仲良くなっていたようで彼の話とか。
 そうこうしている内に、玉狛支部も目の前だ。いよいよ、と気を引き締めてはみるものの色々とノープラン。
 というか、さっき三雲君の話を聞いて思ったけど、もしかして空閑君もこれから夕飯だったりしないかな。三雲君の帰りを待ってる、とかありそう。そうなると夕飯を既に食べてしまった私としては手持ち無沙汰になるし、なんとも、居た堪れないじゃないか。

「……あのさ、三雲君」
「はい」
「私が玉狛来たこと、言わなくていいからね」
「え?」

 なぜ急にそんな提案がされたのか、と焦ったような三雲君。あんまり何も言わないのも怪しいし、ちょっとだけ正直な事情を話す。

「渡そうと思ってたものがあるんだけど……たいしたものじゃないし、部屋に置いて帰ろうかなって」
「は、はぁ……」
「私、今日は夕飯も食べてきちゃったんだ。だから、置くだけ置いて帰るから、それだけ。ね?」

 バレンタイン当日ともあって、三雲君も何となく察してくれたのだろう。腑に落ちない顔をしてはいたけど、特に追求することもなく了承してくれる。
 おあつらえ向きと言わんばかりに、二人で入った玄関付近には誰もいなかった。食堂に向かう三雲君とその場で別れ、私は自然な素振りで二階へ。
 こっそり空閑君の部屋に行き、小さく三回ノックをする。応答はない。地下か、それとも三雲君の帰りを待って、ご飯を食べるつもりで食堂にいるのか。どちらにせよ運良く部屋にいなかったことをいいことに、私は机にチョコだけ置いた。これで、任務完了。
 そうして足早に、静かに玉狛支部を後にする。

「……はぁ……、なんか、隠密訓練してた気分」

 昔の合同訓練を懐かしみながら、私は帰路についた。



 無事に帰宅した後、妙な達成感から私は気分良くお風呂に入った。さっぱりして、これで今日はぐっすり眠れる。
 そう思った矢先、とんとんとん、とノックの音が響いた。こんな時間にお客さん。しかもチャイムを鳴らさないなんて妙だ。怪しんだ私は足音を忍ばせて玄関に寄り、ドアスコープの向こうを見る。
 ガラスの下半分に、真っ白な頭。私は、自分がもう寝間着になっているのも忘れて急いで玄関の戸を開けた。

「――く、空閑君!?」
「よかった。まだ起きてたか」

 そう笑った空閑君が、確かに私の家の前にいる。どうかしたのか、何かあったのか。
 ドギマギしていると空閑君に、「上がってもいいか?」と訊ねられた。時間も時間だし立ち話もなんだし、私はすぐに頷いて空閑君を迎え入れる。

「どうしたの、こんな時間に。何かあったの?」
「とりあえずこれ」

 事情を聞こうと声をかければ、空閑君から差し出されたものに面食らう。さっき置いてきたはずのチョコレート。私がラッピングしたそのままの状態で、開けられた形跡もない。
 ということはもしかして、突っ返されるのかな。
 そう一瞬で浮かんだ嫌な予想を、空閑君はあっけなく覆す。

「おれ、ちゃんと和音ちゃんからもらいたい」

 空閑君はそう言って、もう一度私へとチョコを差し出した。渋々と受け取れば、今度、空閑君は黙って私を見るばかりだ。
 改めて二人っきりで、しかも空閑君には、私がチョコを渡そうとしてることも完全に知られているこの状況。恥ずかしいし、どうしていいかわからない。けれど空閑君の無言の圧力に、私はどうにか勇気を出して、空閑君へチョコをおずおずと差し出す。

「えーと……今日はバレンタイン、だから……チョコ、受け取ってくれない、かな」
「なんで?」

 なんで、ってことはやっぱりバレンタインのイベントの意味は知らない、のかな。私はまた、どうにか勇気を振り絞る。

「……バレンタインは、好きな人に、チョコをあげる日だから」

 遠回しな告白。けれどようやく、私の言葉を聞いた空閑君は差し出していたチョコに手を伸ばして。

「そうか、ありがとう」

 ――受け取る空閑君は、いつかとよく似ている甘い声でそう答えた。

「……家に来たのって、このため?」
「オサムに口止めまでして、部屋に置くだけ置いて帰るのはズルいだろ」
「く、口止めってほどは……」
「挙動不審になってたから、変だなって思ったら色々教えてくれた」
「……うん、ごめん……今度謝っておく……」

 ……さすがに、三雲君に悪かったな。言わないでいいから、っていうのは話題に出さないでいい、くらいのつもりだったんだけど。三雲君は空閑君にウソを見抜かれることもわかっていて、私の懇願もあって、板挟みにされて悩んでしまったのかも。
 空閑君としても友達を巻き込まれていい気はしないか。静かに反省していれば、空閑君はゆるゆると眉根を寄せていく。

「おれには?」
「え?」
「ばれんたいん、とやらに夢中だったんだろうが、一週間ぶりだったんだぞ」

 自分に言うことはないのか、と言わんばかりの声色だ。空閑君の言う一週間ぶりって、つまり?

「ランク戦の後にすれ違ったくらいで一度も玉狛に来なかったし、おれが本部に行った時もいないし」
「う、うん……」
「あんまり会えないの、おれだって嫌なんだけど」

 ……え、と思わず驚くような声を落としてしまった。聞き間違いか、それとも何か勘違いしちゃっているのか。呆然としている私を見る空閑君は、さらに表情を険しくさせる。

「なんだ、好きなヤツに会いたいって思うのは普通じゃないのか?」
「……会いたいって……私に?」
「和音ちゃんに決まってるだろ」

 信じられなくて、確かめるように聞き返せば肯定されて、ぶわっと火がついたように頬が熱くなる。空閑君が、会いたいと思ってくれてた。好きな人に。それが自分で、一週間会えなくて嫌だったって、空閑君が思ってくれていたなんて。

「ランク戦とか、おれの心配してくれるのはありがたいが、それならおれと会う時間も作ってくれ」
「……いいの?」
「その方がいい」

 些細な言葉の違いだ。それでもいい、とか大丈夫、じゃなくて。その方“が”いい、と言ってくれた空閑君に胸がきゅうとなる。
 会える時間があった方がいい。だとしたらそれは、もしかして、私にできることの一つなのかもしれなくて。

「……あ、のね」
「ん?」

 そんなことでいいのだろうか。だって私は、空閑君に会えたらすごく嬉しい。今も、こうして一緒にいられてすごく嬉しくなるのに、それが空閑君のためにできることだとしたらなんて贅沢だろう。
 嬉しくて胸がいっぱいになるほど、私はそんな温かい気持ちに背中を押されるように口を開く。 

「……好き、だよ」

 僅かに緊張や恥ずかしさが勝ってしまって、言えはしたけど囁くような掠れた声になってしまった。
 言ってしまったこともさることながら、余計に恥ずかしくて俯いてしまうと、和音ちゃん、と呼ばれた名前。下を向いたままでは続きはなく、空閑君も黙ったままのつもりらしい。渋々と、私はやっとの思いで顔をあげる。

「おれも好きだよ」

 目があった途端に優しい笑顔で、告白を返してくれる空閑君。
 空閑君は持っていたチョコを指して「食べてもいいか?」と私を伺う。それならお茶でも淹れようか、と提案すれば頷くので、少しだけ慣れた雰囲気に緊張もほどけていく。
 私の手作りチョコを頬張る空閑君に、来年はもっと素直にチョコを渡したいな、なんて贅沢な願いが生まれたのは秘密にしておこう。

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サヨナラの引力

 

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