私と貴方と手を繋いだ先に
 月明かりの下に見える横顔は楽しそうで、繋いだ手がゆらゆらと揺れる。刻むリズムはよく似ていて、つまり私達は同じ速度で歩いているんだろう。
 少しだけゆっくり、惜しむような速さで。

「一緒にいると色々似てくるんだって」
「ほう?」
「だから、歩くスピードも似てくるのかな」

 他愛のない会話。普通だったら面倒だと言われてしまいそうだ。でも、遊真はひとつひとつを優しく拾ってくれる。だから嬉しくて、甘くて、くすぐったい。

「わからんけど、今日の和音はゆっくりだぞ」
「……歩くスピードが?」
「うん」

 前言撤回。熱くて、甘ったるくて、火が出そう。だって今の言い方じゃ、遊真が私の歩調に合わせてくれているみたいだ。隣でにっこりと笑う顔はまるで、正解だと言うようで。
 思っているより、想われているのかもしれないという、実感。私より先までを見通す余裕のある遊真に、寂しさがあったはずだった。だけど約束した日からその寂しさは鳴りを潜め、こうして伝わる優しさに満たされていくばかり。

「ちょっと、気になったんだけど」
「うん、なんだ?」
「……遊真は、いつから私を気にしてくれてた?」

 言葉を濁しすぎたのか、遊真はこてりと首を傾げて返す。さすがに私のどこが好きか、なんて聞けないような。だから直接的な言葉にならないよう必死に言葉を選んで質問を繰り返す。

「好きかもって思ってくれた、きっかけ」
「あぁ、なるほど」

 とりあえずは意図が伝わったと安堵の息を吐いて返事を待つ。遊真にはちょっと悪いけど、何で好きになってくれたんだろうって不思議だから。どんな答えが返ってくるかとドキドキしていると、視線が絡んで、笑顔。

「和音にとっておれは、人間なんだなって」

 はたりと、思わず足を止めて遊真を凝視する。告げられたそれはなんというか、恋愛のきっかけとしてどうなんだろう。教わったはずの理由はよくわからないまま、話が続けられる。

「だから、話さないといけないって思ったんだ」
「……何を?」
「おれと親父の話」

 言われて、初めて遊真が家に来た日に聞いた話を思い出した。嘘を見抜くサイドエフェクト、ブラックトリガー、その中にある遊真の身体。けれど、義務を感じさせるその言葉が引っかかって、改めて遊真に聞いてみる。

「ねぇ。どうして話さないと“いけない”なの?」

 優しい、だけど何故か少し悲しそうな笑顔。何かを取り繕うように、遊真は言葉を落とす。

「まだ、引き返せるかもしれないって思ったから」

 ――どこか埋まらないと思っていた溝が、呆気なく埋まった気がした。

 私は今に精一杯で、頑張って考えても一歩先がやっと。遠い未来を実感して話すことは難しくて、考えが足りない部分も多かった。そして私の先までを見通す遊真に、敵わないと思っていたんだ。
 だけど。今の一言で、もしかして、の前提が覆った。
 遊真は、終わる遠い未来から考え始めるのかもしれない。だから取捨選択する基準が私とは違うのかも。そう漠然と思った。

「……引き返せなかったの?」
「というか、和音が変なヤツだったってだけだな」
「え」

 それでも私を、なんて少しときめいていたのに。何度目かの変な奴との評価を貰って思わず顔を顰めてしまった。私が不満を前面に押し出したからか、遊真は面白そうにくつくつと笑う。

「あの時も、ありがとうだったからな」

 遊真の言う時に心当たりがなくて、記憶を辿りながら考える。結局きっかけはよくわからないと一人ごちていれば、何故かじわじわと表情を歪めていく遊真。あっという間に不機嫌そうな顔に変わったものだから、とりあえずはどうしたのかと尋ねる。すると半ば睨みつけるような視線のまま、あのな、とわざとらしい前置き。

「思い出したから言っておくけど」
「うん」
「黙って男に手をとられたのに、怒りもしないのはどうかと思うぞ」

 咎めるような声色に変わってしまったので、慌てて思考を切り替える。とはいっても、遊真が何に怒っているのか皆目検討がつかない。

「あの時も心配してくれてありがとう、だもんな」
「……いつの話?」
「おれが初めて和音の手を取った時の話」

 まさかの、そんな前の話を持ち出されたことに面食らう。しかもどうして私が怒られてるんだ。手を取ったのは遊真なのに。理解が追いついてない私に、遊真はじとりとした視線を向けたまま唇を尖らせる。

「誤解してなきゃいいってのが通じないくらいだしな。気をつけた方がいいよ」
「あ、……え?」

 途端にフラッシュバックした記憶。
 付き合っていると誤解されたら、困るだろうと言った私。付き合ってるのかと確認されて、否定して。誤解してないからいいんじゃないかと言った遊真。

「……本当に、私が、誤解してなければいいって意味だったの?」
「なんだ、少しは通じてたのか? それならいいけど」

 よくない。私は全然よくない。なんで今更。確かに一瞬は考えたけど、それはあくまで私の期待みたいなもので。現実は多分恋愛事に疎いんだろうとか、言葉が足りなかったかと解釈してたのに。
 あの頃から遊真には少なからずそういう気持ちがあって、しかもそんなしたたかさを持っていた、なんてまさか。

「だって、トリオンが溜まってないかなって」
「同じだろ? 大規模侵攻の後の和音と」

 思わず問い詰めようとした私に、遊真はけろりと言い返す。同じだと示された大規模侵攻の後、の言葉に無意識に背筋が逆立った。レプリカがいなくなった遊真を見ていられなくて、傍にいたくて口をついて出た、言い訳。

「素直なのはいいけど、裏を何も疑わないのは危ないって話」
「……はい」

 何を語るよりも雄弁に、言い訳の危うさを説いた遊真に大人しく頷くしかない。
 けれど休む暇もなく、まるで仕返しと言わんばかりにそういえば、と話が続けられる。

「和音はどうなんだ?」
「え?」
「おれのこと、いつから気にしてた?」

 からかうような、けれど興味津々と言わんばかりに私を見つめる遊真。聞き返されるなんて可能性を想定していなかった私は、突然のカウンターに息をのんだ。それでもじっと見つめる遊真の視線からは逃げられる気がしなくて、私は渋々と口を割る。

「初めて、手を繋いだ時には、そうかもなって思いました」

 面白そうに目を細める遊真の視線が居た堪れない。けど、こんな恥ずかしいことを先に言わせたのは自分なのか。こうなるってわかってたら聞くの我慢したのに、なんて後悔は今更だ。
 遊真は満足気に笑って、当時を思い出させるかのようにわざわざ繋いだ手を揺らす。

「やっぱり危ないな。気をつけろよ」
「別に、それで好きになったわけ、じゃ」
「ふぅん?」

 まずい。完全に墓穴掘った。にまにまとした笑顔が憎らしい。さっきまでの不機嫌さはどこへやら、からかう雰囲気に変わった遊真。私が不利になるばっかりで、話題を変えようとそもそも、と言い返す。

「好きってわかっちゃったら、遊真に嘘つけなくなっちゃうじゃない」
「ふむ」
「遊真に伝わって重荷になっちゃったらって、色々、考えたん……だから」

 話しながら、つまらない意地だと気づいて言葉尻がしぼんでいく。別に遊真に言わなくてよかったのに。ちょっと、押し付けがましいような。話を切ってごめんと言えば、遊真は少しだけほっとしたように息を吐く。

「いいよ。安心した」
「……なんで?」
「和音はあんまりそういうこと言わないからな」

 そうだろうか。私が不思議そうにしているからか、遊真は困ったように笑う。自分をソマツにしないほうがいいぞと言われてしまって、今度はこっちが困る番だ。自覚はなくて返す言葉に迷っていると、遊真は眉根を寄せたままの笑顔で口を開く。

「約束のことだって、文句も言わなかったからな」

 憂うような瞳の矛先は間違いなく私だ。私と遊真の間にある約束なんて、一つしか浮かばない。けれど文句を言わないと不満気にされてしまうと、さすがに参る。

「だってじゃあ、私が決められないってなったらどうしてたの?」

 一体遊真はどうして欲しかったんだろうか。約束しないでほしかったわけじゃないのはわかるけど、なら、なんで文句なんて。思わず溢れた緊張感の抜けた疑問は、気の抜けた本音で返された。

「待つつもりだったよ」

 さらりと、呆気なく落とされた言葉。他愛ない一言なのに、まるで告白のようだった。
 待つなんてらしくない言葉が、あまったるい声色で響いただけなのに。

「恋人が手を繋ぐって、そうなんだろ?」

 示されたのは、私が言い出した例え話だ。けれど同時に遊真に手を引かれて、促されるまま一歩傍に踏み出して気づく。

 ――たとえ私が追いつけなくなっても、遊真は手を離すつもりがないって意味に。

「……遊真」
「うん?」

 もう、何度目なんだろう。私は何度心震わせればいいんだろう。
 その度に胸が苦しくて、ただ、伝えたくなる。

「……好きだよ」

 途端に軽くなる心。私はもう、伝える幸せを知ってしまった。いつかそんな日がきたら、と昔の私が願った日はもうとっくに訪れている。だから、きっとこれから何度でも、苦しくなる度に気持ちを伝えるんだろう。

「おれも、和音が好きだよ」

 同じ気持ちが返される現実がくすぐったくて。困ってしまうけどそれすらも幸せで。複雑な気持ちのままの私に、遊真がそっと顔を寄せる。
 掠め取られた唇に思い出す、約束。
 繋いだ手をぎゅうと握り締めれば、呼応するように力がこもった。このままでいるのは少し恥ずかしいからそっと手を引けば、遊真はわかっていたかのように踏み出して、再び一緒に帰路を歩き出す。
 そうして歩いていく未来。私達のサヨナラの瞬間。
 きっと、その時が私と遊真を繋ぎ続けるんだろう。

 私と遊真が共に歩んだ軌跡を遺すために。

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サヨナラの引力

 

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