互いの未来を唇で誓う
 響いたのは、キィと軋んだ扉の音。普段どおりのはずなのに、今日はそれが妙に胸をざわつかせた。
 遊真の言った明日、になってしまった今。私は遊真に連れられて支部の屋上へとやってきた。平然とした足取りで屋上へと踏み出す遊真。その歩みは屋上の縁を目前に止まる。
 いつもならそこに座っただろうに。その違いにまた、胸騒ぎ。不安がざわついて怖くなる。

「……昨日の話なんだけどさ」

 私が傍に歩み寄るのを待つよりも先に、話を切り出した遊真。話に集中するために、私はその場に踏みとどまることにした。うん、と相槌を打てば少しの沈黙。遊真はこちらを見ないままに呟く。

「おれ、和音に頼みたいことがある」

 わかりきっていたこと。それでも確認するような言葉。まるで、今なら引き返せると言われているようだと思った。いつだったかと同じ。今度はここが、遊真にとっての分水嶺。
 私は恐怖をどうにか飲み込んで、再び相槌を打つ。ついていこうと、ついていきたいと思ったばかりなのだ。最初から挫けてなんていられない。そう思っただけ。

 ――でも、それでも。

「おれ、和音に最後を見届けて欲しい」

 告げられた一言に、ぶわりと身体が震えた。動機がする。目の奥が熱い。胸がぎゅうぎゅうと締め付けられるように痛くて、私はゆっくりと息を吐く。
 瞬間的に全てが繋がった感覚に眩暈がした。最後っていつだろうか、見届けるって何を。それがわからなければよかったのに、どうしてわかってしまったんだろう。
 ばちりとショートしたような感覚は、いまだ思考をくらくらと揺らがせる。

「……多分和音は傷つくんだと思う。けど」

 変わらずこちらを見ないまま、数拍の間を置きながら話を続ける遊真。もしかしたら遊真はわかっているから、背中を向けたままなのかもしれない。表情が見えない、見られないのがありがたい反面、少しだけ怖くて悲しい。

「おれも、和音も、そうじゃないと駄目だと思うから」

 昨日の恋人の話を、遊真はどんな気持ちで聞いていたんだろう。おそらく遊真も私と同じで、傍にいられなくなる時を考えたんだ。手を離さざるを得ない最後の瞬間にどうしたいか、すべきか。
 混乱する思考の中でぼんやり、適わないと思ってしまった。私はその時まで着いていきたいと願うのに精一杯だったのに。遊真はさらに一歩先を考えて、その時の私に何を望むのかを伝えている。

「……私、遊真が生きる道を邪魔したいわけじゃ、ないんだよ」

 溢れたのは、そんな弱々しい言葉だった。
 今になって私は、例え話であっても“行かないで欲しい”と言葉にしたことを後悔した。そう言えるのも恋人の特権だとは思っているけど、そうしたいわけじゃないんだ。けれど遊真にそうするつもりはないと、言葉にするのはどこか冷たい気が、して。

「むしろ遊真が選んだ道を、歩きぬいて欲しいってそう、思う」

 だからせめて、ついて、生きたいと、思ったのに。引き止めたいわけじゃない。傍にいて、生きて、いつか私が追いつけなくなる時がきたら。

 ――置いていってくれればいいと、そう思ったから。

「ねぇ遊真。頼まれなくてもきっと私は、見ているしか出来ないよ」

 どちらにせよきっと私は、見送るしか出来ないんだ。自ら決めた道を歩く遊真の背中を、遠ざかる背中を、いつか消えてしまう、姿を。

「……そう、思ってたのか」

 少しだけ、驚いたような声が近くで聞こえた気がした。何故かと顔を上げたら、遊真がわずかに振り返っていて。かちりと眼差しが絡んで、心臓がどぐりと唸る。苦しくて、悲しくて、辛くなる。

 ――あぁ、やっぱり、好きだ。

「なぁ。おれやっぱり、和音のそういうトコ、好きだよ」

 気持ちが、共鳴した。心の中で吐露した感情が、遊真が音にした感情と重なる。瞬間、私の中を駆け抜けていくように、恐怖や不安や戸惑いをかき消していく感情。そのままに身体が浮つく私へと、遊真は左手を差し出した。

「変えようとしないことも、強さだと思うから」

 強さ、と自分の感覚と噛み合わない言葉に黙って首を横に振る。
 しかし一歩こちらへ歩みよった遊真はもう一度、私に見せるように左手を伸ばした。その手は私に誘っているような気軽さで、この先の道筋を示す。

 ――遊真が願う、彼を看取るその最期までを。

「傍にいてもいなくても、和音は最期まで見届けてくれるだろ」
「……だって、私にはそれしか、できない」
「違うよ。それは和音にしか、できない」

 まるでパズルみたいに、ほんの少しだけ並び替えて返された言葉。私が告げたものと確かに違う意味を持って返されたのは、私にできること。

「そうやって、和音はおれの意志を守ってくれる」

 柔らかく甘ったるい言葉なのに明確な意思の込められた音。遊真の口から零れた感情の奥には信頼が感じられた。それに胸が張り裂けそうになって、嗚咽を必死で噛み殺す。
 あぁ、なんだ。勘違いだったのか。遊真は私に選択肢を示しているのかと思っていた。
 違う。最終確認だ。私が、私達が選んだ道の終着点はそこだって。

「……約束、する」

 それなら私は、受け入れる以外の答えを選ぶことなんてない。傍にいる限りその道筋を逃れられないと言うんなら、立ち向かうしかない。だから遊真は、私に手を差し伸べてくれる。ひとりじゃ、ないんだって。

「最期まで、見届けるから」

 私はしっかりと自分の意志で、遊真の左手を取る。刹那、表情を緩ませた遊真は優しくその手を引いて、私を抱き寄せた。必死で涙を堪える私の表情を伺って、小さく言葉を零した遊真。

「約束、な」

 互いに引き寄せあうように、重なった唇。

 ――まるで、誓いの口付けだ。

 誓った約束は、違えたところで何の罰則も無い。けれど何よりも明確な意思で私を従えるだろう。
 これから先何があっても、私は約束を破れない。
 遊真への愛しさが尽きる時がくるまで、きっと。

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サヨナラの引力

 

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