『ホント』の白い月
「はい、それじゃあお疲れ様でした」

 最後の大きな赤い花丸をノートに飾って遊真へと差し出す。まるで卒業証書でも受け取るかのように両手で受け取った遊真。ありがとうございました、と満足げに笑うので私も微笑み返す。

「短い間だったけど、少しは勉強になった?」
「うん。意外と楽しかった」
「高校では新しいことばっかりだから、授業をちゃんと聞いてね」

 勉強会を始めてからたったの二か月程度だ。週に何度かとは言っても大した時間は取れなかったけれど、勉強に慣れた遊真が自学自習も頑張ってくれたおかげでそれなりの単元は勉強できた。身についたものが高校での勉強に少しでも役立ってくれればいいな、なんて考えながら私は片づけを終わらせる。

「さて、じゃあ行きますか」
「うん」

 そうして遊真とアイコンタクト。終わった後はいつも通り、店長にお礼の挨拶だ。

「店長、終わりました」
「あぁ、お疲れ様」
「テンチョーさんにはこれ」

 遊真が差し出した紙袋を受け取って、店長ははて、と不思議そうな表情。渡して満足気な遊真を横目で見ながらも、私からも改めてお礼を告げる。

「二か月間、お世話になりました」
「お世話になりました」
「これ……鹿のやのお菓子かい? そんないいものを……」
「テンチョーさん、和菓子好きなんだろ。場所を貸してくれたお礼だ」

 遊真の満面の笑顔に、店長はなんだか感極まっている様子。嬉しいねぇ、なんてしみじみと呟くと、店長はわしゃわしゃと遊真の頭を撫でる。

「高校に行っても頑張ってね、遊真くん」
「おう」

 その様子はさながら第二の卒業式のようだ。多分、高校に行っても遊真はなんだかんだこのコンビニに寄り道してると思うけど。店長が高校の制服を着た遊真にまた感極まってそう、なんて想像をしながらも見守っていれば、店長の視線が今度は私へと向けられる。

「湊川さんも、お疲れさま」
「いえ、そんな」
「これからも、遊真くんと仲良くね」
「え? は、はい」

 まさかそんなことを言われると思わなくて、思わずしどろもどろな返事をしてしまった。けれど店長は気にした様子もなく、にっこりと微笑むだけ。そうしてさぁ、と話を切り上げてしまう。

「湊川さんは明日も夕方バイトに入ってもらうし、遊真くんも色々忙しい時期だろう。早めに帰って休みなさい」
「うん。ありがとうな、テンチョーさん」

 店長の心遣いを素直に受け取った遊真は、私に行こう、と声をかけた。私は改めて店長におやすみなさいと挨拶をして、遊真と共にコンビニを出る。

「……遊真、あのさ」
「うん?」
「店長って、まさか、私たちがどうとか」
「気付いてるのかもな」

 いつからなんだろう。西岡先輩もそうだけど、案外そういうのって筒抜けになってしまうものなのかな。いや、もしかして私がそういうのわかりやすい、とか。そう悶々としていると、遊真は唐突に私の手をとる。

「最後だろ。だから、ちょっとだけ寄り道」
「……時間も遅いんですけど」
「だから、ちょっとだけだ」

 にしし、と笑う遊真を説得するつもりはあんまりなくて、手を引かれるまま遊真の後をついていく。コンビニの周りはもうすっかり私たちのテリトリーだ。どこの道がどこに繋がってるだとか、どの辺りに自動販売機があるだとかはある程度わかってる。
 だから、遊真の目的地も何となくわかった。ここからそう遠くないところにある小さな公園だ。

「あ、桜だよ、遊真」
「うむ?」
「ほら、あれ」

 いつの間に春がきたのか、公園にあったらしい数本の桜の木が花をつけていた。ひらひらと舞っては落ちる桃色の花びら。傍にポツリと佇む街灯が照らすのは、いかにも夜桜といった景観だ。

「入学式の頃には満開だね、きっと」
「ほう」
「高校生になったら、きっと遊真は今よりもっと忙しくなっちゃうんだろうねぇ」

 とっくに春休みに入っているはずの今でさえ、遊真は何かと忙しい様子。急用が入ることもしばしばで、人気者なんだなぁなんて思ってしまう。そんな遊真が高校に入学したら、てんやわんやで今以上に忙しくなるんじゃないだろうか。

「たぶん、夜は大体空いてると思うぞ」
「そんなに予定詰めてたら遊真が身体壊しちゃうよ」
「大丈夫だって」

 穏やかに笑う遊真は、どんな未来を見ているんだろうか。新生活はやっぱりワクワクするかな。どんな出会いがあるだろうか。そうして、遊真はどう変わっていくんだろうか。

「遊真に先に言っておきたいんだけどさ」
「なんだ?」
「浮気はやめてね。さすがに同級生の女の子と二股されたとか、ちょっと立ち直れない」
「……少しはおれを信用しないか」
「そういうことじゃないよ。気持ちが変わる時なんてあっという間にきちゃうもんだよ、きっと」

 遊真はふーん、と軽く相槌を打って黙る。私もぼんやりと、散っていく桜の花びらを眺めて考える。
 そう、あっという間なんだろう。遊真と出会って数か月で恋人になってしまうくらいには簡単に、人の気持ちなんて変わってしまう。出会いは唐突で、きっと別れも唐突。気付けば桜が咲いているように、私と遊真の関係だっていつ、呆気なく変わっているかわからないものだろう。
 感慨に耽る私の隣で、遊真もまた何かを考えたんだろう。唐突に、なぁ、と声が上がる。

「ウソから出たまことって、反対の意味はないのか?」
「反対?」
「後になって、ウソになること」

 問われて少し考えてみたけど、思い当たるようなことわざも故事成句もない。本当のつもりで言ったのに、後になって嘘になること、とは。

「なんだろうね」
「ないのか?」
「少なくとも私は知らないなぁ」

 嘘をついたつもりでなくても、後になって嘘になる。それはきっとありふれたことのような気がする。だって、人の気持ちなんてまさにそんなことの繰り返しじゃないだろうか。君だけだ、とか貴方だけを愛してる、だとか。口にしたその瞬間には間違いなく本当であっても、いつまでも続くものかどうか。

「……例えばさ、遊真」
「うん?」

 気持ちを伴った言葉は、その瞬間にだけ存在する。記憶の中に音が残っていても、その時の気持ちが変わらずに残っているとは限らない。
 それは嘘をついたことになってしまうんだろうか。違うんだろうとは思うけど、それはそれで寂しいものだ。嘘はいつか本当になるかもしれないのに、本当は嘘になるんじゃなくて、ただ、忽然と消える儚いものなのか。

「私、初めて会った時遊真のこと、非行少年だって思ったんだよ」
「ヒコー……? 飛んでないだろ」
「あはは、そっちじゃなくて。悪い子っぽいなって」

 唐突に昔話を始めた私を見て、ほう? と不思議そうに首を傾げる遊真。今となっては懐かしいけれど、最初は本当に非行少年だと思ってたんだよね。だって、見た目的に小学生かもしれない、けれど頭の真っ白な男の子が夜十時も過ぎた頃に一人でコンビニにやってくるなんて。

「桐香に何かしたわけでもないのに」
「見た目のインパクトが強かったから……ごめん」
「別に、怒ってないけど」

 口ではそう言っているけど、表情は呆れてますと言わんばかりだ。こればかりは私も言い訳できないので素直に謝るしかない。けれど遊真は思ったより気に留めていないのか、それで? と続きを促してみせる。

「それで……なんかまぁ色々あって、一緒に勉強もするようになって、告白されて付き合ってさ」
「うん」
「つまり、怖かったのって嘘じゃないけど、もう本当じゃないんだよね」

 遊真は私を少しの間見つめてから、うん、と頷いた。私がさっきの遊真の質問に答えようとしているのだと気づいたのだろう。だから私はいつも遊真に勉強を教える時と同じように、夜桜の下で話を続ける。

「もしかしたら、遊真が言う本当って今にあるものなんじゃない?」
「……なるほどな」

 私と同じ、勉強している時のように真面目な顔で相槌を打った遊真。そうして話に一区切りついたところで、私たちはまた揃って夜桜を見上げる。
 綺麗だ。そう思う気持ちもきっと今だけなんだろう。同じ気持ちで、同じ世界を綺麗だと言うことはきっともうない。今この瞬間はここだけにあって、いつか、過去になった今を思い出してもそれはあくまで本当だったもの。そう変化してしまったものが、遊真の言う『ホントがウソになったもの』なんじゃないか。
 今の私には想像できないけど、いつか、私も遊真のことを好きじゃなくなったりするのかな。今の私にとっては考えるだけで寂しいことなのに、いつかの私は平気になってしまうのかも。だとしたら、そんないつかを寂しいと思える今だから、言える本当の気持ちがあるはずで。

「だからね、遊真」

 いざ言おうと思うと、すごく恥ずかしくて照れくさい。それでも、名前を呼べば私を見てくれた遊真に、自然と言葉がこぼれ落ちるのだ。

「好きになったのが遊真でよかった。一緒にいてくれたのが、遊真でよかったよ」

 素直な気持ちを告白すると遊真は驚いたようにきょとんとして、それから「そうか」と一言だけ呟いた。
 そういえば、私から告白したのは初めてだったかもしれない。なんとなく遠回しに伝えることはあっても、ハッキリ好きだとかいう言葉を口にした記憶がないのだ。もしかして、一度も言ったことなかったりして。

「とはいえ、なんだか遊真を誑かしたみたいで申し訳ないけどね」
「ほう?」
「だって、悪い道に誘導しちゃった気分だもん。普通に身近な女の子と恋してれば、成人と未成年がどうこうってうるさく言われなかっただろうし、他にもいろいろ気にすることもなかったのにさ」

 なんて、気にしていたのは私だけなのかもしれないけど。これから遊真が高校に入って、もっと広い世界を知っていけばいつか、誑かされたって後悔するんだろうか。そんな日が、そんな遊真が“本当”になってしまう日が、できるだけ遠ければいいなぁ、なんて悪あがき。
 一方の遊真は――ふ、と優しく笑ってみせて。

「本当に、桐香はお人好しだな」
「またそれ言う?」
「たぶらかしたのはたぶん、おれなんだけど」

 遊真はなんだか舌足らずにそう言うものだから、『誑かす』なんて言葉が随分と甘ったるく聞こえてしまう。
 遊真が私を誑かしたとはよく言ったものだ。とは言え、年上だからと強がってはいたけど、組み敷かれた時はまさに下克上という感じだった。年下だからなんて油断してると呆気なく上をいかれてしまうくらいには、遊真も男の人だってことを身をもって知っている。
 だからと返す言葉に迷っていれば、遊真はまた笑みを深めて私を見つめるのだ。
 
「おれも、好きになったのが桐香で、よかったって思うよ」

 宵闇の中でも伸びる影は、色濃く地面を染める。だからこそ、目の前に瞬く白い髪がとても鮮やかに見えた。穏やかに笑う遊真。その紅い瞳の中に浮かぶ白い月が、きらきらと輝いてとても眩しい。
 嘘の裏側にある、いつか消えてしまう本当。それが確かにあったのは、きっと、優しい月明かりだけが知っている。
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