――単刀直入に言いますと、結川さんをボーダーに勧誘しようと思いまして。
「……私を、ですか?」
信じられない発言に、林藤さんを凝視してしまう。
ボーダーにスカウトされたなんて話は耳にするが、それらの対象は学生だったはず。高校を卒業してすでに一社会人として働いている私が、どうして勧誘の対象になるのだろう。
考えるほどにわからなくて、私はよほど怪訝な表情を見せてしまっていたようだ。林藤さんは困ったように笑いながら、説明を始めてくれる。
「ボーダーの隊員は、基本的に学生を勧誘しています。これはまぁ、トリガー技術に由来するので説明は省きますが」
「……はい」
「全員が戦闘員になるわけではなく、場合によっては入隊後の個人の希望によりオペレーターやエンジニア……まぁ、技術屋に転向することもあります」
オペレーターやエンジニアという職種が専門職であろうことは想像できる。そう専門知識や技術を必要とするのなら、やはり若い頃から育成をする、というのはあるのだろう。
だからこそ、なぜ私を勧誘するという話になるのか皆目見当もつかない。私はただ林藤さんの説明を黙って聞くばかり。
「ボーダーと言えばやはり、トリガーで戦う隊員や、戦闘のサポートをするオペレーター、隊員たちの使うトリガーを調整、開発するエンジニアのイメージが強いでしょう」
「そうですね」
「ですが……事務官など一般職員の募集も定期的に行っているんです。まぁ、事情により門戸が狭いもので、あまり大々的には告知しないんですがね」
――事務官。どんな組織であっても必ず、事務業というのは存在する。ボーダーの組織の規模を考えれば、総務関係や経理関係だけでもよほど大変だろう。人が多い組織にはそれだけ、管理する情報も扱うお金もあるのだから。
そこまでは、理解はできるのだけど。
「……事務官にわざわざ勧誘、ですか?」
「いやまぁ、正直事務方も大変なのでオススメはしたくないんですがねぇ」
あまりに不審すぎる誘いに尋ねれば、林藤さんはからからと笑いながらそんなことを言ってみせる。私に事務官を勧めている口でオススメしないなんて、まったく真意が見えない。
けれど、隣に座っていた迅さんが唐突に、林藤さんの説明を引き継いで言うのだ。
「入隊しなくても、職員として採用された時点でボーダーに関する機密厳守を求められます。逆に言えばそれを守る限り、ボーダー内部の機密を一部知ってしまっても大ごとにはなりません」
――本題はここだ、と察した。同時に、なぜか話が振り出しに戻っている、とも。
だって彼らが求めているのは事務官の人員ではなく、私が事務官になることによって得られる『機密保持の保証』だ。それは先程ユーマが代行するとして話がついたのではなかったか。林藤さんと迅さんもそれを了承していたはず。
私は確認するためにも、順を追って二人へと問いかける。
「……そうだとして、私が今の会社を辞めるにしても引継ぎ期間もありますし、すぐにボーダーに、というわけにはいかないですよね。そうなると、結局その空白期間は――」
言いかけて、頭の中で何かが引っかかったような違和感。思わず言葉が途切れたものの、迅さんが笑顔でその先を補足してくれる。
「だから、結川さんが遊真の提案を受け入れてくださるかどうかが重要だったわけです」
……私は何か、大きな勘違いをしてないだろうか。
「私がボーダー職員として採用されるまでの間を、ユーマに監視させることが、ボーダーの目的ということですか」
確かめるように伺えば、林藤さんが静かに訂正を加える。
「少し違いますね。ボーダーではなく、“玉狛支部”の目的です」
――例えばの話だ。警察官という職業がある。彼らもまた市民を守るのが仕事。そして、そんな警察官に志願する時に……執行猶予中など、罪を犯した償いを終えていない者は志願を受理してもらえないのだという。
市民感情としてはさして違和感もない。罪を犯した人間を取り締まるべき警察官が、罪を犯して償いもしていない。いかんとも評価しがたい矛盾は易々と受け入れられる話ではないだろう。
警察官をボーダー、そして志願者をユーマと置き換えたとしたら、残念なことに現状は今述べたとおりなのでは?
「……裏口入社って、問題になりませんか?」
「ご安心ください。そもそも、我々支部の人間じゃあ採用に関しては手が出せません。これはあくまで“勧誘”であって、“採用の確約”ではありませんから」
彼らが望んでいるのはつまり、“償い”であり“問題の先送り”か。ユーマはボーダーへの入隊を望んでいて、ボーダー“玉狛支部”はユーマの入隊を望んでいる。だからユーマは自身で私への補償を行いボーダーへ機密保持の責任を取ろうとしているし、“玉狛支部”はその“償い”を認めて入隊を受け入れようとしている。
それは偏に、今、私とのことが明るみになってはマズいと言うことだろう。だから黙っておいてくれと、暗に交渉を迫られているのではないか。
「入社できればいいですけど、採用されなかった場合、そもそもの前提が崩れますよね?」
「結川さんなら大丈夫ですって。おれが保障します」
にこやかな迅さんの言う“保障”なんて何の根拠にもならない。さっき林藤さんから『門戸が狭い』と言われたばかりなのに、『大丈夫』なんて言われても安心できるはずがないだろう。
とはいえユーマが入隊できれば今度、機密保持の責任を“玉狛支部”も負うことになる。私を一般人のままにして機密保持の取引を結ぶより、身内に引き込んだ方が話は単純だろう。だからこそ、彼らは今の仕事を辞めて転職しろ、なんて無茶な提案をしてみせるのだろうか。
目の前の二人に気圧されて視線を隣へと逃がすも、ユーマの笑顔も私に向けられていて。
「大丈夫だぞカエデ。このまえ渡したので足りなければ、迷惑料は追加で払うからな」
ユーマのサムズアップは、もはや逃げ場がないことを物語っていた。ユーマが最初に言った『私が悪くなるような話にはしないつもり』の結果がこれなのか。じゃあ『悪くなる』ってなんだ。これを逃せば身の安全を保障することが危ういってことか。なんだその人生の瀬戸際は。
彼らの思惑通りにユーマの監視を受けつつ、人生の方向転換を強いられている私は、ユーマが言う『被害者』に相応しい。だからと差し出されたのが、迷惑料と銘打ったユーマからの大金。うまい話には裏があるというが、まさか、自分がこんなことに巻き込まれるだなんて思ってもみなかった。
今からでも間に合うのだろうか。例えば、預かっていた大金をユーマに返す、だとか。
そうなると契約解除となって、ユーマには私の身の安全を保障する義務がなくなる。彼らの思惑を知る私は『一般人』というだけで片付くのだろうか。むしろ、彼らの『企て』を知る人間として危険視される可能性の方が想像に難くない。
三人対一の現状では、自分の身を守るための選択肢は一つしか残されていないも同然だ。考えることを放棄して項垂れる。
「……わかりました。とりあえず、採用試験は受けてみます」
私の宣言に林藤さん、迅さん、ユーマと揃って満足気な笑顔を浮かべた。おそらく今の状況は、この三人からしたら当初の目論見通りといったところだろう。交渉を迫られて受け入れざるを得ない状況になってしまうのは、これで二度目だ。
言質が取れたからだろうか、また林藤さんは朗らかに笑う。
「いや〜、そう言っていただけて良かった。ちょうど今空きがあって募集をかけているところなんです。そちらの募集要項をご覧いただいて、まずは履歴書を本部に郵送していただければ」
ほんとうにちょうど、なんだろうか。まるで誰かの敷いたレールの上を走らされているような雰囲気でどうにも不気味だ。ユーマを匿うことにはじまり、どんどんどマズイ所に足を踏み入れているような気がする。
そんな不安に意識を向けさせないようにか、畳みかけるように迅さんもにこやかな笑顔を見せる。
「結川さんはとても聡明な方ですし、面接官にアピールできればとんとん拍子に採用が決まると思いますよ。今のお勤め先へのご相談もぜひお早めにお願いします」
迅さんの胡散臭さに拍車がかかってきた。彼らの思惑に乗せられてしまった今、聡明という評価は皮肉にしか聞こえない。
私は渋々と「わかりました」を繰り返す。もはや乗りかかった船だ。どうにでもなれと彼らに言われるがままを聞いていると、ふいに林藤さんが真面目な雰囲気で話を変える。
「まぁ、とは言え現状は先ほどご承知いただいたとおりになります。女性が暮らす家に少年を匿うというのも色々あるでしょうし、何かあれば名刺の連絡先までご連絡いただければ、我々も対応いたしますので」
「……わかりました。何かあればご連絡させていただきます」
頃合いと見たのだろう。林藤さんは長居してしまったと頭を下げつつ、「我々はこれで失礼させていただきます」と言って腰を上げた。続いて迅さんも立ち上がるので、私も見送るべく席を立つ。玄関へと向かう二人の後を追えば、ユーマも私の後についてきた。
やっと終わるのか、とため息をつきたくなるのをどうにか堪えてたどり着いた玄関。林藤さんと迅さんが順に靴を履いて振り返り、頭を下げた。
「ご協力、感謝いたします。我々にできることであれば、何でも言ってください」
「……その時がきたら、お言葉に甘えさせていただきます」
私も、素直に頭を下げる。助けてもらえることがあるなら、助けを求める権利があるのなら、藁にもすがりたい気持ちだ。できれば、穏便に事が済めばいいと願うばかりだけれど。
挨拶を済ませた林藤さんが先導して玄関を開くので背中を見送る。後に続く迅さんもすぐに行くかと思いきや、心配そうにもう一度振り返り、ユーマへと声をかけた。
「遊真。本っ当〜に、迷惑かけるなよ」
「大丈夫だって。迅さんだってわかってるだろ」
自信満々に笑ったユーマに苦笑しながらも、迅さんと林藤さんは再び私へと深く頭を下げる。もう一度礼で応えれば、二人はいよいよ玄関扉の向こうへと消えていった。
やっと終わった。安堵のままに一息つけば、さて、と隣のユーマから声が上がって。
「カエデは、もう夕飯食べたのか?」
「いえ、まだですよ」
「じゃあ、食べながら改めて話そう。状況も変わったことだしな」
今度は二人、元来た廊下を戻る。どっと疲れたが、まだまだ話は続くらしい。