初めて十四松くんに野球に誘われたのは、中学生の時だった。
彼は野球部に入っていたけれど、野球が好きすぎてそれだけでは足りなかったんだろう、お昼休みや、時には授業の間の10分休憩でも、だれかれ構わず野球に誘っては、かなりの確率で断られていた記憶がある。
野球部は決して部員の少ない部活ではなかったが、私が学生の頃は、男子が休憩時間にやるスポーツとしてはサッカーが花形な時代だった。だから、十四松くんはひとりで素振りをしたり、投球練習をしたりしていることが多かった。
私はそんな彼を見かけるたび、十四松くんは本当に野球が好きなんだなあ、すごいなあ、と感心していたものだ。私は本当に凡庸な学生で、誇れるものや自信を持って好きと言えるものなんて持っていなかったから。

何度目かに彼に野球に誘われたとき、私は思い切って首を縦に振ってみた。女の子の友達はびっくりしたような顔で私を見つめていたけれど、十四松くんだけはいつもにこにこしている顔をいつも以上ににこにこさせて、「まじで!? やったー!!」とバンザイしながら喜んでくれた。
それ以降、女子の友達の数は少し減ったけれど、それでも私は満足だった。十四松くんが私を野球に誘ってくれる回数が、以前よりも少し多くなったから。十四松くんは本当に楽しそうな顔をしてボールを投げる。ありきたりだけれど、そんな彼を見ていると私まで楽しくなってくるのだ。

十四松くんとの野球は、少し変わっていた。
十四松くんがいつも「野球しよー!!」と誘ってくるので、ついつい野球と言ってしまうが、そもそもふたりで野球なんてできるわけがない。私たちがしていたのは、実際にはただのキャッチボール。それも、私のボールの扱いが壊滅的にへたくそだったため、投げるのは十四松くんのみで、私は彼が遠くから投げたボールを拾って、彼に手渡すだけという、キャッチボールというのもはばかられるような内容だった。
これじゃあんまり足手まといだから、せめてボールを渡すときくらい彼の負担を減らすべく彼のところに走っていこうとするのだけれど、なにせ彼はめちゃくちゃ足が速いのだ。私が走り出した、と思ったらもう彼は私のところに走ってきていて、ボールを受け取って、またものすごい勢いで戻っていく。

一回だけ、「あんまり役にたたなくてごめんね」と言ったことがある。
すると十四松くんはにこにこと口角を持ち上げたまま首をかしげて、「え、なんで? なにがごめんなの?」と、私の言ったことが純粋に理解できないというように疑問詞を繰り返した。

「えっと、私、野球へたくそだから……」
「だから?」
「だから、十四松くん、物足りなくないかな、って」

私がおずおずとそう言うと、彼は「ぜんっぜん! ものたりなくないし、っていうかむしろ苗字さんと野球するのたのしいよー!!」と、両手をばたばたさせながら言ってくれた。
そのあまりに飾らない様子が嬉しく、また同時に気恥ずかしくもあったが、十四松くんのことばに報いられるように少し頑張って「私も、十四松くんと野球するの楽しいです」と言った。十四松くんは、もうなんだかよくわからない踊りを踊っているみたいになりながら、「いっしょー! いっしょじゃん、すっげー!!」と喜んでくれた。

中学を卒業して、高校が別々になってからも、十四松くんは私のことを野球に誘ってくれた。もちろん中学の頃と比べたら回数は格段に減ったけれど、それでもやっぱり彼と野球をするのは楽しかった。
中学時代と比べて少しだけ苦労したのは、約束を取り付けるのが少し大変になったこと。学校が違うから、なにもしなければ会うことなんてほとんどない。私たちが疎遠にならなかったのは、十四松くんがあの手この手で私を野球に誘ってくれたからだ。
もちろん、はじめて家に電話がかかってきたときはびっくりした。私の高校の正門前で十四松くんが待ち伏せしていたときは、もっとびっくりした。でも、それ以上に嬉しかった。私は楽しそうに野球をする十四松くんを見ているだけで楽しいけれど、やっぱりあんまり彼の役には立てないままでいた。だから、そんな私を何度も何度も、一生懸命誘ってくれる彼の姿は、そんな私をなによりも強く肯定してくれたような気がしたのだ。

誘ってくれたお礼のつもりでおにぎりを作って行ったら、十四松くんはうまいうまいと言いながら食べてくれた。
野球をするときみたいに本当に嬉しそうに食べるものだから、私は少し張り切ってしまって、次の休日にはもう少しグレードアップしたお弁当を作ってしまった。あんまり料理が得意なわけではなかったけれど、それでも彼はとっても喜んでくれた。

嬉しそうな十四松くんの姿に、私も嬉しくなる。
そんな無限ループの果てに私の料理の腕は人並み程度に上達し、高校を卒業する頃には料理が大好きになっていた。私は迷うことなく調理系の専門学校へ進んだ。お弁当のレパートリーは格段に増えて、十四松くんはいつも「すげー!」と「うめー!」を連発しながらそれを食べてくれた。

今になって考えると、最初はたぶん、ちょっとした憧れに過ぎなかったんだと思う。
でも十四松くんは、なんのとりえもなかった私のことを、それでいいと言ってくれた。その上、私に好きなことまで作ってくれた。野球が大好きな十四松くん、彼に対する憧れは、いつの間にか大きく育って、たぶん「憧れ」と呼ぶにはいささか不適切な感情になってしまっていた。
でも私は、この感情に新しい名前を付けられないでいる。きっと、どんな言葉を使っても、嘘になるから。こころとからだに満ちているこのあったかい感覚をうまく表現できる便利な言葉を、私は知らないのだ。

続きます




ALICE+