07
母が死に、父も死んだ。
エマはリビングにあるソファに腰を下ろすとクッションに頭を預けて横になった。虚ろな目でどこを見るともなく半ば呆然自失だった。
「……」
何の為に戦う力を身に付けて、何の為にここに来たのか――と、胸の内で自らに問う。
父が何をしようとしたか、何の為に戦ったのか――。
〜〜〜〜〜
「エマ、生きなさい。母さんの分も、そして、私の分も――」
〜〜〜〜〜
自分を置いて立ち去った折、父が残した手紙にはそう書かれていた。それを思い出したエマは身体を起こしてギュッと拳に力を入れた。
「まだよ。まだ、ジョージ叔父さんが一人で戦ってる。私が引き継いで戦わなきゃ。私がパパとママの分も生きて戦わなきゃ、何の為に強くなりたいと思ったの?」
エマはそう独り言ちると肌身離さず身に付けているネックレスを外して見つめた。象られた片翼の翼の中心に青い宝石がキラリと光を放っている。これは小さい頃に一目で気に入った母のネックレス。「欲しい」と強請って貰ったものだ。
エマはそれをギュッと握り締めた。徐に額に当てて大きく息を吐き、折れそうになる気持ちを奮い立たせる。
―― 遊びじゃない。命懸けでやるの。油断大敵。やるべきことをやるだけ。
そうして再び立ち上がったエマは、叔父がまだいる地下研究室へと足を向けた。己の感情を全て捨て、叔父の研究を手伝う為に――。
この日以降からエマは人が変わった。
常に冷静で何事にも動じない精神力を持ってどんな難局にも対応できるようになった。ーーが、それに伴い笑うことは滅多に無くなった。
◇
エマがリビングのソファに横になってから数十分。未だに研究室からマルコもジョージも戻って来ない。
「何を…しているの?」
不審に思ったエマが身体を起こして立ち上がった時、ウィルがリビングへと戻って来てエマの元に駆け寄った。
エマは膝を折ってウィルを迎えるようにして頭や身体を撫でると腕時計が夕暮れを指し示す音を発した。
「早く食事を終わらせて眠りに就かないと……」
気配を感じ取られたら一貫の終わりだ。窓は全て閉じて光を遮断しているが用心に越したことは無い。
エマはウィルを伴って再び地下室へ降りる階段へと向かった。だが、階段を上がって来るマルコを見て足を止めた。
「何をしていたの?」
「血をな」
「血……?」
「おれに免疫力があるかどうかの確認だよい」
「そう……」
ウィルは尻尾を振ってマルコの元へと歩み寄った。そして、鼻先を伸ばしてマルコの指先に触れた。マルコがそれに応じてウィルの頭を軽く撫でてやると尻尾を大きく左右に振って喜びを示した。
マルコに甘えるウィルの様子にエマが呆れたような溜息を吐き、マルコはクツリと笑った。
「日暮れの時間よ。奴らは気配や物音でも感知するから、早く食事を済ませて寝床に就かないと」
エマはそう言うと踵を返してキッチンへと向かった。そして、部屋の明かりを落として蝋燭を灯し、薄暗い部屋で簡単に作ったピザパンとオレンジジュースをマルコに渡した。
「足りないと思うけど、これで我慢して」
「ん…、わかったよい」
確かにこれだけでは足りない。しかし、無いよりマシだ。――と、マルコは椅子に座ってピザパンを頬張るとオレンジジュースを流し込んだ。
ウィルはマルコの側を離れたくないのか、マルコの直ぐ側でお座りをしてマルコを見上げている。そのマルコの真向かいに腰を下ろしたエマは、そんなウィルを見てからマルコに視線を向けた。
「動物に懐かれやすいわけ?」
「さァな」
「自覚無し?」
「自覚無しっつぅか……」
マルコが最後のピザパンを口に放り込んだ時、地下室から戻って来たジョージがゆらりと姿を現した。
「「!?」」
まるでダーク・ウォーカーのような現れ方に、エマとマルコは二人して思わずビクンと身体を強張らせてジョージへと顔を向けた。何気にドキドキする鼓動を押さえるように無意識に二人揃って息を吐く。
「ジョージ叔父さん、驚かさないで」
エマがそう声を掛けるもジョージはマルコを見つめて口をパクパクとさせていた。それは非常に驚いた様相で、僅かにワナワナと身体を震わせ、ゆっくりとした動きでエマに目を向けた。
「エマ……、見つけた……」
「え?」
「治療薬ができるかもしれない」
ジョージが声を震わせて言った。エマとマルコは驚いて顔を見合わせた。
「どういうこと? それってまさか……」
「異世界の人間だからかもしれない」
「ッ……!」
ジョージの言葉にエマは絶句した。
「マルコ君の血は、S.Vを簡単に打ち消したよ」
「ってェことは、おれはどうあっても感染しねェってことか?」
「まさか、そんなこと」
マルコの言葉にエマがあり得ないとばかりに首を振った。しかし、ジョージはコクリと頷いた。
「君はダーク・ウォーカーに噛まれたり引っ掛かれたりしたとしても、恐らく感染しない」
「な、なんですって……!?」
「そうか。そりゃあ何よりだよい」
ジョージの言葉にエマが驚く一方で、マルコは片眉と口角を上げた笑みを浮かべた。
「異世界の人間だからって……」
エマが眉を顰めてマルコを見つめる。
―― あの話は本当ってこと? でも、だからってそれだけの理由でこんな……。
ジョージはエマの心情を察したのか、眉尻を下げた笑みを浮かべてエマの肩をポンッと叩いた。マルコが両腕を組んで背凭れに身体を預けながらエマからジョージへと視線を動かした。そして、視線が合った。その時、ジョージは小さく頷いてエマへと視線を戻した。
「さあ、早く食事を済まして日が昇るまでは息を潜めて眠らないとね」
「え、えェ、そうね……」
「おれとエマ――」
「ワンッ!」
「あァ、ウィルも、食事は済んだよい」
マルコはそう言ってウィルの頭を軽く撫でた。
「わかった。じゃあ、先に二階に上がって二つ目の部屋に行ってくれるかい? 壁を厚くして音が漏れないようにした部屋でね。いつもそこで眠るんだ」
「わかったよい」
「あ、かなり狭いから身体を寄せ合う形になるけど……」
ジョージはそれだけ告げるとマルコとエマと交互に目配せをした。それにマルコは目を少し丸くした。
「真ん中は空けて眠ってくれる? 私が間に入るから」
「そんなに狭いのか?」
「んー、音漏れ防止で仕方が無くね。それにほら、」
ジョージはそう言うとエマに一瞥して軽く肩を竦めた。手を軽く動かして妙なジェスチャーをして――
「間違ったことが起きないようにしなきゃ……ね?」
「は……?」
ジョージは何を言い出すんだとばかりにマルコが眉を顰めた。
「バカな妄想してないで、さっさと食事を済ませなさい」
エマはジョージに冷酷な目で睨み付けて棘のある声音でそう言った。そして、ガタンと少し音を立てて立ち上がると「ウィルおいで」と声を掛けた。
ウィルは返事するかのように「ワンッ」と一吠えしてエマの元に駆け寄り、エマと一緒にその部屋を後にした。
ジョージは軽く項垂れてエマが座っていた椅子に力無くトスンと腰を落とした。
「エマってば超怖いんだから。叔父の私を呼び捨てだなんて、流石に凹むよ」
「凹むぐらいなら余計なことを言わなきゃ良かったんじゃねェのか?」
マルコが呆れたようにそう言うとジョージは冷めたピザパンを手に取った。
「だって、エマは可愛い姪っ子だし、揶揄うと楽しいから」
「はァ……、そういうのはガキの頃の話じゃねェのか? もうエマはガキじゃねェだろうよい」
「そうだよ。だから、好き合っても無い間柄で男女が身体を密着し合うなんてダメでしょ?」
ジョージは冷めたピザパンを頬張りながらそう言った。それにマルコはヒクリと頬を引き攣らせた。
「おれはそれに対して抗議をしてんじゃねェ」
それに対してジョージは「むふふ」と小さく笑った。そして、何やら含みを持った笑みを浮かべたままマルコの反応を伺うように見つめた。
「エマは美人だろう?」
「ッ……」
ジョージの目付きにマルコは少し身を引いた。まるで「いつかエマと――」といった含みのある目をしているように感じた。
マルコは言葉を詰まらせるとジョージから顔を背けて口元を手で覆った。
―― 何が言いてェんだ……。
マルコは一つ咳払いをした。
「はは……」
ジョージは乾いた笑いを小さく零してエマが分配したと思われる自分の分のジュースを手に取った。穏やかだった表情は、次第に暗くなって、どこか元気が無い。
マルコは尻目にそれを感じ取ってゆっくりとジョージへと顔を向けた。
「完全な治療薬が完成するにはまだ時間が掛かる。捕らえたダーク・ウォーカーに投与して経過を見ないといけない。だが、私がそれまで持つかどうか……」
「!」
「採決の時に少しだけ話したけど、マルコ君、エマのことを宜しく頼むよ」
ジョージはそう言うとジュースをコクリと飲んだ。そして、再びピザパンを手に持った。
「ダーク・ウォーカーに投与したら恐らく二十四時間以内に変化が出るだろう。もし回復の兆しが見られたら注射器で採血を。そして、その血を医学の発達した地区へ持って行って欲しいんだ」
ジョージは小さく千切ったパンを頬張った。マルコはそれを黙って見つめた。
―― 持ったとして三日…ってェことか?
日が昇ると同時にマルコの血による抗生剤を作り、捕らえたダーク・ウォーカーに投与する。それで一日。変化が出て経過を見るのにまた一日。
本当にギリギリといったところだ。
よく見れば、初めて会った日中時に比べてジョージの顔色が少し悪い。
目元が黒ずんでいるように見える。その上、肌の色が少し灰色が掛かっているように見えた。
小さな蝋燭の光で照らされているからそのように見えるだけかもしれない。
しかし、ジョージの身体がどのような状態であるかはジョージ本人が最もよくわかっているはずだ。
マルコは少しだけ眉を顰めると徐に手で口元を覆って溜息を吐いた。
―― ジョージ……。
「地図を渡しておく。第三都市『ディメル』という名だ。ここから大分離れた場所にあるらしいけど、エマと一緒に行ってくれ」
ジョージはポケットから地図を取り出してマルコに渡した。簡易的な地図に黒と赤のペンで走り書きをした印が付けられていた。
「エマにはどう説明する気だ?」
「体力的について行けそうにないからとでも言うよ。抗生剤の開発が早々に作られることが第一だってね」
ジョージは苦笑を浮かべながらジュースを一気に飲み干して静かにコップを置いた。
「日が昇ると同時に抗生剤の元となるものを生成して投与する。それから暫く待つことになるから、その間にマルコ君の能力って奴を見せてもらえるかな。頑張った褒美として非科学的な力ってのを冥土の土産に見ておきたいんだ」
クツリと笑うジョージにマルコは片眉を上げた。視線をジョージから外してどこを見るともなく彷徨わせ、グッと息を飲むと自然と表情が険しく変わる。
―― 命懸けでやって来たことを最後におれに託すのか。異世界の人間であるおれを碌に知りもしねェってのに、どうして信じることがきるんだ……。
「一つ、教えてくれねェか……?」
「ん、なんだい?」
「どうしてジョージはおれを信じることができるんだ? 大事なものをおれに託そうと思える根拠は何だ?」
「……」
マルコがそう問い掛けるとジョージは最後の一切れとなったパンを口に放り込んで嬉しそうに笑みを零した。
「そうだね。……エマかな」
「エマ?」
「あとはウィルかな。エマもウィルもマルコ君には”壁を作らずに”近い距離で接してる気がしてね」
「!」
「ウィルは元々の飼い主を目の前で失った犬でね。塞ぎ込んでたんだ。それを哀れに思ったマイクが懸命に世話をして心を開かせてね。マイクが死んでから私とずっと一緒にいるけど、マイクのようには側に来て接して来ないんだよ」
ジョージは眉尻を下げてそう告げるとペットボトルに残っているジュースをコップに注いだ。
「エマも同じ。時期は違うが両親の死を目の前で見てから心が固くなってね。笑ったり冗談を言ったりしなくなったんだ。叔父と姪の関係が無かったらエマはきっと私に協力はしてくれなかったと思うし、誰とも口を利かずにずっと孤独で生きることになっただろうと思う」
ジョージはジュースを飲んで息を吐きながらコップを置いた。そして、マルコを真っ直ぐ見据えた。
「君も同じだ」
「!」
「大切な人を失くした。そうだろう?」
ジョージの問いにマルコは思わず動揺した。
「何故ッ…、そう…思う…?」
「そんな目をしている」
「ッ……!」
「マイクを射殺した時のエマと似ている。初めてマルコ君を見た時にそう思ったんだ」
ジョージは背凭れに背中を預けて軽く息を吐いた。
「だからかな〜、マルコ君に託したいと思ったのは。エマやウィルが壁を作らずに君に接したことが根拠だと言ったら納得してくれる?」
マルコは腑に落ちないといった表情を浮かべた。
―― 同じ…だから? そうだとしてもそれが一体何になるって…。
「大事なものを失くしたことがある。それは心が辛くて痛むことだがその経験は必ず君を強くする」
「!」
「失うことの怖さと辛さと痛みを知るからこそ人に優しくなれる。視野が広がり人を導く器ができる。人として大きく成長する糧となる。私はそう思うよ。」
ジョージは微笑を浮かべていたが、その目は真剣だった。ひょうひょうとした人柄だが、今はその形を潜めていることから決して冗談で吐いた言葉では無い。
「エマは何も言わないが、マルコ君を助けようと思ったのは、どことなく同じ心の傷を抱えた者だったからなのかもしれないね。エマは昔から人の心の機微に対して敏感に察する子だったから」
「……」
「失うことの怖さと辛さと痛みを知ったマルコ君だからこそ、同じ痛みを持つエマを理解して支えてやれる。また逆も然り。お互いに分かり合える。そう思わないか?」
ジョージの言葉にマルコはゆっくり瞳を閉じた。
―― そう…か。……ったく、まさか死に瀕した奴に励まされるなんて、情けねェ。
マルコは額に手を当てて深く溜息を吐くと目を開けて苦笑を浮かべた。
「なんだか……、少し救われた気がするよい」
ジョージは笑みを浮かべてコクリと頷いた。
「じゃあ、今からこれまでに起きたことを全て話すよ」
「あァ、その前にあと一つだけ良いかい?」
「ん?」
「ジョージはおれにエマを託すと言ったが、それ意外に何か考えてねェか?」
マルコの質問にジョージは目を丸くして瞬きを繰り返した。
―― はは、エマ以上に鋭いな。
「まさか、この世界をどうにかしろなんて言ったりはしねェだろうな?」
マルコが腕を組んでジョージにそう言うと、ジョージは暫く黙っていたが微笑を浮かべてかぶりを振った。
「いや、異世界の人にこの世界を助けてくれなんて流石に言えないよ」
「そうかい」
「ただ……、連れて行って欲しいんだ」
「連れて……?」
「マルコ君はいつか自分の世界に戻る時が来るだろう。その時に出来ればエマを一緒に連れて行ってやって欲しいんだ」
「な、何だって!?」
「私が死んだらあの子は天涯孤独になる。戦う術を、一人で生き抜く術を身に付けたと言っても、私からすればエマは怖がりで泣き虫な可愛い姪であることに変わりは無い。エマを理解してやれる人が側にいてくれるなら私は安心して死ねる」
眉尻を下げた笑みを浮かべているが、それが少しだけ泣き顔にも見えた。
マルコは眼光を鋭くしてジョージを睨んだ。
「だからって連れて行けってェのは、」
「我儘を言ってることはわかっているよ。本来なら決してあってはならないことだと思う。でもね、マルコ君がこの世界に現れて血を提供したことで抗生剤が生成されることは同じようなものじゃないか」
「!」
「それに、この世界は、人類こそまだ生き残ってはいるけど、場所によっては歪な性格をした都市もあるみたいでね。マイクが生前に各地を訪れて都市の情報や噂を聞いてきたんだが、この世界に生き残った人類はいずれ自ら滅びを選択して破滅に向かうだろうって……」
「それはあくまでも人から聞いた話じゃねェのか? それが全て真実だとは限らないだろい?」
「そう、人伝の話だから本当かどうかはわからない。だが、大地も人の心も荒廃したこの世界に、あの子を一人残すことは忍びなくてね」
「……」
「……いや、うん、これは私が姪を溺愛し過ぎた末の妄言かな。すまない。忘れてくれ」
ジョージは頭を掻きながら「冗談だよ」と笑って言った。しかし、話している間のジョージの目は本気だった。
できることなら本当は共に生きていきたかった。しかし、それはもうできそうにない。自分が死んだ後、姪のエマは、たった一人でこの荒廃した世界でどうやって生きて行くのか、それが不安で仕方が無い。――ジョージの目は、声は、そう懇願していた。
―― 確かに、孤独は辛ェよなァ……。
同じ失くした者同士とは言えマルコには生き残った仲間が大勢いたが、エマには『仲間』がいない。同じ時を歩き、同じ景色を見て、生きてくれる仲間がいないのだ。
「叔父さんは心配なんだよ〜」
ジョージはふざけてるのか本気なのかわからない程度にわざと嘆くように言った。
マルコはそれに片眉を上げるとやれやれといった具合に溜息を吐いて微笑を零した。
「けどよい、」
「ん〜?」
「エマは、ジョージが思うほど軟じゃないとおれは思うよい」
「!」
「エマは賢い女だ。肝が据わってやがるし意志が強い。それに……」
「それに……?」
「確かにジョージが言うようにエマは良い女だ。外見だけじゃなく中身もな。少し捻くれちゃいるが扱いがわかれば……、いずれ欲しいと思っちまうかもしれねェ」
マルコが軽く笑ってそう告げるとジョージは目を丸くした。
「マルコ君……」
「なんだい?」
「君は、不思議な人だね」
「異世界の人間が、ジョージの可愛い姪を欲しくなるかもしれねェって、言ってる意味がわからねェわけじゃねェよな? 何だその感想は……」
キョトンとするジョージにマルコが眉を顰めてそう問い掛けるとジョージはクツリと笑った。
「君の言葉には力を感じる。元来人の上に立つ器があると言うのかな、引っ張り上げるだけじゃなく背中を押す力も感じられる」
「!」
「海賊と言ったね」
「あァ、そうだよい」
「君はひょっとして海賊の…なんだ、ほら、長というか」
「船長か?」
「そう! それじゃないのか?」
マルコはクツリと笑みを浮かべるだけに留めて小さくかぶりを振ると目を瞑って黙り込んだ。どうやらその質問に答える気は無いようだ。
ジョージは少しだけ眉を顰めたが、マルコの『大切な人を失くした』ことに引っ掛かることなのだと察した。
「無神経だった。すまない」
「……」
「とりあえず、そのままで良いから私の話を聞いてくれ」
ジョージはこの世界が『災厄の日』と呼ばれる日を境に大きく変わった原因と自分達が行おうとしていたことを語り始めた。
それはどこか懺悔にも似たもので、ジョージの話を聞きながらマルコはゆっくりと目を開けた。
『科学者の驕り』
『医学者の驕り』
『権力者の驕り』
『軍事力の驕り』
全てはそれが原因で世界は滅亡へと歩み始めた。ジョージもマイクもこれらの中枢に位置する場所で働いていた身だ。取り返しの付かないことをしてしまった『大いなる責任』を背負い、この場に残って治療薬の開発を行うことを使命としたのだと――。
「元はと言えば、あんなことが無ければエマは軍人みたいな女にならずに済んだんだ。私達があの子の明るい未来を潰したようなものだ」
ジョージはガクリと頭を落としてそう言うとゴホッゴホッと咳込み始めた。
「ジョージ?」
「はァはァ……、薬を、打たないと……」
ジョージは口元を手で押さえながら席を立った。そして、リビングにある戸棚から注射器と透明の薬液が入った瓶を手に取った。
―― うぅ、くそ……。もう、腕が硬直し始めたか……。
思うように動かなくなる腕や指先にジョージは顔を顰めた。すると、横からスッと血色の良い手が伸びて来て、固くなり始めた自身の手を掴んだ。それに苦痛の表情を浮かべたまま顔を上げた。
「これを注射すれば良いんだな?」
「あ、あァ……」
マルコが代わりにジョージの腕に薬を注射した。そして、身体を震わせながら小刻みに呼吸が荒くなるジョージを支えた。
―― ッ……!
皮膚の変色が首元に見られた。瞳孔も少し変異をきたしているようにも見えた。
「まだ……、まだ、なんとか耐えないと……」
「ジョージ……」
「最低限ッ……、自分がすべきことを、果たさないと……! じゃないと、死んだ兄さんに申し訳が立たない……」
「!」
「命を奪ったんだ。だから、せめてもの償いで命を繋ぐ仕事をしないと、これは、これはッ…、私達兄弟の果たさないといけない責任なんだ」
ジョージはグッと歯を食い縛って必死に抗おうとしている。そして、エマの血から作った血清により少しずつ元の姿へと戻って落ち着きを取り戻した。
そんなジョージを見つめながらマルコは、思わず自責の念が激しく胸に迫るのを感じた。
ジョージもまたエマと同じだ。
命懸けで必死に生きて為そうとする強い意志がそこにある。例えあと数日の命かもしれない状況であったとしても最後まで諦めない強さ。起きてしまったことの後悔を嘆くよりも先を見据えて必死に抗い生きて進もうとする。
同士だったサッチを失くし、助けるべき末弟エースを失くし、そして、オヤジと慕った白ひげを失くした喪失感と無力感に襲われ、自分を責めた。それにより精神的な視野が狭くなり、背負うことになった家族の命を導く責任を前にして二の足を踏んだ。そんな自分がとことん情けないと思った。
マルコは、彼らの生き様や気概に感服すると共に、大切な何かを教えられた気がした。
エマはリビングにあるソファに腰を下ろすとクッションに頭を預けて横になった。虚ろな目でどこを見るともなく半ば呆然自失だった。
「……」
何の為に戦う力を身に付けて、何の為にここに来たのか――と、胸の内で自らに問う。
父が何をしようとしたか、何の為に戦ったのか――。
〜〜〜〜〜
「エマ、生きなさい。母さんの分も、そして、私の分も――」
〜〜〜〜〜
自分を置いて立ち去った折、父が残した手紙にはそう書かれていた。それを思い出したエマは身体を起こしてギュッと拳に力を入れた。
「まだよ。まだ、ジョージ叔父さんが一人で戦ってる。私が引き継いで戦わなきゃ。私がパパとママの分も生きて戦わなきゃ、何の為に強くなりたいと思ったの?」
エマはそう独り言ちると肌身離さず身に付けているネックレスを外して見つめた。象られた片翼の翼の中心に青い宝石がキラリと光を放っている。これは小さい頃に一目で気に入った母のネックレス。「欲しい」と強請って貰ったものだ。
エマはそれをギュッと握り締めた。徐に額に当てて大きく息を吐き、折れそうになる気持ちを奮い立たせる。
―― 遊びじゃない。命懸けでやるの。油断大敵。やるべきことをやるだけ。
そうして再び立ち上がったエマは、叔父がまだいる地下研究室へと足を向けた。己の感情を全て捨て、叔父の研究を手伝う為に――。
この日以降からエマは人が変わった。
常に冷静で何事にも動じない精神力を持ってどんな難局にも対応できるようになった。ーーが、それに伴い笑うことは滅多に無くなった。
◇
エマがリビングのソファに横になってから数十分。未だに研究室からマルコもジョージも戻って来ない。
「何を…しているの?」
不審に思ったエマが身体を起こして立ち上がった時、ウィルがリビングへと戻って来てエマの元に駆け寄った。
エマは膝を折ってウィルを迎えるようにして頭や身体を撫でると腕時計が夕暮れを指し示す音を発した。
「早く食事を終わらせて眠りに就かないと……」
気配を感じ取られたら一貫の終わりだ。窓は全て閉じて光を遮断しているが用心に越したことは無い。
エマはウィルを伴って再び地下室へ降りる階段へと向かった。だが、階段を上がって来るマルコを見て足を止めた。
「何をしていたの?」
「血をな」
「血……?」
「おれに免疫力があるかどうかの確認だよい」
「そう……」
ウィルは尻尾を振ってマルコの元へと歩み寄った。そして、鼻先を伸ばしてマルコの指先に触れた。マルコがそれに応じてウィルの頭を軽く撫でてやると尻尾を大きく左右に振って喜びを示した。
マルコに甘えるウィルの様子にエマが呆れたような溜息を吐き、マルコはクツリと笑った。
「日暮れの時間よ。奴らは気配や物音でも感知するから、早く食事を済ませて寝床に就かないと」
エマはそう言うと踵を返してキッチンへと向かった。そして、部屋の明かりを落として蝋燭を灯し、薄暗い部屋で簡単に作ったピザパンとオレンジジュースをマルコに渡した。
「足りないと思うけど、これで我慢して」
「ん…、わかったよい」
確かにこれだけでは足りない。しかし、無いよりマシだ。――と、マルコは椅子に座ってピザパンを頬張るとオレンジジュースを流し込んだ。
ウィルはマルコの側を離れたくないのか、マルコの直ぐ側でお座りをしてマルコを見上げている。そのマルコの真向かいに腰を下ろしたエマは、そんなウィルを見てからマルコに視線を向けた。
「動物に懐かれやすいわけ?」
「さァな」
「自覚無し?」
「自覚無しっつぅか……」
マルコが最後のピザパンを口に放り込んだ時、地下室から戻って来たジョージがゆらりと姿を現した。
「「!?」」
まるでダーク・ウォーカーのような現れ方に、エマとマルコは二人して思わずビクンと身体を強張らせてジョージへと顔を向けた。何気にドキドキする鼓動を押さえるように無意識に二人揃って息を吐く。
「ジョージ叔父さん、驚かさないで」
エマがそう声を掛けるもジョージはマルコを見つめて口をパクパクとさせていた。それは非常に驚いた様相で、僅かにワナワナと身体を震わせ、ゆっくりとした動きでエマに目を向けた。
「エマ……、見つけた……」
「え?」
「治療薬ができるかもしれない」
ジョージが声を震わせて言った。エマとマルコは驚いて顔を見合わせた。
「どういうこと? それってまさか……」
「異世界の人間だからかもしれない」
「ッ……!」
ジョージの言葉にエマは絶句した。
「マルコ君の血は、S.Vを簡単に打ち消したよ」
「ってェことは、おれはどうあっても感染しねェってことか?」
「まさか、そんなこと」
マルコの言葉にエマがあり得ないとばかりに首を振った。しかし、ジョージはコクリと頷いた。
「君はダーク・ウォーカーに噛まれたり引っ掛かれたりしたとしても、恐らく感染しない」
「な、なんですって……!?」
「そうか。そりゃあ何よりだよい」
ジョージの言葉にエマが驚く一方で、マルコは片眉と口角を上げた笑みを浮かべた。
「異世界の人間だからって……」
エマが眉を顰めてマルコを見つめる。
―― あの話は本当ってこと? でも、だからってそれだけの理由でこんな……。
ジョージはエマの心情を察したのか、眉尻を下げた笑みを浮かべてエマの肩をポンッと叩いた。マルコが両腕を組んで背凭れに身体を預けながらエマからジョージへと視線を動かした。そして、視線が合った。その時、ジョージは小さく頷いてエマへと視線を戻した。
「さあ、早く食事を済まして日が昇るまでは息を潜めて眠らないとね」
「え、えェ、そうね……」
「おれとエマ――」
「ワンッ!」
「あァ、ウィルも、食事は済んだよい」
マルコはそう言ってウィルの頭を軽く撫でた。
「わかった。じゃあ、先に二階に上がって二つ目の部屋に行ってくれるかい? 壁を厚くして音が漏れないようにした部屋でね。いつもそこで眠るんだ」
「わかったよい」
「あ、かなり狭いから身体を寄せ合う形になるけど……」
ジョージはそれだけ告げるとマルコとエマと交互に目配せをした。それにマルコは目を少し丸くした。
「真ん中は空けて眠ってくれる? 私が間に入るから」
「そんなに狭いのか?」
「んー、音漏れ防止で仕方が無くね。それにほら、」
ジョージはそう言うとエマに一瞥して軽く肩を竦めた。手を軽く動かして妙なジェスチャーをして――
「間違ったことが起きないようにしなきゃ……ね?」
「は……?」
ジョージは何を言い出すんだとばかりにマルコが眉を顰めた。
「バカな妄想してないで、さっさと食事を済ませなさい」
エマはジョージに冷酷な目で睨み付けて棘のある声音でそう言った。そして、ガタンと少し音を立てて立ち上がると「ウィルおいで」と声を掛けた。
ウィルは返事するかのように「ワンッ」と一吠えしてエマの元に駆け寄り、エマと一緒にその部屋を後にした。
ジョージは軽く項垂れてエマが座っていた椅子に力無くトスンと腰を落とした。
「エマってば超怖いんだから。叔父の私を呼び捨てだなんて、流石に凹むよ」
「凹むぐらいなら余計なことを言わなきゃ良かったんじゃねェのか?」
マルコが呆れたようにそう言うとジョージは冷めたピザパンを手に取った。
「だって、エマは可愛い姪っ子だし、揶揄うと楽しいから」
「はァ……、そういうのはガキの頃の話じゃねェのか? もうエマはガキじゃねェだろうよい」
「そうだよ。だから、好き合っても無い間柄で男女が身体を密着し合うなんてダメでしょ?」
ジョージは冷めたピザパンを頬張りながらそう言った。それにマルコはヒクリと頬を引き攣らせた。
「おれはそれに対して抗議をしてんじゃねェ」
それに対してジョージは「むふふ」と小さく笑った。そして、何やら含みを持った笑みを浮かべたままマルコの反応を伺うように見つめた。
「エマは美人だろう?」
「ッ……」
ジョージの目付きにマルコは少し身を引いた。まるで「いつかエマと――」といった含みのある目をしているように感じた。
マルコは言葉を詰まらせるとジョージから顔を背けて口元を手で覆った。
―― 何が言いてェんだ……。
マルコは一つ咳払いをした。
「はは……」
ジョージは乾いた笑いを小さく零してエマが分配したと思われる自分の分のジュースを手に取った。穏やかだった表情は、次第に暗くなって、どこか元気が無い。
マルコは尻目にそれを感じ取ってゆっくりとジョージへと顔を向けた。
「完全な治療薬が完成するにはまだ時間が掛かる。捕らえたダーク・ウォーカーに投与して経過を見ないといけない。だが、私がそれまで持つかどうか……」
「!」
「採決の時に少しだけ話したけど、マルコ君、エマのことを宜しく頼むよ」
ジョージはそう言うとジュースをコクリと飲んだ。そして、再びピザパンを手に持った。
「ダーク・ウォーカーに投与したら恐らく二十四時間以内に変化が出るだろう。もし回復の兆しが見られたら注射器で採血を。そして、その血を医学の発達した地区へ持って行って欲しいんだ」
ジョージは小さく千切ったパンを頬張った。マルコはそれを黙って見つめた。
―― 持ったとして三日…ってェことか?
日が昇ると同時にマルコの血による抗生剤を作り、捕らえたダーク・ウォーカーに投与する。それで一日。変化が出て経過を見るのにまた一日。
本当にギリギリといったところだ。
よく見れば、初めて会った日中時に比べてジョージの顔色が少し悪い。
目元が黒ずんでいるように見える。その上、肌の色が少し灰色が掛かっているように見えた。
小さな蝋燭の光で照らされているからそのように見えるだけかもしれない。
しかし、ジョージの身体がどのような状態であるかはジョージ本人が最もよくわかっているはずだ。
マルコは少しだけ眉を顰めると徐に手で口元を覆って溜息を吐いた。
―― ジョージ……。
「地図を渡しておく。第三都市『ディメル』という名だ。ここから大分離れた場所にあるらしいけど、エマと一緒に行ってくれ」
ジョージはポケットから地図を取り出してマルコに渡した。簡易的な地図に黒と赤のペンで走り書きをした印が付けられていた。
「エマにはどう説明する気だ?」
「体力的について行けそうにないからとでも言うよ。抗生剤の開発が早々に作られることが第一だってね」
ジョージは苦笑を浮かべながらジュースを一気に飲み干して静かにコップを置いた。
「日が昇ると同時に抗生剤の元となるものを生成して投与する。それから暫く待つことになるから、その間にマルコ君の能力って奴を見せてもらえるかな。頑張った褒美として非科学的な力ってのを冥土の土産に見ておきたいんだ」
クツリと笑うジョージにマルコは片眉を上げた。視線をジョージから外してどこを見るともなく彷徨わせ、グッと息を飲むと自然と表情が険しく変わる。
―― 命懸けでやって来たことを最後におれに託すのか。異世界の人間であるおれを碌に知りもしねェってのに、どうして信じることがきるんだ……。
「一つ、教えてくれねェか……?」
「ん、なんだい?」
「どうしてジョージはおれを信じることができるんだ? 大事なものをおれに託そうと思える根拠は何だ?」
「……」
マルコがそう問い掛けるとジョージは最後の一切れとなったパンを口に放り込んで嬉しそうに笑みを零した。
「そうだね。……エマかな」
「エマ?」
「あとはウィルかな。エマもウィルもマルコ君には”壁を作らずに”近い距離で接してる気がしてね」
「!」
「ウィルは元々の飼い主を目の前で失った犬でね。塞ぎ込んでたんだ。それを哀れに思ったマイクが懸命に世話をして心を開かせてね。マイクが死んでから私とずっと一緒にいるけど、マイクのようには側に来て接して来ないんだよ」
ジョージは眉尻を下げてそう告げるとペットボトルに残っているジュースをコップに注いだ。
「エマも同じ。時期は違うが両親の死を目の前で見てから心が固くなってね。笑ったり冗談を言ったりしなくなったんだ。叔父と姪の関係が無かったらエマはきっと私に協力はしてくれなかったと思うし、誰とも口を利かずにずっと孤独で生きることになっただろうと思う」
ジョージはジュースを飲んで息を吐きながらコップを置いた。そして、マルコを真っ直ぐ見据えた。
「君も同じだ」
「!」
「大切な人を失くした。そうだろう?」
ジョージの問いにマルコは思わず動揺した。
「何故ッ…、そう…思う…?」
「そんな目をしている」
「ッ……!」
「マイクを射殺した時のエマと似ている。初めてマルコ君を見た時にそう思ったんだ」
ジョージは背凭れに背中を預けて軽く息を吐いた。
「だからかな〜、マルコ君に託したいと思ったのは。エマやウィルが壁を作らずに君に接したことが根拠だと言ったら納得してくれる?」
マルコは腑に落ちないといった表情を浮かべた。
―― 同じ…だから? そうだとしてもそれが一体何になるって…。
「大事なものを失くしたことがある。それは心が辛くて痛むことだがその経験は必ず君を強くする」
「!」
「失うことの怖さと辛さと痛みを知るからこそ人に優しくなれる。視野が広がり人を導く器ができる。人として大きく成長する糧となる。私はそう思うよ。」
ジョージは微笑を浮かべていたが、その目は真剣だった。ひょうひょうとした人柄だが、今はその形を潜めていることから決して冗談で吐いた言葉では無い。
「エマは何も言わないが、マルコ君を助けようと思ったのは、どことなく同じ心の傷を抱えた者だったからなのかもしれないね。エマは昔から人の心の機微に対して敏感に察する子だったから」
「……」
「失うことの怖さと辛さと痛みを知ったマルコ君だからこそ、同じ痛みを持つエマを理解して支えてやれる。また逆も然り。お互いに分かり合える。そう思わないか?」
ジョージの言葉にマルコはゆっくり瞳を閉じた。
―― そう…か。……ったく、まさか死に瀕した奴に励まされるなんて、情けねェ。
マルコは額に手を当てて深く溜息を吐くと目を開けて苦笑を浮かべた。
「なんだか……、少し救われた気がするよい」
ジョージは笑みを浮かべてコクリと頷いた。
「じゃあ、今からこれまでに起きたことを全て話すよ」
「あァ、その前にあと一つだけ良いかい?」
「ん?」
「ジョージはおれにエマを託すと言ったが、それ意外に何か考えてねェか?」
マルコの質問にジョージは目を丸くして瞬きを繰り返した。
―― はは、エマ以上に鋭いな。
「まさか、この世界をどうにかしろなんて言ったりはしねェだろうな?」
マルコが腕を組んでジョージにそう言うと、ジョージは暫く黙っていたが微笑を浮かべてかぶりを振った。
「いや、異世界の人にこの世界を助けてくれなんて流石に言えないよ」
「そうかい」
「ただ……、連れて行って欲しいんだ」
「連れて……?」
「マルコ君はいつか自分の世界に戻る時が来るだろう。その時に出来ればエマを一緒に連れて行ってやって欲しいんだ」
「な、何だって!?」
「私が死んだらあの子は天涯孤独になる。戦う術を、一人で生き抜く術を身に付けたと言っても、私からすればエマは怖がりで泣き虫な可愛い姪であることに変わりは無い。エマを理解してやれる人が側にいてくれるなら私は安心して死ねる」
眉尻を下げた笑みを浮かべているが、それが少しだけ泣き顔にも見えた。
マルコは眼光を鋭くしてジョージを睨んだ。
「だからって連れて行けってェのは、」
「我儘を言ってることはわかっているよ。本来なら決してあってはならないことだと思う。でもね、マルコ君がこの世界に現れて血を提供したことで抗生剤が生成されることは同じようなものじゃないか」
「!」
「それに、この世界は、人類こそまだ生き残ってはいるけど、場所によっては歪な性格をした都市もあるみたいでね。マイクが生前に各地を訪れて都市の情報や噂を聞いてきたんだが、この世界に生き残った人類はいずれ自ら滅びを選択して破滅に向かうだろうって……」
「それはあくまでも人から聞いた話じゃねェのか? それが全て真実だとは限らないだろい?」
「そう、人伝の話だから本当かどうかはわからない。だが、大地も人の心も荒廃したこの世界に、あの子を一人残すことは忍びなくてね」
「……」
「……いや、うん、これは私が姪を溺愛し過ぎた末の妄言かな。すまない。忘れてくれ」
ジョージは頭を掻きながら「冗談だよ」と笑って言った。しかし、話している間のジョージの目は本気だった。
できることなら本当は共に生きていきたかった。しかし、それはもうできそうにない。自分が死んだ後、姪のエマは、たった一人でこの荒廃した世界でどうやって生きて行くのか、それが不安で仕方が無い。――ジョージの目は、声は、そう懇願していた。
―― 確かに、孤独は辛ェよなァ……。
同じ失くした者同士とは言えマルコには生き残った仲間が大勢いたが、エマには『仲間』がいない。同じ時を歩き、同じ景色を見て、生きてくれる仲間がいないのだ。
「叔父さんは心配なんだよ〜」
ジョージはふざけてるのか本気なのかわからない程度にわざと嘆くように言った。
マルコはそれに片眉を上げるとやれやれといった具合に溜息を吐いて微笑を零した。
「けどよい、」
「ん〜?」
「エマは、ジョージが思うほど軟じゃないとおれは思うよい」
「!」
「エマは賢い女だ。肝が据わってやがるし意志が強い。それに……」
「それに……?」
「確かにジョージが言うようにエマは良い女だ。外見だけじゃなく中身もな。少し捻くれちゃいるが扱いがわかれば……、いずれ欲しいと思っちまうかもしれねェ」
マルコが軽く笑ってそう告げるとジョージは目を丸くした。
「マルコ君……」
「なんだい?」
「君は、不思議な人だね」
「異世界の人間が、ジョージの可愛い姪を欲しくなるかもしれねェって、言ってる意味がわからねェわけじゃねェよな? 何だその感想は……」
キョトンとするジョージにマルコが眉を顰めてそう問い掛けるとジョージはクツリと笑った。
「君の言葉には力を感じる。元来人の上に立つ器があると言うのかな、引っ張り上げるだけじゃなく背中を押す力も感じられる」
「!」
「海賊と言ったね」
「あァ、そうだよい」
「君はひょっとして海賊の…なんだ、ほら、長というか」
「船長か?」
「そう! それじゃないのか?」
マルコはクツリと笑みを浮かべるだけに留めて小さくかぶりを振ると目を瞑って黙り込んだ。どうやらその質問に答える気は無いようだ。
ジョージは少しだけ眉を顰めたが、マルコの『大切な人を失くした』ことに引っ掛かることなのだと察した。
「無神経だった。すまない」
「……」
「とりあえず、そのままで良いから私の話を聞いてくれ」
ジョージはこの世界が『災厄の日』と呼ばれる日を境に大きく変わった原因と自分達が行おうとしていたことを語り始めた。
それはどこか懺悔にも似たもので、ジョージの話を聞きながらマルコはゆっくりと目を開けた。
『科学者の驕り』
『医学者の驕り』
『権力者の驕り』
『軍事力の驕り』
全てはそれが原因で世界は滅亡へと歩み始めた。ジョージもマイクもこれらの中枢に位置する場所で働いていた身だ。取り返しの付かないことをしてしまった『大いなる責任』を背負い、この場に残って治療薬の開発を行うことを使命としたのだと――。
「元はと言えば、あんなことが無ければエマは軍人みたいな女にならずに済んだんだ。私達があの子の明るい未来を潰したようなものだ」
ジョージはガクリと頭を落としてそう言うとゴホッゴホッと咳込み始めた。
「ジョージ?」
「はァはァ……、薬を、打たないと……」
ジョージは口元を手で押さえながら席を立った。そして、リビングにある戸棚から注射器と透明の薬液が入った瓶を手に取った。
―― うぅ、くそ……。もう、腕が硬直し始めたか……。
思うように動かなくなる腕や指先にジョージは顔を顰めた。すると、横からスッと血色の良い手が伸びて来て、固くなり始めた自身の手を掴んだ。それに苦痛の表情を浮かべたまま顔を上げた。
「これを注射すれば良いんだな?」
「あ、あァ……」
マルコが代わりにジョージの腕に薬を注射した。そして、身体を震わせながら小刻みに呼吸が荒くなるジョージを支えた。
―― ッ……!
皮膚の変色が首元に見られた。瞳孔も少し変異をきたしているようにも見えた。
「まだ……、まだ、なんとか耐えないと……」
「ジョージ……」
「最低限ッ……、自分がすべきことを、果たさないと……! じゃないと、死んだ兄さんに申し訳が立たない……」
「!」
「命を奪ったんだ。だから、せめてもの償いで命を繋ぐ仕事をしないと、これは、これはッ…、私達兄弟の果たさないといけない責任なんだ」
ジョージはグッと歯を食い縛って必死に抗おうとしている。そして、エマの血から作った血清により少しずつ元の姿へと戻って落ち着きを取り戻した。
そんなジョージを見つめながらマルコは、思わず自責の念が激しく胸に迫るのを感じた。
ジョージもまたエマと同じだ。
命懸けで必死に生きて為そうとする強い意志がそこにある。例えあと数日の命かもしれない状況であったとしても最後まで諦めない強さ。起きてしまったことの後悔を嘆くよりも先を見据えて必死に抗い生きて進もうとする。
同士だったサッチを失くし、助けるべき末弟エースを失くし、そして、オヤジと慕った白ひげを失くした喪失感と無力感に襲われ、自分を責めた。それにより精神的な視野が狭くなり、背負うことになった家族の命を導く責任を前にして二の足を踏んだ。そんな自分がとことん情けないと思った。
マルコは、彼らの生き様や気概に感服すると共に、大切な何かを教えられた気がした。
【〆栞】