18
暫く歩いて辿り着いた船長室のドアをシャンクスが開けると、食堂の端っこだとか倉庫だとか、何なら牢部屋でも良いんだけどなァと思っていたヤヒロが思わず「あー……」と声を漏らした。
「どうした?」
「いや、何でもなっ…て言うか、マジで広過ぎだろ」
「おれは狭くても良かったんだが、船長なんだからって理由でな、こうなった」
そこはシャンクス一人の部屋にしては本当に広かった。キングサイズのベッドに大きめのソファとテーブル、あまり本を読んでそうなイメージが無いけど本棚がズラッとあって、更にあと四、五人ぐらいのベッドが置けそうな程のスペースが余っている。
これならオヤジ一人で丁度良いぐらいの広さじゃね?と思ったヤヒロは、白ひげの身体の大きさを当て嵌めて想像して、やっぱりそうだと納得した。果たしてヤヒロが想像した白ひげのサイズが正しかったかどうかは不明だ。
「それじゃあ、遠慮無く」
部屋に入ったヤヒロは、ソファに腰を下ろして横になろうとした。
「何してんだ?」
「え、何って」
「こっちだろ?」
「――はい……?」
シャンクスが指を差した先はベッドだ。思わず目を点にして首を傾げたヤヒロは、少しだけ考えてから「何言ってんだ?」と眉間に皺を寄せて言った。そんなヤヒロと同じような表情を浮かべたシャンクスが「お前こそ何言ってんだ?」と逆に聞き返した。
「いやいや、ここで良いって。居候なんだし」
「ヤヒロはおれの客で女だ。そんな所で寝かすわけ無いだろう? おれがそこで寝るから」
「ダメだって。シャンクスは船長なんだし、いくら客だからって船長を追いやってベッドで寝るなんて私の性分じゃねェし、そこまで厚かましくねェ。女扱いしてくれんのは良いけど、雑魚寝とか平気だし、男より男してるって言われるぐれェ荒くれ者だから気にすんなって。ここで良いからマ・ジ・で!」
ソファに寝転がったヤヒロは、わざとらしく寝息を立て始めた。それに少しだけ呆れたような溜息を吐いたシャンクスは、寝たふりをして目を瞑るヤヒロの側に歩み寄ると問答無用で抱き上げた。
「うあっ!? ちょっと!!」
「そこまで言うならこうしよう」
「な、何!? うあっ!?」
ベッドの上に落として仰向けとなったヤヒロに伸し掛かったシャンクスは、もう少しで唇が触れそうな程に顔を近付けた。
目を見開いたヤヒロはあまりの展開に気が動転して言葉が見つからなかった。対して不敵な笑みを浮かべたシャンクスが「一緒に寝れば解決だな」と言った。
「ッ〜〜!」
言葉に詰まったヤヒロは急激に熱を帯びて赤くした顔を背け、それにシャンクスは片眉を上げた。
―― 男より男してるって言いながら、十分に良い女の反応だ。
僅かにくつくつと喉を鳴らして笑ったシャンクスは、ヤヒロの身体から退いて隣にどさりと寝転がった。キョトンとしたヤヒロがシャンクスを見やると、天井を見つめていたシャンクスがヤヒロに顔を向けた。
「ミホークだが」
「え?」
「あいつとはどんな関係だ?」
シャンクスの質問に大きく目を見開いたヤヒロは途端にガバッと身体を起こしてシャンクスに迫る勢いで顔を近付けた。
これにはシャンクスも驚いて身を引こうとしたが、その前にヤヒロがシャンクスの衣服を掴んで逆に引っ張った。そうして先程と似たような距離に迫る顔にシャンクスは唖然とした。目の前に迫るヤヒロの顔は兎に角真剣なもので思わずごくりと喉を鳴らした。
「鷹は、ミホークは、今はどこで何してんだ?」
「さ、さァな。今頃はアジトにでも戻ってゆっくりしているんじゃないか?」
「何か言ってたか?」
「んー……」
そうだな……と、シャンクスは記憶を探った。
「夜になっても星など見えない世界」
「え?」
衣服を掴むヤヒロの手に自身の手を重ねてそれを解かせたシャンクスは、身体を起こしてヤヒロの正面に向き合った。
「星が見えない世界なんて想像できないな。毎晩見る空は雲が無けりゃ満点の星空だ。それが……ヤヒロの世界には無いと聞いた」
「あー……、そっか」
興味深そうな顔を向けるシャンクスに、そうだなァとヤヒロはポリポリと頬を掻いて口を開いた。
「星が無いってことではねェんだ。空気の澄んだ所に行けば見ることができる。けど、私がいた所は空気が澱んでるし、夜になっても街が明るいから、余程強い光を放つ大きな星じゃなけりゃあ見えないんだ」
今となっては満点の星空が当たり前となっていることに気付いたヤヒロは、元居た世界の淀んだ空が懐かしく思えて、少しだけ表情を暗くした。しかし、何か思い出したように「あ、そうそう」と言ってパッと表情を変えた。
「流れ星なんてこっちに来て初めて見たんだ! 一瞬だったから願い事し損ねた〜とか思ってても、次から次へと流れ星が見れた時にはマジで感動した!」
「……」
「夜になって、波風の立たない日は本当に驚いた。海面に満点の星空が写ってて、空と海の境がわからないぐらい星々に囲まれてんだ! あの時の感動は今でも覚えてる! 日中だって晴天の時の海の色は凄く綺麗で、深い青に白波が立つとまた凄く絵になるし、じっと見てたら見たことも無いでかい生物が突然現れるし、海水が太陽に反射して虹が見えた時はまるで御伽噺の世界にいるみたいでさ!」
今まで見て来た景色や感動したことを子供のようにはしゃいで話し始めたヤヒロに、最初は呆気に取られて目を丸くしていたシャンクスだったが、ふっと笑みを零すとまるで子供の話に耳を傾けるかのように優しく頷きながら話を聞いた。
「そうか、良い体験を得ることができて良かったな」
くしゃくしゃとヤヒロの頭を撫でると屈託の無い笑みを浮かべて嬉しそうに笑うヤヒロに、シャンクスはまるでと言うか、本当に子供みたいだと思った。
甲板で笑いながら「玉を潰す」と凄むヤヒロと目の前で子供の様な笑顔で話すヤヒロは、とても同一人物に思えない。
―― 色々な顔を持った女だ……。
あまりにも落差があり過ぎて少々戸惑うシャンクスだったが、これがまた何とも言えない楽しさに思えてどこか納得した。――成程な。ミホークが惚れ込む魅力か――と。
「白ひげ海賊団ではどんな風に過ごしていたんだ?」
「凄く良い人達ばかりでさ、楽しかったよ。初めてオヤジと会った時は喧嘩腰で挑発しちまったけどな」
「は?」
楽天的にアハハと笑うヤヒロに対して思わず間の抜けた声を漏らしたシャンクスは、白ひげに喧嘩腰で挑発しただァ!? と、目を見開いて口をパカンと開けたまま若干放心した。
世界最強の男と称される男に年端も行かない女が喧嘩腰で挑発するなんて想像だにできない。
「ガンを飛ばして啖呵を切ったらあっさり気に入ってもらえて「娘になれ!」って言われたな。何かさ、認めてもらった上に受け入れてもらった感じで凄く嬉しかったのを覚えてるよ」
「……」
「そうそう、1番隊の隊長をやってるマルコって知ってるよな?」
「あ、あァ、マルコか」
「いつも一緒にいたんだ。不思議と居心地が良くてさ。悪態吐いても何だかんだと良い奴で、口にはしねェけど気に掛けてくれてるのがよくわかるんだ」
マルコの話になった途端にヤヒロの表情が変わったことにシャンクスは気付いた。ヤヒロ……、今、女の顔になってるって気付いているか?と。
子供のようにはしゃいで喋っていたヤヒロの顔は消えて、大人の女の顔がそこにあった。それにシャンクスは何となく察した。
―― マルコのことが好きなんだな。全く自覚していないようだが……。
少し、何となく、面白くない。
そう思う自分がいることにハッとしたシャンクスは、口元を手で覆いながらヤヒロから視線を外して軽く溜息を吐いた。
「訓練の時にさ、マルコとガチで喧嘩したこともあったなァ。結局は決着付かずだったけど、それが今も悔しいな」
懐かしそうに言いながら勝ちたかったと零すヤヒロに、「そうか……」とシャンクスは頷いて普通に聞き流し掛けてピタッと止まった。今、何か、聞き流して良い内容じゃなかったような――。
「今……、何て言った?」
「ん?」
「マルコとガチで喧嘩して決着付かずって……言ったか?」
「おう、言った。つーかさ、マルコの能力ってマジチート過ぎんだよ。殴って蹴って散々どつき合ってもマルコだけ回復するから、まるで私だけが一方的にやられてるみたいでマジで腹が立ったからな」
「!?」
殴って蹴って散々どつき合っただって!? あのマルコと!?
どういう状況でそうなったのかわからないし、マルコがどれだけ本気だったのかもわからないが、あのマルコを相手にガチの喧嘩をするなんてどういう神経してんだ?と、シャンクスはまたしても愕然とした。
『正直、暇潰しでは無く本気で戦ってみたいとさえ思った程だ』
あの剣豪ミホークが素で口にする程だ。となると、恐らくマルコも加減はしていないだろう。本気でヤヒロとやり合ったのだ。それで決着が付かなかったのだからヤヒロは相当強いということをシャンクスは理解した。
―― こいつは……計り知れないな。
変わった女で、妙な魅力があって、そんでもって強い。
こんな出鱈目な存在に興味を持たないわけが無い。しかし、少しだけ懸念の心も芽生えた。
もし世界政府や海軍がヤヒロの存在を認知したらこの子はどうなるのか。
世界中から畏怖の対象とされたら?
もし白ひげ海賊団の未来を変えることが出来なかったらどうするのか。
こいつの居場所はどこにも無いのではないか?
「ヤヒロ、お前を守ってくれる奴は、受け入れてくれる奴は、白ひげ海賊団以外にいるのか?」
「ん?」
「心底から信頼して身を任せることができる場所だ。白ひげ海賊団以外にあるのかと聞いている」
「な、何だよ突然……」
真剣な面持ちでヤヒロに問い掛けるシャンクスに笑みを消したヤヒロは、少しだけ顔を強張らせた。それを見たシャンクスはクツリと笑みを零した。そして、ヤヒロの後頭部に手を回して自分へと引き寄せると額をコツンとくっつけた。
「!?」
当然のことでヤヒロはカチンと固まった。
―― な、なな何!?
再び顔に熱が集中し始めたヤヒロは、また冗談で遊ぶ気かと思った。しかし、思いのほか真剣な顔で目を瞑ったシャンクスに、ヤヒロは目をパチクリとさせた。ゆっくりと深呼吸をしたシャンクスが口を開く。
「青い不死鳥はお前を守りたいと思っているのだろうが」
「ッ……」
「赤い龍は何だ?」
「赤い龍は……、攻撃的精神力って言うか剣って言うか……」
「ヤヒロ、困ったことがあったらいつでもおれ達を頼れ。おれは喜んでお前の剣にでも何にでもなってやろう」
「シャンクス?」
「マルコは何が何でもお前を守る。言うなれば盾だ。なら、おれはお前の力……つまりは矛だ」
「どうして……、何でいきなりそんなこと……」
「鷹は暇潰しでは無く本気で戦ってみたいと言っていた」
「ッ……!?」
思わずハッとしたヤヒロに「鷹は本気だったぞ?」と、シャンクスは言った。
「あいつは味方になってはくれるだろうが、恐らく一度は本気でお前に襲い掛かるだろう。あいつは強い奴に飢えている節がある。約束は守るだろうが――」
くっ付けた額を離したシャンクスは、真剣な面持ちでヤヒロに言い聞かせるように「注意しろ」と言った。あまりにも真剣なシャンクスにヤヒロは言葉を飲み込んで何も言えなくなった。
『お前と戦うのは面白そうだと思ったのだがな』『お前と戦ってみたい気持ちは正直ある』と、確かにミホークはそう言っていた。
敵対するかもしれない。その可能性に胸が苦しくなったヤヒロだったが、それでも『おれは誰の味方にもならんが、お前の味方にはなってやろう』とも言ってくれた。だから――と、ヤヒロは小さく首を振った。
「シャンクス……、ありがとう。でも、大丈夫」
顔を俯かせたままヤヒロはポツリと呟くと、ゆっくりと顔を上げた。
「私は、鷹を……ミホークを信じてるからさ」
「!」
眉尻を下げて少し泣きそうな表情を浮かべながらも笑みを湛えてヤヒロは言った。シャンクスは少し面食らった表情を浮かべたが「そうか」と言って笑みを零した。
―― 信じてる……か。それをいつかミホークにも聞かしてやると良い。きっと喜ぶだろうからな。
あァ、そうか。成程なと言いながらシャンクスは何度か頷いた。
「おれの取り越し苦労というわけだ。ヤヒロ、お前は強いな」
二ッと笑ったシャンクスが少し乱暴にヤヒロの頭をわしゃわしゃと撫で付けた。
「おあ!?」
変な声を漏らしたヤヒロは、乱暴に撫で付けるシャンクスの腕を掴もうとしたが、その手はあっさりと引かれてヤヒロの手が宙を掻いた。
「何すんだ!?」
「ははは、悪い悪い。とりあえず今日はもう寝ろ」
「うあっ!?」
シャンクスの右腕がヤヒロの腰に回されて、密着した状態でベッドに倒れ込んだ。そして、シャンクスの首筋に顔を埋める態勢となったヤヒロは「なななっ!?」と顔を真っ赤にして酷く動揺した。
「安心しろ、何もしない」
「な、何もしねェなら腰に回した手を退けてくれないか?」
「ん、それは断る」
「何で!?」
「抱き心地が良いから。もう寝るぞ。お休みヤヒロ」
「えェっ!? ちょっ! シャンクス!!」
逃げようとしても何故か逃げられない。片腕にも関わらず思いのほか力があって、ぐっと抱き締められて、より身体が密着する。
畜生、流石は四皇だなァ――じゃねェよ!!と、何を暢気に褒め称えてんだと自分を叱る。意味がわからん。
『添い寝してやるよい』
頭の中でそんな声が聞こえた。
あれ? 何だかデジャヴ? 前にも似たようなことがあったな。あ、マルコだ。と、暢気に思い出している辺り最早相当なパニック状態である証拠でもあった。
「クク……」
笑う声が頭上から聞こえてハッとしたヤヒロが顔を上げると、ヤヒロを見下ろしていたシャンクスと目が合った。
「ミホークが好きなのか、それともマルコが好きなのか、どっちなんだ? そこにおれが割って入る余地はあるか?」
「ナンダッテ……?」
急な問いに思わずカチカチな棒読みで返したヤヒロに、シャンクスは「ハハ」と笑った。
「色恋の方はからっきし苦手か」
「は!?」
「何でもない、気にするな」
「ッ…!」
いやいやいや気にする! 気になる! え”!? 割って入る余地があるって何気に告白じゃね!?と、ヤヒロの脳内における処理システムがフル回転する。やがて、ピシッと石化した。処理しきれなくなって混乱した末にキャパオーバーを引き起こして完全に停止したのだ。
うん、寝よう。もうわからん。疲れた。抱き付かれてるのが些か気になるけど心地が悪いわけじゃないし、シャンクスは良い奴だしな。もうマジ寝だ。
自棄を起こしたヤヒロは、シャンクスの首筋に顔を埋めて眠りに就いた。一方、まさか自ら首筋に顔を埋めて来るとは予想外だと思ったシャンクスは、ヤヒロが静かに寝息を始めるのを確認してからそっと顔を覗き込んだ。
「お前は信じる側の人間か。難しいことだ。人を見極めて信じるということはな。ヤヒロ、お前は強い。強い女だ。だが、心底から心を預けることが出来る奴がいることに早く気付け。お前は意識していないだろうが、思いのほか悲鳴を上げて泣いているぞ……ヤヒロ」
腰元に回した右腕に自然と力が入る。シャンクスはまるでヤヒロを守るように抱き締めて眠りに就いた。
そして、翌朝――
完全に密着状態で目が覚めたヤヒロは、顔を真っ赤にしたまま軽くオロオロしていた。眠っているシャンクスの顔は、それはそれは渋い大人の色気を漂わせた超イケメンぶりだったそうで、シャンクスが目を覚ますまで起きるに起きれない『恥ずかし生き地獄の刑』に苦悶していると、とうとう壮絶な絶叫を上げた。
だから! この世界のおっさんはどいつもこいつも色気がパねェんだよ!!――と、胸の内で、だけど。
―― うぅ……、今度は絶対ソファで寝るかんな!
強く決意をするヤヒロだったが、島に着くまでの数日間、何だかんだとシャンクスに言いくるめられて寝床を共にする破目になる。
「もういい加減に慣れても良い頃だろ」
「無理だって言って――ひぎゃ!?」
「あんまり抵抗されると加虐心が煽られて本当に襲いたくなるじゃないか」
眉尻を下げてハハッと笑っているシャンクスだが、目が笑ってねェと思ったヤヒロは「テイコウシマセン」と、またしてもカチカチな棒読みで返した。
「そうか、そりゃ残念だ」
「……」
おっさん侮り難し!! 惚れてまうやろー!!
モビー・ディック号に帰りたいと切実にそう思うようになったヤヒロは、今宵もシャンクスに抱き締められたまま歌うのだ。
本当、自室があるって、なんて素晴らしきかなァ〜♪
アハハ! アハハ!
OH! YEAR!!
全く眠れる気がしま千年万年億万でどないすんねん♪
こうしてヤヒロは軽く壊れたのだった。
「どうした?」
「いや、何でもなっ…て言うか、マジで広過ぎだろ」
「おれは狭くても良かったんだが、船長なんだからって理由でな、こうなった」
そこはシャンクス一人の部屋にしては本当に広かった。キングサイズのベッドに大きめのソファとテーブル、あまり本を読んでそうなイメージが無いけど本棚がズラッとあって、更にあと四、五人ぐらいのベッドが置けそうな程のスペースが余っている。
これならオヤジ一人で丁度良いぐらいの広さじゃね?と思ったヤヒロは、白ひげの身体の大きさを当て嵌めて想像して、やっぱりそうだと納得した。果たしてヤヒロが想像した白ひげのサイズが正しかったかどうかは不明だ。
「それじゃあ、遠慮無く」
部屋に入ったヤヒロは、ソファに腰を下ろして横になろうとした。
「何してんだ?」
「え、何って」
「こっちだろ?」
「――はい……?」
シャンクスが指を差した先はベッドだ。思わず目を点にして首を傾げたヤヒロは、少しだけ考えてから「何言ってんだ?」と眉間に皺を寄せて言った。そんなヤヒロと同じような表情を浮かべたシャンクスが「お前こそ何言ってんだ?」と逆に聞き返した。
「いやいや、ここで良いって。居候なんだし」
「ヤヒロはおれの客で女だ。そんな所で寝かすわけ無いだろう? おれがそこで寝るから」
「ダメだって。シャンクスは船長なんだし、いくら客だからって船長を追いやってベッドで寝るなんて私の性分じゃねェし、そこまで厚かましくねェ。女扱いしてくれんのは良いけど、雑魚寝とか平気だし、男より男してるって言われるぐれェ荒くれ者だから気にすんなって。ここで良いからマ・ジ・で!」
ソファに寝転がったヤヒロは、わざとらしく寝息を立て始めた。それに少しだけ呆れたような溜息を吐いたシャンクスは、寝たふりをして目を瞑るヤヒロの側に歩み寄ると問答無用で抱き上げた。
「うあっ!? ちょっと!!」
「そこまで言うならこうしよう」
「な、何!? うあっ!?」
ベッドの上に落として仰向けとなったヤヒロに伸し掛かったシャンクスは、もう少しで唇が触れそうな程に顔を近付けた。
目を見開いたヤヒロはあまりの展開に気が動転して言葉が見つからなかった。対して不敵な笑みを浮かべたシャンクスが「一緒に寝れば解決だな」と言った。
「ッ〜〜!」
言葉に詰まったヤヒロは急激に熱を帯びて赤くした顔を背け、それにシャンクスは片眉を上げた。
―― 男より男してるって言いながら、十分に良い女の反応だ。
僅かにくつくつと喉を鳴らして笑ったシャンクスは、ヤヒロの身体から退いて隣にどさりと寝転がった。キョトンとしたヤヒロがシャンクスを見やると、天井を見つめていたシャンクスがヤヒロに顔を向けた。
「ミホークだが」
「え?」
「あいつとはどんな関係だ?」
シャンクスの質問に大きく目を見開いたヤヒロは途端にガバッと身体を起こしてシャンクスに迫る勢いで顔を近付けた。
これにはシャンクスも驚いて身を引こうとしたが、その前にヤヒロがシャンクスの衣服を掴んで逆に引っ張った。そうして先程と似たような距離に迫る顔にシャンクスは唖然とした。目の前に迫るヤヒロの顔は兎に角真剣なもので思わずごくりと喉を鳴らした。
「鷹は、ミホークは、今はどこで何してんだ?」
「さ、さァな。今頃はアジトにでも戻ってゆっくりしているんじゃないか?」
「何か言ってたか?」
「んー……」
そうだな……と、シャンクスは記憶を探った。
「夜になっても星など見えない世界」
「え?」
衣服を掴むヤヒロの手に自身の手を重ねてそれを解かせたシャンクスは、身体を起こしてヤヒロの正面に向き合った。
「星が見えない世界なんて想像できないな。毎晩見る空は雲が無けりゃ満点の星空だ。それが……ヤヒロの世界には無いと聞いた」
「あー……、そっか」
興味深そうな顔を向けるシャンクスに、そうだなァとヤヒロはポリポリと頬を掻いて口を開いた。
「星が無いってことではねェんだ。空気の澄んだ所に行けば見ることができる。けど、私がいた所は空気が澱んでるし、夜になっても街が明るいから、余程強い光を放つ大きな星じゃなけりゃあ見えないんだ」
今となっては満点の星空が当たり前となっていることに気付いたヤヒロは、元居た世界の淀んだ空が懐かしく思えて、少しだけ表情を暗くした。しかし、何か思い出したように「あ、そうそう」と言ってパッと表情を変えた。
「流れ星なんてこっちに来て初めて見たんだ! 一瞬だったから願い事し損ねた〜とか思ってても、次から次へと流れ星が見れた時にはマジで感動した!」
「……」
「夜になって、波風の立たない日は本当に驚いた。海面に満点の星空が写ってて、空と海の境がわからないぐらい星々に囲まれてんだ! あの時の感動は今でも覚えてる! 日中だって晴天の時の海の色は凄く綺麗で、深い青に白波が立つとまた凄く絵になるし、じっと見てたら見たことも無いでかい生物が突然現れるし、海水が太陽に反射して虹が見えた時はまるで御伽噺の世界にいるみたいでさ!」
今まで見て来た景色や感動したことを子供のようにはしゃいで話し始めたヤヒロに、最初は呆気に取られて目を丸くしていたシャンクスだったが、ふっと笑みを零すとまるで子供の話に耳を傾けるかのように優しく頷きながら話を聞いた。
「そうか、良い体験を得ることができて良かったな」
くしゃくしゃとヤヒロの頭を撫でると屈託の無い笑みを浮かべて嬉しそうに笑うヤヒロに、シャンクスはまるでと言うか、本当に子供みたいだと思った。
甲板で笑いながら「玉を潰す」と凄むヤヒロと目の前で子供の様な笑顔で話すヤヒロは、とても同一人物に思えない。
―― 色々な顔を持った女だ……。
あまりにも落差があり過ぎて少々戸惑うシャンクスだったが、これがまた何とも言えない楽しさに思えてどこか納得した。――成程な。ミホークが惚れ込む魅力か――と。
「白ひげ海賊団ではどんな風に過ごしていたんだ?」
「凄く良い人達ばかりでさ、楽しかったよ。初めてオヤジと会った時は喧嘩腰で挑発しちまったけどな」
「は?」
楽天的にアハハと笑うヤヒロに対して思わず間の抜けた声を漏らしたシャンクスは、白ひげに喧嘩腰で挑発しただァ!? と、目を見開いて口をパカンと開けたまま若干放心した。
世界最強の男と称される男に年端も行かない女が喧嘩腰で挑発するなんて想像だにできない。
「ガンを飛ばして啖呵を切ったらあっさり気に入ってもらえて「娘になれ!」って言われたな。何かさ、認めてもらった上に受け入れてもらった感じで凄く嬉しかったのを覚えてるよ」
「……」
「そうそう、1番隊の隊長をやってるマルコって知ってるよな?」
「あ、あァ、マルコか」
「いつも一緒にいたんだ。不思議と居心地が良くてさ。悪態吐いても何だかんだと良い奴で、口にはしねェけど気に掛けてくれてるのがよくわかるんだ」
マルコの話になった途端にヤヒロの表情が変わったことにシャンクスは気付いた。ヤヒロ……、今、女の顔になってるって気付いているか?と。
子供のようにはしゃいで喋っていたヤヒロの顔は消えて、大人の女の顔がそこにあった。それにシャンクスは何となく察した。
―― マルコのことが好きなんだな。全く自覚していないようだが……。
少し、何となく、面白くない。
そう思う自分がいることにハッとしたシャンクスは、口元を手で覆いながらヤヒロから視線を外して軽く溜息を吐いた。
「訓練の時にさ、マルコとガチで喧嘩したこともあったなァ。結局は決着付かずだったけど、それが今も悔しいな」
懐かしそうに言いながら勝ちたかったと零すヤヒロに、「そうか……」とシャンクスは頷いて普通に聞き流し掛けてピタッと止まった。今、何か、聞き流して良い内容じゃなかったような――。
「今……、何て言った?」
「ん?」
「マルコとガチで喧嘩して決着付かずって……言ったか?」
「おう、言った。つーかさ、マルコの能力ってマジチート過ぎんだよ。殴って蹴って散々どつき合ってもマルコだけ回復するから、まるで私だけが一方的にやられてるみたいでマジで腹が立ったからな」
「!?」
殴って蹴って散々どつき合っただって!? あのマルコと!?
どういう状況でそうなったのかわからないし、マルコがどれだけ本気だったのかもわからないが、あのマルコを相手にガチの喧嘩をするなんてどういう神経してんだ?と、シャンクスはまたしても愕然とした。
『正直、暇潰しでは無く本気で戦ってみたいとさえ思った程だ』
あの剣豪ミホークが素で口にする程だ。となると、恐らくマルコも加減はしていないだろう。本気でヤヒロとやり合ったのだ。それで決着が付かなかったのだからヤヒロは相当強いということをシャンクスは理解した。
―― こいつは……計り知れないな。
変わった女で、妙な魅力があって、そんでもって強い。
こんな出鱈目な存在に興味を持たないわけが無い。しかし、少しだけ懸念の心も芽生えた。
もし世界政府や海軍がヤヒロの存在を認知したらこの子はどうなるのか。
世界中から畏怖の対象とされたら?
もし白ひげ海賊団の未来を変えることが出来なかったらどうするのか。
こいつの居場所はどこにも無いのではないか?
「ヤヒロ、お前を守ってくれる奴は、受け入れてくれる奴は、白ひげ海賊団以外にいるのか?」
「ん?」
「心底から信頼して身を任せることができる場所だ。白ひげ海賊団以外にあるのかと聞いている」
「な、何だよ突然……」
真剣な面持ちでヤヒロに問い掛けるシャンクスに笑みを消したヤヒロは、少しだけ顔を強張らせた。それを見たシャンクスはクツリと笑みを零した。そして、ヤヒロの後頭部に手を回して自分へと引き寄せると額をコツンとくっつけた。
「!?」
当然のことでヤヒロはカチンと固まった。
―― な、なな何!?
再び顔に熱が集中し始めたヤヒロは、また冗談で遊ぶ気かと思った。しかし、思いのほか真剣な顔で目を瞑ったシャンクスに、ヤヒロは目をパチクリとさせた。ゆっくりと深呼吸をしたシャンクスが口を開く。
「青い不死鳥はお前を守りたいと思っているのだろうが」
「ッ……」
「赤い龍は何だ?」
「赤い龍は……、攻撃的精神力って言うか剣って言うか……」
「ヤヒロ、困ったことがあったらいつでもおれ達を頼れ。おれは喜んでお前の剣にでも何にでもなってやろう」
「シャンクス?」
「マルコは何が何でもお前を守る。言うなれば盾だ。なら、おれはお前の力……つまりは矛だ」
「どうして……、何でいきなりそんなこと……」
「鷹は暇潰しでは無く本気で戦ってみたいと言っていた」
「ッ……!?」
思わずハッとしたヤヒロに「鷹は本気だったぞ?」と、シャンクスは言った。
「あいつは味方になってはくれるだろうが、恐らく一度は本気でお前に襲い掛かるだろう。あいつは強い奴に飢えている節がある。約束は守るだろうが――」
くっ付けた額を離したシャンクスは、真剣な面持ちでヤヒロに言い聞かせるように「注意しろ」と言った。あまりにも真剣なシャンクスにヤヒロは言葉を飲み込んで何も言えなくなった。
『お前と戦うのは面白そうだと思ったのだがな』『お前と戦ってみたい気持ちは正直ある』と、確かにミホークはそう言っていた。
敵対するかもしれない。その可能性に胸が苦しくなったヤヒロだったが、それでも『おれは誰の味方にもならんが、お前の味方にはなってやろう』とも言ってくれた。だから――と、ヤヒロは小さく首を振った。
「シャンクス……、ありがとう。でも、大丈夫」
顔を俯かせたままヤヒロはポツリと呟くと、ゆっくりと顔を上げた。
「私は、鷹を……ミホークを信じてるからさ」
「!」
眉尻を下げて少し泣きそうな表情を浮かべながらも笑みを湛えてヤヒロは言った。シャンクスは少し面食らった表情を浮かべたが「そうか」と言って笑みを零した。
―― 信じてる……か。それをいつかミホークにも聞かしてやると良い。きっと喜ぶだろうからな。
あァ、そうか。成程なと言いながらシャンクスは何度か頷いた。
「おれの取り越し苦労というわけだ。ヤヒロ、お前は強いな」
二ッと笑ったシャンクスが少し乱暴にヤヒロの頭をわしゃわしゃと撫で付けた。
「おあ!?」
変な声を漏らしたヤヒロは、乱暴に撫で付けるシャンクスの腕を掴もうとしたが、その手はあっさりと引かれてヤヒロの手が宙を掻いた。
「何すんだ!?」
「ははは、悪い悪い。とりあえず今日はもう寝ろ」
「うあっ!?」
シャンクスの右腕がヤヒロの腰に回されて、密着した状態でベッドに倒れ込んだ。そして、シャンクスの首筋に顔を埋める態勢となったヤヒロは「なななっ!?」と顔を真っ赤にして酷く動揺した。
「安心しろ、何もしない」
「な、何もしねェなら腰に回した手を退けてくれないか?」
「ん、それは断る」
「何で!?」
「抱き心地が良いから。もう寝るぞ。お休みヤヒロ」
「えェっ!? ちょっ! シャンクス!!」
逃げようとしても何故か逃げられない。片腕にも関わらず思いのほか力があって、ぐっと抱き締められて、より身体が密着する。
畜生、流石は四皇だなァ――じゃねェよ!!と、何を暢気に褒め称えてんだと自分を叱る。意味がわからん。
『添い寝してやるよい』
頭の中でそんな声が聞こえた。
あれ? 何だかデジャヴ? 前にも似たようなことがあったな。あ、マルコだ。と、暢気に思い出している辺り最早相当なパニック状態である証拠でもあった。
「クク……」
笑う声が頭上から聞こえてハッとしたヤヒロが顔を上げると、ヤヒロを見下ろしていたシャンクスと目が合った。
「ミホークが好きなのか、それともマルコが好きなのか、どっちなんだ? そこにおれが割って入る余地はあるか?」
「ナンダッテ……?」
急な問いに思わずカチカチな棒読みで返したヤヒロに、シャンクスは「ハハ」と笑った。
「色恋の方はからっきし苦手か」
「は!?」
「何でもない、気にするな」
「ッ…!」
いやいやいや気にする! 気になる! え”!? 割って入る余地があるって何気に告白じゃね!?と、ヤヒロの脳内における処理システムがフル回転する。やがて、ピシッと石化した。処理しきれなくなって混乱した末にキャパオーバーを引き起こして完全に停止したのだ。
うん、寝よう。もうわからん。疲れた。抱き付かれてるのが些か気になるけど心地が悪いわけじゃないし、シャンクスは良い奴だしな。もうマジ寝だ。
自棄を起こしたヤヒロは、シャンクスの首筋に顔を埋めて眠りに就いた。一方、まさか自ら首筋に顔を埋めて来るとは予想外だと思ったシャンクスは、ヤヒロが静かに寝息を始めるのを確認してからそっと顔を覗き込んだ。
「お前は信じる側の人間か。難しいことだ。人を見極めて信じるということはな。ヤヒロ、お前は強い。強い女だ。だが、心底から心を預けることが出来る奴がいることに早く気付け。お前は意識していないだろうが、思いのほか悲鳴を上げて泣いているぞ……ヤヒロ」
腰元に回した右腕に自然と力が入る。シャンクスはまるでヤヒロを守るように抱き締めて眠りに就いた。
そして、翌朝――
完全に密着状態で目が覚めたヤヒロは、顔を真っ赤にしたまま軽くオロオロしていた。眠っているシャンクスの顔は、それはそれは渋い大人の色気を漂わせた超イケメンぶりだったそうで、シャンクスが目を覚ますまで起きるに起きれない『恥ずかし生き地獄の刑』に苦悶していると、とうとう壮絶な絶叫を上げた。
だから! この世界のおっさんはどいつもこいつも色気がパねェんだよ!!――と、胸の内で、だけど。
―― うぅ……、今度は絶対ソファで寝るかんな!
強く決意をするヤヒロだったが、島に着くまでの数日間、何だかんだとシャンクスに言いくるめられて寝床を共にする破目になる。
「もういい加減に慣れても良い頃だろ」
「無理だって言って――ひぎゃ!?」
「あんまり抵抗されると加虐心が煽られて本当に襲いたくなるじゃないか」
眉尻を下げてハハッと笑っているシャンクスだが、目が笑ってねェと思ったヤヒロは「テイコウシマセン」と、またしてもカチカチな棒読みで返した。
「そうか、そりゃ残念だ」
「……」
おっさん侮り難し!! 惚れてまうやろー!!
モビー・ディック号に帰りたいと切実にそう思うようになったヤヒロは、今宵もシャンクスに抱き締められたまま歌うのだ。
本当、自室があるって、なんて素晴らしきかなァ〜♪
アハハ! アハハ!
OH! YEAR!!
全く眠れる気がしま千年万年億万でどないすんねん♪
こうしてヤヒロは軽く壊れたのだった。
赤髪と鬼神
【〆栞】