34
痛みの限界に達して動けなくなったヤヒロを抱え上げたマルコは船医室へ向かった。所謂お姫様抱っこだが見た目はミイラを運んでるようなもので色気もへったくれも無い。
しかし、運ばれる当人(ヤヒロ)は凄く恥ずかしいのか、両手で顔を覆っている。
「んなことしなくても隠れてるよい」
「ウルサイ」
船医室のドアを開けると不機嫌顔のローが「寝かせろ」と言った。次いで「不死鳥屋が見張ってろ」とも。
「キャ、キャプテン……」
「さ、流石に命令口調はヤバいんじゃ……」
傍らでペンギンとシャチが顔を青くしているが、マルコは片眉を上げるだけで憤ることは無かった。
ルーキーから命令されて腹が立つような子供では無い。それに同じ船医の身であるから気持ちも重々承知している。
くつくつと喉を鳴らして苦笑して「了解」と頷いたマルコは、言われた通りにヤヒロをベッドに寝かせると椅子を引いて腰を下ろした。
「お、大人だ」
「かっけェ……」
こういう大人になりたい。と、二人は呟いた。それを耳にしながらローはヤヒロに鎮静剤を注射した。
暫くすると鎮静剤の効果によってヤヒロは眠りに落ちた。
それを確認したローは包帯を解いて傷の具合を診始めた。その傍らで両腕を組んで座っているマルコは、青雉が去った後で交わしたヤヒロとの会話を思い出して考え込んでいた。
***
「ヤヒロ、お前……本気か?」
「何が?」
「その、何だ、船から離れて行動するって話だよい」
「あァ、うん。偶に…。ダメか?」
「いや、ダメとは言わねェが……」
「ミホークと出会った時に言ったんだ。ミホークと同じように個人で旅がしてェ!って」
「鷹の目はなんて答えたんだ?」
「んーと……」
コホンと一つ咳払いをしたヤヒロは、わさわざ声色を変える。この時、声を変える必要ねェだろとマルコは言ったが無視して続けた。
この世界の海を知らぬ身でそれは無謀だ。赤髪の元で世界を学び、それでも一人旅に出たければそうすれば良い――と。
「まァ、その後で白ひげ海賊団に進路変更したわけなんだけど。海の事とか沢山教えて貰ったし航海術も知って実際に一人旅もできたからさ」
「……」
「あ、でも船に戻ったら暫くは一緒にいるつもりだからな。皆で笑おうって約束してるし……。まだ先の話だ」
笑って言ったヤヒロは、マルコから顔を背けて大海を望んだ。何となくこれ以上マルコと視線を合わせていられなかったからだ。気まずさなのかどうかはわからない。ただ、一瞬だけ見せたマルコの表情がどこか寂し気だったような気がして、それに胸が締め付けられる思いがして言葉が詰まりそうになったからで……。
「そうかい」
わかったと溜息混じりにマルコは答えた。それを耳にして振り向こうとしたヤヒロは、足がふらついて咄嗟にマルコの服を掴んだ。
「おい、どうしたよい?」
「うー、痛過ぎて、無理。動けない……」
「はァ、無茶するからだよい」
まったく、と零したマルコは右腕でヤヒロの背中を支えると左腕を膝裏に通して抱き上げた。即座にヤヒロが俵抱きを希望したがマルコは無視して船内へと向かった。
***
新しい包帯を手にしたローは「おれが言うのもなんだが……」と口を開いた。それにマルコが視線を向けると真剣な面持ちで包帯を巻きながらローは話を続ける。
「こいつは一つ処に収まってるような女じゃねェことは確かだとおれは思う」
「それは…、わかってるつもりだよい」
余計な口出しだったな。と、ローは口を閉じて傷の手当てを続けた。マルコは視線を外すと天井を見上げて目を瞑った。
ヤヒロの器はでけェなんてもんじゃねェ。こいつは下手すりゃこの世界そのものを覆す程の力を持った奴だ。ただ――
一緒にいることを覚えちまったら、離れ難いと思っちまうのは仕方が無ェだろうよい。
暫くの間、船医室には沈黙が流れた。
治療を終える頃に目を覚ましたヤヒロは、ぼーっとしながら視線を動かしてマルコを探した。
椅子に腰を下ろして両腕を組んで天井を見上げて目を瞑るマルコを見つけると自ずと口元が緩んだ。
「マルコ」
少し掠れた声でヤヒロは呼んだ。それに目を開けたマルコがヤヒロに視線を向けると口端を上げた笑みを浮かべた。
「治療は終えたがな、おれの許可が出るまでベッドから下りるんじゃねェぞ」
不死鳥は見張りだ。と告げたローは片付けもそこそこにシャチとペンギンを引き連れて船医室から出て行った。そして、マルコとヤヒロの二人だけとなった。
「何か空気が甘かったな」
「おれもそう思った」
「気付いてねェのは本人達だけだろ」
「「キャプテンもそう思ったんだ」」
「チッ!」
船長室へと向かう中、ローは溜息を零しながら「不器用同士が、見てられねェな」と独り言ちた。
一方、船医室では暫く沈黙が続いた。
ベッドの側に椅子を動かして腰を下ろしたマルコをじっと見つめるヤヒロは、そっと手を伸ばしてマルコの服の裾を掴んだ。
眠りに落ちていても二人の会話を遠くの方で聞こえていたヤヒロは、マルコの青い目を見つめて自然と言葉を口にしていた。
もし、できることなら――、
マルコと二人きりで旅してみたい。
あれ?何を言ってんだ?と目を丸くしたヤヒロは、「か、も、なァ……」と付け足したもののカッと熱くなった顔を即座に反対側へと背けた。
対してマルコは虚を突かれたのかキョトンとしていた。しかし、ヤヒロが口にした言葉を頭の中で反芻して理解するなり組んでいた腕を解いて右手で口元を覆った。
ヤヒロ、それって……。
顔を背けているヤヒロをマルコはじっと見つめる。耳まで真っ赤になっているのが明らかにわかる。
片やヤヒロは、い、今……、今、何を言った?と、口をハクハクと動かして唖然としていた。
自然と言葉が零れた。
それはどういうことか。
何を意味するのか。
顔が熱い。胸の鼓動がドキドキと早鐘を打って五月蠅い。
何か変な汗を掻き始めてる。
後にも先にもこんなやっちまった感を味わったことが無い。
目がグルグルと渦を巻き始めたヤヒロは、この空気をどうしたものかと必死に考えた。
一方マルコは、いつまでも顔を背けるヤヒロにどう声を掛けたものかと左手でガシガシと頭を掻いた。その時、左腕に付けていたミサンガの存在に気付いて視線を向けた。
ヤヒロは誰よりもお前のことを考えている女だ。と、いつか赤髪に言われた言葉が頭に過る。
お前のミサンガを見ればわかることだ
トクン......と一つ心臓が脈打つのを感じたマルコは、自ずと右手でそれをギュッと握っていた。
顔を少しだけ戻してマルコを見やったヤヒロは、左腕に付けているミサンガを握っているマルコに気付いて「それ…」と声を漏らした。
マルコがヤヒロに目を向けるとヤヒロは手を伸ばした。それに応じる様にマルコは左腕を差し向けると、ミサンガに触れながらヤヒロは目を細めた。
「色合いとか関係無いって言ったけど……」
青、誠実と冷静と行動を
黒、意志の強さを
紫、忍耐力と精神性を
白、平穏と落ち着きを
水色、美しさと爽やかさ、そして…笑顔を
「色にはそれぞれ意味があって願いに見合った組み合わせで編むんだ。けど、皆に配ったのは色の意味合いは関係無しでさ」
「ヤヒロが一人一人をイメージして組み合わせて編んでくれたって聞いたよい」
「そう、勝手なイメージだけど」
「そうでもねェよい。みんな喜んでたよい」
そっか。それは良かった。と、ヤヒロは微笑を零した。でも――と、ヤヒロはポツリと呟いた。
なんだ?とマルコが片眉を上げるとヤヒロはマルコのミサンガをそっと握った。
「違うんだ」
「違う?」
顔を上げたヤヒロはマルコの目を真っ直ぐ見つめた。
「マルコのだけは――」
雨の中で一人佇む姿が目に焼き付いて離れない。
今にも泣き崩れてしまいそうな悲しみに暮れたあの顔が忘れられない。
だから――
意志を強く、冷静に、どんなことにも耐えうる精神を持って、いつか平穏に笑える未来を――
そう、願った。
「特別なんだ」
「ッ…!」
目を丸くしたマルコにヤヒロは微笑を零した。そして、マルコのミサンガを愛し気に撫でると「何でだと思う?」と問い掛けた。
「……」
マルコは言葉に詰まり何も言えないでいるとヤヒロが重い身体を起こそうとした。それに咄嗟に動いてヤヒロの身体を支えたマルコの頬にヤヒロの手が添えられた。
僅かにピクンと反応したマルコは、添えられた手に自ら頬を寄せた。そして、お互いの視線が合うと、どちらとも無く笑みを零した。
「好いてくれてる。そう受け取って良いかい?」
マルコがそう答えるとヤヒロは満悦の表情を浮かべた。
「こんな輩みたいな奴に言われても迷惑かもしんねェけど、私はマルコが好きだ」
「おれも同類だから心配すんない」
クツクツと笑うマルコにヤヒロもハハッと笑った。そして、あれは反則だ。と、ヤヒロは続けた。
何のことかとマルコが聞くとヤヒロは照れ臭そうにしながら独り言ちるように言葉を零した。
「泣いてなんか欲しく無いんだ」
「!」
「笑ってて欲しい。マルコには、ずっと笑ってて欲しい。だからッ――」
堰を切ったように気持ちが溢れ出し、伝えたい想いが一杯になると考える間も無く気持ちのまま言葉を紡いだ。だが言葉は途中で遮られた。
唇に感じる温かく柔らかい感触にヤヒロは呆然としてマルコの顔を見つめた。閉じられた瞳がゆっくり開けられると、そこには青い目があって、とても綺麗な色だと暢気に思った。
「ヤヒロ」
「え…?」
「こういう時は目を瞑るもんだよい」
「あ、そ、その、んン!」
先の重ねるだけの口付けと違って今度は深い口付けが落とされた。一瞬、身動ぎはしたものの抵抗する気が全く起きなくて不思議な程に力が抜け落ちたヤヒロは、ゆっくりと目を瞑ってマルコの口付けを甘んじて受けた。
何度か角度を変えて唇を重ねる内に不思議と高揚感が増してヤヒロの心を支配し始めた。マルコにキスされるのがこんなに嬉しいって思うなんて……と、胸の内で呟いているとチュクッ……と水音が直接耳を突き、咥内に感じたことの無い感触に動揺が走った。
「んンッ! ふっ、んン! ま、待った!」
慌てて顔を引き離したヤヒロは、自分の唇とマルコの唇の間に僅かに繋がった銀糸に顔を真っ赤にしてパニックを起こした。
「あ、あのさ! あの! 何て言うか! えっと!」
「あー、経験が無ェんだったな」
「えっ!? あ! そう! だから! ちょっ――んン!」
逃げようとするヤヒロの後頭部に手を回したマルコは強引に引き寄せてヤヒロの唇を貪るように重ねた。問答無用で唇をこじ開けて舌を侵入させると咥内を余すことなく蹂躙して、探しあてたヤヒロの舌を絡めた。
初めての感触に戸惑うヤヒロは、羞恥心が全身を覆い益々パニックになった。
「んっ…ん…ふァっ…ぅん…」
唇が離れる一瞬一瞬に呼吸をしようとするが直ぐに塞がれて、その度に自分の声とは思えない程の甘ったるい女の声が漏れ出ることに、ヤヒロは驚きを隠せない。
マルコの肩を押しやろうとするが、嘘のように力が入らない。その代わりにマルコのシャツをギュッと握ることしかできない。
「おれもヤヒロが好きだよい」
「!」
「好きだ」
漸く唇が離れたと思った所で真っ直ぐ自分を見つめるマルコから送られた言葉に、ヤヒロは何も考えられなくなった。
男の経験は無い。キスすらしたことも無い。私が欲しけりゃ私を本気で惚れさせてみせろ。それができれば、いつでも喜んでマルコとセックスしてやるよ。――と、歓迎の宴の日に二人だけで酒を酌み交わした時に、そう啖呵を切ったのを今はとても懐かしく思える。
何だ……。簡単にマルコに落とされてんじゃん。と、ヤヒロは微笑を零すと目を瞑って自らマルコへと口付けをして求めた。
そう、マルコだけは――
傷を負った身体だからその先に進むことは無いが、いつかその先に進むのだろうなと甘い口付けを交わしながらヤヒロは思った。
―― 特別なんだ ――
しかし、運ばれる当人(ヤヒロ)は凄く恥ずかしいのか、両手で顔を覆っている。
「んなことしなくても隠れてるよい」
「ウルサイ」
船医室のドアを開けると不機嫌顔のローが「寝かせろ」と言った。次いで「不死鳥屋が見張ってろ」とも。
「キャ、キャプテン……」
「さ、流石に命令口調はヤバいんじゃ……」
傍らでペンギンとシャチが顔を青くしているが、マルコは片眉を上げるだけで憤ることは無かった。
ルーキーから命令されて腹が立つような子供では無い。それに同じ船医の身であるから気持ちも重々承知している。
くつくつと喉を鳴らして苦笑して「了解」と頷いたマルコは、言われた通りにヤヒロをベッドに寝かせると椅子を引いて腰を下ろした。
「お、大人だ」
「かっけェ……」
こういう大人になりたい。と、二人は呟いた。それを耳にしながらローはヤヒロに鎮静剤を注射した。
暫くすると鎮静剤の効果によってヤヒロは眠りに落ちた。
それを確認したローは包帯を解いて傷の具合を診始めた。その傍らで両腕を組んで座っているマルコは、青雉が去った後で交わしたヤヒロとの会話を思い出して考え込んでいた。
***
「ヤヒロ、お前……本気か?」
「何が?」
「その、何だ、船から離れて行動するって話だよい」
「あァ、うん。偶に…。ダメか?」
「いや、ダメとは言わねェが……」
「ミホークと出会った時に言ったんだ。ミホークと同じように個人で旅がしてェ!って」
「鷹の目はなんて答えたんだ?」
「んーと……」
コホンと一つ咳払いをしたヤヒロは、わさわざ声色を変える。この時、声を変える必要ねェだろとマルコは言ったが無視して続けた。
この世界の海を知らぬ身でそれは無謀だ。赤髪の元で世界を学び、それでも一人旅に出たければそうすれば良い――と。
「まァ、その後で白ひげ海賊団に進路変更したわけなんだけど。海の事とか沢山教えて貰ったし航海術も知って実際に一人旅もできたからさ」
「……」
「あ、でも船に戻ったら暫くは一緒にいるつもりだからな。皆で笑おうって約束してるし……。まだ先の話だ」
笑って言ったヤヒロは、マルコから顔を背けて大海を望んだ。何となくこれ以上マルコと視線を合わせていられなかったからだ。気まずさなのかどうかはわからない。ただ、一瞬だけ見せたマルコの表情がどこか寂し気だったような気がして、それに胸が締め付けられる思いがして言葉が詰まりそうになったからで……。
「そうかい」
わかったと溜息混じりにマルコは答えた。それを耳にして振り向こうとしたヤヒロは、足がふらついて咄嗟にマルコの服を掴んだ。
「おい、どうしたよい?」
「うー、痛過ぎて、無理。動けない……」
「はァ、無茶するからだよい」
まったく、と零したマルコは右腕でヤヒロの背中を支えると左腕を膝裏に通して抱き上げた。即座にヤヒロが俵抱きを希望したがマルコは無視して船内へと向かった。
***
新しい包帯を手にしたローは「おれが言うのもなんだが……」と口を開いた。それにマルコが視線を向けると真剣な面持ちで包帯を巻きながらローは話を続ける。
「こいつは一つ処に収まってるような女じゃねェことは確かだとおれは思う」
「それは…、わかってるつもりだよい」
余計な口出しだったな。と、ローは口を閉じて傷の手当てを続けた。マルコは視線を外すと天井を見上げて目を瞑った。
ヤヒロの器はでけェなんてもんじゃねェ。こいつは下手すりゃこの世界そのものを覆す程の力を持った奴だ。ただ――
一緒にいることを覚えちまったら、離れ難いと思っちまうのは仕方が無ェだろうよい。
暫くの間、船医室には沈黙が流れた。
治療を終える頃に目を覚ましたヤヒロは、ぼーっとしながら視線を動かしてマルコを探した。
椅子に腰を下ろして両腕を組んで天井を見上げて目を瞑るマルコを見つけると自ずと口元が緩んだ。
「マルコ」
少し掠れた声でヤヒロは呼んだ。それに目を開けたマルコがヤヒロに視線を向けると口端を上げた笑みを浮かべた。
「治療は終えたがな、おれの許可が出るまでベッドから下りるんじゃねェぞ」
不死鳥は見張りだ。と告げたローは片付けもそこそこにシャチとペンギンを引き連れて船医室から出て行った。そして、マルコとヤヒロの二人だけとなった。
「何か空気が甘かったな」
「おれもそう思った」
「気付いてねェのは本人達だけだろ」
「「キャプテンもそう思ったんだ」」
「チッ!」
船長室へと向かう中、ローは溜息を零しながら「不器用同士が、見てられねェな」と独り言ちた。
一方、船医室では暫く沈黙が続いた。
ベッドの側に椅子を動かして腰を下ろしたマルコをじっと見つめるヤヒロは、そっと手を伸ばしてマルコの服の裾を掴んだ。
眠りに落ちていても二人の会話を遠くの方で聞こえていたヤヒロは、マルコの青い目を見つめて自然と言葉を口にしていた。
もし、できることなら――、
マルコと二人きりで旅してみたい。
あれ?何を言ってんだ?と目を丸くしたヤヒロは、「か、も、なァ……」と付け足したもののカッと熱くなった顔を即座に反対側へと背けた。
対してマルコは虚を突かれたのかキョトンとしていた。しかし、ヤヒロが口にした言葉を頭の中で反芻して理解するなり組んでいた腕を解いて右手で口元を覆った。
ヤヒロ、それって……。
顔を背けているヤヒロをマルコはじっと見つめる。耳まで真っ赤になっているのが明らかにわかる。
片やヤヒロは、い、今……、今、何を言った?と、口をハクハクと動かして唖然としていた。
自然と言葉が零れた。
それはどういうことか。
何を意味するのか。
顔が熱い。胸の鼓動がドキドキと早鐘を打って五月蠅い。
何か変な汗を掻き始めてる。
後にも先にもこんなやっちまった感を味わったことが無い。
目がグルグルと渦を巻き始めたヤヒロは、この空気をどうしたものかと必死に考えた。
一方マルコは、いつまでも顔を背けるヤヒロにどう声を掛けたものかと左手でガシガシと頭を掻いた。その時、左腕に付けていたミサンガの存在に気付いて視線を向けた。
ヤヒロは誰よりもお前のことを考えている女だ。と、いつか赤髪に言われた言葉が頭に過る。
お前のミサンガを見ればわかることだ
トクン......と一つ心臓が脈打つのを感じたマルコは、自ずと右手でそれをギュッと握っていた。
顔を少しだけ戻してマルコを見やったヤヒロは、左腕に付けているミサンガを握っているマルコに気付いて「それ…」と声を漏らした。
マルコがヤヒロに目を向けるとヤヒロは手を伸ばした。それに応じる様にマルコは左腕を差し向けると、ミサンガに触れながらヤヒロは目を細めた。
「色合いとか関係無いって言ったけど……」
青、誠実と冷静と行動を
黒、意志の強さを
紫、忍耐力と精神性を
白、平穏と落ち着きを
水色、美しさと爽やかさ、そして…笑顔を
「色にはそれぞれ意味があって願いに見合った組み合わせで編むんだ。けど、皆に配ったのは色の意味合いは関係無しでさ」
「ヤヒロが一人一人をイメージして組み合わせて編んでくれたって聞いたよい」
「そう、勝手なイメージだけど」
「そうでもねェよい。みんな喜んでたよい」
そっか。それは良かった。と、ヤヒロは微笑を零した。でも――と、ヤヒロはポツリと呟いた。
なんだ?とマルコが片眉を上げるとヤヒロはマルコのミサンガをそっと握った。
「違うんだ」
「違う?」
顔を上げたヤヒロはマルコの目を真っ直ぐ見つめた。
「マルコのだけは――」
雨の中で一人佇む姿が目に焼き付いて離れない。
今にも泣き崩れてしまいそうな悲しみに暮れたあの顔が忘れられない。
だから――
意志を強く、冷静に、どんなことにも耐えうる精神を持って、いつか平穏に笑える未来を――
そう、願った。
「特別なんだ」
「ッ…!」
目を丸くしたマルコにヤヒロは微笑を零した。そして、マルコのミサンガを愛し気に撫でると「何でだと思う?」と問い掛けた。
「……」
マルコは言葉に詰まり何も言えないでいるとヤヒロが重い身体を起こそうとした。それに咄嗟に動いてヤヒロの身体を支えたマルコの頬にヤヒロの手が添えられた。
僅かにピクンと反応したマルコは、添えられた手に自ら頬を寄せた。そして、お互いの視線が合うと、どちらとも無く笑みを零した。
「好いてくれてる。そう受け取って良いかい?」
マルコがそう答えるとヤヒロは満悦の表情を浮かべた。
「こんな輩みたいな奴に言われても迷惑かもしんねェけど、私はマルコが好きだ」
「おれも同類だから心配すんない」
クツクツと笑うマルコにヤヒロもハハッと笑った。そして、あれは反則だ。と、ヤヒロは続けた。
何のことかとマルコが聞くとヤヒロは照れ臭そうにしながら独り言ちるように言葉を零した。
「泣いてなんか欲しく無いんだ」
「!」
「笑ってて欲しい。マルコには、ずっと笑ってて欲しい。だからッ――」
堰を切ったように気持ちが溢れ出し、伝えたい想いが一杯になると考える間も無く気持ちのまま言葉を紡いだ。だが言葉は途中で遮られた。
唇に感じる温かく柔らかい感触にヤヒロは呆然としてマルコの顔を見つめた。閉じられた瞳がゆっくり開けられると、そこには青い目があって、とても綺麗な色だと暢気に思った。
「ヤヒロ」
「え…?」
「こういう時は目を瞑るもんだよい」
「あ、そ、その、んン!」
先の重ねるだけの口付けと違って今度は深い口付けが落とされた。一瞬、身動ぎはしたものの抵抗する気が全く起きなくて不思議な程に力が抜け落ちたヤヒロは、ゆっくりと目を瞑ってマルコの口付けを甘んじて受けた。
何度か角度を変えて唇を重ねる内に不思議と高揚感が増してヤヒロの心を支配し始めた。マルコにキスされるのがこんなに嬉しいって思うなんて……と、胸の内で呟いているとチュクッ……と水音が直接耳を突き、咥内に感じたことの無い感触に動揺が走った。
「んンッ! ふっ、んン! ま、待った!」
慌てて顔を引き離したヤヒロは、自分の唇とマルコの唇の間に僅かに繋がった銀糸に顔を真っ赤にしてパニックを起こした。
「あ、あのさ! あの! 何て言うか! えっと!」
「あー、経験が無ェんだったな」
「えっ!? あ! そう! だから! ちょっ――んン!」
逃げようとするヤヒロの後頭部に手を回したマルコは強引に引き寄せてヤヒロの唇を貪るように重ねた。問答無用で唇をこじ開けて舌を侵入させると咥内を余すことなく蹂躙して、探しあてたヤヒロの舌を絡めた。
初めての感触に戸惑うヤヒロは、羞恥心が全身を覆い益々パニックになった。
「んっ…ん…ふァっ…ぅん…」
唇が離れる一瞬一瞬に呼吸をしようとするが直ぐに塞がれて、その度に自分の声とは思えない程の甘ったるい女の声が漏れ出ることに、ヤヒロは驚きを隠せない。
マルコの肩を押しやろうとするが、嘘のように力が入らない。その代わりにマルコのシャツをギュッと握ることしかできない。
「おれもヤヒロが好きだよい」
「!」
「好きだ」
漸く唇が離れたと思った所で真っ直ぐ自分を見つめるマルコから送られた言葉に、ヤヒロは何も考えられなくなった。
男の経験は無い。キスすらしたことも無い。私が欲しけりゃ私を本気で惚れさせてみせろ。それができれば、いつでも喜んでマルコとセックスしてやるよ。――と、歓迎の宴の日に二人だけで酒を酌み交わした時に、そう啖呵を切ったのを今はとても懐かしく思える。
何だ……。簡単にマルコに落とされてんじゃん。と、ヤヒロは微笑を零すと目を瞑って自らマルコへと口付けをして求めた。
そう、マルコだけは――
傷を負った身体だからその先に進むことは無いが、いつかその先に進むのだろうなと甘い口付けを交わしながらヤヒロは思った。
―― 特別なんだ ――
特 別
【〆栞】