33
本日、快晴。
真っ青な空とそれを映し出す真っ青な海のど真ん中を航行しているハート海賊団のポーラータング号。
息を切らして甲板へと勢い良く飛び出したベポは、もうダメだとばかりにぶっ倒れた。
欄干に両肘を突いて海を眺めていたマルコは、ゼェゼェと苦し気に荒い呼吸を繰り返すベポの元に歩み寄って顔を覗き込んだ。
「大丈夫かい?」
「ね、ねェ…はァはァ…ヤヒロッ…だけど……」
「目覚めたのか?」
「う、うん、はァはァ…覚まし…たよ。けど…」
「けど…?」
何かあったのかとマルコは僅かに眉を顰めた。けど何だと口を開こうとした時、ベポが急にガシッとマルコの腰に抱き付いた。
「な!? 何だよい!」
驚いたマルコを必死の形相で見上げるベポの様子が何だかおかしい。
プルプルと小刻みに震えているし、助けを乞う目をしている。
目を覚まして早々に何かやらかしたなとマルコは思った。
「おいヤヒロ! まだ怪我が治ってねェんだから大人しく寝てろって何度言わすんだよ! 頼むから戻ってくれって!」
「マジで頼むよ! じゃなきゃおれ達がキャプテンにバラされんだからさ!!」
船内からバタバタとした足音と共にそんな声が聞こえて、震えるベポを宥めるように頭を撫でながらマルコは入口に目を向けた。
影からヌッと姿を現したのは、包帯でグルグル巻きにされてボロボロになった特攻服を身に纏ったヤヒロだ。
その後ろからハート海賊団の船員であるペンギンとキャスケット帽を被ったシャチが必死になって船医室へ戻れとヤヒロを説得している。
「来たァッ!」
「お、おい!」
ヤヒロが現れたと同時にベポが悲鳴を上げてマルコの背後に逃げ込んだ。そんなベポからヤヒロへと視線を向けたマルコは溜息を吐いた。
一方、ヤヒロは二カッと笑顔を見せる。しかし、どこのミイラだと思わせる程の包帯の巻かれっぷりに、その笑顔は伝わりにくい。たぶん笑っているんだろうな……ぐらいにしか伝わらない。
「重症者が目ェ覚まして早々に何やって」
「マルコ!!」
「――ッ!」
マルコの小言を無視してヤヒロはマルコに飛び込む様に抱き付いた。言葉は途中で途切れて最後まで言えないままマルコはヤヒロを抱き止めた。
マルコの背後に逃げていたベポは、ヤヒロの関心がマルコに移ったことに安堵の溜息を吐いて「助かった…」とポツリと呟きグスッと鼻を鳴らして涙を零した。それにマルコはベポに視線を寄越して片眉を上げた。
何があったのか――。
目が覚めたヤヒロは、ベポを見るなり目をキラキラと輝かせて「ベポだ!」と嬉しそうに声を上げて手を伸ばした。
ヤヒロの噂話で憧れを抱いた隠れファンだったベポは、最初こそ喜んで大人しく頭を撫でさせてあげた。しかし、いつまで経っても撫でるのを止める気配が無い。
そろそろ撫でるのを止めて欲しいんだけどとベポが口を開こうとしたその時、何かのスイッチが入ったかのようにヤヒロが急にベポに襲い掛かるように抱き付いてモフモフを堪能し始めたのだ。
包帯をぐるぐる巻きにした人に襲われる様な錯覚に陥ったベポにとって、それは正にホラーな世界線で、憧れたとか、ファンだったとか、全てが吹き飛んで絶叫した。
「!」
突然の絶叫にドキッとして心臓が止まりそうな感覚に襲われたローは急いで振り向て目を丸くした。
ミイラに襲われているシロクマ――。
「何…やってんだ……?」
ヤヒロに抱き付かれたベポは絶望感満載の恐怖顔で涙を流しながらローに向かって手を伸ばした。
分かり易く例えるならゾンビ映画でよく見られるゾンビに襲われて噛まれちゃう人が助けを求めてるって感じの光景。ただ、襲ってる側は生きた人間なんだけど。襲われてる側はシロクマなんだけど――。
眉間に手を当てたローは深い溜息を吐いた。
「おい、重症者が勝手に起きて暴れてんじゃねェよ」
ベポに抱き付くヤヒロをベッドの枕とシャンブルズして引き離すと、ベポは「うああああ!」と叫びながら船医室を出て行った。
余程怖かったのだろう。ローが唖然として見送っていると、シュタッとベッドから降りたミイラ状態のヤヒロ。
「ヤヒロ、まだ起き上が」
「まだ」
「――って、何?」
足りないとボソッと呟いたヤヒロは、まさにゾンビの如く獲物を追うように船医室から出て行った。
船医室から出て行ったヤヒロと入れ違いでやって来たペンギンとシャチは、何が起きたんだとばかりに驚き顔でミイラなヤヒロの背中を見送っていると、唖然として立ち尽くしていたローはハッと我に返った。そして、ペンギンとシャチにヤヒロを引き摺ってでもここに連れ戻せと命令する。
「え!?」
「おれ達がですか!?」
「できねェって言わねェよな?」
鬼哭を手にしたローに、はい!直ちに!とペンギンとシャチは急いでヤヒロを追った。
――――と言った具合。
ホラーな世界線に生きた心地がしなかったベポは、「おれ! 殺されるかと思った!」と切実に泣きながらマルコに訴えた。
あまりの恐怖に怯えて泣き叫ぶベポに、まさかそんな風に捉えられてるとは思ってもみなかったヤヒロは「ごめん! ごめん!」と笑って謝った。――が、如何せん包帯のせいで表情が伝わらない。
「ったく……、おれが代わりに謝るよい。ベポ、怖い思いをさせて悪かったな」
号泣するベポにマルコは謝罪と慰めの言葉を掛けた。それに目をパチクリとさせたベポはマルコを見上げた。
「大丈夫かい?」
マルコに優しく問われて更に頭を撫でられたベポは途端に頬を赤らめて嬉しそうに笑った。
「おれ、白ひげ海賊団の1番隊隊長さんに頭を撫でてもらった!」
「おい! ベポ! シロクマの特権をフルに活用してんじゃねェ!」
「そうだぞ! 何、白ひげ海賊団の1番隊隊長様と仲良しパイプを作ろうとしてんだ! せこいぞ!」
嬉しそうに笑うベポにペンギンとシャチが言いがかりを付けて文句を言いながら詰め寄る。
エヘヘと喜ぶシロクマと、ギャンギャンと吠える二人の男。
マルコは抱き付くヤヒロを抱えながら二、三歩程そこから引き下がって傍観を決め込んだ。
「やっぱり白ひげの1番隊隊長って、箔が付くんだな」
「さァな……。それよりヤヒロ、怪我の具合はどうだい? まだ辛ェんじゃねェのか?」
マルコに抱き付く手を外したヤヒロは胸を張って言った。「痛ェけど、ッ…、う、ん、痛くッ…ねェぞ!」と、若干呻き声を漏らしながら――。
「いや、痛ェんだろうよい」
痛みで(恐らく)顔を歪めながらも気合で立て直した様子に、マルコは眉間に手を当てて溜息を吐いた。
頼むから怪我してる時ぐれェ大人しくしてくれよい、とマルコは思った。
「おい、不死鳥屋! その重症患者を船医室へ連れて来い! それから見張れ! じゃねェと勝手に動き回って埒があかねェ!」
船内から鬼哭を手にして現れたローは額に青筋を張り目を吊り上げていた。明らかに激怒している様子にマルコは軽く項垂れた。
「悪かったよい。おい、ヤヒロ」
マルコはヤヒロの腕を掴んで声を掛けた。「んー」と返事したヤヒロだったが、ある方角の海に視線を寄越した瞬間にピタリと動きを止めた。それに不審に思ったマルコはヤヒロが見つめる先へと視線を移した。
大海原にポツンと何かがいる――。
目を凝らしてじっと見つめる。どうもこっちに向かって来ているようで、徐々に大きくなって形がはっきりして来る。自転車っぽい乗り物に跨る人がキコキコとペダルを漕いで海上をゆっくりと走っている。
「なァ、マルコ。あれってさ、あれだよな?」
「おれの目が節穴でなけりゃあ、あれだよい」
大海原を見つめて固まるマルコとヤヒロを見て不審に思ったローは、二人の元に歩み寄って同じ方角に目を向けた。そして、甲板で言い合っていたベポやペンギンとシャチも顔を見合わせた後に視線を寄越した。
途端に彼らは目を丸くして口をぱかんと開けて驚き固まってしまった。ローも少しだけ焦りの色を持って驚きはしたが、こっちには不死鳥マルコがいるのだ。その為、何とかなるだろうと算段して成り行きを見定めていくことにした。
「やっと見つけたよ。ルーキーの船で逃げ込むところは見てたんだが、何せ潜水艦だから苦労したよ」
「青雉……、てめェ、まだ戦う気かよい」
「あー、それは無いから安心して頂戴よ。怪我してるとは言え、彼女が本気になったらおれ一人じゃ手に負えないってのは、先の戦いで重々思い知らされたから。大体、大将二人を相手に引かずに戦う子と真面に戦おうとは思わないでしょ? おれも自分が可愛いんだ。まだ死ぬには早い」
大海原を自転車で走って近付いて来たクザンに、マルコを始め全員が警戒心を露わにして身構えたが、ヤヒロだけは違った。クザンよりも、その自転車に関心を寄せている。
大海原を走る自転車か。能力ありきとは言え良いなァ。あれにモーターとかエンジンを搭載してバイクになんねェかな。
暴走族の頭を張り、音速の名を欲しいままにバイクを走らせていただけあって、二輪走行するものを見ると、ついついそういう方向に思考が飛んでしまうのは仕方が無いことだ。
自転車があるならバイクがあっても良いのにとヤヒロは思う。
はァ、フォアに乗りてェなァ……。と懐かしき愛車を思い出した。
今頃はお釈迦になってスクラップ工場か何かで解体されてバラバラになっているだろう相棒に思いを馳せた。
「邪魔するよっと!」
「あわわわ! 海軍大将がおれ達の船に!!」
「だ、大丈夫だ! こちとら白ひげ海賊団の1番隊隊長様がいるんだ! 何とかなる!」
「そ、そうだぜ! いざとなりゃあ怪我人とは言え鬼神ヤヒロもいるんだからな!」
「「「おれ達の方が有利だ!!」」」
「だから、戦う気は無いって言ってんでしょ。人の話を聞いてる?」
欄干を越えて甲板に降り立ったクザンは、ポリポリと頭を掻きながら溜息を吐いた。
鬼哭を肩に乗せたまま欄干に腰を据えて黙って見つめているローに、少しだけ笑みを浮かべたクザンは、流石と口にした。
「キャプテンだけは冷静みたいだな。トラファルガー・ロー、だったかな?」
「何の用だ青雉屋」
「んー、用があるのはそっちのお二人さんだ」
クザンはマルコとヤヒロに指を差して言った。
眉間に皺を寄せて怪訝な表情を浮かべたマルコは、何気にヤヒロの腕を引いて自分の背後へと動かして庇うように前面に立った。その様子にクザンは片眉と口角を上げてクツリと笑った。
「ちょっと込み入った話だから、できれば彼らとだけにしてくれると有難いんだが」
「……わかった」
少し不服ながらもローは了承した。甲板にヤヒロとマルコだけを残してロー達は船内へと入って行った。
船室に向かったローは船員に甲板の音声を拾えと指示を出した。すると、「まァ、そう警戒しなさんな不死鳥」――と、クザンの声がはっきりと聞こえた。
「えーっと、ヤヒロだったな。君、自転車ばっかり見つめてないでこっちへ向いてくれるかな」
少し呆れた物言いでクザンは言った。その指摘で背後に振り向いたマルコは、警戒心ゼロかよい…と、眉間に皺を寄せた。
船の横に着けられた自転車をじーっと見つめているヤヒロに、マルコは何を考えてんだと声を掛けた。
「いや、ちょっと……。懐かしい思い出達と戯れてたっていうか……」
「!」
懐かしい思い出――。
それは思ってもみなかった返答だった。
目を丸くしたマルコに気付いたヤヒロは、「あァ、何でも無い」と首を振って苦笑した。そうして漸く自転車から視線を外したヤヒロがクザンに目を向けた。
「で、話ってなんだ?」
クザンはヤヒロをじっと見つめてからマルコへと視線を移すと、甲板に腰を下ろして胡坐を掻いた。
さて、まァ聞きたいことは山ほどあるが……と胸の内で吐露しつつ「とりあえず――」と口を開いた。
「先に礼を言っておこうと思う」
「は?」
「ん?」
思わず気の抜けた声を漏らしたマルコとヤヒロは、意味がわからずにお互いに顔を見合わせてクザンへと視線を戻した。
二人を見据えていたクザンは、特にヤヒロに目を向けて言葉を続ける。
「先の戦いで、あんたは海兵達を守る為にわざと攻撃を身に受けただろう?」
「!」
「あー」
クザンの言葉にヤヒロは思い出したかのように言葉を漏らした。ゆっくりとヤヒロへと振り向いたマルコは、そりゃあどういうことだ?と厳しく問うような表情でヤヒロを睨んだ。
マルコから視線をスイッと外したヤヒロは、頬をポリポリと掻いて苦笑を浮かべた(ように見える)。
いや、あの、ほら、三人の総攻撃を受けた時に赤いバカ犬が力任せに攻撃して来たからさ、と言い難そうにしながらヤヒロはマルコに説明した。
「攻撃を躱したら後方にいた海兵達にぶち当たると思って……」
「庇ったって? 鷹の目の斬撃はわざと当ててたってェのに」
「ミホークは加減ってものをわかってやるから、怪我をしても死ぬことは無ェと思ったからだ。けど、赤いバカ犬はそんな様子を微塵も見せなかったから、仕方が無しに攻撃を受けたってわけ」
「ハハ、赤いバカ犬…ね」
ここにサカズキがいたら確実にまた大事になっていただろう、とクザンは思った。
凄く嫌そうな顔をして(と思われる)話している辺り、どうやらヤヒロにとってサカズキとの相性は最悪なのだろう。
きっとサカズキにとってもヤヒロは天敵に相当する存在だろう。いや、確実にそうだ。
海軍病院で治療を受けていたサカズキが、眉間に皺を寄せて額に青筋を張りながら怒りに打ち震えて「あの小娘が! 許さん! 絶対に許さん!」と口にして、折角塞いだ頭部の傷が開いてピューピューと血飛沫を巻き散らしては医者を困らせていた情景を思い出したクザンは溜息を吐いた。
ロギア系の悪魔の実の能力者に対して覇気無しで打撃を与えるだけで無く、受けた傷がなかなか治らないときたもんだから、ロギア系の悪魔の実の能力者でありながら病院の医者によって針や糸で傷口を塞いでもらって治療を受けなければならないという屈辱を受ける破目になったのだ。
これはイレギュラーの為せる技なのかどうかはわからない。
ただマルコに関しては再生の能力という特殊な力がある為に医者に掛からずとも回復を示した。その為、まさかロギアの能力者達が医者に掛かっていたとは、マルコとヤヒロは微塵も思っていなかったのだろう。
サカズキとボルサリーノがそういう状況下にあったことを簡潔に話すとマルコが目を見張って驚いていた。
「――と、まァ、そんな話をしに来たんじゃあないのよ。本題の話をしよう」
クザンは一つ咳払いをして二人を見据えた。
「あー、先の戦いであれだけ争った後で言うのも何だが、どうだヤヒロ。あんた、海兵になる気は無いか?」
「はい?」
「な!? てめェ! 何を考えてんだよい!?」
予想外の話に眉を顰めたヤヒロ。その傍らで声を荒げて抗議の声を上げるマルコ。
当然予測していた反応にクザンは冷静に指を差した告げる。不死鳥、お前もセットでだ――と。
「!?」
至って真剣な表情から冗談では無く本気で言っているのだとマルコは分かった。
だが、真意がわからない。
何故ヤヒロを海軍へ勧誘するのか、それも自分を含めて――。
「あんた、この先を”この世界で生きる”のなら、それなりに責任ってのも考えるべきなんじゃないの? それがケジメっていうもんだとおれは思うんだけど」
「!」
「ッ……!」
クザンの言葉にヤヒロは目を丸くして固まった。やはりクザンは勘付いていやがったかとマルコは舌打ちをする。
ヤヒロが『この世界の人間でない』ことに――。
これを知るのは鷹の目と赤髪と白ひげ海賊団の連中のみ。
厄介なことになった。
海軍大将である青雉がそれに勘付いて核心を突いてきたことで、マルコは否が応にも警戒心を持たざるを得なくなった。そして、船室で話を聞いていたローも眉間に皺を寄せてその意味を何となく理解した。
成程な……。だからあれだけ異質な空気を纏っていやがったってわけか――と。
『異世界の人間』
まさかと思いはしたが、ここはグランドラインだ。『何が起きても不思議では無い海』とはよく言ったものだとローは思った。
「あんた、根っからの海賊って感じじゃないみたいだしな」
「……」
「先の戦いで大敗したから海軍は世間的に厳しい目で見られるだろう。だが、そこにあんたが海軍に加わってくれりゃあ風向きが変わるってもんでしょ?」
クザンの提案に「何を都合の良い事を言ってくれてんだよい」とマルコは睨み付けた。しかし、クザンは真っ直ぐ見据えて言葉を続けた。
あんたがもし海兵になると言って志願してくれりゃ、おれはあんたを『元帥』に推す――と。
「「は!?」」
思い掛けない言葉にヤヒロとマルコは同時に声を上げた。それにクザンは「息ピッタリだな」と言ってハハッと笑った。
げげげげ元帥!?海軍のトップじゃねェか!?とヤヒロは目を白黒させた。その一方、何考えてんだよい青雉!?ヤヒロを海軍の元帥にだって!?とマルコは衝撃が過ぎて固まった。
「これはおれの個人的な意見だけど、あんたが海軍のトップとなりゃ世界は変わる。確実にな。おれはそれが見たいと思ってんだけど……。あァ、ガープ中将に話したら「そりゃあ良い!」とえらく乗り気だったな」
「おいおい、ちょっ、勝手に話を進めるなって!」
「だ、大体! 赤犬と黄猿は確実に反対だろうがよい!? 元帥のセンゴクだって同じだろい!?」
「いや〜それがどうもそうでも無いんだわ」
「「はァ!?」」
またしてもヤヒロとマルコの声が重なった。
あんたら仲良すぎでしょ。
鬼神と不死鳥は相当絆が深いと見たクザンは楽し気に笑った。
「海兵達はヤヒロに助けられたことを恩に感じてる。あの大参謀のおつるさんでさえ、見事な統率力を発揮したヤヒロに感服していた。中将の中にはヤヒロに心酔している奴もいる。おれやガープ中将もな」
クザンの話にヤヒロとマルコはただただ呆然とするばかりだ。話について行けない。そんな風に見える。しかし、クザンは「センゴクさんは――」と尚も続けた。
ヤヒロが味方になってくれるなら何とでもしてやる。椅子ぐらい直ぐに譲ってやる!だそうだ――と。
「「……」」
「まァ、多少泣きが入ってたが」
くつくつと笑いながらクザンは言った。
まさかの海軍総崩れな度合があまりに酷過ぎて哀れに思い始めたマルコは、思わず口元を手で覆い心の底から海軍に同情した。そして、ヤヒロへと視線を向ける。
お前……、敵だった奴までどんどん味方につけてんじゃねェかよい。と、ヤヒロの不思議な力にマルコはほとほと感服した。
白ひげのオヤジですらどこかヤヒロに敬服しているようなところがある。あの赤髪でさえも然りだ。
「あのさ、」
「ん?」
「何でマルコもセットで勧誘なんだ?」
ヤヒロの質問にマルコはハッとして青雉を見やった。あァ、それね、と青雉はコホンと一つ咳払いをして答えた。
「保険だ」
「保険?」
「あんたが暴走した時の歯止め役として不死鳥を側に置く必要があると思ってね。どんなにぶち切れて暴走しようが不死鳥が声を掛けて止めに入れば、あんたはあっさりと従うでしょ?」
「そ、そういう自覚は無ェんだけど……。なァ、マルコ?」
「おれに聞くなよい」
自覚無ェのか……。と、マルコが少しがっくりしたのは否めない。ただヤヒロは「自覚が無い」と言いつつも、どこかでそれは納得していた。
怒りに満ちた自分を沈めてくれる人など今までいなかった。サカズキに止めを刺そうとした時に腕を掴まれて「終わりだよい」と声を掛けられた瞬間、一気に冷静さを取り戻した。全身からあっさりと力が抜けたあの感覚は初めてだった。
歯止めか……。
チラリとマルコを見やってから直ぐに視線を外して空を見上げたヤヒロは、眉間にクッと皺を寄せて目を瞑った。
「直ぐに返事が欲しいわけじゃない。ただ考えておいてくれ」
「いや、待たせるのは好きじゃねェから今直ぐに答えるよ」
閉じた目を開けたヤヒロはクザンに真っ直ぐ目を向けた。
めげることも、引くことも、他人に靡くこともしない。芯の通った強い意志を持つ目をしている。それがどこか不思議と人を惹きつける魅力を感じさせる、とクザンは思った。
「答えは『No』だ。ごめん」
「……」
「好意は有難いけど、その正義ってのが好きじゃねェんだ。それに……」
ヤヒロは隣に立つマルコに顔を向けた。黙ってヤヒロを見つめているマルコに柔らかい笑み(と思われる)を浮かべると声を大きくして言った。
「家族と笑おうなって! 約束してんだ!!」
心の底からケラケラと笑い、子供の様に(恐らく)楽しそうに笑った。
「帰るところがあるんだ。大事な家族が……、私が欲しかった家族がいる家に。だから、ごめん。折角の好意を無駄にしちまうようだけどさ……」
(雰囲気からして)申し訳無さそうに深々と頭を下げたヤヒロをクザンは黙って見つめていたが、「そうか…」と少し残念そうにしながらも納得したように頷いた。
「あんた達のことは嫌いじゃねェからな!」
「!」
嫌いじゃねェ……?
立ち上がったクザンはヤヒロから放たれた言葉に思わず目を丸くして固まった。
「海軍の人達は基本的に嫌いじゃねェから。クザンさんは正義を多角的に見て取れる人だと思う。ガープさんはルフィの爺ちゃんでエースの恩人だし、快活で豪胆で、一度は酒の席で話をしてみたいって思える人だ。センゴクさんだって顔を突き合わせて話せば色々な話が聞けそうだしな。スモーカー大佐やたしぎとも話をしてみてェって思うし、ボルサリーノさんだって口調とか聞いてたら身分関係無しで話せるかもって思うし」
「……」
「あァ、けど真っ赤な糞マグマ野郎は、出会ったら速攻喧嘩だろうな」
そこだけ残念かなとヤヒロはニシシと笑った。
クザンは自分の耳を疑った。あれだけ戦った相手に対して何の恨みつらみも無い。それどころか好意を寄せている発言に面食らってしまった。
ハハ……、とんでもない女ってのは強さじゃ無いな。器が違う。違い過ぎる。
額に手を当てて天を仰いだクザンは、「今の言葉、そのまま報告しようじゃないの」と言って笑みを零した。
「あ、何か必要があったら声を掛けてくれよ?」
「何?」
「海賊討伐じゃなくてだな、何かこう……そう、ボランティア! 修復修繕とか人手が足りないなら手を貸すってこと。白ひげ海賊団の船に伝書鳩か何かで連絡をくれたら行くからさ!」
あり得ないことをサラリと言ったヤヒロにクザンは目を丸くした。あまりに当たり前のように言うもので、マルコでさえも呆気に取られて二の句が継げないでいる。
「これからどうしようかと思ってさ。白ひげ海賊団の一員として航海はするつもりだけど、偶には外の空気も吸いたいわけだ。だから時々船から離れて自由行動したりなんかして、色々な所で色々な奴と会って話したりしたいわけ。んで、人助けじゃねェけど、働くのは嫌いじゃねェし、バイト程度の扱いで良いから呼んでくれりゃあ手伝いに行くって話だ」
「そ、そんな海賊……聞いたことねェよい」
「だからだよ」
「!」
「誰もやらない、誰もしたことがないことをするのは結構楽しいぞ? そんな変な海賊がいても面白ェじゃん!」
「変な海賊ねェ……」
呆れたように溜息混じりにマルコは呟いた。だが、それはヤヒロらしい発想だともマルコは思う。
「くっ…、ククッ…ハーハッハッハッ!」
クザンは額と腹に手を当てて盛大に笑った。
「あんたの器のデカさは世界一だな。その内、この世界の頂点に立っちまう存在になっちゃったりするかもなァ。よし、面白ついでに良いことを教えてやろう。この世界には『天竜人』という奴らが存在するんだが――」
「ちょっ、待て! 青雉!」
クザンの発言にハッとしたマルコは咄嗟に口を挟んだ。しかし、「天竜人?」と首を傾げたヤヒロはマルコの服を引っ張って話を聞こうと耳を傾ける。
「この世界の頂点に立っている奴らだ。世界政府も海軍も天竜人には下手に逆らえない連中でな。もし、あんたが天竜人の連中に会ったら世界問題へと発展するか、天竜人をあっさり蹂躙してしまうか、どっちかだろう」
「ふぅん……」
口元に手を当てて未だに「クックッ」と笑いながらクザンは楽し気に話した。それに眉間に皺を寄せて怪訝な表情を浮かべるマルコはクザンを睨み付けている。
「そう睨むな不死鳥。あくまで可能性を言ったまでだ」
「てめェは何を考えてやがんだよい……」
「おれは、今じゃ『だらけきった正義』を通してんだが……、これでも以前は『燃え上がる正義』を掲げていた身でねェ。この世界の理不尽さに抗いたい気持ちがあるってわけ」
クザンはそう言うと欄干へと飛び乗って大海を見つめた。
「この世界は理不尽に満ち溢れた世界だ。あんたがこの世界でこの先をどのようにして生きて渡るのか、おれはそれを見てみたいと思う」
クザンはクツリと笑うと振り返ってヤヒロとマルコに視線を向けた。
「じゃあな」
そう言ってクザンは自転車へと飛び降りて跨ると再びキコキコと大海原へと漕ぎ出した。ヤヒロは欄干へと駆け寄って去って行くクザンの後姿を見つめた。
「赤いマグマ野郎に伝えてくれ!!」
「ん?」
「人の上に立つってェのは、その下の奴らのケツ全てを拭う覚悟がいる! 一人一人の尻拭いを率先してやんのが頭張る奴の仕事だ! 偉そうに力と権力を振り翳して命令だけしたって、人は動いても人の心までは動かせねェんだぞってな!」
「ハハ、了解……」
それをあの人が受け入れるかは……まァ、良いか。と、クザンは手をヒラヒラと振って了解の合図を送って去って行った。
ヤヒロは大声を出した後、超スローモーションな動きへと変わって振り向き、マルコに縋るようにしてヨロヨロとして倒れ込んだ。
「調子扱いて叫んだら……痛ェェェェッ!!」
「はァ……、こりゃあ傷が開いたな」
本日、快晴。
真っ青な空とそれを映し出す真っ青な海の真ん中で、ヤヒロの悲痛な叫びが木霊した。
真っ青な空とそれを映し出す真っ青な海のど真ん中を航行しているハート海賊団のポーラータング号。
息を切らして甲板へと勢い良く飛び出したベポは、もうダメだとばかりにぶっ倒れた。
欄干に両肘を突いて海を眺めていたマルコは、ゼェゼェと苦し気に荒い呼吸を繰り返すベポの元に歩み寄って顔を覗き込んだ。
「大丈夫かい?」
「ね、ねェ…はァはァ…ヤヒロッ…だけど……」
「目覚めたのか?」
「う、うん、はァはァ…覚まし…たよ。けど…」
「けど…?」
何かあったのかとマルコは僅かに眉を顰めた。けど何だと口を開こうとした時、ベポが急にガシッとマルコの腰に抱き付いた。
「な!? 何だよい!」
驚いたマルコを必死の形相で見上げるベポの様子が何だかおかしい。
プルプルと小刻みに震えているし、助けを乞う目をしている。
目を覚まして早々に何かやらかしたなとマルコは思った。
「おいヤヒロ! まだ怪我が治ってねェんだから大人しく寝てろって何度言わすんだよ! 頼むから戻ってくれって!」
「マジで頼むよ! じゃなきゃおれ達がキャプテンにバラされんだからさ!!」
船内からバタバタとした足音と共にそんな声が聞こえて、震えるベポを宥めるように頭を撫でながらマルコは入口に目を向けた。
影からヌッと姿を現したのは、包帯でグルグル巻きにされてボロボロになった特攻服を身に纏ったヤヒロだ。
その後ろからハート海賊団の船員であるペンギンとキャスケット帽を被ったシャチが必死になって船医室へ戻れとヤヒロを説得している。
「来たァッ!」
「お、おい!」
ヤヒロが現れたと同時にベポが悲鳴を上げてマルコの背後に逃げ込んだ。そんなベポからヤヒロへと視線を向けたマルコは溜息を吐いた。
一方、ヤヒロは二カッと笑顔を見せる。しかし、どこのミイラだと思わせる程の包帯の巻かれっぷりに、その笑顔は伝わりにくい。たぶん笑っているんだろうな……ぐらいにしか伝わらない。
「重症者が目ェ覚まして早々に何やって」
「マルコ!!」
「――ッ!」
マルコの小言を無視してヤヒロはマルコに飛び込む様に抱き付いた。言葉は途中で途切れて最後まで言えないままマルコはヤヒロを抱き止めた。
マルコの背後に逃げていたベポは、ヤヒロの関心がマルコに移ったことに安堵の溜息を吐いて「助かった…」とポツリと呟きグスッと鼻を鳴らして涙を零した。それにマルコはベポに視線を寄越して片眉を上げた。
何があったのか――。
目が覚めたヤヒロは、ベポを見るなり目をキラキラと輝かせて「ベポだ!」と嬉しそうに声を上げて手を伸ばした。
ヤヒロの噂話で憧れを抱いた隠れファンだったベポは、最初こそ喜んで大人しく頭を撫でさせてあげた。しかし、いつまで経っても撫でるのを止める気配が無い。
そろそろ撫でるのを止めて欲しいんだけどとベポが口を開こうとしたその時、何かのスイッチが入ったかのようにヤヒロが急にベポに襲い掛かるように抱き付いてモフモフを堪能し始めたのだ。
包帯をぐるぐる巻きにした人に襲われる様な錯覚に陥ったベポにとって、それは正にホラーな世界線で、憧れたとか、ファンだったとか、全てが吹き飛んで絶叫した。
「!」
突然の絶叫にドキッとして心臓が止まりそうな感覚に襲われたローは急いで振り向て目を丸くした。
ミイラに襲われているシロクマ――。
「何…やってんだ……?」
ヤヒロに抱き付かれたベポは絶望感満載の恐怖顔で涙を流しながらローに向かって手を伸ばした。
分かり易く例えるならゾンビ映画でよく見られるゾンビに襲われて噛まれちゃう人が助けを求めてるって感じの光景。ただ、襲ってる側は生きた人間なんだけど。襲われてる側はシロクマなんだけど――。
眉間に手を当てたローは深い溜息を吐いた。
「おい、重症者が勝手に起きて暴れてんじゃねェよ」
ベポに抱き付くヤヒロをベッドの枕とシャンブルズして引き離すと、ベポは「うああああ!」と叫びながら船医室を出て行った。
余程怖かったのだろう。ローが唖然として見送っていると、シュタッとベッドから降りたミイラ状態のヤヒロ。
「ヤヒロ、まだ起き上が」
「まだ」
「――って、何?」
足りないとボソッと呟いたヤヒロは、まさにゾンビの如く獲物を追うように船医室から出て行った。
船医室から出て行ったヤヒロと入れ違いでやって来たペンギンとシャチは、何が起きたんだとばかりに驚き顔でミイラなヤヒロの背中を見送っていると、唖然として立ち尽くしていたローはハッと我に返った。そして、ペンギンとシャチにヤヒロを引き摺ってでもここに連れ戻せと命令する。
「え!?」
「おれ達がですか!?」
「できねェって言わねェよな?」
鬼哭を手にしたローに、はい!直ちに!とペンギンとシャチは急いでヤヒロを追った。
――――と言った具合。
ホラーな世界線に生きた心地がしなかったベポは、「おれ! 殺されるかと思った!」と切実に泣きながらマルコに訴えた。
あまりの恐怖に怯えて泣き叫ぶベポに、まさかそんな風に捉えられてるとは思ってもみなかったヤヒロは「ごめん! ごめん!」と笑って謝った。――が、如何せん包帯のせいで表情が伝わらない。
「ったく……、おれが代わりに謝るよい。ベポ、怖い思いをさせて悪かったな」
号泣するベポにマルコは謝罪と慰めの言葉を掛けた。それに目をパチクリとさせたベポはマルコを見上げた。
「大丈夫かい?」
マルコに優しく問われて更に頭を撫でられたベポは途端に頬を赤らめて嬉しそうに笑った。
「おれ、白ひげ海賊団の1番隊隊長さんに頭を撫でてもらった!」
「おい! ベポ! シロクマの特権をフルに活用してんじゃねェ!」
「そうだぞ! 何、白ひげ海賊団の1番隊隊長様と仲良しパイプを作ろうとしてんだ! せこいぞ!」
嬉しそうに笑うベポにペンギンとシャチが言いがかりを付けて文句を言いながら詰め寄る。
エヘヘと喜ぶシロクマと、ギャンギャンと吠える二人の男。
マルコは抱き付くヤヒロを抱えながら二、三歩程そこから引き下がって傍観を決め込んだ。
「やっぱり白ひげの1番隊隊長って、箔が付くんだな」
「さァな……。それよりヤヒロ、怪我の具合はどうだい? まだ辛ェんじゃねェのか?」
マルコに抱き付く手を外したヤヒロは胸を張って言った。「痛ェけど、ッ…、う、ん、痛くッ…ねェぞ!」と、若干呻き声を漏らしながら――。
「いや、痛ェんだろうよい」
痛みで(恐らく)顔を歪めながらも気合で立て直した様子に、マルコは眉間に手を当てて溜息を吐いた。
頼むから怪我してる時ぐれェ大人しくしてくれよい、とマルコは思った。
「おい、不死鳥屋! その重症患者を船医室へ連れて来い! それから見張れ! じゃねェと勝手に動き回って埒があかねェ!」
船内から鬼哭を手にして現れたローは額に青筋を張り目を吊り上げていた。明らかに激怒している様子にマルコは軽く項垂れた。
「悪かったよい。おい、ヤヒロ」
マルコはヤヒロの腕を掴んで声を掛けた。「んー」と返事したヤヒロだったが、ある方角の海に視線を寄越した瞬間にピタリと動きを止めた。それに不審に思ったマルコはヤヒロが見つめる先へと視線を移した。
大海原にポツンと何かがいる――。
目を凝らしてじっと見つめる。どうもこっちに向かって来ているようで、徐々に大きくなって形がはっきりして来る。自転車っぽい乗り物に跨る人がキコキコとペダルを漕いで海上をゆっくりと走っている。
「なァ、マルコ。あれってさ、あれだよな?」
「おれの目が節穴でなけりゃあ、あれだよい」
大海原を見つめて固まるマルコとヤヒロを見て不審に思ったローは、二人の元に歩み寄って同じ方角に目を向けた。そして、甲板で言い合っていたベポやペンギンとシャチも顔を見合わせた後に視線を寄越した。
途端に彼らは目を丸くして口をぱかんと開けて驚き固まってしまった。ローも少しだけ焦りの色を持って驚きはしたが、こっちには不死鳥マルコがいるのだ。その為、何とかなるだろうと算段して成り行きを見定めていくことにした。
「やっと見つけたよ。ルーキーの船で逃げ込むところは見てたんだが、何せ潜水艦だから苦労したよ」
「青雉……、てめェ、まだ戦う気かよい」
「あー、それは無いから安心して頂戴よ。怪我してるとは言え、彼女が本気になったらおれ一人じゃ手に負えないってのは、先の戦いで重々思い知らされたから。大体、大将二人を相手に引かずに戦う子と真面に戦おうとは思わないでしょ? おれも自分が可愛いんだ。まだ死ぬには早い」
大海原を自転車で走って近付いて来たクザンに、マルコを始め全員が警戒心を露わにして身構えたが、ヤヒロだけは違った。クザンよりも、その自転車に関心を寄せている。
大海原を走る自転車か。能力ありきとは言え良いなァ。あれにモーターとかエンジンを搭載してバイクになんねェかな。
暴走族の頭を張り、音速の名を欲しいままにバイクを走らせていただけあって、二輪走行するものを見ると、ついついそういう方向に思考が飛んでしまうのは仕方が無いことだ。
自転車があるならバイクがあっても良いのにとヤヒロは思う。
はァ、フォアに乗りてェなァ……。と懐かしき愛車を思い出した。
今頃はお釈迦になってスクラップ工場か何かで解体されてバラバラになっているだろう相棒に思いを馳せた。
「邪魔するよっと!」
「あわわわ! 海軍大将がおれ達の船に!!」
「だ、大丈夫だ! こちとら白ひげ海賊団の1番隊隊長様がいるんだ! 何とかなる!」
「そ、そうだぜ! いざとなりゃあ怪我人とは言え鬼神ヤヒロもいるんだからな!」
「「「おれ達の方が有利だ!!」」」
「だから、戦う気は無いって言ってんでしょ。人の話を聞いてる?」
欄干を越えて甲板に降り立ったクザンは、ポリポリと頭を掻きながら溜息を吐いた。
鬼哭を肩に乗せたまま欄干に腰を据えて黙って見つめているローに、少しだけ笑みを浮かべたクザンは、流石と口にした。
「キャプテンだけは冷静みたいだな。トラファルガー・ロー、だったかな?」
「何の用だ青雉屋」
「んー、用があるのはそっちのお二人さんだ」
クザンはマルコとヤヒロに指を差して言った。
眉間に皺を寄せて怪訝な表情を浮かべたマルコは、何気にヤヒロの腕を引いて自分の背後へと動かして庇うように前面に立った。その様子にクザンは片眉と口角を上げてクツリと笑った。
「ちょっと込み入った話だから、できれば彼らとだけにしてくれると有難いんだが」
「……わかった」
少し不服ながらもローは了承した。甲板にヤヒロとマルコだけを残してロー達は船内へと入って行った。
船室に向かったローは船員に甲板の音声を拾えと指示を出した。すると、「まァ、そう警戒しなさんな不死鳥」――と、クザンの声がはっきりと聞こえた。
「えーっと、ヤヒロだったな。君、自転車ばっかり見つめてないでこっちへ向いてくれるかな」
少し呆れた物言いでクザンは言った。その指摘で背後に振り向いたマルコは、警戒心ゼロかよい…と、眉間に皺を寄せた。
船の横に着けられた自転車をじーっと見つめているヤヒロに、マルコは何を考えてんだと声を掛けた。
「いや、ちょっと……。懐かしい思い出達と戯れてたっていうか……」
「!」
懐かしい思い出――。
それは思ってもみなかった返答だった。
目を丸くしたマルコに気付いたヤヒロは、「あァ、何でも無い」と首を振って苦笑した。そうして漸く自転車から視線を外したヤヒロがクザンに目を向けた。
「で、話ってなんだ?」
クザンはヤヒロをじっと見つめてからマルコへと視線を移すと、甲板に腰を下ろして胡坐を掻いた。
さて、まァ聞きたいことは山ほどあるが……と胸の内で吐露しつつ「とりあえず――」と口を開いた。
「先に礼を言っておこうと思う」
「は?」
「ん?」
思わず気の抜けた声を漏らしたマルコとヤヒロは、意味がわからずにお互いに顔を見合わせてクザンへと視線を戻した。
二人を見据えていたクザンは、特にヤヒロに目を向けて言葉を続ける。
「先の戦いで、あんたは海兵達を守る為にわざと攻撃を身に受けただろう?」
「!」
「あー」
クザンの言葉にヤヒロは思い出したかのように言葉を漏らした。ゆっくりとヤヒロへと振り向いたマルコは、そりゃあどういうことだ?と厳しく問うような表情でヤヒロを睨んだ。
マルコから視線をスイッと外したヤヒロは、頬をポリポリと掻いて苦笑を浮かべた(ように見える)。
いや、あの、ほら、三人の総攻撃を受けた時に赤いバカ犬が力任せに攻撃して来たからさ、と言い難そうにしながらヤヒロはマルコに説明した。
「攻撃を躱したら後方にいた海兵達にぶち当たると思って……」
「庇ったって? 鷹の目の斬撃はわざと当ててたってェのに」
「ミホークは加減ってものをわかってやるから、怪我をしても死ぬことは無ェと思ったからだ。けど、赤いバカ犬はそんな様子を微塵も見せなかったから、仕方が無しに攻撃を受けたってわけ」
「ハハ、赤いバカ犬…ね」
ここにサカズキがいたら確実にまた大事になっていただろう、とクザンは思った。
凄く嫌そうな顔をして(と思われる)話している辺り、どうやらヤヒロにとってサカズキとの相性は最悪なのだろう。
きっとサカズキにとってもヤヒロは天敵に相当する存在だろう。いや、確実にそうだ。
海軍病院で治療を受けていたサカズキが、眉間に皺を寄せて額に青筋を張りながら怒りに打ち震えて「あの小娘が! 許さん! 絶対に許さん!」と口にして、折角塞いだ頭部の傷が開いてピューピューと血飛沫を巻き散らしては医者を困らせていた情景を思い出したクザンは溜息を吐いた。
ロギア系の悪魔の実の能力者に対して覇気無しで打撃を与えるだけで無く、受けた傷がなかなか治らないときたもんだから、ロギア系の悪魔の実の能力者でありながら病院の医者によって針や糸で傷口を塞いでもらって治療を受けなければならないという屈辱を受ける破目になったのだ。
これはイレギュラーの為せる技なのかどうかはわからない。
ただマルコに関しては再生の能力という特殊な力がある為に医者に掛からずとも回復を示した。その為、まさかロギアの能力者達が医者に掛かっていたとは、マルコとヤヒロは微塵も思っていなかったのだろう。
サカズキとボルサリーノがそういう状況下にあったことを簡潔に話すとマルコが目を見張って驚いていた。
「――と、まァ、そんな話をしに来たんじゃあないのよ。本題の話をしよう」
クザンは一つ咳払いをして二人を見据えた。
「あー、先の戦いであれだけ争った後で言うのも何だが、どうだヤヒロ。あんた、海兵になる気は無いか?」
「はい?」
「な!? てめェ! 何を考えてんだよい!?」
予想外の話に眉を顰めたヤヒロ。その傍らで声を荒げて抗議の声を上げるマルコ。
当然予測していた反応にクザンは冷静に指を差した告げる。不死鳥、お前もセットでだ――と。
「!?」
至って真剣な表情から冗談では無く本気で言っているのだとマルコは分かった。
だが、真意がわからない。
何故ヤヒロを海軍へ勧誘するのか、それも自分を含めて――。
「あんた、この先を”この世界で生きる”のなら、それなりに責任ってのも考えるべきなんじゃないの? それがケジメっていうもんだとおれは思うんだけど」
「!」
「ッ……!」
クザンの言葉にヤヒロは目を丸くして固まった。やはりクザンは勘付いていやがったかとマルコは舌打ちをする。
ヤヒロが『この世界の人間でない』ことに――。
これを知るのは鷹の目と赤髪と白ひげ海賊団の連中のみ。
厄介なことになった。
海軍大将である青雉がそれに勘付いて核心を突いてきたことで、マルコは否が応にも警戒心を持たざるを得なくなった。そして、船室で話を聞いていたローも眉間に皺を寄せてその意味を何となく理解した。
成程な……。だからあれだけ異質な空気を纏っていやがったってわけか――と。
『異世界の人間』
まさかと思いはしたが、ここはグランドラインだ。『何が起きても不思議では無い海』とはよく言ったものだとローは思った。
「あんた、根っからの海賊って感じじゃないみたいだしな」
「……」
「先の戦いで大敗したから海軍は世間的に厳しい目で見られるだろう。だが、そこにあんたが海軍に加わってくれりゃあ風向きが変わるってもんでしょ?」
クザンの提案に「何を都合の良い事を言ってくれてんだよい」とマルコは睨み付けた。しかし、クザンは真っ直ぐ見据えて言葉を続けた。
あんたがもし海兵になると言って志願してくれりゃ、おれはあんたを『元帥』に推す――と。
「「は!?」」
思い掛けない言葉にヤヒロとマルコは同時に声を上げた。それにクザンは「息ピッタリだな」と言ってハハッと笑った。
げげげげ元帥!?海軍のトップじゃねェか!?とヤヒロは目を白黒させた。その一方、何考えてんだよい青雉!?ヤヒロを海軍の元帥にだって!?とマルコは衝撃が過ぎて固まった。
「これはおれの個人的な意見だけど、あんたが海軍のトップとなりゃ世界は変わる。確実にな。おれはそれが見たいと思ってんだけど……。あァ、ガープ中将に話したら「そりゃあ良い!」とえらく乗り気だったな」
「おいおい、ちょっ、勝手に話を進めるなって!」
「だ、大体! 赤犬と黄猿は確実に反対だろうがよい!? 元帥のセンゴクだって同じだろい!?」
「いや〜それがどうもそうでも無いんだわ」
「「はァ!?」」
またしてもヤヒロとマルコの声が重なった。
あんたら仲良すぎでしょ。
鬼神と不死鳥は相当絆が深いと見たクザンは楽し気に笑った。
「海兵達はヤヒロに助けられたことを恩に感じてる。あの大参謀のおつるさんでさえ、見事な統率力を発揮したヤヒロに感服していた。中将の中にはヤヒロに心酔している奴もいる。おれやガープ中将もな」
クザンの話にヤヒロとマルコはただただ呆然とするばかりだ。話について行けない。そんな風に見える。しかし、クザンは「センゴクさんは――」と尚も続けた。
ヤヒロが味方になってくれるなら何とでもしてやる。椅子ぐらい直ぐに譲ってやる!だそうだ――と。
「「……」」
「まァ、多少泣きが入ってたが」
くつくつと笑いながらクザンは言った。
まさかの海軍総崩れな度合があまりに酷過ぎて哀れに思い始めたマルコは、思わず口元を手で覆い心の底から海軍に同情した。そして、ヤヒロへと視線を向ける。
お前……、敵だった奴までどんどん味方につけてんじゃねェかよい。と、ヤヒロの不思議な力にマルコはほとほと感服した。
白ひげのオヤジですらどこかヤヒロに敬服しているようなところがある。あの赤髪でさえも然りだ。
「あのさ、」
「ん?」
「何でマルコもセットで勧誘なんだ?」
ヤヒロの質問にマルコはハッとして青雉を見やった。あァ、それね、と青雉はコホンと一つ咳払いをして答えた。
「保険だ」
「保険?」
「あんたが暴走した時の歯止め役として不死鳥を側に置く必要があると思ってね。どんなにぶち切れて暴走しようが不死鳥が声を掛けて止めに入れば、あんたはあっさりと従うでしょ?」
「そ、そういう自覚は無ェんだけど……。なァ、マルコ?」
「おれに聞くなよい」
自覚無ェのか……。と、マルコが少しがっくりしたのは否めない。ただヤヒロは「自覚が無い」と言いつつも、どこかでそれは納得していた。
怒りに満ちた自分を沈めてくれる人など今までいなかった。サカズキに止めを刺そうとした時に腕を掴まれて「終わりだよい」と声を掛けられた瞬間、一気に冷静さを取り戻した。全身からあっさりと力が抜けたあの感覚は初めてだった。
歯止めか……。
チラリとマルコを見やってから直ぐに視線を外して空を見上げたヤヒロは、眉間にクッと皺を寄せて目を瞑った。
「直ぐに返事が欲しいわけじゃない。ただ考えておいてくれ」
「いや、待たせるのは好きじゃねェから今直ぐに答えるよ」
閉じた目を開けたヤヒロはクザンに真っ直ぐ目を向けた。
めげることも、引くことも、他人に靡くこともしない。芯の通った強い意志を持つ目をしている。それがどこか不思議と人を惹きつける魅力を感じさせる、とクザンは思った。
「答えは『No』だ。ごめん」
「……」
「好意は有難いけど、その正義ってのが好きじゃねェんだ。それに……」
ヤヒロは隣に立つマルコに顔を向けた。黙ってヤヒロを見つめているマルコに柔らかい笑み(と思われる)を浮かべると声を大きくして言った。
「家族と笑おうなって! 約束してんだ!!」
心の底からケラケラと笑い、子供の様に(恐らく)楽しそうに笑った。
「帰るところがあるんだ。大事な家族が……、私が欲しかった家族がいる家に。だから、ごめん。折角の好意を無駄にしちまうようだけどさ……」
(雰囲気からして)申し訳無さそうに深々と頭を下げたヤヒロをクザンは黙って見つめていたが、「そうか…」と少し残念そうにしながらも納得したように頷いた。
「あんた達のことは嫌いじゃねェからな!」
「!」
嫌いじゃねェ……?
立ち上がったクザンはヤヒロから放たれた言葉に思わず目を丸くして固まった。
「海軍の人達は基本的に嫌いじゃねェから。クザンさんは正義を多角的に見て取れる人だと思う。ガープさんはルフィの爺ちゃんでエースの恩人だし、快活で豪胆で、一度は酒の席で話をしてみたいって思える人だ。センゴクさんだって顔を突き合わせて話せば色々な話が聞けそうだしな。スモーカー大佐やたしぎとも話をしてみてェって思うし、ボルサリーノさんだって口調とか聞いてたら身分関係無しで話せるかもって思うし」
「……」
「あァ、けど真っ赤な糞マグマ野郎は、出会ったら速攻喧嘩だろうな」
そこだけ残念かなとヤヒロはニシシと笑った。
クザンは自分の耳を疑った。あれだけ戦った相手に対して何の恨みつらみも無い。それどころか好意を寄せている発言に面食らってしまった。
ハハ……、とんでもない女ってのは強さじゃ無いな。器が違う。違い過ぎる。
額に手を当てて天を仰いだクザンは、「今の言葉、そのまま報告しようじゃないの」と言って笑みを零した。
「あ、何か必要があったら声を掛けてくれよ?」
「何?」
「海賊討伐じゃなくてだな、何かこう……そう、ボランティア! 修復修繕とか人手が足りないなら手を貸すってこと。白ひげ海賊団の船に伝書鳩か何かで連絡をくれたら行くからさ!」
あり得ないことをサラリと言ったヤヒロにクザンは目を丸くした。あまりに当たり前のように言うもので、マルコでさえも呆気に取られて二の句が継げないでいる。
「これからどうしようかと思ってさ。白ひげ海賊団の一員として航海はするつもりだけど、偶には外の空気も吸いたいわけだ。だから時々船から離れて自由行動したりなんかして、色々な所で色々な奴と会って話したりしたいわけ。んで、人助けじゃねェけど、働くのは嫌いじゃねェし、バイト程度の扱いで良いから呼んでくれりゃあ手伝いに行くって話だ」
「そ、そんな海賊……聞いたことねェよい」
「だからだよ」
「!」
「誰もやらない、誰もしたことがないことをするのは結構楽しいぞ? そんな変な海賊がいても面白ェじゃん!」
「変な海賊ねェ……」
呆れたように溜息混じりにマルコは呟いた。だが、それはヤヒロらしい発想だともマルコは思う。
「くっ…、ククッ…ハーハッハッハッ!」
クザンは額と腹に手を当てて盛大に笑った。
「あんたの器のデカさは世界一だな。その内、この世界の頂点に立っちまう存在になっちゃったりするかもなァ。よし、面白ついでに良いことを教えてやろう。この世界には『天竜人』という奴らが存在するんだが――」
「ちょっ、待て! 青雉!」
クザンの発言にハッとしたマルコは咄嗟に口を挟んだ。しかし、「天竜人?」と首を傾げたヤヒロはマルコの服を引っ張って話を聞こうと耳を傾ける。
「この世界の頂点に立っている奴らだ。世界政府も海軍も天竜人には下手に逆らえない連中でな。もし、あんたが天竜人の連中に会ったら世界問題へと発展するか、天竜人をあっさり蹂躙してしまうか、どっちかだろう」
「ふぅん……」
口元に手を当てて未だに「クックッ」と笑いながらクザンは楽し気に話した。それに眉間に皺を寄せて怪訝な表情を浮かべるマルコはクザンを睨み付けている。
「そう睨むな不死鳥。あくまで可能性を言ったまでだ」
「てめェは何を考えてやがんだよい……」
「おれは、今じゃ『だらけきった正義』を通してんだが……、これでも以前は『燃え上がる正義』を掲げていた身でねェ。この世界の理不尽さに抗いたい気持ちがあるってわけ」
クザンはそう言うと欄干へと飛び乗って大海を見つめた。
「この世界は理不尽に満ち溢れた世界だ。あんたがこの世界でこの先をどのようにして生きて渡るのか、おれはそれを見てみたいと思う」
クザンはクツリと笑うと振り返ってヤヒロとマルコに視線を向けた。
「じゃあな」
そう言ってクザンは自転車へと飛び降りて跨ると再びキコキコと大海原へと漕ぎ出した。ヤヒロは欄干へと駆け寄って去って行くクザンの後姿を見つめた。
「赤いマグマ野郎に伝えてくれ!!」
「ん?」
「人の上に立つってェのは、その下の奴らのケツ全てを拭う覚悟がいる! 一人一人の尻拭いを率先してやんのが頭張る奴の仕事だ! 偉そうに力と権力を振り翳して命令だけしたって、人は動いても人の心までは動かせねェんだぞってな!」
「ハハ、了解……」
それをあの人が受け入れるかは……まァ、良いか。と、クザンは手をヒラヒラと振って了解の合図を送って去って行った。
ヤヒロは大声を出した後、超スローモーションな動きへと変わって振り向き、マルコに縋るようにしてヨロヨロとして倒れ込んだ。
「調子扱いて叫んだら……痛ェェェェッ!!」
「はァ……、こりゃあ傷が開いたな」
本日、快晴。
真っ青な空とそれを映し出す真っ青な海の真ん中で、ヤヒロの悲痛な叫びが木霊した。
勧 誘
【〆栞】