08
歓迎の宴にて――
白ひげ海賊団に娘ができたと喜びの声を上げる強面で厳ついおっさん連中を前に、ヤヒロは唖然としていた。
見た目は確かに厳つい海賊と言えばそうなのだが、次から次へと自分の所に来るおっさん達は、目尻を下げて、頬を赤く染めて、気恥ずかしそうに声を掛けて来るその様は――威厳の欠片も無いわけで。
「ヤヒロってんだな! おれは3番隊でなァ――」
「おれは4番隊で、いつも厨房にいるんだけど――」
「おれは13番隊の――」
仮にも世界最強と謳われているはずの『白ひげ海賊団』の一員だろうに、海賊って感じがしないのは何故だと、ヤヒロの中の『海賊』のイメージがどんどん塗り替えられていく。
バイトを掛け持ちして生活をしていたヤヒロは居酒屋のバイトもしていた。その居酒屋の常連のおっさん達と仲が良かったのもあって、目の前の強面の男達が常連のおっさん達とどうにも被って見えてしまうのだ。
何か、可愛いな――なんて、挨拶を交わしていく内に自然と笑みを零したヤヒロを目撃した強面のおっさん達は、目を丸くしたかと思うと顔を真っ赤に染めて歓喜の声を上げた。
「「「おれ達の妹は凄ェ可愛い!!」」」
「ちょっ!? 待て! それは止めろ! 恥ずい!!」
「「「照れてんのも堪んない!!」」」
「ッ〜〜!?」
この後日、白ひげ海賊団には早速『ヤヒロファンクラブ』なるものが出来たとか何とか――。
◇
大いに盛り上がった宴も終盤に差し掛かると、いつしか甲板には酔い潰れてそのまま眠り落ちる者達で溢れ返っていた。その中でマルコはヤヒロの姿を探し回っていた。
男所帯の中で女が一人。
例えヤヒロが『強い』と言ったところで、男と女が寝床を共にするなど危険極まりないのは確かだ。長い航行の中で溜まりに溜まった男からすれば、どんな女であれ『異性』が目の前にいれば性対象にされるのは明らかだ。それが例えオヤジの娘であり、自分達の妹であったとしてもだ。
流石に飲み潰れてるだろうと辺りを見回していたのだが、ぐが〜、ぐご〜、と大イビキを掻いて眠る者達の中にもヤヒロらしき姿は一向に見当たらない。
「どこに行きやがったんだ……」
まさか連れ込まれてなんてこと無いだろうなと思いつつ船尾の方にふと視線を向けると、未だに酒盛りを続ける者達の影があった。
まだ飲んでるのかとマルコは船尾へ足を向けた。そして、近付くに連れて声がはっきりと聞こえて来て――。
「まさか……」
宴が始まってからかなりの時間が経っている。この船の酒豪共が酔い潰れて眠っている中で、未だに飲み続けているのだとしたら末恐ろしい酒豪だ。
船尾に向かう角から顔を覗かせると積荷や樽等の陰に隠れて姿が見えない。その壁を越えた先に広がる甲板には、案の定マルコの予想した通りにヤヒロがいて、未だに酒を飲み続けていた。そして、ヤヒロと共に酒を酌み交わしてゲラゲラと笑う男を見て、マジかよいと眩暈を引き起こしそうになった。
「お! マルコー!!」
「マルコ! お前もまだまだ飲めそうじゃねェか! 付き合えや!!」
「お前ら……」
「これ美味っ!? この酒、マジでイケる!!」
「お? この酒の味もわかるのか? てェした妹だぜ! お前とはウマが合いそうだ!!」
「おっちゃん、色々な酒を持ってんだな〜」
「おうよ! 酒のことならおれに任せろ! ガッハッハッ!」
お互いの肩に腕を回して酒の話で盛り上がるヤヒロとラクヨウ。その側ではエースが完全に酔い潰れて大きな鼻提灯を掲げて眠っている。
「おー……マルコ……」
「ッ!?」
直ぐ後ろから声を掛けられて振り向いたマルコは、積荷を背にぐったりとしているサッチに気付いて目を丸くした。
サッチの側に歩み寄って膝を折ったマルコは、これはどういう状況だと訊こうとしたが、サッチは「あー」だの「う”−」だの、気持ちが悪そうに呻き声を上げる始末で。
「うぐっ……気持ち悪ィ……」
「飲み過ぎだよい」
「あ”ー……、いや、も、ヤヒロちゃんはマジで凄ェ……。ありゃあ生来の飲兵衛って奴だ」
「まさかラクヨウと意気投合してるとは思ってもみなかったよい」
白ひげ海賊団7番隊隊長のラクヨウは、この船に乗る者達の中でも一、二を争う大酒豪だ。強面で性格も直情的で豪胆さを誇る男であり、基本的には女と共に酒を飲むのを嫌う性質だ。
「あ”ァ”!? 女なんざ夜の寝床にいりゃあ良いだけだ!! 酒の席に顔出してんじゃねェ!!」
いつかどこかの島の酒場で娼婦相手に怒鳴り散らしていたのをマルコは覚えている。しかし――
「ひっく! う〜……」
「ラクヨウのおっちゃん、空になってんよ?」
「お、おう、そういうお前も空……って、さっきの酒瓶をもう空けちまったのか!?」
「あ、うん。美味かったから全部飲んじゃったよ。他にもう無ェの?」
「ハッ!? ……ぐっ、も、無理……」
どさ……――。
「あー、潰れちまった」
「う”−ん…………」
さっきまでの元気は何だったのか。どうやらただの空元気だったようで、潰されまいと必死に耐えていたのだろう。それでも、やはり限界を超えたラクヨウはとうとう倒れてしまった。顔を真っ赤にして渦を巻く目。完全に酔いが回ったようだ。
「あ”ー、あのラクヨウを潰すとかマジで信じらんねェ」
どんだけ酒豪なのよと青い顔をしたまま感嘆の声を漏らして小さく笑ったサッチは、「うぷっ!」と口元を手で押さえた。慌てて船縁へと向かって欄干の下から顔を出すと海に向けて嘔吐した。
「大丈夫かよい……」
溜息を吐いたマルコがサッチの背中を軽く摩ってやると「わ、悪ィ…」とサッチが瀕死の声を漏らして謝罪した。その時、背後に人が近付く気配を感じて振り向いたマルコは、その人物を見るなり顔を顰めた。
「ヤヒロ、宴はもう終わりだ」
「んー……」
「部屋は用意してっからもう寝ろよい」
サッチの背中を擦りながらそう言ったマルコだったが、マルコの顔をじっと見つめるヤヒロは途端に笑顔を浮かべた。
「まだ元気そうだな」
「は?」
「よし! マルコ! 一緒に飲もう!!」
「は!? バカ言うない!! もう何時だと思ってんだよい!?」
拒否するマルコの言葉を無視したヤヒロは、サッチの背中を擦るマルコの腕を掴んで強引に引っ張った。そして、まだ酒が残っている酒瓶が集まる場所にマルコを座らせて隣に腰を下ろした。
「酷ェ……、うぷっ! レロレロレロ……」
残されたサッチは背中を摩ってくれる人を奪われて恨めし気にヤヒロを睨んだが、再び船外に向けてリバースを繰り返した。
「ヤヒロ、まだ飲む気かよい」
「マルコと飲んでなかったからな。話し相手のいない一人酒ってのは悪い酒だ。折角飲むなら相手がいて楽しい酒にしねェと、この酒達も可哀想だろ?」
「そ、そりゃあ……、じゃねェよい。そうじゃなくて、」
「皆は直ぐに潰れちまったからさ。海賊なのに案外酒に弱いんだなって思ってたけど」
マルコは強いんだな――と、笑いながらジョッキに酒を注ぐヤヒロに、マルコは、いや、お前が強過ぎんだろいと胸の内でツッコんだ。
軽く溜息を吐いたマルコは、ヤヒロが自分の持つジョッキに酒を注ごうとする手を止めて酒瓶を奪った。
「あ、何して」
「ほらよい」
「――あ、そっか」
マルコがヤヒロの持つジョッキに酒を注いでやるとヤヒロは嬉しそうに笑った。
「ありがとな」
礼を口にするヤヒロに口端を上げて笑みを浮かべたマルコは、ジョッキを高々と挙げるヤヒロに合わせて自分のジョッキを挙げた。
「乾杯」
「乾杯!」
コツン!
実に楽しそうに酒を飲んで上機嫌に笑うヤヒロを見つめながらマルコは酒を呷った。そして、船長室で泣いていた顔をふと思い出した。普段はそう簡単に泣いたりしねェんだろうなと思うと、この元気さも案外無理したものかもしれない。
「ヤヒロ、あんま無理すんなよい」
「ん?」
「気を張ってんじゃねェのか?」
「……」
飲む手をピタリと止めたヤヒロは、マルコから視線を外すと頭を軽くポリポリと掻いて苦笑を浮かべた。
「何か……、マルコってやっぱり凄ェな」
「急に何だ?」
「この大所帯の纏め役を務めるだけあるな〜って思って」
感心してんだとヤヒロは笑って酒を呷った。
「おれとしてはヤヒロに驚かされっぱなしだ」
「そうなのか? そりゃ何で?」
「こんな大所帯の男共を前に堂々と挨拶する姿にまず唖然としたよい」
マルコはそう言いながら笑って酒を呷った。
〜〜〜〜〜
「グラララッ! 聞け野郎共! 今日からおれの娘になったヤヒロだ! そして、お前達にとって初めての妹だ! 喜びやがれ!!」
「「「うおおっ!!」」」
「ヤヒロ、挨拶してやれ」
「わかった。あー……、コホン、今日からオヤジの娘になったマジマヤヒロだ! わからねェことだらけで不出来な妹で皆には色々と迷惑を掛けちまうこともあるかもしんねェけど、宜しく頼む!」
「「「うおおっ!! 女だァァァァ!!」」」
「あーそうそう、私を襲いたい奴は遠慮しないでどんどん襲いに来い。問答無用でてめェらの玉ァ潰してやっからよ!」
にっこり
「「「う……うおおっ!! 妹だァァァ!!」」」
えェェっ!?
何この女!?
マジで怖ェんですけど!?
「ヤヒロちゃん、それはマジ勘弁だわ……」
「……ょぃ」
ヤヒロの挨拶は甲板にいる男達全員に一瞬で恐怖の底へと突き落した。それはオヤジも然りだったようで、頬を引き攣らせながら軽く汗を流していた。更にサッチや他の隊長連中達も同じで、各々自分の大事な息子に痛みを感じたのか、咄嗟に庇う仕草をしているのをマルコは見た。かく言う自分もそうだったのだが――。
〜〜〜〜〜
あの挨拶は本当にどうかと思うよい……と、マルコはポツリと呟いた。
「何か言ったか?」
「い、いや、何も」
「なァ」
「何だい……?」
急にマルコの顔を覗き込むヤヒロに、ジョッキを傾けて酒を呷りながらマルコは眉を顰めた。お互いの視線が合うと途端にヤヒロはニヤリと笑みを浮かべて言った。
「マルコってさ、モテるだろ?」
「んぐっ!? ごほっ! げほっ!!」
思いもしない言葉に、マルコは思わず大きく噎せた。
「大人の余裕っての? 私から見てもイイ男だと思ってさ! あんまりマルコみたいなタイプの男が周りにいなかったから新鮮に感じんだよなァ」
酒を噴き出して濡れた口元を手で拭うマルコに、ケタケタと笑いながらヤヒロは酒瓶を傾けてジョッキに酒を注いだ。
「ヤヒロ……」
「おう」
「おれを口説いてんのか?」
「んー?」
「口説いてんだろい?」
「え……?」
笑いながら酒を飲んでいたヤヒロは、マルコの言葉に疑問を持って手を止めた。目をパチクリさせて顔を向けるとマルコがニヤリと笑みを浮かべている。
「おれは歓迎だよい。何なら今直ぐにでも部屋に行ってヤるかい?」
「は? や、やるって何を?」
「ヤるっつったら一つだろ。おれはお前となら喜んでセックスしてやるよい」
「ごふっ!? ゴホッ! ゲホッ! せっ、セック……」
底意地の悪い笑みを浮かべているマルコに顔を真っ赤にしたヤヒロは口をパクパクと開閉を繰り返した。
「ぷっ、ククッ…くはっ! ハハハハッ!!」
ヤヒロの反応に堪らず噴き出したマルコは腹を抱えて笑い出した。
「面白ェ反応だなヤヒロ!」
「て、てめェ、マルコ!!」
「ただの冗談だよい!」
「じょ、冗談にも程があるだろ!?」
「半分はマジなんだけどよい。お前が良いなら」
「んなっ!?」
「あんな売り言葉を言っていた割には本気の色恋話は苦手かよい。ククッ……。あ、まさか男の経験が全く無ェとか?」
「ばっ!? ばばばばバカ言うんじゃねェ! ひ、一人やふふ二人はいいいたからな!」
顔を赤くしながらヤヒロが声を張って反論するとマルコは片眉と口端を上げた笑みを浮かべた。
「へェ、そうかい。初めてじゃねェなら多少強引にでも良いわけだ」
「は!?」
「ククッ! ハハハハッ!! 耳まで赤ェよいヤヒロ!!」
「よ、酔ってんだァァァ!!」
ヤヒロは声を張り上げてマルコの肩をバシバシと叩いた。
「ハハッ! 痛ェよい!」
顔を赤くして怒るヤヒロの頭に手を置いて宥めると「子供扱いすんじゃねェよ」とまた怒るヤヒロ。くつくつと喉を鳴らして「どうすりゃ機嫌を直してくれんだよい」とマルコは楽しげに笑って酒を飲んだ。
相変わらず顔色が悪いまま欄干を背凭れにしてぐったりしていたサッチは、まるで珍しいものを見たかのような表情を浮かべて見つめていた。そして、徐々に眉根を寄せる。
何? マルコの奴、ちょっとマジじゃねェの?
特定の女を決して作ることは無く、関係を求めてくる女は毛嫌いする。女を抱くにしても性の捌け口というだけで、事が終われば女を置いてさっさと立ち去り朝を共に迎えることは到底し得ない。旧知の仲であるサッチはマルコの女に対する価値観をよく知っていた。
そんな男が見せるヤヒロに対する目は、異性に対して本気になる男の目になっていることにサッチは気付いた――が、それよりも――マルコってそんな顔して笑えるんだなとも思った。
ヤヒロと会ってまだ数時間しか経っていないにも関わらず、宴が始まる数分前や宴が始まった直後、そして今と、時折見せるマルコの表情はどれも今まで見たことが無いものばかりで、マルコをよく知る者(サッチや他隊長数名)達は度々目を丸くして驚いた程だ。
「エロい」
「誰が?」
「マルコが」
「おれかよい」
「他に誰がいんだよ。フェロモンダダ漏れで、エロが過ぎるぞ」
「あァ、おれに惚れたのかよい」
「んぐっ!? ゲホッ! ゴホッ!!」
「ククッ……、おれからしてもヤヒロは十分イイ女だよい」
「よ、酔ってんな?」
「酔ってねェよい。おれも酒が強い方で、そう滅多に酔ったりしねェんだよい」
「う、嘘吐くなよ。どこをどう見てイイ女なんだか……。大体私は性格がその辺の男より男してるってよく言われんだぞ? マルコは見る目が無ェな」
「そう装ってるだけだろうよい」
「……」
残った酒を飲み干したヤヒロは腕で口元を拭った。視線はずっと甲板の木枠の繋ぎ目に止めたままでどこを見るともない。眉間に皺を寄せて少し不機嫌とも取れる表情だが、頬がほんのり赤く染められて、松明でユラユラと揺らめく明かりに照らされて浮かぶ横顔は、どことなく色っぽさを演出させて見える。
目を細めて見つめていたマルコは、クツリと笑みを浮かべると残った酒を一気に呷って飲み干してジョッキを置いた。
「もう十分飲んだ。ヤヒロ、そろそろ終わりだ」
「マルコ」
「何だ?」
「さっきの男の一人や二人って話だけど――」
ポツリと呟くように口を開いたヤヒロは真剣な顔をマルコに向けて真っ直ぐ目を見つめて言った。
あれは嘘だ。マルコが言った通り私は男の経験は無い。キスすらしたことも無い。私が欲しけりゃ私を本気で惚れさせてみせろ。それができれば、いつでも喜んでマルコとセックスしてやるよ――と。
「なっ!?」
まさかそんなことを堂々と言うとは思ってもみなかったマルコは、流石に目を丸くして呆気に取られて絶句した。
ニヤリ
「ッ!?」
マルコの反応にヤヒロは「してやったり」といった笑みを浮かべた。その途端にハッと我に返ったマルコは顔を赤くした。
「あはははっ! んだよ! マルコ!! 顔が真っ赤だぜ!!」
「ヤヒロ!!」
「やっべェ! 面白ェ!! マルコから一本取った気分だ!!」
ケラケラとお腹を抱えて笑うヤヒロに額に青筋を張って怒ったマルコはだったが、その表情は直ぐに失せて溜息を吐くとフッと微笑を零した。
「良かったよい」
「え?」
「少しは気が解れたかい?」
「ッ……!」
「もう酒も残ってねェし、寝るか。部屋に案内するから来いよい」
マルコはそう言って立ち上がるとヤヒロに手を差し伸べた。少し気まずい気持ちと気恥ずかしさと戸惑いを混同させた表情を浮かべたヤヒロは。顔をふいっと背けながらその手を取った。
意図も簡単に引き上げられると男と女の力の差をまざまざと見せつけられた気がして、ヤヒロは何とも言えない気持ちになった。
これが大人の男ってやつかもな。ミホークといいマルコといい、この世界の男ってパねェわ。……初めて男に惚れちまうかもな。
ヤヒロの中でミホークやマルコがそういう対象であるのかはまだ定かでは無い。だがもしそういう関係になったとしても嫌ではないと思う自分がいることに気付いた。
ふと自分の手に視線を向けたヤヒロは、先程引き上げてもらう際に繋がれた手が未だに繋がっていることに気付いた。
「ふあああっ!!?」
途端に声を上げたヤヒロは慌ててその手を振り解いた。振り向いたマルコは、ぜェはァと呼吸を乱しながら顔を真っ赤にして自分の手を見つめているヤヒロを見るなり「クッ……クククッ」と堪らず笑い出した。
「案外、既におれに脈有りだったりするかい?」
「ち、違ェし!! こ、こ、ここの部屋が私の部屋だな!?」
「そうだよい。おれの部屋は直ぐそこだ。何かあればいつでも来いよい」
「わ、わかった。あ、ありがとな」
「ゆっくり休めよい」
マルコはヤヒロの頭に手を置いてポンポンと軽く弾ませると「おやすみ」と告げた。
「お、おおおおお休み!!!」
酷く動揺したヤヒロは、慌てて部屋のドアを開けると素早く中に入ってドアを閉めた。口元を手で覆うとドアに背中を預けてズルズルとその場に座り込む。そして、もう片方の手でマルコが触れた頭を触ると身体の芯からカッと熱くなるのを感じた。
「いや、やべェって……。今のは無しだマジで」
ぬあああっと声を漏らしてベッドにダイブしたヤヒロは、枕を胸に抱いてゴロゴロと暫く悶絶するようにのた打ち回った。
あの笑顔で頭ぽんぽんは反則だ!!
〜〜〜〜〜
「ヤヒロちゃん! おれの嫁になってくれよ〜!」
「ヤヒロちゃんはイイ女だなァ。おじさんがもうちょい若けりゃ絶対落としてみせたのになァ」
「おっちゃんら酔い過ぎだぞ。酔っ払いの戯言にしか聞こえねェから程々にしろよ」
「おいおい、知らぬは本人ばかりってか? 可哀想だなァ〜。おれと今夜どうよヤヒロちゃん!」
「ヤヒロちゃんと夜を過ごしてみてェなァ。色っぺェんだろうなァ」
「不倫お断り」
「おれの愛人だぞ愛人!」
「何言ってんだ! おれのだおれの! ヤヒロちゃんはおれの恋人!」
「愛人も恋人も遠慮するってェの。そもそも私はものじゃねェから「おれの!」じゃねェよ」
「あー! ヤヒロちゃんと飲む酒は美味い!」
「ヤヒロちゃんはおれ達の天使だぜ! マジ天使!!」
「はいはい。おっちゃんら常連は有難いけど他の客に迷惑掛けんなよ」
「好きだ〜! ヤヒロちゃ〜ん!」
「おれも〜!! 愛してるぜ〜! ヤヒロちゃ〜ん!!」
「はいはい愛されてま〜す。店長、おかわり追加っす!」
〜〜〜〜〜
酒の勢いで常連のおっさん連中に絡まれることなんて山程あった。偶に一緒に酒を飲むこともあって本気で口説いてくるおっさんもいた。勿論、年の近い若い男からも積極的にアプローチされることもあった。しかし、全くと言っていい程に『ときめき』なんてものは無く、ドキドキすらしないのだから、適当にあしらうのが常だった。
それなのに――
この世界の男は、あっちの男とは比べ物にならん!! マジでパねェ!!
おっさん侮り難し
〜〜〜〜〜
キスすらしたことも無い。私が欲しけりゃ私を本気で惚れさせてみせろ。それができれば、いつでも喜んでマルコとセックスしてやるよ
〜〜〜〜〜
「うおおおっ……いらんこと言っちまった!!」
酒の力によるものなのか、勢いで挑発扱いちまったと、暫く悩みに悩んだヤヒロは眠るに眠れなかった。
そして――
目をギンギンにして荒んだ表情のヤヒロは、コンコンッとドアをノックする。
「……」
少し間を置いてガチャッとドアが開くと部屋の主が顔を出した。
「…………寝ろって、言っただろ」
眠たげな目を更に細くして不機嫌な表情を浮かべるマルコを見るなりヤヒロはポツリと言った。
「服着ろよおっさん」
細身のように見えても鍛え抜かれた筋肉がバランス良く付いた綺麗な上半身を晒すマルコは、自身の身体に視線を落として頭をカリカリと掻くとヤヒロに視線を戻した。
「で、何だよい」
「寝れん」
「……」
「だから、もうちょっとだけ酒に付き合ってくれ」
「お前な……」
ヤヒロの真意としては記憶が飛ぶ程に酒を飲みたかったのだろう。
「何なら添い寝してやろうか?」
「は!?」
「来いよい」
「ぬあっ!?」
ヤヒロの真意に何となく察しておきながら知らぬふりをしたマルコは、ヤヒロの手を引いて部屋に連れ込むとベッドに押し倒した。当然ヤヒロはパニックだ。目の前にはやたらと良い身体をしたエロいおっさんが自分を見下ろしているのだから。
「何もしねェから、大人しく寝ろ」
マルコはそう言うとヤヒロの隣にどさりと身を沈めた。そして、手慣れた様子で片腕をヤヒロの首下に通して腕枕をしてやると、もう片方の手をヤヒロの腰へと回してヤヒロの身体をギュッと抱き寄せた。
「余計に寝れんわ!!」
「よい、おれは寝る」
「!」
その「よい」は口癖の「よい」か!? それとも「良い」の「よい」か!? どっちだ!?
自分の状態よりも『よい』の意味が気になったヤヒロは、目の前の厚い胸板に刻まれた紺色の刺青を凝視しながら考え続けた。
あれ? 何か考えること間違ってねェか?
【 酒は人の思考も惑わす】
翌朝、ヤヒロはそれを大いに反省した。
「よい」の意味なんかどうだって良いじゃん! この状況を打破することを考えろよ!!
いつの間にか眠りに落ちていた。マルコの腕の中でぐっすり安眠してしまった。目が覚めると厚い胸板があって、顔を上げるとマルコの顔が間近にあって、青い目と至近距離で目が合い、ドキンッと心臓が大きく跳ねた。
「お、おおおはよう……ごごごございます」
「あァ、おはよいヤヒロ」
顔を赤くして戸惑うヤヒロに、マルコはニヤリと悪い笑みを浮かべた。それを見た途端にヤヒロはカッと目を見開いた。
「か、確信犯か貴様!!」
「んー? 何のことだい?」
顔を真っ赤にして叫んだヤヒロは、枕を引っ掴んでマルコにバフバフと叩き付けた。
「ハハ! 止めろよい!」
バカ野郎と怒るヤヒロを笑って宥めるマルコ。それはまるでベッドの上で戯れているようにしか見えない。そんな時に凄い勢いで部屋のドアが開けられた。
「おっす! マルコ〜! ヤヒロちゃんが部屋にいな…かっ……」
パタン……――。
勢い良くやって来たサッチは、笑顔のまま口をパクパクすると部屋に入って来ることは無く静かにドアを閉めて姿を消した。
上半身がサラシだけのヤヒロが、上半身が裸のマルコの上に乗っている姿は、運の悪いことに下半身が上手い具合にシーツで隠れていた為に、サッチから見た光景は男女の情事の真っ最中で、正に騎乗位状態に見えた。
静かに閉まるドアをポカンとして見ていたヤヒロとマルコは、お互いに顔を見合わせると二人して慌ててベッドから飛び出した。
「マルコとヤヒロちゃんが男と女の関係になっちまった!!」
勘違いしたサッチが大いに騒ぎ、それはあっという間にモビー・ディック号内に広がった。ヤヒロとマルコが二人してサッチを見つけるとフルボッコしたのは当然起こりうる話だった。
「当分、禁酒だよい」
「アイアイサ―……」
船長室で白ひげに事の仔細を説明する破目になった二人は、げんなりした様子で船長室から出て来た。
何か言われたのだろうか、二人して反省の弁を呟いたのだった。
〜〜〜〜〜
「グララララッ! 孫の顔が楽しみだ!」
「お、オヤジ!?」
「無い! それは無い!!」
「あ”ァ”!? 小童共が親に黙って不純行為たァ良い度胸してんじゃねェか!?」
「「びくぅっ!?」」
「孫の顔が楽しみだ。なァ、お前ェら」
「「よい!」」← ヤヒロ思わず釣られる
何それ!?
脅迫強制結婚!?
恐るべし海賊!!
怖いよ海賊!!
反省はどこまでも尽きなかった。
白ひげ海賊団に娘ができたと喜びの声を上げる強面で厳ついおっさん連中を前に、ヤヒロは唖然としていた。
見た目は確かに厳つい海賊と言えばそうなのだが、次から次へと自分の所に来るおっさん達は、目尻を下げて、頬を赤く染めて、気恥ずかしそうに声を掛けて来るその様は――威厳の欠片も無いわけで。
「ヤヒロってんだな! おれは3番隊でなァ――」
「おれは4番隊で、いつも厨房にいるんだけど――」
「おれは13番隊の――」
仮にも世界最強と謳われているはずの『白ひげ海賊団』の一員だろうに、海賊って感じがしないのは何故だと、ヤヒロの中の『海賊』のイメージがどんどん塗り替えられていく。
バイトを掛け持ちして生活をしていたヤヒロは居酒屋のバイトもしていた。その居酒屋の常連のおっさん達と仲が良かったのもあって、目の前の強面の男達が常連のおっさん達とどうにも被って見えてしまうのだ。
何か、可愛いな――なんて、挨拶を交わしていく内に自然と笑みを零したヤヒロを目撃した強面のおっさん達は、目を丸くしたかと思うと顔を真っ赤に染めて歓喜の声を上げた。
「「「おれ達の妹は凄ェ可愛い!!」」」
「ちょっ!? 待て! それは止めろ! 恥ずい!!」
「「「照れてんのも堪んない!!」」」
「ッ〜〜!?」
この後日、白ひげ海賊団には早速『ヤヒロファンクラブ』なるものが出来たとか何とか――。
◇
大いに盛り上がった宴も終盤に差し掛かると、いつしか甲板には酔い潰れてそのまま眠り落ちる者達で溢れ返っていた。その中でマルコはヤヒロの姿を探し回っていた。
男所帯の中で女が一人。
例えヤヒロが『強い』と言ったところで、男と女が寝床を共にするなど危険極まりないのは確かだ。長い航行の中で溜まりに溜まった男からすれば、どんな女であれ『異性』が目の前にいれば性対象にされるのは明らかだ。それが例えオヤジの娘であり、自分達の妹であったとしてもだ。
流石に飲み潰れてるだろうと辺りを見回していたのだが、ぐが〜、ぐご〜、と大イビキを掻いて眠る者達の中にもヤヒロらしき姿は一向に見当たらない。
「どこに行きやがったんだ……」
まさか連れ込まれてなんてこと無いだろうなと思いつつ船尾の方にふと視線を向けると、未だに酒盛りを続ける者達の影があった。
まだ飲んでるのかとマルコは船尾へ足を向けた。そして、近付くに連れて声がはっきりと聞こえて来て――。
「まさか……」
宴が始まってからかなりの時間が経っている。この船の酒豪共が酔い潰れて眠っている中で、未だに飲み続けているのだとしたら末恐ろしい酒豪だ。
船尾に向かう角から顔を覗かせると積荷や樽等の陰に隠れて姿が見えない。その壁を越えた先に広がる甲板には、案の定マルコの予想した通りにヤヒロがいて、未だに酒を飲み続けていた。そして、ヤヒロと共に酒を酌み交わしてゲラゲラと笑う男を見て、マジかよいと眩暈を引き起こしそうになった。
「お! マルコー!!」
「マルコ! お前もまだまだ飲めそうじゃねェか! 付き合えや!!」
「お前ら……」
「これ美味っ!? この酒、マジでイケる!!」
「お? この酒の味もわかるのか? てェした妹だぜ! お前とはウマが合いそうだ!!」
「おっちゃん、色々な酒を持ってんだな〜」
「おうよ! 酒のことならおれに任せろ! ガッハッハッ!」
お互いの肩に腕を回して酒の話で盛り上がるヤヒロとラクヨウ。その側ではエースが完全に酔い潰れて大きな鼻提灯を掲げて眠っている。
「おー……マルコ……」
「ッ!?」
直ぐ後ろから声を掛けられて振り向いたマルコは、積荷を背にぐったりとしているサッチに気付いて目を丸くした。
サッチの側に歩み寄って膝を折ったマルコは、これはどういう状況だと訊こうとしたが、サッチは「あー」だの「う”−」だの、気持ちが悪そうに呻き声を上げる始末で。
「うぐっ……気持ち悪ィ……」
「飲み過ぎだよい」
「あ”ー……、いや、も、ヤヒロちゃんはマジで凄ェ……。ありゃあ生来の飲兵衛って奴だ」
「まさかラクヨウと意気投合してるとは思ってもみなかったよい」
白ひげ海賊団7番隊隊長のラクヨウは、この船に乗る者達の中でも一、二を争う大酒豪だ。強面で性格も直情的で豪胆さを誇る男であり、基本的には女と共に酒を飲むのを嫌う性質だ。
「あ”ァ”!? 女なんざ夜の寝床にいりゃあ良いだけだ!! 酒の席に顔出してんじゃねェ!!」
いつかどこかの島の酒場で娼婦相手に怒鳴り散らしていたのをマルコは覚えている。しかし――
「ひっく! う〜……」
「ラクヨウのおっちゃん、空になってんよ?」
「お、おう、そういうお前も空……って、さっきの酒瓶をもう空けちまったのか!?」
「あ、うん。美味かったから全部飲んじゃったよ。他にもう無ェの?」
「ハッ!? ……ぐっ、も、無理……」
どさ……――。
「あー、潰れちまった」
「う”−ん…………」
さっきまでの元気は何だったのか。どうやらただの空元気だったようで、潰されまいと必死に耐えていたのだろう。それでも、やはり限界を超えたラクヨウはとうとう倒れてしまった。顔を真っ赤にして渦を巻く目。完全に酔いが回ったようだ。
「あ”ー、あのラクヨウを潰すとかマジで信じらんねェ」
どんだけ酒豪なのよと青い顔をしたまま感嘆の声を漏らして小さく笑ったサッチは、「うぷっ!」と口元を手で押さえた。慌てて船縁へと向かって欄干の下から顔を出すと海に向けて嘔吐した。
「大丈夫かよい……」
溜息を吐いたマルコがサッチの背中を軽く摩ってやると「わ、悪ィ…」とサッチが瀕死の声を漏らして謝罪した。その時、背後に人が近付く気配を感じて振り向いたマルコは、その人物を見るなり顔を顰めた。
「ヤヒロ、宴はもう終わりだ」
「んー……」
「部屋は用意してっからもう寝ろよい」
サッチの背中を擦りながらそう言ったマルコだったが、マルコの顔をじっと見つめるヤヒロは途端に笑顔を浮かべた。
「まだ元気そうだな」
「は?」
「よし! マルコ! 一緒に飲もう!!」
「は!? バカ言うない!! もう何時だと思ってんだよい!?」
拒否するマルコの言葉を無視したヤヒロは、サッチの背中を擦るマルコの腕を掴んで強引に引っ張った。そして、まだ酒が残っている酒瓶が集まる場所にマルコを座らせて隣に腰を下ろした。
「酷ェ……、うぷっ! レロレロレロ……」
残されたサッチは背中を摩ってくれる人を奪われて恨めし気にヤヒロを睨んだが、再び船外に向けてリバースを繰り返した。
「ヤヒロ、まだ飲む気かよい」
「マルコと飲んでなかったからな。話し相手のいない一人酒ってのは悪い酒だ。折角飲むなら相手がいて楽しい酒にしねェと、この酒達も可哀想だろ?」
「そ、そりゃあ……、じゃねェよい。そうじゃなくて、」
「皆は直ぐに潰れちまったからさ。海賊なのに案外酒に弱いんだなって思ってたけど」
マルコは強いんだな――と、笑いながらジョッキに酒を注ぐヤヒロに、マルコは、いや、お前が強過ぎんだろいと胸の内でツッコんだ。
軽く溜息を吐いたマルコは、ヤヒロが自分の持つジョッキに酒を注ごうとする手を止めて酒瓶を奪った。
「あ、何して」
「ほらよい」
「――あ、そっか」
マルコがヤヒロの持つジョッキに酒を注いでやるとヤヒロは嬉しそうに笑った。
「ありがとな」
礼を口にするヤヒロに口端を上げて笑みを浮かべたマルコは、ジョッキを高々と挙げるヤヒロに合わせて自分のジョッキを挙げた。
「乾杯」
「乾杯!」
コツン!
実に楽しそうに酒を飲んで上機嫌に笑うヤヒロを見つめながらマルコは酒を呷った。そして、船長室で泣いていた顔をふと思い出した。普段はそう簡単に泣いたりしねェんだろうなと思うと、この元気さも案外無理したものかもしれない。
「ヤヒロ、あんま無理すんなよい」
「ん?」
「気を張ってんじゃねェのか?」
「……」
飲む手をピタリと止めたヤヒロは、マルコから視線を外すと頭を軽くポリポリと掻いて苦笑を浮かべた。
「何か……、マルコってやっぱり凄ェな」
「急に何だ?」
「この大所帯の纏め役を務めるだけあるな〜って思って」
感心してんだとヤヒロは笑って酒を呷った。
「おれとしてはヤヒロに驚かされっぱなしだ」
「そうなのか? そりゃ何で?」
「こんな大所帯の男共を前に堂々と挨拶する姿にまず唖然としたよい」
マルコはそう言いながら笑って酒を呷った。
〜〜〜〜〜
「グラララッ! 聞け野郎共! 今日からおれの娘になったヤヒロだ! そして、お前達にとって初めての妹だ! 喜びやがれ!!」
「「「うおおっ!!」」」
「ヤヒロ、挨拶してやれ」
「わかった。あー……、コホン、今日からオヤジの娘になったマジマヤヒロだ! わからねェことだらけで不出来な妹で皆には色々と迷惑を掛けちまうこともあるかもしんねェけど、宜しく頼む!」
「「「うおおっ!! 女だァァァァ!!」」」
「あーそうそう、私を襲いたい奴は遠慮しないでどんどん襲いに来い。問答無用でてめェらの玉ァ潰してやっからよ!」
にっこり
「「「う……うおおっ!! 妹だァァァ!!」」」
えェェっ!?
何この女!?
マジで怖ェんですけど!?
「ヤヒロちゃん、それはマジ勘弁だわ……」
「……ょぃ」
ヤヒロの挨拶は甲板にいる男達全員に一瞬で恐怖の底へと突き落した。それはオヤジも然りだったようで、頬を引き攣らせながら軽く汗を流していた。更にサッチや他の隊長連中達も同じで、各々自分の大事な息子に痛みを感じたのか、咄嗟に庇う仕草をしているのをマルコは見た。かく言う自分もそうだったのだが――。
〜〜〜〜〜
あの挨拶は本当にどうかと思うよい……と、マルコはポツリと呟いた。
「何か言ったか?」
「い、いや、何も」
「なァ」
「何だい……?」
急にマルコの顔を覗き込むヤヒロに、ジョッキを傾けて酒を呷りながらマルコは眉を顰めた。お互いの視線が合うと途端にヤヒロはニヤリと笑みを浮かべて言った。
「マルコってさ、モテるだろ?」
「んぐっ!? ごほっ! げほっ!!」
思いもしない言葉に、マルコは思わず大きく噎せた。
「大人の余裕っての? 私から見てもイイ男だと思ってさ! あんまりマルコみたいなタイプの男が周りにいなかったから新鮮に感じんだよなァ」
酒を噴き出して濡れた口元を手で拭うマルコに、ケタケタと笑いながらヤヒロは酒瓶を傾けてジョッキに酒を注いだ。
「ヤヒロ……」
「おう」
「おれを口説いてんのか?」
「んー?」
「口説いてんだろい?」
「え……?」
笑いながら酒を飲んでいたヤヒロは、マルコの言葉に疑問を持って手を止めた。目をパチクリさせて顔を向けるとマルコがニヤリと笑みを浮かべている。
「おれは歓迎だよい。何なら今直ぐにでも部屋に行ってヤるかい?」
「は? や、やるって何を?」
「ヤるっつったら一つだろ。おれはお前となら喜んでセックスしてやるよい」
「ごふっ!? ゴホッ! ゲホッ! せっ、セック……」
底意地の悪い笑みを浮かべているマルコに顔を真っ赤にしたヤヒロは口をパクパクと開閉を繰り返した。
「ぷっ、ククッ…くはっ! ハハハハッ!!」
ヤヒロの反応に堪らず噴き出したマルコは腹を抱えて笑い出した。
「面白ェ反応だなヤヒロ!」
「て、てめェ、マルコ!!」
「ただの冗談だよい!」
「じょ、冗談にも程があるだろ!?」
「半分はマジなんだけどよい。お前が良いなら」
「んなっ!?」
「あんな売り言葉を言っていた割には本気の色恋話は苦手かよい。ククッ……。あ、まさか男の経験が全く無ェとか?」
「ばっ!? ばばばばバカ言うんじゃねェ! ひ、一人やふふ二人はいいいたからな!」
顔を赤くしながらヤヒロが声を張って反論するとマルコは片眉と口端を上げた笑みを浮かべた。
「へェ、そうかい。初めてじゃねェなら多少強引にでも良いわけだ」
「は!?」
「ククッ! ハハハハッ!! 耳まで赤ェよいヤヒロ!!」
「よ、酔ってんだァァァ!!」
ヤヒロは声を張り上げてマルコの肩をバシバシと叩いた。
「ハハッ! 痛ェよい!」
顔を赤くして怒るヤヒロの頭に手を置いて宥めると「子供扱いすんじゃねェよ」とまた怒るヤヒロ。くつくつと喉を鳴らして「どうすりゃ機嫌を直してくれんだよい」とマルコは楽しげに笑って酒を飲んだ。
相変わらず顔色が悪いまま欄干を背凭れにしてぐったりしていたサッチは、まるで珍しいものを見たかのような表情を浮かべて見つめていた。そして、徐々に眉根を寄せる。
何? マルコの奴、ちょっとマジじゃねェの?
特定の女を決して作ることは無く、関係を求めてくる女は毛嫌いする。女を抱くにしても性の捌け口というだけで、事が終われば女を置いてさっさと立ち去り朝を共に迎えることは到底し得ない。旧知の仲であるサッチはマルコの女に対する価値観をよく知っていた。
そんな男が見せるヤヒロに対する目は、異性に対して本気になる男の目になっていることにサッチは気付いた――が、それよりも――マルコってそんな顔して笑えるんだなとも思った。
ヤヒロと会ってまだ数時間しか経っていないにも関わらず、宴が始まる数分前や宴が始まった直後、そして今と、時折見せるマルコの表情はどれも今まで見たことが無いものばかりで、マルコをよく知る者(サッチや他隊長数名)達は度々目を丸くして驚いた程だ。
「エロい」
「誰が?」
「マルコが」
「おれかよい」
「他に誰がいんだよ。フェロモンダダ漏れで、エロが過ぎるぞ」
「あァ、おれに惚れたのかよい」
「んぐっ!? ゲホッ! ゴホッ!!」
「ククッ……、おれからしてもヤヒロは十分イイ女だよい」
「よ、酔ってんな?」
「酔ってねェよい。おれも酒が強い方で、そう滅多に酔ったりしねェんだよい」
「う、嘘吐くなよ。どこをどう見てイイ女なんだか……。大体私は性格がその辺の男より男してるってよく言われんだぞ? マルコは見る目が無ェな」
「そう装ってるだけだろうよい」
「……」
残った酒を飲み干したヤヒロは腕で口元を拭った。視線はずっと甲板の木枠の繋ぎ目に止めたままでどこを見るともない。眉間に皺を寄せて少し不機嫌とも取れる表情だが、頬がほんのり赤く染められて、松明でユラユラと揺らめく明かりに照らされて浮かぶ横顔は、どことなく色っぽさを演出させて見える。
目を細めて見つめていたマルコは、クツリと笑みを浮かべると残った酒を一気に呷って飲み干してジョッキを置いた。
「もう十分飲んだ。ヤヒロ、そろそろ終わりだ」
「マルコ」
「何だ?」
「さっきの男の一人や二人って話だけど――」
ポツリと呟くように口を開いたヤヒロは真剣な顔をマルコに向けて真っ直ぐ目を見つめて言った。
あれは嘘だ。マルコが言った通り私は男の経験は無い。キスすらしたことも無い。私が欲しけりゃ私を本気で惚れさせてみせろ。それができれば、いつでも喜んでマルコとセックスしてやるよ――と。
「なっ!?」
まさかそんなことを堂々と言うとは思ってもみなかったマルコは、流石に目を丸くして呆気に取られて絶句した。
ニヤリ
「ッ!?」
マルコの反応にヤヒロは「してやったり」といった笑みを浮かべた。その途端にハッと我に返ったマルコは顔を赤くした。
「あはははっ! んだよ! マルコ!! 顔が真っ赤だぜ!!」
「ヤヒロ!!」
「やっべェ! 面白ェ!! マルコから一本取った気分だ!!」
ケラケラとお腹を抱えて笑うヤヒロに額に青筋を張って怒ったマルコはだったが、その表情は直ぐに失せて溜息を吐くとフッと微笑を零した。
「良かったよい」
「え?」
「少しは気が解れたかい?」
「ッ……!」
「もう酒も残ってねェし、寝るか。部屋に案内するから来いよい」
マルコはそう言って立ち上がるとヤヒロに手を差し伸べた。少し気まずい気持ちと気恥ずかしさと戸惑いを混同させた表情を浮かべたヤヒロは。顔をふいっと背けながらその手を取った。
意図も簡単に引き上げられると男と女の力の差をまざまざと見せつけられた気がして、ヤヒロは何とも言えない気持ちになった。
これが大人の男ってやつかもな。ミホークといいマルコといい、この世界の男ってパねェわ。……初めて男に惚れちまうかもな。
ヤヒロの中でミホークやマルコがそういう対象であるのかはまだ定かでは無い。だがもしそういう関係になったとしても嫌ではないと思う自分がいることに気付いた。
ふと自分の手に視線を向けたヤヒロは、先程引き上げてもらう際に繋がれた手が未だに繋がっていることに気付いた。
「ふあああっ!!?」
途端に声を上げたヤヒロは慌ててその手を振り解いた。振り向いたマルコは、ぜェはァと呼吸を乱しながら顔を真っ赤にして自分の手を見つめているヤヒロを見るなり「クッ……クククッ」と堪らず笑い出した。
「案外、既におれに脈有りだったりするかい?」
「ち、違ェし!! こ、こ、ここの部屋が私の部屋だな!?」
「そうだよい。おれの部屋は直ぐそこだ。何かあればいつでも来いよい」
「わ、わかった。あ、ありがとな」
「ゆっくり休めよい」
マルコはヤヒロの頭に手を置いてポンポンと軽く弾ませると「おやすみ」と告げた。
「お、おおおおお休み!!!」
酷く動揺したヤヒロは、慌てて部屋のドアを開けると素早く中に入ってドアを閉めた。口元を手で覆うとドアに背中を預けてズルズルとその場に座り込む。そして、もう片方の手でマルコが触れた頭を触ると身体の芯からカッと熱くなるのを感じた。
「いや、やべェって……。今のは無しだマジで」
ぬあああっと声を漏らしてベッドにダイブしたヤヒロは、枕を胸に抱いてゴロゴロと暫く悶絶するようにのた打ち回った。
あの笑顔で頭ぽんぽんは反則だ!!
〜〜〜〜〜
「ヤヒロちゃん! おれの嫁になってくれよ〜!」
「ヤヒロちゃんはイイ女だなァ。おじさんがもうちょい若けりゃ絶対落としてみせたのになァ」
「おっちゃんら酔い過ぎだぞ。酔っ払いの戯言にしか聞こえねェから程々にしろよ」
「おいおい、知らぬは本人ばかりってか? 可哀想だなァ〜。おれと今夜どうよヤヒロちゃん!」
「ヤヒロちゃんと夜を過ごしてみてェなァ。色っぺェんだろうなァ」
「不倫お断り」
「おれの愛人だぞ愛人!」
「何言ってんだ! おれのだおれの! ヤヒロちゃんはおれの恋人!」
「愛人も恋人も遠慮するってェの。そもそも私はものじゃねェから「おれの!」じゃねェよ」
「あー! ヤヒロちゃんと飲む酒は美味い!」
「ヤヒロちゃんはおれ達の天使だぜ! マジ天使!!」
「はいはい。おっちゃんら常連は有難いけど他の客に迷惑掛けんなよ」
「好きだ〜! ヤヒロちゃ〜ん!」
「おれも〜!! 愛してるぜ〜! ヤヒロちゃ〜ん!!」
「はいはい愛されてま〜す。店長、おかわり追加っす!」
〜〜〜〜〜
酒の勢いで常連のおっさん連中に絡まれることなんて山程あった。偶に一緒に酒を飲むこともあって本気で口説いてくるおっさんもいた。勿論、年の近い若い男からも積極的にアプローチされることもあった。しかし、全くと言っていい程に『ときめき』なんてものは無く、ドキドキすらしないのだから、適当にあしらうのが常だった。
それなのに――
この世界の男は、あっちの男とは比べ物にならん!! マジでパねェ!!
おっさん侮り難し
〜〜〜〜〜
キスすらしたことも無い。私が欲しけりゃ私を本気で惚れさせてみせろ。それができれば、いつでも喜んでマルコとセックスしてやるよ
〜〜〜〜〜
「うおおおっ……いらんこと言っちまった!!」
酒の力によるものなのか、勢いで挑発扱いちまったと、暫く悩みに悩んだヤヒロは眠るに眠れなかった。
そして――
目をギンギンにして荒んだ表情のヤヒロは、コンコンッとドアをノックする。
「……」
少し間を置いてガチャッとドアが開くと部屋の主が顔を出した。
「…………寝ろって、言っただろ」
眠たげな目を更に細くして不機嫌な表情を浮かべるマルコを見るなりヤヒロはポツリと言った。
「服着ろよおっさん」
細身のように見えても鍛え抜かれた筋肉がバランス良く付いた綺麗な上半身を晒すマルコは、自身の身体に視線を落として頭をカリカリと掻くとヤヒロに視線を戻した。
「で、何だよい」
「寝れん」
「……」
「だから、もうちょっとだけ酒に付き合ってくれ」
「お前な……」
ヤヒロの真意としては記憶が飛ぶ程に酒を飲みたかったのだろう。
「何なら添い寝してやろうか?」
「は!?」
「来いよい」
「ぬあっ!?」
ヤヒロの真意に何となく察しておきながら知らぬふりをしたマルコは、ヤヒロの手を引いて部屋に連れ込むとベッドに押し倒した。当然ヤヒロはパニックだ。目の前にはやたらと良い身体をしたエロいおっさんが自分を見下ろしているのだから。
「何もしねェから、大人しく寝ろ」
マルコはそう言うとヤヒロの隣にどさりと身を沈めた。そして、手慣れた様子で片腕をヤヒロの首下に通して腕枕をしてやると、もう片方の手をヤヒロの腰へと回してヤヒロの身体をギュッと抱き寄せた。
「余計に寝れんわ!!」
「よい、おれは寝る」
「!」
その「よい」は口癖の「よい」か!? それとも「良い」の「よい」か!? どっちだ!?
自分の状態よりも『よい』の意味が気になったヤヒロは、目の前の厚い胸板に刻まれた紺色の刺青を凝視しながら考え続けた。
あれ? 何か考えること間違ってねェか?
【 酒は人の思考も惑わす】
翌朝、ヤヒロはそれを大いに反省した。
「よい」の意味なんかどうだって良いじゃん! この状況を打破することを考えろよ!!
いつの間にか眠りに落ちていた。マルコの腕の中でぐっすり安眠してしまった。目が覚めると厚い胸板があって、顔を上げるとマルコの顔が間近にあって、青い目と至近距離で目が合い、ドキンッと心臓が大きく跳ねた。
「お、おおおはよう……ごごごございます」
「あァ、おはよいヤヒロ」
顔を赤くして戸惑うヤヒロに、マルコはニヤリと悪い笑みを浮かべた。それを見た途端にヤヒロはカッと目を見開いた。
「か、確信犯か貴様!!」
「んー? 何のことだい?」
顔を真っ赤にして叫んだヤヒロは、枕を引っ掴んでマルコにバフバフと叩き付けた。
「ハハ! 止めろよい!」
バカ野郎と怒るヤヒロを笑って宥めるマルコ。それはまるでベッドの上で戯れているようにしか見えない。そんな時に凄い勢いで部屋のドアが開けられた。
「おっす! マルコ〜! ヤヒロちゃんが部屋にいな…かっ……」
パタン……――。
勢い良くやって来たサッチは、笑顔のまま口をパクパクすると部屋に入って来ることは無く静かにドアを閉めて姿を消した。
上半身がサラシだけのヤヒロが、上半身が裸のマルコの上に乗っている姿は、運の悪いことに下半身が上手い具合にシーツで隠れていた為に、サッチから見た光景は男女の情事の真っ最中で、正に騎乗位状態に見えた。
静かに閉まるドアをポカンとして見ていたヤヒロとマルコは、お互いに顔を見合わせると二人して慌ててベッドから飛び出した。
「マルコとヤヒロちゃんが男と女の関係になっちまった!!」
勘違いしたサッチが大いに騒ぎ、それはあっという間にモビー・ディック号内に広がった。ヤヒロとマルコが二人してサッチを見つけるとフルボッコしたのは当然起こりうる話だった。
「当分、禁酒だよい」
「アイアイサ―……」
船長室で白ひげに事の仔細を説明する破目になった二人は、げんなりした様子で船長室から出て来た。
何か言われたのだろうか、二人して反省の弁を呟いたのだった。
〜〜〜〜〜
「グララララッ! 孫の顔が楽しみだ!」
「お、オヤジ!?」
「無い! それは無い!!」
「あ”ァ”!? 小童共が親に黙って不純行為たァ良い度胸してんじゃねェか!?」
「「びくぅっ!?」」
「孫の顔が楽しみだ。なァ、お前ェら」
「「よい!」」← ヤヒロ思わず釣られる
何それ!?
脅迫強制結婚!?
恐るべし海賊!!
怖いよ海賊!!
反省はどこまでも尽きなかった。
酒の末路
【〆栞】