01

雷鳴轟き雨が激しく降り付ける中を一人の男がどこを目指すともなく町の中を懸命に走っていた。男の形相は酷く醜く歪んで恐怖の色に染められ息も絶え絶えだ。だが決して休むことは無く、懸命に足を動かし、何かから逃げるように必死だった。細く入り組んだ道を敢えて選び、突き当りを曲がった所で男は漸く足を止め、両膝に手を突いた。

「ゼェ…ゼェ…」

切らす息を整えようと努める。そうして前屈みに折った上体を起こした時――ヒュンッ!――と、風を斬るような音が男の耳に届いた。

「!」

まだ日は出ていない。影など映るはずは無い。
しかし、男は確かに影を見た。
後ろを振り返るが誰もいないし人の気配すら無い。

「気のせいか」

ふぅ……――と、男が安堵の溜息を吐いた瞬間、男の視界はぐらりと揺れた。ほんの一秒も満たない間に男の視界は地面に這い蹲って見る景色を映した。全身から力が抜け落ち呼吸は徐々に弱まっていく。

「…あ…ぐ…」

命が尽きる間際に男の目が映したのは、フード付きの白い衣服を纏った者の姿。目深に被られたフードの陰に隠れて顔はわからなかったが、月灯りが明かす口元だけは真一文字に結ばれて息一つ切らしていない。

男はゾッとした。

暗闇の中で垣間見た襲い来る者の目は情の欠片一つ無く無機質。なのに、歩いてその場を立ち去るその姿は自分の身長の半分すらも満たしていない――子供だった。
子供の右の手首には刃が顔を出し血が滴り落ちている。軽く振るってシャキンという音と共に小手具の内側に刃は隠れ、まるで何事も無かったかのようにゆっくりと歩いて去って行った。

「ハッ…ば、ばけ…もの…め…」

アレが何者なのかを男は知っている。何故狙われたのかも――。
しかし、まさか子供に仕留められることになるとは思ってもみなかった。やがて意識が朦朧とし始めた男は全身を痙攣させて二度と帰らぬ者となった。

この男は賞金首リストに載る猛剣のオルフィス、二億五千万ベリー。海軍ですら手を焼く程の猛者であった。しかし、オルフィスは町の中の片隅で人知れず殺害された。
オルフィスの死体を見た海軍の中将は眉間に皺を寄せて目を瞑った。
首元をナイフの様な武器で突き刺された痕跡だけが残され他に目立った外傷は無い。抵抗した後すら無い。たった一撃で仕留められた事実。
中将レベルに匹敵する程の猛者だったオルフィスの死は、海軍に衝撃を与えるに十分過ぎるものだった。





ある海域で身の程知らずな海賊が四皇の一角で世界最強とも名高い白ひげ海賊団を相手に喧嘩を吹っ掛けた。白ひげ海賊団の帆船であるモビー・ディック号はとても大きい。故に格好の的だと言わんばかりに大砲を打ちまくって来た。
しかし、どこの誰ともわからない海賊船に対してモビー・ディック号は反撃すらする素振りは無く、撃ち込まれる大砲をただ回避することにのみ集中しているようだった。

「ラクヨウ! なにをしている!」

直撃しそうになる砲弾をぶった切った花剣のビスタが見張り番である7番隊の隊長であるラクヨウを睨み付けて声を荒げた。

「あァ、心配ねェ」
「なんだと?」

ラクヨウは暢気に鼻をほじりながらそう言うと「くあァ…」と欠伸をしている。まるで他人事の様だ。
ビスタが眉を顰めて不審に思っていると遥か彼方にある海賊船からの大砲の雨がピタリと止んだ。

「船長の首を打ち取ったことで敵は戦意喪失の模様!」

見張り台で望遠鏡を覗いていた7番隊の隊員が大きな声を上げた。

「おー了解。今回も楽勝だったな」
「なに……? もう、終わりか?」
「おれ達の出番は無ェってこった。残念だったなビスタ」

ラクヨウはビスタの元に歩み寄るとポンポンっと肩を叩いた。ビスタは拍子抜けするかのように身体から力が抜けるのを感じた。船内からは砲撃音に誘われるように他の隊員や隊長達が姿を現したが、ラクヨウはニヤリと笑みを浮かべると軽く手を挙げて楽し気に勝利を宣言した。

「おうハルタ、イゾウ、遅かったな! もう終いだぜ!」
「えェ!? 折角出番だと思ったのにつまらないなァ。ま〜たラクヨウのとこの手柄じゃん」
「やれやれ、7番隊の貢献力は凄まじいな。一体どうやってんだかねェ……?」
「ガッハッハッ! 悪ィなお前ェら!」

ハルタやイゾウは武器を下ろし、他の隊に属する隊員達も武器を収めた。暴れる機会を失った他の隊に属する隊員達は多少不満気な表情を浮かべはするものの、誰も何も言わずに各々の所定の場所へと戻っていった。
その一方、全面降伏に出た海賊船がモビー・ディック号の横につけられると所持していた金品諸々を白ひげ海賊団に献上し、船長一人の首をもって海賊達は解放されると逃げるように離れていった。

「おう、お疲れ」
「……ラクヨウ隊長、戦利品です」

全身黒尽くめのフード付きの衣服を纏い細かい武器を収める胴体のベルトの下から覗く赤いサッシュが目を引く出で立ちをした7番隊の隊員。彼が手にしていたのは喧嘩を吹っ掛けて来た海賊船の船長の首だ。

「おーおー、んな首なんざいらねェっつぅの。返して来い!」
「はい」

ラクヨウは「シッシッ!」と手でそれをあしらう様にして指示を出すと彼は軽く頭を下げた。そして、急いで逃げようとしている船に向けてその首を投げ入れた。

「ひィッ!?」
「返品だ。そちらで好きなようにしろ」

目深に被ったフードによって顔の半分が隠れている為、表情こそはっきりとわからなかったが、その者の口元は僅かに孤を描いて笑みを浮かべているように見えた。
生き残った海賊達は甲板に転がる船長の首を見るなり顔を真っ青にして必死に船を走らせたのだった。
彼らの脳裏に浮かぶのはほんの数分前に起きた一瞬の出来事。――船長は、船の後尾で舵をきる船員の横で砲撃や攻撃準備の指示を出していた。
誰もがその命令を受けて忙しなく動いていた中、ドサッという音が聞こえた。
振り向けば舵をきっていた船員の姿はそこに無く、船長はぐらりと欄干に凭れ掛かるとそこから真っ逆さまに下の甲板へと力無く落ちた。

「せ、船長……?」

突然のことで唖然と見つめる海賊達の前にフッと姿を現したのはフードを目深に被った全身黒尽くめの衣服を纏った者。右手首に装備している小手具からは刃が顔を出しているのが見えた。
その者は欄干を飛び越えると既に死んだ船長の死体の上に飛び降りた。そうしてその刃で船長の首を胴体から切り離すように刎ねてみせた。

「あなた方の頭は既に死んだが、まだ戦いますか?」

口元を孤に描いて笑みを浮かべるその者の左手に掲げられる船長の生首。海賊達は武器を手放すと同時に腰を抜かして尻餅をついた。そして、即座に全面降伏した。
いつ、どうやってこの船に乗り込んだのか、船長をどうやって殺したのか、全くわからない。
突如として現れたその者に彼らはただただ恐怖に戦くのみだった。

その日の夜――。
誰もいなくなった食堂でラクヨウと黒尽くめの衣服を纏ったその者が二人きりで話をしていた。

「アルド、他の隊員達が戦う機会が無ェって嘆いてんぞ」
「7番隊が見張りの時に限って襲って来ることが多いので仕方が無いことかと」
「まァ確かにそうだがなァ……。今度、他の隊が見張りの時にもし襲撃があったらお前ェは船医室で女共を守る配置に就け。じゃねェと他の隊のやっかみが酷ェからよ。おれァ他の隊長連中と違って人望はそうねェから抑えてやれねェことぐらいわかるだろうが」
「わかりました」

アルドと呼ばれた彼は軽く頭を下げて了承するとラクヨウはニヤリと笑みを浮かべた。そして、酒を注いだジョッキを片手にグビグビとそれを呷った。
目深に被るフードの陰に隠れた顔は表情が今一つ読み取れない。だがラクヨウには、雰囲気でアルドの言いたいことがわかっているかのように応じて片眉を上げた。

「酒を止めて書類をやれってェのは無しだからな」
「おれがまた代行ですか……?」
「わかってんじゃねェか。おれァ書類仕事なんざ嫌いだってェの知ってて聞くんじゃねェ。代わりに頼むわ」
「では勝手に部屋に上がらせて頂きます」
「いちいち断りなんざ必要無ェって言ってんだろうが、好きにしやがれ」

ラクヨウはそう言うとまたグビっと酒を呷った。

「わかりました」

アルドはコクンと軽く頷くと静かに席を立って去って行った。その後、厨房から出て来た男がラクヨウの前に腰を下ろした。

「ほんと、お前って相変わらずだな」
「あァん? サッチ、なにが言いてェんだ?」
「アルドがなんにも言わねェからって便利に使い過ぎだってんだよ」
「なんだ? 便利屋アルドが欲しいのか? やらねェぞ〜」
「おれっちが欲しいっつっても来やしねェだろ。あいつはラクヨウの手綱係兼教育係みてェなもんだしな」
「ガッハッハッ! そりゃあ違ェねェ!」
「えらく素直に認めんのね……」

ラクヨウが額に手を当てながら頬を紅潮させて楽し気に笑うとサッチは頬を引き攣らせた笑みを浮かべて呆れた溜息を吐いた。

十年前、ある島で白ひげ海賊団の船長であるエドワード・ニューゲートが連れて来た少年――コルティノーヴィス・アルド。
この船の一員として迎え入れられた彼は7番隊隊長ラクヨウの部下となった。

当初のことだが、十五歳と年若く小柄で細い体躯の少年に何ができるのかと隊員達は事あるごとに彼に喧嘩を吹っ掛けた。しかし、彼は全く反応を示さず相手にもしなかった。
また、サッチやハルタ等が気さくに声を掛けてみるものの彼は軽く頭を下げる程度に済ませるだけではっきりと応対することは無く、決して人と話をしようとする素振りすら見せなかった。

あれから十年経った今でもそれは変わらない。

アルドが唯一誰かと話をすると言えば7番隊の隊員達や隊長であるラクヨウ、そして船長である白ひげと船医のナキムやナース婦長のエミリアだけだ。
彼ら以外の隊員や隊長達とは特に用件が無ければ自ら言葉を交わしに行く等ということは一切無い。ラクヨウ以外の隊長達にとってもアルドは7番隊の一隊員としてしか認識していない為、そうそう接する機会は無かった。

「おい、あんまりちょっかい出すんじゃねェぞ」
「失礼な。おれっちは誰とも仲良くなれるエキスパートだってェの。コックたるもの、そういうところは結構大事なことなんだぜ?」

例外を上げるとするならば4番隊の隊長であるサッチだ。一人で食事をすることが多いアルドをなにかと気に掛け続けた。例え相手にされずとも常に声を掛け続ける強心臓の持ち主である。
そのおかげか近頃では少しだけだがアルドから反応が返って来るようになった。それだけにサッチはラクヨウにとってもアルドのことについて話ができる唯一の存在となっていた。

「時々ラクヨウがアルドの実の親父みてェに感じる時があるんだけど」
「ガハハハッ! 羨ましいかサッチ!」
「おれはまだ若くいてェから羨ましかねェっての」

ラクヨウは最後の酒を飲み干すと空になったジョッキをテーブルにドンッと置いて立ち上がった。

「部屋に戻らァ」
「書類仕事、ちゃんとやれよ」
「アホか。おれは寝に戻んだよ」
「仕事をアルドに全面依存すんなってんだ。少しは手伝えってェの」
「アルドに任せておいた方が1番隊隊長様の仕事量が減るってもんだろうが」
「……まァ、それを言われると確かにそうなんだけどよ」
「ガッハッハッ!」

ラクヨウは書類仕事が大の苦手だ。性分がそうさせるのだろう。書類仕事はいつも後回しでやっと提出したとしても不備ばかり。何度も修正を促され一向に終わりのない書類のたらい回し状態が毎回あった。
しかし、ある日の事――。
ラクヨウが酔い潰れてしまい提出期限が迫る書類を放置したまま爆睡した。その時、アルドが代わって書類を作成して提出すると見事に一発O.Kだ。
終わりの見えないたらい回し状態に陥ることが無かったおかげで、常に不機嫌だった1番隊の隊長が酒の席で仕事量が多少減って楽になったとラクヨウに言ったという。
まさか助かったとまで言われるとは思っていなかった。
ラクヨウは、すんなり仕事が終わる事の味を占めた。それ以来、アルドに書類仕事を全面的に任せるようになった。

ラクヨウが自室のドアに手を掛けようとした時、ドアノブが回ってガチャッとドアが開けられた。部屋の中から書類を手にしたアルドが顔を出すとラクヨウはニカッと笑みを浮かべた。

「おう、仕事は終わったか?」
「はい。ラクヨウ隊長がそろそろ寝る頃だと思ったので急ぎ終わらせました」
「そうかそうか、いつも悪ィなァ」
「いえ」

ラクヨウはアルドのフードを取り払うと頭をガシガシと撫で付け、欠伸をしながら部屋の中へと入って行った。一直線にベッドに向かってどさりと横になるのを見届けたアルドはドアをゆっくりと閉めてその部屋を後にした。
アルドは別のとある部屋へと向かった。目的となる部屋の前に着いてドアノブに手を伸ばした時、ドアノブが回ってガチャッとドアが開けられた。

「おっと!」
「……驚かせてすみません」
「あァいや……。ひょっとしてもうできたのか?」
「はい、お願いします」
「早ェな。ありがとよい」

アルドが差し出した書類を受け取ったのは先の話から登場している噂の1番隊の隊長であるマルコだ。白ひげ海賊団のNo.2であり、この船の取り纏め役でもある実力者だ。
ドア付近で鉢合わせをした際、マルコは少し驚いたのだがアルドは表情一つ変えることは無く、書類をマルコに手渡すと軽く頭を下げて「失礼します」とだけ残して去って行った。

「ラクヨウの奴、また部下に丸投げかよい……ったく」

マルコはアルドの背中を見送ると受け取った書類を部屋のテーブルに置いてから再び部屋を出て食堂へと向かった。

マルコにとってもアルドは7番隊の中の一隊員という認識しか無かった。それだけにこれまで顔を突き合わせて話をすることは一切無かった。しかし、ラクヨウの代わりにアルドが書類仕事を担うようになってから仕事上での会話のみではあるが少しだけ言葉を交わす機会が増えた。
アルドが作成した書類を初めて見た時、丁寧な文字で緻密に書かれた内容にマルコも流石に舌を巻いたことを今でも印象に残っている。――が、あくまでも仕事上の上司と部下といった関係性でしかなくて実際にアルドがどういう人間なのかはマルコもよくわかっていない。

「サッチ、コーヒー」
「ほらよ」
「っと、早ェな」
「そろそろ来る頃だと思って淹れておいたのよ」
「へェ、気が利くねい」
「ハハ、アルドを見習ってやってみたってわけ」
「アルドを?」
「あいつは何事も先を読んで行動するから、それをちょっと真似てみたってェわけ」

マルコはコーヒーを口にしながら先程会ったアルドの姿を思い浮かべた。
いつも目深にフードを被っている姿ばかり目にしていたが今日は珍しくフードが外れて素面だった。黒くて短い漆黒の髪と真っ直ぐな漆黒の目。鼻筋が通って整った顔立ちは中性的で秀麗なものだった。

「あんまり知らねェんだな……」
「なんか言ったか?」
「いや……、なんでもねェよい」

アルドがこの船に来て十年。あまり接点が無かったアルドのことを何も知らないのだなとマルコはこの時になって初めて認識した。
そんなマルコの思案顔にサッチは彼が何を考えているのかを直ぐに察してニヤリと笑みを浮かべた。そして、少しだけ教えてやることにした。

アルドの性格とこの船における人間関係について――。

サッチから話を聞いたマルコは目を丸くした。十年も同じ船に乗っていて接点のある人間の少ないことにまず驚いた。理由はわからないが極端に人と接するのを嫌うアルドの性分がそうさせているのだという。

「そういやァ今日の夕刻前ぐらいに襲撃があったって話を聞いたんだが……」
「ラクヨウの隊が処理しちまったやつね」
「簡単に勝負がついたらしいな」
「7番隊が見張りをしてる時に限って大概何事も無くあっさり終わっちまうんだよな」
「7番隊の奴らだけで片してるってェことか?」
「そうらしいんだけど……妙なんだよな」
「妙?」
「ビスタの話によると7番隊の奴らは撃ち込まれる大砲を撃墜するだけで終わっちまってたってよ」
「どういうことだ?」
「ラクヨウに聞いても秘密だっつってなんにも教えちゃくれねェみたいでよ」
「確か……、ここ数年だな。7番隊の見張り時に起きた交戦に限ってほぼ何事も無く決着しちまうのはよい」
「んー、なんか変わったことあったっけか……?」

サッチは顎に手を当てながら首を捻って考えたが「んー、わかんねェな」と言葉を零して頬をポリポリと掻いた。
片やマルコはコーヒーを飲み干すと「ご馳走さん」とだけ言って席を立ち上がった。
サッチは考えるのを止めて溜息を吐くと空いたカップを持って厨房へと姿を消し、マルコは自室へ戻るとテーブルに置いておいた7番隊の報告書を手にした。

『海賊船との交戦における報告書』

提出される報告書は当たり障りの無い内容で簡潔なものだ。ラクヨウが作成するならこれでも構わないとしたが作成者はアルドだ。であるならば、もう少し詳細なものを求めるか――とも思ったが、そう注文すれば恐らくラクヨウが口を挟んで来るだろう。

「アルド…か……」

十年と長い月日を共に同じ船にいるのに誰もその素性を知らない。
戦闘における実力も、性格一つすら知らない。
普段からその存在感は薄く、誰も気にしない。
彼が何を見て、何を知って、誰に心を許し、誰と何を話すかなんて、誰も知らない。

誰もが千六百人の大所帯の中の一人としてしか彼を見ていないのだ。それはマルコとて同じ認識だった。

「オヤジが連れて来たってェだけで信用したが……。少し意識して気にしてみるか」

マルコは書面に書かれた文字を指でなぞりながら椅子に座ると中身のチェックに取り掛かるのだった。

7番隊の謎

〆栞
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