04

白い衣服を身に纏う者が颯爽と走り行く。人々の波を掻き分けると荷台や積荷を利用して壁を登り屋根伝いを難無く走って行った。その者が追う獲物は必死になって「どけェ!!」と邪魔な人々を押し退けては入り組んだ路地へと逃げ込む。その獲物の背中には確かに『正義』の文字が大きく書かれていた。

「ハァハァハァ、ふざけやがって! 話が違うじゃねェか!」

必死に走って逃げるも自分を追う者の気配が如実に近付いてくるのがわかる。後方からの足音が徐々に大きくなっている。

「くそっ、捕まって溜まるか! オルバナ領海軍駐屯基地に連絡を入れねば!」

味方のはずだった。味方になるはずだった。だが、そう簡単な話では無かった。それがどれだけ危険なことかを忠告しなくてはならない。

「アサシン! やはり信用などできん!」

奥歯をギリッと噛み締めて苦渋の表情を浮かべながら男は言葉を漏らした。途中、多くの店が立ち並ぶアーケード商店街を見つけて駆け込んだ。
屋根伝いで追って来たとしても、ここは屋根に覆われたモール街で人通りも多い。この中にいればそう簡単に『暗殺』など出来もしないはずだ。

どこかで電伝虫を借りて連絡を入れねば。

オルバナ領海軍駐屯地を中心とした海域にあるルッタという島の海軍支部で統括を務めるこの男は、オルバナからの通達で『アサシンと組む』ことを聞かされていた。だからこそ受け入れたというのに、青い腰帯を巻くそのアサシンは、支部の中央に通すと何も言わずに突然攻撃してきたのだ。
アサシンは一人だったが、非常に狂気的だった。フードの影に隠れた顔の表情は何を模していたのかわからないが、唯一日の光に照らされて明るみに出た口元だけが何を模しているのかはっきりわかった。

笑っていた。

口元は醜く孤を描いてやけに楽し気に次から次へと海兵達の急所を突いて倒していった。
問答無用に何の躊躇いも無くあっさりと殺して行く様に悪寒が走る。大勢の海兵を相手にたった一人で駆逐していくその者は決して呼吸を乱す事は無く、人のそれとは思えない程に身軽な動きにただただ翻弄されるばかりで、海軍支部は呆気無く壊滅の一途を辿った。
統括を務めるこの男はその支部から命辛々逃亡したわけなのだが――。

「海賊よりも性質の悪い連中だ。本部にも連絡を入れる必要が、」

人込みの中を歩きながら独り言ちる言葉が途絶えた。激痛と共に足が止まり後ろを振り向いた時、目前にフードを被った男がいた。間近で見たその者の眼差は海や空のように美しい青い瞳を持っていたが、人の情など持ち合わせていない底抜けに無機質なものだ。
硬い金属質の何かがズクリと奥深く差し込まれ、ズブリと引き抜かれる感覚が背中に感じた。激痛が全神経に伝わる頃には身体から力が抜け落ちて力無く倒れる。

「――カハッ…う、ぐ……」
「きゃあああっ!?」
「うああっ!? な、何だ!?」

男が倒れると人込みの波はそこから距離を取って輪を描くように引いて行く。誰もが倒れた男を見て驚くと同時に恐怖で顔を引き攣らせた。
最早風前の灯火。何かを見て驚いたように眼が見開かれたまま口元が弱々しく何かを呟いていたようだが、誰の耳にもその男の声は届かず、間も無く絶命した。男の血で赤く染まった背中の正義は、何とも頼りない文字にしか見えなかった。

「死んだ……、死んだぞ!」
「おい、この人は海軍中将じゃないか!」
「殺された! 殺人だ!!」

恐れ慄く人々の中に紛れた白い衣服を纏う青いサッシュを腰に巻いた男は、口元を醜く歪めて孤を描き眺めていた。無機質な目とは裏腹に笑みを浮かべ、慌てふためいている人々の中から姿を消した。

「もう少し楽しませてくれると思ったがな」

所々に火の手が上がり無残にも崩れ落ちた瓦礫の残骸が散乱する海軍支部に戻った青いサッシュを巻くその者は、既に死んだ海兵の顔を蹴り飛ばす。死んだ者に対する敬意など微塵も無い。笑みを浮かべていた口元は真一文字に結ばれて感情は既に無く、そこから望める遥か彼方の海へと視線を向けた。

「海兵を相手にしても何も面白くは無いな……」

荒れ果てた部屋の卓上に残された賞金首リストを手に取って見つめたその者はクツリと笑みを浮かべた。

「海賊狩りも悪くは無い。四皇なら少しは楽しませてくれるか」

リストをガサリと折り畳んで腰元のポシェットに収めた男は、何事も無かったかのように立ち去った。この後、近くを航行していたガープが率いる海軍がこの島の海軍支部の惨状を目にして顔を顰めた。

「ひ、酷い」
「マジか……誰一人も生きてねェ」
「……」

コビーは既に絶命した一人の海兵を腕に抱いて悲痛な面持ちで言葉を零した。ヘルメッポは多くの死体を目の当たりにして吐気を催して涙目だ。ガープは厳しい表情を浮かべて黙って周りを見渡していたが、部下達に死んだ海兵達の弔いとこの支部の後始末をするように指示を出した。

「全員、急所の一撃による即死か。海賊の仕業では無いな」

ガープは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらポツリと呟いた。





穏やかな水面に太陽の光が反射してモビー・ディック号の船体を明るく照らす。その様子を人通りの少ない船尾の少し低い場所を定位置とするアルドが目を細めて眺めていた。
夏島が近いようで徐々に暑さが増して汗を掻き始めている。白地の服であるなら着込んでいても多少は耐えられるのだろうが、黒地の服だと流石に熱を吸収して余計に暑さを感じる。この時ばかりはシャツ一枚に七部丈ズボンにサンダルという軽装の船員達が羨ましく思う。

「……喉が渇いたな」

まだ暫くここで過ごしていたかったが、流石に辛くなってきて已む無く立ち上がり食堂へと向かった。

「おうアルド! 飯時以外で来るのは珍しいな。どうした?」
「喉が渇いたので何か貰えないかと」
「そっか。大分暑くなって来たからなァと思ってよ、キンキンに冷えたサッチさん特性ミックスジュースを作ってたと・こ・ろ。ほれ、持っていけ」
「良いんですか?」
「アルドにやろうと思って作ったから問題無ェよ」
「え……、おれに?」

サッチはニッと笑った。

「サッチィィィ〜! 喉が渇いた〜! まだ〜?」
「あいつらのご要望でな。他の隊員の奴らにも差し入れで作ってっから」

食堂の最も風通しの良いとされる場所に陣取ってぐったりしているハルタと、扇子でパタパタとあおぐイゾウの姿があった。
大きなトレーを持って4番隊の隊員が厨房から出る姿に目を向けると、そこにはジュースが入ったコップが大量に乗せられていて甲板へと足早に向かって行った。どうやら見張りに立っている隊員達への差し入れのようだ。
サッチから一つ受け取ったアルドは、「では、いただきます」と言いつつ軽く頭を下げて自室へと戻って行った。

「ほいよ」
「アルドにもやったのか?」
「おう」
「以前より少しは軽装になったけど、……暑そうだよね」
「流石にアルドでも暑さには堪えてるみてェだ。滅多に来ねェのに喉が渇いたって言って来たからな」
「黒服は熱を纏うからな。流石に……と、話をしようとしたら本人が来たよ」
「「ん?」」

イゾウはそう言うとジュースを一口飲んだ。サッチとハルタは目をパチクリして振り向くと、途端にギョッとして苦笑を浮かべた。

「暑い」
「だったらせめてシルクハットを外せば良いじゃん」
「紳士たるもの――」
「紳士ってェ面じゃねェぜビスタ」

汗を大量に流して必死な形相が鬼のよう。紳士なんて言葉を微塵も感じさせない程に酷い。早足で厨房に戻ったサッチは、ビスタの分のジュースと水を濡らして氷を挟んだタオルを「ほい」とビスタに渡した。

「そっちのは?」

もう一つあったタオルに指を差したハルタに「アルドの分」と答えてサッチは食堂から出て行った。ハルタとイゾウとビスタはジュースを飲みながらサッチを見送ったのだが、彼らは顔を着き合わせると神妙な顔つきで話し始めた。

「サッチってさ、アルドには不思議なぐらい優しく無い?」
「あァ、それはおれも引っ掛かりを覚えてる。サッチは人当たりの良い男だが、アルドに対する接し方はどうも他とは違うように感じる」
「まさか、女……というわけではあるまいな」

顎に手を当てながらビスタが呟くと、ハルタとイゾウは顔を合わせて目をパチクリとさせると二人してビスタに顔を向けた。

「「まさか」」
「そんなわけは無いか。アルドが見せる動きは女とは到底思えんからな」
「リーザも強いみたいだけど」
「アルドに比べれば劣るらしい」
「あァ、やはり男と女では能力に差が生じるのは仕方が無いことだ」
「でもサッチのアルドに対する態度って、どうも女に対するものに近い感じがするんだよね」
「「……確かに……」」

ハルタ、イゾウ、ビスタがそんな会話をしている所を偶々通り掛かったラクヨウが足を止めて影でこっそり耳にしていた。
眉間に深い皺を寄せて溜息を吐いたラクヨウは、食堂に入らず踵を返して自室に戻ることにした。

「サッチはアルドが女だって知ってっからな。意外な所でバレたりしてな。まァ、身内にならもうバレても良いんじゃねェかって思ってんだがなァ……」

独り言ちたラクヨウは、くあァ…と欠伸をする口元に手を当てながらポリポリと後頭部を掻いて自室のドアを開けた。
もう一人のアサシンであるリーザはエースに捕まり訓練のお供中で側にいない。久々に一人の時間を過ごせる平和を満喫することにして、アルドが買っておいてくれた幾つかの酒瓶の中から『昇天』という銘柄の酒を選び、ニコニコ顔で蓋をキュポンと開けて酒を楽しみ始めた。
丁度その頃、アルドの部屋に向かっていたサッチは目を丸くして足を止めた。正面からアルドが足早にやって来たからだ。

「どうした?」
「あ、いえ、それが、」
「アルド様!」

角の先から聞こえた甲高い声に「んー?」と反応したサッチはアルドの肩越しに目を向けた。片やアルドは珍しく焦りを滲ませた声でサッチの名を呼んだ。

「え、何」
「おれはラクヨウ隊長の部屋に行きますので」
「――お、おう。あ、これ。ちょっとした暑さ対策サービス」
「おれに……?」
「辛そうだったからな。首元に当てると涼しく感じるからよ」
「助かります。では、急いでますから」

サッチからタオルを受け取ったアルドは、アサシンレベルで完全に気配を消して瞬時に姿を晦ました。

「へ……?」

アサシンたる者の凄さの片鱗を垣間見たサッチは呆気に取られて目をパチクリとした。そこに息を切らしながらやって来るカーラに気付いて首を傾げた。

「何、どうした?」
「はァはァ、サッチ隊長、アルド様をお見掛けしませんでしたか?」
「え……、アルド…様?」
「私、アルド様とお話がしたくて」
「あーっと……、ちょっと待ってくれる? 何でまた『アルド様』なんて呼び方してんだ?」

素朴な疑問を訊いてみると頬を赤く染めてモジモジとし始めたカーラの反応に、サッチは徐々に眉間に皺を寄せて引き攣った笑みを浮かべた。

これはあれか、カーラはアルドにお熱ってこと?

カーラはアルドが女であることを知らない。純粋にアルドを一人の男として恋する乙女の表情を浮かべているのだ。
サッチは顔を背けた。口元を手で覆って哀れみにも似た表情を浮かべる。

あァ、それは決して実らねェ恋だぜ!

カーラの抱く恋の未来はとても儚く散るが運命。(自称)恋の伝道師を宣うサッチは、あまりにも不憫な恋に手を差し伸べてやりたい衝動に駆られた。アルドが女であることはアルド自身から「秘密」と言われている為に明かすことはできない。しかし、せめて “決して実ることは無い“ ことを早々に告げて諦めさせてあげた方がカーラの身の為だ。

「やめておいた方が良いと思うんだわ」

ぼそりと呟いたサッチにカーラはキョトンとした。

「どういうことですか?」
「あいつは基本的に他人と関わりたがらないのよ」
「え?」
「家族の一員になって十年になるけど、隊長格の連中でさえ未だにコミュニケーションが上手く取れてねェのよ」

カーラは眉を顰めた。

「それは単に隊長方が関わる努力をしなかったから……」
「て、思うでしょ? おれっちは三百六十五日掛ける十年、毎日飯時に積極的に話しかけたわけ。それでちゃんと言葉を交わしてくれるようになったのがつい最近なんだわ」

気の遠くなる年月が掛かることにカーラは不満顔を浮かべた。

「じゃあアルド様はいつも一人ということになりますよね」
「んー、そうでもねェよ。接することができる特定の人はいるからな」
「特定の人って……」
「例えばオヤジとか」
「オヤジ様は船長なんだから当然じゃないですか」

反論するカーラに、まあまあ落ち着いて、とサッチは宥めながら名前を挙げていく。

「船医のナキムとナース婦長のエミリア。それから7番隊の連中と隊長のラクヨウ。あとは1番隊隊長のマルコだ。1番隊の隊員達は馴染むのに凄ェ頑張ってるけと、未だに真面な会話一つできてねェらしいからな」
「……」

特定の人として連なる名前は白ひげ海賊団の中でも上層部の位に値する者達ばかりだ。ともなれば、尚更分厚い壁で線引きされているに違いない。これには流石にカーラも理解して何も言えなくなった。

「諦めたほうがカーラちゃんの身の為ってわけ」

可哀想ではあるが住む世界がそもそも違うのだ。アルドは白ひげ海賊団の家族の一員だが、ただの海賊では無く根っからのアサシンだ。常人のか弱い女性が関わるべきでは無い。

「……わかり……ました……」

涙を浮かべて嗚咽混じりに頷いたカーラに、サッチは慰める気持ちでくしゃりと頭を撫でた。

「失礼…します」

カーラはサッチに頭を下げると、医務室に続く通路をトボトボした足取りで去って行った。
理解してくれて良かったとホッと胸を撫で下ろしたサッチは踵を返して食堂へと戻って行った。
そして、その頃――

「また今回も誤字脱字が酷いですね」

机の上にあった報告書を手にしたアルドは、椅子に座って訂正を始めた。

「ぐがー、ぐごー」

リーザがいない内に一人酒を楽しんだのだろう。酒の味に自信は無く知識も無かったが、適当に選んで購入した酒はどうやら当たりだったようだ。
『昇天』の銘柄が付いた酒瓶を床に転がしたままソファの上で花提灯を掲げて眠るラクヨウの寝顔は、まさに天国に昇天したかのような幸せに満ちていた。
口元に僅かな弧を描いたアルドは、ラクヨウのイビキをBGMに訂正作業を続けるのだった。


〆栞
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