巡る残り火

火影になりたかった。

それは、馬鹿みたいに真っ直ぐで、どうしようもなく眩しい夢だった。

誰に笑われてもよかった。落ちこぼれだって言われても、遅刻魔だの半人前だの散々に言われても、いつか皆に認められて、胸を張って前を歩けるようになりたかった。隣にはカカシがいて、少し先にはミナト先生がいて、振り返ればりんが笑っている。そんな未来を、確かに信じていた時があった。

けれど、世界は、そういう願いをあまりにも簡単に踏み躙る。

あの日、血の匂いと土埃の中で見たものを、オビトは生涯忘れなかった。

いや、生涯の終わりに至るまで、それに囚われ続けたと言った方が正しい。

胸の奥に空いた穴は塞がらなかった。助けたかったものを助けられなかった無力感も、守れなかった痛みも、遅すぎた後悔も、全部が腐らず残り続けた。優しかったはずの願いは、いつしか形を歪めていった。現実が苦しいなら、そんなものは壊してしまえばいい。誰も失わない夢の中で眠らせてしまえばいい。そう考えるまでに、そう思い込むまでに、オビトはあまりにも多くのものを見過ぎた。

九尾襲撃の夜、仮面を被った。

暁を闇へ落とした。

名を偽り、世界を欺き、数え切れないほどの血を浴びた。

第四次忍界大戦の首謀者として、忍の世界そのものを敵に回した。

無限月読を成し遂げようとし、この現実ごと終わらせようとした。

そのどれもが、始まりはたぶん、たったひとつの喪失だったのだろう。だが、始まりが何であれ、積み重ねた罪が消えるわけじゃない。誰かのせいにしていいほど、オビトはもう子供じゃなかった。

だから最後に、ようやく認めたのだ。

自分は間違えたのだと。

救われたかったのは自分自身だったのだと。

遅すぎた答えだった。あまりにも、遅すぎた。

それでも、ナルトは手を伸ばした。

まっすぐで、熱くて、馬鹿みたいに諦めの悪いあのガキは、最後の最後までオビトを見捨てなかった。かつての自分が憧れた火影の夢を、笑われても踏みにじられても抱え続けたその背中は、眩しくて、痛いほどだった。

だからせめて、最後くらいは。

どうしようもなく間違え続けた自分でも、守れるものを守りたかった。

白い異形の空間で、世界の終わりみたいな戦いが続いていた。

カグヤの放った骨は、触れたもの全てを終わらせる死そのものだった。避け損ねれば終わり。掠っても終わり。そんなものが、ナルトとサスケへ向かっていた。

その瞬間、考えるより先に体が動いていた。

サスケを庇おうとしたカカシの前へと伸びる灰骨を、神威で捻じ曲げる。残る一本は、ナルトを庇うように自分の身体で受けた。焼けるような痛みより先に来たのは、妙な納得だった。

ああ、これでいい。

ようやく、そう思えた。

ぼやける視界の中で、ナルトの顔が見えた。悔しそうで、泣きそうで、それでも前を向こうとしている顔だった。あいつは泣き虫のくせに、本当に肝心なところで折れない。

だから、言った。

ナルト、お前は火影になれ。

自分が掴めなかった夢を、今度こそ間違えずに掴む奴へ託すみたいに。

言葉にしてしまえば、それだけだった。けれどそれは、長く遠回りし続けた末に、ようやく辿り着いた本音でもあった。

意識がほどけていく。

痛みが遠のく。

何もかもが終わっていく感覚の中で、ふと、オビトは思った。

次があるなら――なんて、都合のいい話だな。

そんなもの、あるわけがない。

散々好き勝手に世界を掻き回して、今さらやり直しなんて虫が良すぎる。死んで終わり。それで充分だ。そう思ったところで、意識は本当に闇へ沈んだ。

だから最初に感じたのが、妙に狭苦しい圧迫感だった時、意味が分からなかった。

暗い。苦しい。息が――いや、そもそもこれ、息できてるのか?

身体がうまく動かない。手足を動かそうとしても、信じられないくらい小さくて、力が入らない。視界はまだ曖昧で、輪郭もろくに掴めないのに、周囲の音だけがひどく近かった。

ばたばたと慌ただしい足音。

女の声。誰かを励ますような声。もう一人、苦しげに息を吐く声。

何だこれ。

いや待て、何でそうなる。

理解が追いつかないまま、ぐ、と周囲から押し出されるような感覚が走った。全身を潰されるみたいな圧力のあと、急にひやりとした空気が肌を撫でる。眩しい。冷たい。うるさい。あまりにも情報が多すぎて、頭が真っ白になる。

思わず息を吸い込んだ瞬間、喉の奥から勝手に声が飛び出した。

「――あ」

出たのは、情けないくらい甲高い泣き声だった。

その声に重なるように、安堵した声がいくつも上がる。

「おめでとうございます、元気な男の子ですよ」

「っ、は……よかった……」

「綾乃、頑張ったな……!」

男が泣いていた。

いや、泣くの早くないか? と思ったが、言葉にしようにも口がきかない。というか口どころか首もまともに動かない。布に包まれ、抱き上げられ、ぺちぺちと背を叩かれ、またふぎゃあと情けない声が漏れる。

何だこれ、本当に何だこれ。

死んだよな、俺。

さっきまで死んでたよな?

カグヤの灰骨くらって、ナルトに火影になれって言って、そのまま意識が落ちて――。

そこまで考えて、オビトはぞっとした。

まさか。

まさか、これ。

赤ん坊か?

理解した瞬間、余計に混乱した。

いやいやいや、待て待て待て。そんな馬鹿な。人が死んだら赤ん坊からやり直しとか、そんな都合のいい話あるか? あるのか? ていうか俺、今、泣くしかできてねえんだけど。冗談だろ。せめてもうちょいこう、段階とかないのか。何だこの手。小っさ。俺の手、こんなんだったか? いや、あったな。あったけど、遠い。遠すぎる。

視界の端で、白い天井が揺れている。

病院――いや、忍の里の医療施設とは明らかに違った。見慣れない照明、見慣れない器具、見慣れない服装。耳に入る言葉は分かるのに、周囲の作りが何もかも知らないものばかりだ。

ナルトたちの時代より後……とも違う気がした。そもそも知っている範囲のどこにも、こんな場所の記憶はない。

知らない場所。

知らない時代。

知らない世界。

その実感がじわじわと染みてくる。

そこでようやく、泣きながら笑っている男の顔が視界に入った。黒髪の、線の細い男だ。一見すると穏やかで優しそうなのに、妙に身体の芯が強い。立ち姿だけで分かる。こいつ、喧嘩が強いとかいう次元じゃない。鍛え方が違う。

なのにその男は、目尻を真っ赤にして、信じられないくらいくしゃくしゃの顔でこちらを見ていた。

「すげえ……ほんとに、俺たちの子だ……」

声が震えている。

次に見えたのは、疲れ切っているはずなのに優しく笑う女だった。柔らかい顔立ちの、あたたかな雰囲気を持つ女。額に張り付いた髪もそのままに、けれどこちらを見つめる眼差しだけはひどく穏やかだった。

「宗一郎さん、泣きすぎ……」

「泣くだろ! だって綾乃もオビ――いや、赤ちゃんも無事で……!」

危ない危ない、とオビトは内心でひとり突っ込んだ。

何で今、名前言いかけた?

いやそれより、今の会話で分かった。

この二人が親だ。

今の俺の。

妙な感じだった。

前世で親に抱かれた記憶なんて、もう随分遠い。大人になって、仮面を被って、世界を敵に回して、そんな温度からはずっと遠ざかっていた。だからこそ、まだ何もしていないただの赤ん坊に向けられる無条件の愛情が、妙に胸にしみた。

やめろって、調子狂うだろ。

泣きたいのはこっちじゃないのに、赤ん坊の体は勝手にまたふにゃふにゃと声を漏らす。

綾乃と呼ばれた女が、そっとこちらの頬に触れた。

「この子、目がきれいね」

「俺に似て整ってるな!」

「そこは私に似てるって言いなさいよ」

「両方だな!」

何だこの夫婦。

いや、嫌いじゃないけど。嫌いじゃないけど、だいぶ騒がしいな。

ぼんやりした頭でそう考えているうちに、オビトは再び強い眠気に引きずられた。赤ん坊の身体というのは容赦がない。少し考えただけで限界が来る。前世の三十一年分の記憶があろうが、身体の作りそのものはどうしようもないらしい。

意識が沈む寸前、男――宗一郎の声が聞こえた。

「名前、ちゃんと伝えますか」

「ああ……うん」

綾乃が頷く気配がする。

「この子の名前は、オビト」

一瞬、眠気が飛んだ。

待て。

今、何て言った?

オビト?

いや、聞き間違いじゃない。確かにそう聞こえた。宗一郎も嬉しそうに繰り返す。

「裏葉オビト。いい名前だろ」

裏葉。

そこで、オビトの思考がぴたりと止まった。

うちは、じゃなくて?

いや、待て。待て待て。音は、今――。

宗一郎が書類かなにかを受け取る音がして、看護師が確認するように読み上げる。

「裏葉、でよろしいですね。裏の葉で、うちはさん」

その瞬間、眠気も混乱も吹き飛んだ。

裏葉と書いて、うちは。

まるで冗談みたいだった。

うちはの名は、前世で呪いみたいに背負い続けた名前だ。誇りだった時もあれば、枷だった時もある。失ったものの象徴であり、壊してしまったものの象徴でもある。その名を、まるで少しだけ形を変えた別の文字で、もう一度与えられるなんて。

裏の葉。

木の葉から落ちた葉みたいだと、一瞬そう思った。

けれど、綾乃が微笑む気配と、宗一郎の弾んだ声を聞いていると、それだけではない気もした。二人にとってこの名は、きっと別の意味を持っている。もっとあたたかくて、もっと穏やかな、家族としての願いが込められているのだろう。

木の葉から零れ落ちたものではなく。

誰かに捨てられたものでもなく。

ここで生まれ、この家で愛されるひとりの子として。

裏葉オビト。

その名を胸の内で反芻したところで、今度こそ限界が来た。赤ん坊の意識は、抗う間もなく眠りへ落ちる。

最後に残ったのは、あたたかかった、という感覚だった。

戦場でも、血の匂いのする夜でも、どうしようもない後悔の底でもなく。

知らない天井の下、知らない親の腕の中で。

もう一度始まるなら、今度は何を知るのだろうと、そんなことを考える間もなく。

生まれたばかりのオビトは、小さく息を吐いて眠った。

その胸の奥には、消えきらなかった残り火が、まだ確かにあった。


〆栞
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