虎杖悠仁

小学校三年生になって、二ヶ月ほどが過ぎた。

新しいクラスにも慣れ、春先特有の浮ついた空気も少しずつ落ち着いている。席替えだの係決めだの、新しい教科書の匂いだの、そういう“始まり”のざわつきが薄れて、日常が日常の顔をし始める頃合いだった。

オビトは学校で、それなりにうまくやっていた。

話しかけられれば返す。

遊びに誘われれば混ざる。

困っている子がいれば手を貸す。

喧嘩があれば自然と止めに入る。

先生からの評価も悪くない。

同級生からも頼られることが増えている。

顔立ちや落ち着きのせいか、女子から声をかけられることも多かった。だが、返事の前にはいつも少しだけ間が空く。

「……ああ」

「……そうだな」

「……いいんじゃねぇか」

嫌いなわけではない。

居心地が悪いわけでもない。

ただ、周りの速さに合わせるために、一度待つ。自分と同年代の子どもたちとの感覚の差を埋めるため、自然とそうなっていた。少しだけ考えて、少しだけ合わせる。その一拍が、学校では必要だった。

放課後、学校からの帰り道。

近所の公園の前を通りかかった時だった。

公園から、子どもたちの声が聞こえる。

鬼ごっこ。

ボール遊び。

かけっこ。

普通の遊びのはずなのに、どこか騒がしい。

オビトは何となく足を止めた。

公園の中心にいる子には見覚えがあった。

虎杖悠仁。

同学年。

ただし校区が違うため、学校は別だ。

近所で何度か見かけたことがある。まともに話したことは、ほとんどない。だが、顔と名前は知っている。いつもよく動いていて、声が大きい。虎杖倭助の孫だということも知っていた。

悠仁は明るく笑っていた。

だが、周囲の子どもたちは少し疲れている。

「虎杖、速すぎ!」

「今のなし!」

「投げるの強すぎるって!」

「手加減してよ!」

悠仁は「ごめんごめん!」と笑って謝る。

悪意はない。

本人はただ楽しく遊びたいだけなのだろう。

だが、動きが大きすぎる。

周りがついていけていない。

悠仁は手加減しているつもりなのだろうが、それでも普通の子には強すぎるし、速すぎる。

悠仁がボールを受ける。

普通なら取れない球を、軽々と取る。

そのまま投げ返す。

本人は軽く投げたつもりらしい。

だが、ボールはかなり速い。

相手の子が取り損ねて、尻もちをついた。

悠仁が慌てて駆け寄る。

「ごめん! 大丈夫?」

相手の子は、痛いというより驚いている顔だった。

「虎杖と遊ぶと疲れる」

「ちょっと休む」

何人かが、ぱらぱらと離れていく。

悠仁は「またな!」と明るく言った。

その声に陰りはない。

だが、ほんの少しだけ物足りなさが見えた。

オビトはそれに気づく。

嫌われているわけではない。

いじめられているわけでもない。

ただ、噛み合っていないのだ。

悠仁は遊びたい。

周りも嫌っているわけではない。

けれど、動きの速さも力の加減も合っていない。

それは少しだけ、自分にも分かる感覚だった。

加減しすぎると退屈になる。

かといって、そのままやると相手がついてこられない。

悪気がないぶん、余計に面倒だ。

悠仁が、ふとこちらを見た。

「あ、裏葉!」

オビトは少し驚く。

「知ってんのか」

「近所だし! 同じ三年だろ?」

悠仁は遠慮なく笑った。

オビトは、悠仁が自分を“同学年”としてちゃんと認識していたことに、少しだけ意外さを覚える。近所の顔見知り程度だと思っていた。

「なあ、遊ぼうぜ!」

あまりにも自然な誘いだった。

オビトは一拍置きかける。

だが、悠仁のテンポが速い。

「何して」

「鬼ごっこ!」

「決めるの早ぇな」

「じゃあ俺が鬼!」

「もう始まってんのかよ」

いつもなら少し置いて返すところで、すぐに言葉が返った。

学校で返事の前に入っていた間が、自然と短くなる。

オビト本人も少しだけ調子が狂う。

だが、悪い感じではなかった。

鬼ごっこが始まる。

悠仁は速い。

普通の小学生では、まず追いつけない。

踏み込み。

反応。

方向転換。

どれも明らかにおかしい。

だが、オビトはついていけた。

完全に本気ではない。

それでも、普通に反応できる。

悠仁が振り返って、目を見開く。

「すげぇ! 裏葉、速いな!」

オビトはそのまま返す。

「お前もな」

悠仁の目が、ぱっと輝く。

「じゃあ、もっと速くしていい?」

「今ので手加減してたのかよ」

「ちょっとだけ!」

「ちょっとの幅がおかしいだろ」

それでも、オビトは止めない。

「いいぞ」

その一言で、悠仁の顔がぱっと明るくなった。

二人で走る。

公園全体を使って、木の間を抜け、遊具を回り込み、砂場の縁を蹴って方向転換する。普通の鬼ごっこより明らかに速度がある。周囲の子どもたちはぽかんと見ていた。

明らかに普通の鬼ごっこではない。

だが、二人は楽しそうだった。

速度を上げても、相手がついてくる。

少し無茶な方向転換をしても、受け止められる。

普通なら危ない遊び方なのに、不思議と噛み合う。

悠仁は初めて、自分の速さについてこられる同学年に出会ったように笑っていた。

オビトもまた、久しぶりに加減しすぎなくていい感覚を覚える。

風を切る。

足が地面を掴む。

次にどこへ踏み込むか、相手がどこへ行くか、それが気持ちいいくらいに読めて、読まれている。

しばらく走った後。

二人とも、ほとんど息が上がっていなかった。

悠仁が嬉しそうに笑う。

「なあ、また遊ぼうぜ!」

あまりにもまっすぐな誘いだった。

オビトは少しだけ面食らう。

だが、断る理由はない。

「いいぞ」

悠仁がさらに笑う。

「やった!」

しばらくして、悠仁がまた「裏葉」と呼んだ。

オビトは少しだけ考えた。

学校の同級生には、基本的に名字で呼ばれている。

それで困ってはいない。

だが、悠仁とは少し違う気がした。

「オビトでいい」

悠仁が目を丸くする。

「え?」

「名字、呼びにくいだろ」

「そうか? 裏葉ってかっこいいじゃん」

「まあ、いいけど」

「じゃあオビト!」

「切り替え早ぇな」

「いいって言ったじゃん」

「言ったけど」

「俺も悠仁でいいぞ!」

「それは元から呼んでる」

「あ、そっか!」

「お前、勢いで生きてるだろ」

「たぶん!」

「否定しろよ」

そのテンポに、オビトは少しだけ笑った。

学校では出ない速さで言葉が返っていることに気づく。

不思議と遠慮がいらない。

同学年で、初めて遠慮なく話せる相手だった。

悠仁の真っ直ぐさに、オビトは少しだけ懐かしさを覚える。

よく笑う。

よく動く。

考えるより先に体が前へ出る。

誰かが転びそうになると、真っ先に手を伸ばす。

金色の髪ではない。

頬にひげのような痕があるわけでもない。

口癖も違う。

それでも、その真っ直ぐさは少しだけ似ていた。

ナルトみてぇだな。

ふと、そんな考えがよぎる。

だが、すぐに小さく息を吐いた。

違う。

こいつは虎杖悠仁だ。

目の前にいる、今この世界の友達だ。

帰り道。

二人は虎杖家の前まで一緒に歩く。

悠仁はずっと喋っていた。

遊びの続き。

次は何をするか。

どこまで走れるか。

どの公園が広いか。

「決めるの早ぇ、そこは遠いだろ」

「いや、行けなくはないけど」

「倭助さんに怒られるぞ」

悠仁は「じいちゃん怒るかな」と笑う。

その時、虎杖家の前で倭助が出てきた。

「悠仁、どこほっつき歩いてた」

「オビトと遊んでた!」

倭助の視線がオビトに向く。

以前から気にしていた赤ん坊が、小学生になっている。

空気を澄ませていた奇妙な子。

今は、悠仁の隣に立っている。

倭助は少しだけ目を細めた。

「……そうか」

ぶっきらぼうな声だった。

だが、悪い響きではない。

「また来りゃいい」

悠仁がぱっと明るくなる。

「いいの!?」

「うるせぇ」

オビトは少しだけ笑った。

「じゃあ、また来る」

倭助は返事の代わりに、ふん、と鼻を鳴らした。

その日から、悠仁は近所でオビトを見つけると走って来るようになった。

「オビトー!」

遠慮のない声。

遠慮のない距離。

オビトは最初こそ少し面食らったが、だんだん普通に返すようになる。

「声でけぇよ」

「今日遊べる?」

「宿題終わってからな」

「えー」

「えーじゃねぇ」

会話のテンポが、学校の時とは違う。

学校は違う。

クラスメイトでもない。

幼稚園も一緒ではない。

だが、近所で出会った同学年の友達。

互いに遠慮なく動ける、初めての相手だった。

虎杖悠仁。

裏葉オビト。

二人は少しずつ、近しい友達になっていく。


〆栞
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