廻る命
うちはオビトの最初の夢は、火影になることだった。
それは幼い子どもが胸を張って叫ぶには、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも眩しい夢だった。里の誰もに認められたい。仲間を守れる忍になりたい。笑われても、遅刻しても、失敗しても、それでもいつか自分の名を火影岩に刻むのだと、本気で信じていた。
その夢は、神無毘橋で崩れた。
岩に潰され、片目を失い、死ぬはずだった。カカシへ左目を託し、リンを頼むと笑った時、オビトは確かに一度、火影の夢ごと少年の自分を置いていった。
けれど、死ねなかった。
目覚めた先で待っていたのは、望んだ未来ではなかった。リンは死んだ。カカシの手で胸を貫かれ、オビトの中にあった世界は、その瞬間に音を立てて歪んだ。救えなかった。守れなかった。間に合わなかった。たったそれだけのことが、どうしても受け入れられなかった。
仮面の男になった。
九尾襲撃の夜、木ノ葉を襲った。師である波風ミナトと、その妻うずまきクシナから、生まれたばかりのうずまきナルトを奪うような真似をした。暁に関わり、長門を利用し、世界の痛みを集め、無限月読という夢に縋った。第四次忍界大戦を起こし、多くの命を踏みにじった。
世界に絶望して、世界を壊そうとした。
その道の果てで、ナルトはそれでもオビトを見た。敵としてではなく、うちはオビトという一人の人間として。真っ直ぐで、馬鹿みたいに諦めが悪くて、痛いほど眩しい目だった。
最後は、カグヤとの戦いだった。
共殺しの灰骨が飛んでくる。ナルトとサスケへ向けられた死を、カカシと共に庇おうとした。サスケを庇うカカシへ当たるはずだった灰骨は神威で飛ばした。だが、ナルトへ向かったものを自分が受けることに迷いはなかった。
痛みより先に、間に合った、と思った。
ナルトが生きている。それだけでよかった。こんな自分でも、最後の最後に、あの子の未来へ手を伸ばせた。
崩れていく身体で、オビトはナルトを見た。自分がなれなかったもの。かつて夢見て、途中で手放して、壊そうとして、それでも最後に託したもの。
「ナルト、お前は火影になれ」
その言葉を残して、うちはオビトは死んだ。
享年三十一歳。
次に目を開けた時、オビトは泣いていた。
いや、泣いているというより、泣かされていた。肺に空気が入らず、喉が焼けるように苦しくて、手足は信じられないほど小さく、身体は自分の意思でまともに動かなかった。
赤ん坊だった。
なんでだよ。
最初に浮かんだ感想は、それだった。感動でも懺悔でも悟りでもなく、ただただ、なんでだよ、だった。死んだはずだ。確かに死んだ。ナルトに託して、カカシに見送られて、ようやく終わったと思った。なのに、見知らぬ天井と、聞き慣れない声と、柔らかな腕の中で、オビトは二度目の人生を始めていた。
そこは忍の世界ではなかった。
呪いが人を喰う世界だった。
前世の名は裏葉オビト。禪院でも加茂でもなく、裏葉という家に生まれた。父は宗一郎、母は綾乃。二人は少し変わっていて、かなり親馬鹿で、けれど温かかった。木の葉から落ちた裏の葉でも、そこに家は作れるのだと、そう教えてくれた人たちだった。
小学生の頃、五条悟に見つかった。
白い髪と目隠しと、やたら軽い声。最初から距離の詰め方がおかしい男だった。何を見て、何を考えていたのか、あの人はいつも笑っていたくせに、肝心なところでは何も取りこぼさない目をしていた。
中学を卒業すると同時に、東京呪術高専へ放り込まれた。放り込まれた、で合っている。自主性とか本人の意思とか、そういうものは一応聞かれた気がするが、最終的に五条悟が「じゃ、決まりね」と笑っていたので、たぶん聞かれていない。
そこで、虎杖悠仁と出会った。
虎杖は真っ直ぐだった。どうしようもないほど真っ直ぐで、折れても、血を吐いても、また立ち上がるやつだった。目の前で誰かが苦しんでいれば、理屈より先に身体が動く。助けられるなら助ける。迷っても、感謝されなくても、手の届く範囲で救える相手を救え。虎杖倭助が悠仁へ残した言葉は、悠仁だけでなく、オビトの中にも深く残った。
全部を救えなくてもいい。
その言葉は、救えなかった一人から世界を壊そうとしたオビトには、綺麗事では済まなかった。あまりにも苦くて、あまりにも現実的で、だからこそ救いだった。
伏黒恵は、不器用だった。
平等に救うのではなく、自分が助けたい相手を選ぶ。その潔さと危うさを、オビトは嫌いになれなかった。多くを語らなくても背中を預けられる同期だった。釘崎野薔薇は、強かった。遠慮がなく、はっきりしていて、こちらが逃げようとすると逃げ道ごと潰してくる。恋人になった時も、たぶんオビトが何かを決めたというより、野薔薇が決めて、オビトが逃げ損ねた。
いや、逃げ損ねたはさすがに怒られる。
胸の奥で、釘崎に「はあ?」と睨まれた気がして、オビトは何度も苦笑した。そういう相手だった。雑にできなくて、真正面から怒ってくれて、こちらが「俺なんか」と沈みかけると容赦なく蹴り飛ばしてくるような、現実の中で隣にいた恋だった。
高専での日々は、呪いの中にあったくせに、確かに青春だった。
渋谷事変で多くを失った。死滅回游では人の悪意と執念を見た。人外魔境新宿決戦では、五条悟が死んだ。最強が倒れた日の空気を、オビトは忘れない。あの人はいつも軽く笑っていた。重いものを、重いと言わずに背負う人だった。その背中は、最後まで遠くて、けれど確かにオビトの中へ残った。
強い者が前に立つ。
若い世代から奪わせない。
大丈夫だと笑って、誰かの恐怖を少しだけ軽くする。
そういう立ち方を、五条悟は背中で教えた。
宿儺との最終決戦では、何度も死にかけた。呪力と呪力がぶつかり、術式の構造が視界の奥でほどけるように見えた瞬間、オビトの写輪眼は宿儺の御厨子を捉えた。視て、理解して、写し取り、魂へ刻み込む。無茶だった。無茶にも程があった。けれど戦場で「無茶です」で済むなら、誰も血まみれになっていない。
勝った。
勝って、残った。
五年が過ぎても、仕事は減らなかった。特級という肩書きは聞こえだけなら格好いい。実際は、困ったら投げ込まれる便利屋に近かった。乙骨憂太と顔を合わせるたび、互いに妙に疲れた顔で笑った。乙骨先輩は元気そうに見えて大体無理をしているし、自分もたぶん似たようなものだった。
それでも、生きていた。
走って、助けて、間に合わなくて、また助けて。後悔しない方を選び続けた。
その日も、ただの任務のはずだった。
呪詛師を追い詰めた時、相手は笑った。嫌な笑いだった。自分の命を薪にして、周囲もろとも巻き込む法術。気づいた瞬間には遅かった。術の核が爆ぜ、空間が捻じれ、身体の感覚が遠のいた。
最後に思ったのは、またか、だった。
それから、暗闇。
次に聞こえたのは、女の悲鳴ではなく、産声だった。
自分の。
肺が小さい。手足が動かない。視界はぼやけ、光は滲み、身体は頼りないほど柔らかい。抱き上げられた腕の温度があった。聞き覚えのないはずの声が、けれど魂の奥では知っている気がした。
「元気な男の子ですよ」
誰かがそう言った。
オビトは小さな口を開け、泣くしかできない身体で、内側だけ盛大に叫んだ。
また!?
三度目の生だった。
しかも、これは。
ぼやけた視界の向こうで、黒い髪が揺れた。うちはの家紋が、布の端に見えた気がした。胸の奥が、妙な音を立てる。懐かしい。怖い。温かい。知っている。知っているはずの始まりだった。
自分はまた、うちはオビトとして生まれた。
泣き声が、部屋の中へ響いていた。小さな身体では息を整えることすらできず、ただ必死に空気を吸う。誰かの手が頬に触れ、優しく撫でた。
今度は、どこまで変えられる。
そんな問いを浮かべるより早く、赤ん坊の身体は疲れ切って眠りへ落ちていった。
それでも意識が沈む寸前、オビトは確かに思った。
今度こそ、手の届くものは見捨てない。
それは幼い子どもが胸を張って叫ぶには、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも眩しい夢だった。里の誰もに認められたい。仲間を守れる忍になりたい。笑われても、遅刻しても、失敗しても、それでもいつか自分の名を火影岩に刻むのだと、本気で信じていた。
その夢は、神無毘橋で崩れた。
岩に潰され、片目を失い、死ぬはずだった。カカシへ左目を託し、リンを頼むと笑った時、オビトは確かに一度、火影の夢ごと少年の自分を置いていった。
けれど、死ねなかった。
目覚めた先で待っていたのは、望んだ未来ではなかった。リンは死んだ。カカシの手で胸を貫かれ、オビトの中にあった世界は、その瞬間に音を立てて歪んだ。救えなかった。守れなかった。間に合わなかった。たったそれだけのことが、どうしても受け入れられなかった。
仮面の男になった。
九尾襲撃の夜、木ノ葉を襲った。師である波風ミナトと、その妻うずまきクシナから、生まれたばかりのうずまきナルトを奪うような真似をした。暁に関わり、長門を利用し、世界の痛みを集め、無限月読という夢に縋った。第四次忍界大戦を起こし、多くの命を踏みにじった。
世界に絶望して、世界を壊そうとした。
その道の果てで、ナルトはそれでもオビトを見た。敵としてではなく、うちはオビトという一人の人間として。真っ直ぐで、馬鹿みたいに諦めが悪くて、痛いほど眩しい目だった。
最後は、カグヤとの戦いだった。
共殺しの灰骨が飛んでくる。ナルトとサスケへ向けられた死を、カカシと共に庇おうとした。サスケを庇うカカシへ当たるはずだった灰骨は神威で飛ばした。だが、ナルトへ向かったものを自分が受けることに迷いはなかった。
痛みより先に、間に合った、と思った。
ナルトが生きている。それだけでよかった。こんな自分でも、最後の最後に、あの子の未来へ手を伸ばせた。
崩れていく身体で、オビトはナルトを見た。自分がなれなかったもの。かつて夢見て、途中で手放して、壊そうとして、それでも最後に託したもの。
「ナルト、お前は火影になれ」
その言葉を残して、うちはオビトは死んだ。
享年三十一歳。
次に目を開けた時、オビトは泣いていた。
いや、泣いているというより、泣かされていた。肺に空気が入らず、喉が焼けるように苦しくて、手足は信じられないほど小さく、身体は自分の意思でまともに動かなかった。
赤ん坊だった。
なんでだよ。
最初に浮かんだ感想は、それだった。感動でも懺悔でも悟りでもなく、ただただ、なんでだよ、だった。死んだはずだ。確かに死んだ。ナルトに託して、カカシに見送られて、ようやく終わったと思った。なのに、見知らぬ天井と、聞き慣れない声と、柔らかな腕の中で、オビトは二度目の人生を始めていた。
そこは忍の世界ではなかった。
呪いが人を喰う世界だった。
前世の名は裏葉オビト。禪院でも加茂でもなく、裏葉という家に生まれた。父は宗一郎、母は綾乃。二人は少し変わっていて、かなり親馬鹿で、けれど温かかった。木の葉から落ちた裏の葉でも、そこに家は作れるのだと、そう教えてくれた人たちだった。
小学生の頃、五条悟に見つかった。
白い髪と目隠しと、やたら軽い声。最初から距離の詰め方がおかしい男だった。何を見て、何を考えていたのか、あの人はいつも笑っていたくせに、肝心なところでは何も取りこぼさない目をしていた。
中学を卒業すると同時に、東京呪術高専へ放り込まれた。放り込まれた、で合っている。自主性とか本人の意思とか、そういうものは一応聞かれた気がするが、最終的に五条悟が「じゃ、決まりね」と笑っていたので、たぶん聞かれていない。
そこで、虎杖悠仁と出会った。
虎杖は真っ直ぐだった。どうしようもないほど真っ直ぐで、折れても、血を吐いても、また立ち上がるやつだった。目の前で誰かが苦しんでいれば、理屈より先に身体が動く。助けられるなら助ける。迷っても、感謝されなくても、手の届く範囲で救える相手を救え。虎杖倭助が悠仁へ残した言葉は、悠仁だけでなく、オビトの中にも深く残った。
全部を救えなくてもいい。
その言葉は、救えなかった一人から世界を壊そうとしたオビトには、綺麗事では済まなかった。あまりにも苦くて、あまりにも現実的で、だからこそ救いだった。
伏黒恵は、不器用だった。
平等に救うのではなく、自分が助けたい相手を選ぶ。その潔さと危うさを、オビトは嫌いになれなかった。多くを語らなくても背中を預けられる同期だった。釘崎野薔薇は、強かった。遠慮がなく、はっきりしていて、こちらが逃げようとすると逃げ道ごと潰してくる。恋人になった時も、たぶんオビトが何かを決めたというより、野薔薇が決めて、オビトが逃げ損ねた。
いや、逃げ損ねたはさすがに怒られる。
胸の奥で、釘崎に「はあ?」と睨まれた気がして、オビトは何度も苦笑した。そういう相手だった。雑にできなくて、真正面から怒ってくれて、こちらが「俺なんか」と沈みかけると容赦なく蹴り飛ばしてくるような、現実の中で隣にいた恋だった。
高専での日々は、呪いの中にあったくせに、確かに青春だった。
渋谷事変で多くを失った。死滅回游では人の悪意と執念を見た。人外魔境新宿決戦では、五条悟が死んだ。最強が倒れた日の空気を、オビトは忘れない。あの人はいつも軽く笑っていた。重いものを、重いと言わずに背負う人だった。その背中は、最後まで遠くて、けれど確かにオビトの中へ残った。
強い者が前に立つ。
若い世代から奪わせない。
大丈夫だと笑って、誰かの恐怖を少しだけ軽くする。
そういう立ち方を、五条悟は背中で教えた。
宿儺との最終決戦では、何度も死にかけた。呪力と呪力がぶつかり、術式の構造が視界の奥でほどけるように見えた瞬間、オビトの写輪眼は宿儺の御厨子を捉えた。視て、理解して、写し取り、魂へ刻み込む。無茶だった。無茶にも程があった。けれど戦場で「無茶です」で済むなら、誰も血まみれになっていない。
勝った。
勝って、残った。
五年が過ぎても、仕事は減らなかった。特級という肩書きは聞こえだけなら格好いい。実際は、困ったら投げ込まれる便利屋に近かった。乙骨憂太と顔を合わせるたび、互いに妙に疲れた顔で笑った。乙骨先輩は元気そうに見えて大体無理をしているし、自分もたぶん似たようなものだった。
それでも、生きていた。
走って、助けて、間に合わなくて、また助けて。後悔しない方を選び続けた。
その日も、ただの任務のはずだった。
呪詛師を追い詰めた時、相手は笑った。嫌な笑いだった。自分の命を薪にして、周囲もろとも巻き込む法術。気づいた瞬間には遅かった。術の核が爆ぜ、空間が捻じれ、身体の感覚が遠のいた。
最後に思ったのは、またか、だった。
それから、暗闇。
次に聞こえたのは、女の悲鳴ではなく、産声だった。
自分の。
肺が小さい。手足が動かない。視界はぼやけ、光は滲み、身体は頼りないほど柔らかい。抱き上げられた腕の温度があった。聞き覚えのないはずの声が、けれど魂の奥では知っている気がした。
「元気な男の子ですよ」
誰かがそう言った。
オビトは小さな口を開け、泣くしかできない身体で、内側だけ盛大に叫んだ。
また!?
三度目の生だった。
しかも、これは。
ぼやけた視界の向こうで、黒い髪が揺れた。うちはの家紋が、布の端に見えた気がした。胸の奥が、妙な音を立てる。懐かしい。怖い。温かい。知っている。知っているはずの始まりだった。
自分はまた、うちはオビトとして生まれた。
泣き声が、部屋の中へ響いていた。小さな身体では息を整えることすらできず、ただ必死に空気を吸う。誰かの手が頬に触れ、優しく撫でた。
今度は、どこまで変えられる。
そんな問いを浮かべるより早く、赤ん坊の身体は疲れ切って眠りへ落ちていった。
それでも意識が沈む寸前、オビトは確かに思った。
今度こそ、手の届くものは見捨てない。
【〆栞】