死に損ないの、その先で

それは、あまりにも長い“死に損ない”の物語だった。

うちはオビトは、一度目の生で、あまりにも多くを踏み外した。

幼い頃は、ただ火影になりたかっただけだ。誰よりも強く、誰よりも皆を守れて、里のみんなに認められるような、そんな忍になりたかった。遅刻ばかりして、失敗も多くて、カカシには馬鹿にされて、リンには呆れられながら、それでも胸の奥にはいつだって、真っ直ぐな夢があった。

けれど神無毘橋でその道は大きく歪んだ。

潰れた岩の下で、左目をはたけカカシへ託したあの日。あの瞬間に、少年だった自分は一度死んだのだと思う。助けたかった。守りたかった。間に合うと信じていた。だが現実はいつだって遅く、願いより先に、何かを奪っていく。

そこから先は、転がり落ちるようなものだった。

のはらリンの死が決定的だった。

世界が壊れた、と思った。いや、正しくは、世界は最初から壊れていたのだと知ってしまった。優しさも、仲間も、夢も、全部、簡単に踏み潰される。守りたいものほど先に失われる。そんな世界に何の意味があるのか。何を信じろというのか。

その痛みと絶望を抱えたまま、オビトは仮面の男になった。

うちはマダラの名を借り、暁を影から動かし、九尾襲撃を起こし、世界を壊す側へ立った。あの夜、自分で壊したものの重さは消えなかったくせに、それでも止まれなかった。止まれば、自分が何をしたのかを直視しなければならなかったからだ。

暁の裏に立ち、血を重ね、第四次忍界大戦を引き起こし、無限月読という幻へすべてを沈めようとした。

現実を捨てたかった。

壊れた世界を、壊れたまま終わらせたかった。

そうしなければ、自分がリンのいない世界を生きていることを許せなかった。

けれど、最後の最後で、あいつがいた。

うずまきナルトだ。

馬鹿みたいに真っ直ぐで、諦めが悪くて、何度叩き潰されても前を向いて、他人の痛みまで背負おうとして、そんなことをしていたらいつか折れるに決まっているのに、それでも手を伸ばすのをやめない、どうしようもなく眩しい忍だった。

あいつを見ていると、昔の自分を思い出した。

火影になりたいと笑っていた、何も失う前の自分を。

いや、違うな、とオビトは思う。

きっとナルトは、昔の自分なんかより、ずっと強かった。痛みを知ってなお、他人を恨む方へ行かなかった。失ってなお、世界を見捨てなかった。どうしようもなく、不器用で、眩しかった。

だから最後に、あいつへ託せたのだ。

火影になれ、と。

その言葉に嘘はなかった。

最後のカグヤ戦。共殺しの灰骨が放たれた瞬間、考えるより先に身体が動いていた。サスケを庇うカカシへ向かう一撃を神威で飛ばし、自分はナルトへ向かうそれを受けた。痛みは凄まじかったが、不思議と迷いはなかった。

これでいい、と思った。

ようやく、自分は守りたかったものを守る側で終われるのだと。

カカシの顔も、ナルトの声も、遠くなっていく中で、最後に胸に残ったのは、ひどく静かな安堵だった。

死ぬのは怖くなかった。

怖かったのは、何も取り戻せないまま終わることだった。

だが、その時の自分は、確かにナルトを守れた。

それだけで、長い長い回り道の果てとしては、悪くない終わりだったのかもしれない。

そう思ったのに。

次に目を開けた時、視界いっぱいに広がっていたのは、知らない天井だった。

いや、天井というより、ぼやけた光だ。白い。眩しい。妙に近い。身体が重い。手足が言うことをきかない。喉が詰まったようで、声を出そうとしても――

「おぎゃあ」

出たのは、そんな情けない音だった。

……いや待て。

待て待て待て。

何でだ。

混乱する頭のまま、必死に身体を動かそうとして、しかしまともに動けない。指は短い。腕もやたら細い。視界の位置も低い。何より、抱き上げられた時の感覚が明らかにおかしい。

柔らかい腕に包まれた。知らない女の匂いがした。泣きそうなくらい優しい手つきで、額に唇が落ちる。

「元気な子だ」

男の声がした。少し掠れていて、けれど明るい響きがある。

「よかった……ほんとに、よかった」

女は泣いていた。

何だこれ、とオビトは思った。

いや、何だこれじゃない。赤ん坊だ。どう見ても赤ん坊である。何で。意味が分からない。死んだよな、俺。さっきまで死んでたよな。というかカグヤ戦だったよな。ナルトに火影になれって言って、灰骨喰らって、そのまま――

「おぎゃ、あああっ」

泣くな。違う。泣きたいのはこっちだ。

だが赤ん坊の身体は、こっちの都合など一切汲まない。感情が昂ぶると勝手に泣くし、腹が減っても泣くし、不快でも泣く。最悪だった。

その後、理解したくもない現実を理解するのに、そう時間はかからなかった。

自分は死んだ。だが終わらなかった。そして、別の家の子として生まれ直した。

しかも、記憶を持ったままで。

勘弁してくれ、と心底思った。

前の人生だけで十分重い。二度目なんて聞いてない。しかも今度は忍の世界ですらない。外を走る鉄の塊を見て化け物かと思えば、それは車というらしいし、夜に道を照らす灯りは勝手につくし、扉はひとりでに開くし、変な箱から人が喋る。何だここ。術か。幻術か。いや違う。文明だ。意味が分からない。

ただ、その意味の分からない世界で、オビトはもう一度育った。

今度の家は、あたたかかった。

父は宗一郎。母は綾乃。二人とも、少し抜けていて、やたらと自分を可愛がった。抱き上げるたびに大騒ぎして、寝返りひとつで感動して、笑えば世界が救われたみたいな顔をする。いや大袈裟だろ、と内心で何度も突っ込んだが、その大袈裟さが嫌ではなかった。

前の自分は、家を失ってから長かった。

木の葉から落ちた葉みたいに、帰る場所を見失った時間が、あまりにも長すぎた。

だからこそ、裏葉という家のあたたかさは、骨身に染みた。

落ちた葉でも、終わりじゃないのだと。

表から外れても、誰かと笑って、飯を食って、くだらないことで呆れて、そんなふうに生きていいのだと。

そんなことを、あの家は何度も教えてきた。

だが、平穏は長くは続かなかった。

見えてしまったのだ。人ならざるものが。

幼い頃、世界の隅に、黒く滲むような“何か”がいることに気づいた。人の澱みみたいなものが形を持ち、淀み、蠢いている。最初は自分の頭がおかしくなったのかと思ったが、違った。そいつらは確かにいて、しかも放っておくと人を害した。

そこで現れたのが、五条悟だった。

白い髪に、目隠しをした、胡散臭い男。

第一印象は不審者である。

だがその不審者は、とてつもなく強かった。底のない軽さを纏っているくせに、立っている場所そのものが違うみたいな男だった。軽口を叩いて、人を食ったように笑って、それでいて、子どもを見る目だけはやけに真っ直ぐだった。

小学生だった自分を見つけ、高専へ引っ張り込んだのはそいつだ。

半ば強制だった。いやかなり強制だった気がする。普通に誘拐寄りではある。だが結果として、東京呪術高専での日々は、紛れもなく青春だった。

虎杖悠仁がいた。

あいつは、本当に放っておけない男だった。人のために身体を張ることを躊躇わず、迷って、苦しんで、それでも最後には手を伸ばす。理屈じゃなく、目の前の一人を助けたいと思ってしまう、その在り方が、どうしようもなく眩しかった。

虎杖の口から聞いた、虎杖倭助の遺言を、オビトは忘れない。

手の届く範囲でいい。救える奴は救っとけ。

単純だ。綺麗事だ。けれど、それでよかった。

世界全部じゃなくていい。まず目の前の一人でいい。その考えは、かつて大きすぎる理想に呑まれて世界を壊そうとした自分には、痛いほど沁みた。

伏黒恵は無愛想で、年のわりに妙に達観していて、だが根のところで見捨てきれないものを抱えていた。釘崎野薔薇は強くて、はっきりしていて、遠慮なく踏み込んできて、オビトの中にある厄介な壁を、面倒くさそうにしながらも一つずつ蹴り壊していった。

野薔薇とは、やがて恋人になった。

不思議なものだ、とオビトは何度も思った。リンのことを忘れたわけじゃない。忘れられるはずもない。けれど、それとは別に、現実の隣に立ってくる強さに、心を動かされることもあるのだと知った。

五条悟の背中も大きかった。

最強であることの責任。強い者が前に立つことの意味。若い世代から何かを奪わせないために、大人が矢面に立つ覚悟。あの男はふざけているようで、その実、誰よりも多くを背負っていた。

渋谷事変で世界は大きく歪んだ。

死滅回游では人が人を試され、削られ、選ばされる地獄みたいな時間が続いた。

人外魔境新宿決戦では、最強と最悪が真正面からぶつかり合った。

五条悟は死んだ。

その喪失は重かった。

あまりにも重く、胸のどこかがまた音を立てて軋んだ。最強でも死ぬのだと、知っていたはずの現実を、改めて殴りつけられた。けれどあの人は、ただ死んだわけじゃない。次へ繋ぐために前に立ち、託して、落ちていった。

その背中は、消えなかった。

最終決戦で宿儺と刃を交えた時、オビトは写輪眼でその術式構造を視た。理解し、捉え、無茶苦茶なやり方で魂へ刻み込んだ。正気の沙汰ではなかったと思う。だが、そうでもしなければ届かない場所があると分かっていた。

勝ったあとも、平穏なんてものは長くは続かない。

特級として日々奔走し、祓い、助け、背負って、生き延びて、ようやく少しは落ち着いたかと思った矢先だった。

呪詛師の自爆法術に巻き込まれた。

ああ、またかよ、とその時は思った。

まったく、俺の人生、ろくでもない死に際の品評会でもやってんのか。

そんな軽口めいたことが頭をよぎったのは、たぶん恐怖を誤魔化すためだった。身体が裂けるみたいな感覚の中で、意識は何度も千切れかけた。それでも最後まで残ったのは、あの世界で築いたものへの未練だった。

皆の顔が浮かんだ。

虎杖。恵。野薔薇。乙骨。五条先生。

ああ、せめてもう少し、と願ったところで、世界はそんなに優しくない。

闇が落ちてきた。

深く、静かな闇だった。

その底で、自分はようやく終わるのだと思った。

今度こそ、本当に。

だというのに。

次に感じたのは、酷く窮屈な圧迫感だった。

狭い。苦しい。押し出される。何だこれ。ちょっと待て。嫌な予感しかしない。いやもう分かる。分かるけど認めたくない。というか嘘だろ。さすがに三度目はないだろ。人生って普通そういうもんじゃないだろ。誰だよ俺の魂に無限コンティニューでも付けたの。

だが現実は無情だった。

世界がひっくり返るような感覚のあと、眩しい光が差し込む。冷たい空気が肌を撫で、肺が勝手に痙攣し、喉の奥から叫びが押し出された。

「――おぎゃああああっ!」

また!?

心の中でそう絶叫した瞬間、耳に飛び込んできたのは、聞き覚えのある、はずのない声だった。

遠くで、誰かが泣いていた。

誰かが、生まれた子の名を呼ぼうとしていた。

その響きが、どうしようもなく懐かしい世界の色を帯びていて、オビトは息を呑む。

嘘だろ。

まさか。

まさか、また――

赤ん坊の視界はぼやけている。それでも分かった。空気の重さが違う。匂いが違う。肌に触れる気配が違う。血と土と、忍の世界の気配が、確かにそこにある。

そして何より、自分の魂が知っていた。

同じ時代、同じ場所、同じ一族。

失って、壊して、背を向けて、それでも最後まで帰れなかった世界へ。

うちはオビトは、もう一度、生まれ落ちたのだ。

今度こそ死なずに、生き直すために。

今度こそ、繰り返さないために。

赤ん坊の身体は容赦なく泣き続ける。耳障りなはずのその泣き声が、奇妙なくらい生を主張していた。

泣きながら、オビトは思う。

冗談じゃない。

こんなところで、また始まるのか。

始まるのなら、今度は絶対に間違えない。

誰も取りこぼさないなんて、そんな傲慢なことは言えない。そんなものはもう知っている。世界は甘くない。人は死ぬ。守れないものはある。願うだけじゃ届かないものもある。

それでも。

手の届く範囲でいい。

救える奴は救う。

前に立つべき時は、自分が立つ。

若い奴らから奪わせない。

帰る場所を、家を、もう二度と失わせない。

赤ん坊の小さな拳が、きゅっと空を掴んだ。

何も持たないはずのその手に、けれど今度は確かに、前の二つの生で得たものが残っている。

痛みも、喪失も、後悔も、願いも、全部。

だからこそ、今度こそ。

この生を、ちゃんと生きる。

そう胸の奥で誓ったところで、赤ん坊の意識はあっさりと睡魔に攫われていった。

……いや、待て、せめて状況確認くらい――

そこで、ぷつりと意識は落ちた。

三度目の人生は、そんな締まらない始まり方で幕を開けた。


〆栞
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