二度目の邂逅

一歳になった。

その事実に、まず自分で少し笑ってしまった。

人生三周目にして、年齢の重みがいよいよ訳の分からないことになっている。前々世が三十一年、前世が二十一年、そして今世がようやく一歳。足せば五十三だが、だからといって中身が五十三歳の達観した老人かと言われると、別にそうでもないのがややこしい。精神の土台はあくまで俺のままだし、そこへ前世の記憶と経験がべったり積もっている感じだ。

ただ、一つだけ確かなのは、赤ん坊生活にもだいぶ慣れたということだった。

身体の扱いはかなり思い通りになってきた。歩くにはまだ少し頼りないが、這うのも、掴まって立つのも、家の中を移動するのも難しくない。視界も広がった。手の届く範囲も増えた。できることが増えると、それだけで世界はだいぶ違って見える。

そして何より、家族のことが少しずつ分かってきた。

父、うちはマヒトは、やはり穏やかな人だった。

人当たりがよく、声を荒げることがほとんどない。だからといって芯まで弱いわけではなくて、むしろ必要な場面では静かに線を引ける人だと、一年も一緒にいれば分かる。祖母に何か頼まれればすぐ手を貸すし、ツムギが疲れていれば何も言わずに先に動く。俺を抱く時も、必要以上にあやしたりせず、ただ自然に支える。その手つきに変な力みがない。

忍として生きているはずなのに、家の中では肩肘を張らない。

そういう人だった。

母、うちはツムギは、静かでやさしい。

父ほど言葉数は多くない。けれど、よく見ている。俺の機嫌、眠気、空腹、ちょっとした表情の変化まできちんと拾う。祖母が少し腰をさすればすぐ傍へ寄るし、父が帰ってくれば、ほんのわずかな表情の疲れにも気づく。押しつけがましさはないくせに、自然と家の中の温度を整えている。

この人はたぶん、誰かの無理に気づくのがうまい。

声高に励ますタイプじゃない。けれど、傍にいるだけで少し楽になる類の人だ。

祖母もまた、厳しすぎず、甘やかしすぎず、この家の空気を守っていた。

うちはの年長者らしい強さはある。所作も言葉もきっちりしていて、甘いだけの人ではない。だが、そのきっちりした輪郭の内側に、ちゃんと情がある。俺のことも、ただ可愛がるというより、家の一員として丁寧に扱っている感じがした。

父と母と祖母。

三人が揃ったこの家は、やわらかかった。

前々世の記憶にある“うちはの家”と同じだ、と思ったのは、意外にも悪い意味ではない。

集落全体の空気には閉鎖性がある。誇り高さと疑い深さ、血筋への意識、目に見えない圧みたいなものが、確かにある。だが、その中でも家ごとに空気は違うのだと、今になって分かる。

俺の家は、中心から少し外れているぶん、妙な息苦しさが薄い。

うちはでありながら、うちはに呑まれすぎていない。

前々世の俺は、それを知らなかった。いや、知らないまま終わった。

両親を覚えていないのだから当然だ。

今世で初めて、俺は自分の父と母を知っていく。

どういうふうに笑うのか。どういう時に黙るのか。何を大切にしているのか。どうやって家の中で息をしているのか。そういう、戦でも任務でもない、生活の輪郭を。

それが、存外きつかった。

……参るな、と思う。

こういう家は、失った時に絶対効く。

知ってしまえば、喪失は前より深く刺さる。あたたかさを知らないまま奪われるのと、あたたかいと知ってから失うのとでは、傷の質が違う。

前々世の俺は、たぶん何も分からないまま両親を失った。

だからその喪失は、空白として後からじわじわ効いた。埋められない穴として、ずっと残った。

でも今世は違う。

この人たちがどういう人か、知ってしまう。

この家がどういう空気か、知ってしまう。

それはたぶん、いつか来る別れを余計に痛くする。

分かっているのに、知りたいと思ってしまうのだから、人間は業が深い。

そんなふうに、まだ小さな身体で妙に重いことを考えながら、ある日、俺は縁側近くの光の中で一人遊ばされていた。

遊ばされていた、という表現には少し語弊があるかもしれない。積み木めいた木片を渡され、座布団の上へ座らされ、家族の誰かが少し離れたところから見ている、よくある乳幼児の時間である。もっとも中身は五十を超えているので、木片を打ち合わせて喜ぶような歳ではない。

ないのだが、手先の訓練と思えばまあ悪くない。

そんなことを考えつつ、ひとつ木片を転がした時だった。

視界の端に、見覚えのある気配が引っかかった。

あ、いた。

また見つけた。

白い衣。杖。妙に仙人然とした、あの老人。

六道仙人だ。

何でそこにいる。

本当に何でそこにいるんだ。

いや、前にもいたから存在自体にはもう驚かない。驚かないが、だからといって慣れたわけではない。こっちは一歳児である。向こうは神話の生き証人みたいな存在である。接点としてはだいぶ意味が分からない。

しかも、向こうもまた俺を見つけた途端、ぴたりと固まった。

いや、その反応は前も見たな。

まるで「また見えておるのか?」とでも言いたげな、戸惑いと困惑と、ほんの少しの警戒が混ざった顔。さすがに一度目の邂逅よりは表情が整っていたが、それでも驚いているのは隠せていない。

俺は木片を持ったまま、じっとそちらを見返した。

六道仙人も、じっとこちらを見ている。

しげしげ、という擬音がこれほど似合う視線も珍しい。上から下まで観察するように見ているのに、不思議と露骨な不快感はない。ただ純粋に、「何なんじゃこやつ」と困っている目だった。

気まずい沈黙が落ちる。

部屋の中ではツムギが何かを縫っている気配がする。祖母の足音もする。現実の生活音がすぐ近くにあるのに、視線の先だけ妙に非現実だった。

やがて、先に口を開いたのは六道仙人の方だった。

「……お主、何者じゃ?」

思わず木片を取り落としかけた。

……え?

いや、待て。

それ、俺に聞く?

一歳児相手に?

いや見た目は一歳児だけども。中身を知らないなら知らないで、普通はまずそこから入るのか。何者じゃって。雑な尋問の始まり方だな。いや相手が相手だから雑とも言い切れないんだけど。

内心で一瞬つっこんでしまったが、当然、口には出せない。

出せても困る。

まだ発音はだいぶ怪しいし、何よりここで急に流暢に喋り出したら、それはそれで大惨事だ。

俺がぽかんとしていると、六道仙人はさらに眉を寄せた。

「なぜ、わしが見えるのだ」

ああ、そっちか。

そっちの疑問か。

いや、分かる。分かるけど、俺も知りたい。

知りたいが、候補がないわけでもない。

特級呪術師でブラック的に働きまくったからじゃないですかね、と、つい前世ノリの答えが頭をよぎった。

いや本当に。

見える側だったしな、俺。

前世では人ならざるものを視て、祓って、殺して、生き延びる側だった。しかも特級だ。伊達じゃない。嫌でも境界に近づく。人の生と死、呪いと魂、そのあたりへ足を突っ込み続けた人生だった。加えて、最後は自爆法術で吹き飛ばされている。魂の輪郭が多少おかしくなっていても不思議じゃない。

六道仙人が、呪霊と似たようなものかと言われれば少し違う気もするが、少なくとも“普通の生者”とは違う領域の存在なのは確かだろう。

見えてしまう理由としては、案外それで説明がつくのかもしれない。

あるいは――

自分の中に流れる、六道の残滓。

そちらが反応している可能性もあった。

前々世の俺は十尾の人柱力になり、六道の力へ深く触れた。その構造そのものは今世へ丸ごと持ってきていないにしても、魂の深層に残り香くらいは焼きついているはずだ。そこへ前世で積み重ねた呪力と視認能力が重なったなら、“見えないはずのものが見える”という現象が起きても、おかしくはない。

たぶん、完全にどちらかではない。

両方だ。

前々世の残滓と、前世の経験。

忍と呪いの両方をくぐり抜けてきた、この妙な魂だからこそ、今こうして六道仙人を視界へ引っかけている。

そんな推測が、頭の中で静かにまとまっていく。

だが、まとめたところで、今の俺に説明手段はない。

「……あー」

出たのは、赤ん坊らしい曖昧な声だけだった。

六道仙人がわずかに目を見開く。

いや、すまん。俺も会話したいのは山々なんだけど、声帯と舌が追いつかない。人生経験と発声能力がまったく釣り合ってないんだよ今の俺。

俺が少し身を乗り出すと、六道仙人もわずかに杖へ力を込めた。

警戒というより、身構えたのだろう。

その仕草が妙に人間臭くて、少しだけ笑いそうになる。

この人、仙人みたいな顔をしてるくせに、案外分かりやすい。

俺はしばらく考えた末、言葉の代わりに、自分の胸元へ手を置いた。

それから、ゆっくりと首を傾げる。

「俺にも分からない」とまでは伝わらないだろうが、少なくとも敵意がないことくらいは伝わるかもしれない。

六道仙人はその仕草を見て、ふっと目を細めた。

しばしの沈黙。

それから、老人はどこか呆れたように、小さく息を吐いた。

「……妙な子よのう」

それはたぶん、現時点での最も正確な評価だった。

ほんとそれな、と内心で返す。

妙なのは自覚している。

一歳児の中に、二つ前の人生と一つ前の人生が詰まっていて、呪いもチャクラも扱えて、六道仙人まで見えてしまう。妙じゃなかったら何なんだという話だ。

だが、向こうもそれ以上は踏み込んでこなかった。

できないのか、しないのかは分からない。けれど六道仙人は俺を見つめたまま、何かを測るように沈黙したあと、最後にもう一度だけ問いを重ねた。

「お主は……本当に、何者なのじゃ」

その声には、先ほどよりも少しだけ別の色が混じっていた。

警戒だけではない。

困惑。興味。僅かな懐旧。そんなものが、複雑に滲んでいる。

たぶん、俺の中に前々世の名残を見ているのだろう。

俺自身にもまだ分からないものを、あの目は少しばかり拾っているのかもしれない。

けれど、やはり答えは出せなかった。

出せるわけがない。

うちはオビトです、なんて名乗ったところでややこしいだけだし、前世だの再転生だのを一歳児がどうこう説明できる状況でもない。何より俺自身、今の自分を一言で言えるほど整理できていなかった。

だから、俺はただ六道仙人を見返した。

泣きもせず、怯えもせず、じっと。

その目に、老人はまた驚いたように沈黙した。

部屋の向こうで、ツムギがふと顔を上げる気配がする。どうやら俺が静かすぎるのを気にしたらしい。六道仙人はそれに気づくと、わずかに視線を逸らし、気配を薄めた。

消える直前、ほんの少しだけ、困ったような顔をしていた。

ああ、この人、本当に困ってるんだな、と妙なところで実感する。

そりゃそうか。

見えるはずのない赤子に見られて、しかも向こうも平然としている。困らない方がおかしい。

気配が消える。

縁側の外には、昼の光が落ちていた。

俺はしばらくそこを見つめていたが、やがて背後からそっと抱き上げられた。

ツムギだ。

やさしい腕の中へ収まりながら、俺は小さく息を吐く。

温かい。

現実のぬくもりだ。

六道仙人だの前世の残滓だの、そういう訳の分からない話をしていた直後だからこそ、その当たり前の温度が妙に沁みた。

この家がある。

父がいて、母がいて、祖母がいる。

穏やかな空気があって、生活の音があって、自分はその真ん中にいる。

失った時に絶対効く、と、さっき思ったばかりだ。

それでも、たぶん俺は、この痛みの種を抱えたまま生きるのだろう。

知ってしまう。あたたかさを。

知ってしまった上で、守ろうとする。

それがどれだけ後で自分を刺すとしても、もう見ないふりはできない。

ツムギの肩越しに、さっきまで六道仙人がいた場所を見る。

もう誰もいない。

けれど、たぶんあの老人はまた来る。

今度はもっと、確かめるために。

俺の方も、知りたいことはあった。

なぜ見えるのか。

何が残っているのか。

この生はどこまで前の二つの人生を引きずるのか。

考えることは山ほどある。

ただ、一つだけはっきりしていることもあった。

どうやら俺は、本当にもう、普通の赤ん坊ではいられないらしい。

いや、最初からそうなんだけど。

今さらすぎる結論に、胸の内だけで小さく肩を竦める。

人生三周目、一歳。

前途は、どう考えても多難だ。

けれど――まだ、悪くない。

そう思えたのは、きっとこの腕が、あまりにもあたたかかったからだ。


〆栞
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