万華鏡

三歳になった。

だから何だと言われれば、やはりどうもしないのだが、それでも三という数字には妙な区切りの感覚がある。赤ん坊だの幼子だのと言い訳するには、少しだけ身体が育ってきた。走るにはまだたどたどしいが、歩くのはもう問題ない。言葉も増えた。祖母との会話も、それなりに形になってきている。

そして中身の方はというと、前々世三十一年、前世二十一年、今世三年。

合わせて五十五歳になった。

節目かな、とふと思った。

いや、何の節目だ。還暦には早いし、忍としても人としてもまったく落ち着いた老境ではない。むしろ三歳児の身体へ詰め込むには情報量が多すぎる人生だ。だが、五十五という数字を思い浮かべると、我ながら妙に遠くまで来た気がする。

そのくせ、現実の俺はまだ祖母に着替えを手伝われているのだから、人生というやつは本当に容赦がない。

とはいえ、三歳にもなると、できることは確実に増える。

祖母の目を盗んで家の中を動き回るのも容易になったし、手先の操作もだいぶ安定してきた。呪力の細い制御も、チャクラの流し方も、以前よりずっと滑らかだ。写輪眼の制御もかなり馴染んでいて、必要な時だけ赤を浮かせる、という程度のことなら無理なくできるようになっていた。

この年齢でそこまでやれている時点で十分異常なのだが、魂の側に最終形が焼きついているのだから、ある意味では当然でもある。

前々世の最後、俺は両目を取り戻していた。

その“揃った状態”が魂の輪郭として残っているのなら、写輪眼が早く馴染むのも、万華鏡へ至る道が近いのも、理屈としてはおかしくない。

理屈としては、だ。

だが、理屈と心の準備は別である。

ある日のことだった。

昼の光が家の中へやわらかく差し込んでいて、祖母は台所の方で何かをしていた。俺は縁側近くで一人、木片を並べながら、何となく視界の端に違和感を覚えた。

あれ、と首を傾げる。

何かがおかしい。

景色そのものが歪んでいるわけではない。ぼやけてもいない。むしろ逆だ。輪郭が鋭すぎる。細部が妙に拾えすぎる。木目の筋、畳の編み目、戸の向こうの光の揺れ、そういったものが、やけにくっきりと飛び込んでくる。

見えすぎる。

しかもそれだけじゃない。赤の底で、何かが回っているような、捻れているような、そんな感覚があった。

……いや、これ、もしかして。

嫌な予感がした。

俺は立ち上がり、ぱたぱたと短い足で部屋の隅へ向かった。そこに置いてある、小さな鏡。祖母が身支度に使う、年季の入った手鏡だ。

か、鏡。

心の中でだけ急かしながら、両手でそれを引き寄せ、恐る恐る覗き込む。

そこに映っていた自分の顔を見て、思わず息が止まった。

ええと。

ふぁっ!?

いや待って。

待って待って待って。

早い。

赤い瞳の中、もう三つ巴ではなかった。

模様が変わっている。

回るように、ねじれるように、巴よりもっと複雑な文様が、それぞれの瞳に刻まれていた。

万華鏡写輪眼だ。

本当に?

本当にこの年齢で?

いや、なるほど、理屈は分かる。分かるには分かるのだ。人生のあれこれを経験し過ぎた賜物と言われれば、その通りである。前々世で散々壊れ、前世でまた死線を越え、泣いて、悔やんで、諦めかけて、それでも立ち上がって、最後まで生き切った。その積み重ねが魂の奥へ沈殿しているのなら、開眼の条件だの精神的な深度だのは、とっくに満たしていておかしくない。

だが、それとこれとは話が別だ。

三歳だぞ。

万華鏡を持つには早すぎる。というか、早すぎて笑うしかない。笑うしかないが、鏡に映る絵面はまったく笑えなかった。

怖っ!

率直にそう思った。

前にも三つ巴の時点でそこそこホラーだと思ったが、今回のは段違いだった。幼い輪郭のままの顔に、完成された万華鏡の赤がある。子ども特有のやわらかさと、瞳だけが持つ異様な重みが噛み合っていなくて、余計に不気味だ。

何だこれ。

夜道で会ったら泣くぞ。

自分の顔に引くってどういうことだ。いやでも引く。これは引く。三歳児がしていい目じゃない。

鏡を持ったまましばし固まっていると、背後からふっと、聞き慣れた気配が落ちた。

「…………」

無言。

だが、いる。

本当に、何なんだこのタイミングの良さは。

俺がゆっくり振り返ると、案の定、六道仙人が立っていた。

そして、その顔はいつになく分かりやすく固まっていた。

いや、うん。

そうなるよな。

さすがの六道仙人も、三歳児の万華鏡写輪眼は予想していなかったらしい。いつもならまず困惑、次に観察、最後に「厄介じゃのう」あたりへ落ち着くこの老人が、今は単純に衝撃を受けている。

というか、口元が引きつっている。

そして次の瞬間、ぽつりと落ちた一言は、俺の心の声と完全に一致していた。

「……怖っ」

お前もかブルータス!

と心の中で即座に叫んだ。

いや待て、ブルータスってローマだっけ。エジプトのカエサルだったっけ。世界史の授業でそんなのやった気がする。いや、そこじゃない。そこじゃないんだけど、動揺すると人間、変なところから知識が出てくるな。

しかし問題はそこではない。

六道仙人、お前もそう思うんだな、という一点である。

始祖級存在から見ても怖いのか、この絵面。

ちょっと安心したような、全然安心できないような、妙な気持ちになる。

俺が鏡を持ったままじっとしていると、六道仙人は数拍遅れて我に返ったらしく、咳払いを一つした。だが誤魔化せていない。目がまだ驚きに開かれている。

「……三歳で、そこまで至るとは」

低い声音には、さすがに隠しきれない動揺が滲んでいた。

俺だってそう思う。

至るにしたって段階というものがあるだろう。片巴、二つ巴、三つ巴、そこから長い時間と痛みを経て万華鏡――それが普通の流れだ。けれど俺の場合、その普通がすっ飛ばされている。

前々世での最終到達点。
前世で鍛え抜いた視認と精神の深度。
今世の魂への定着。

全部まとめて三歳児にのしかかってきた結果が、これだ。

達観し過ぎな三歳児、という言葉が頭をよぎる。

まったくもって笑えないが、間違ってはいない。普通の三歳児が人生を達観しているわけがないのに、俺は既に二つの生を越えてここにいる。その分だけ瞳が深くなってしまうのも、ある意味当然なのかもしれなかった。

だが、当然で済ませられる話でもない。

万華鏡写輪眼は危険だ。

その力を知っているからこそ分かる。神威も含め、あの眼は便利である前に、あまりにも重い。幼い器が扱っていいものではないし、露見すれば面倒どころでは済まない。三つ巴の時以上に、隠す必要があった。

六道仙人はまだ俺の顔を見ている。

いや、正確には顔というより、目を見ている。

その視線が少しずつ変わっていくのが分かった。単純な衝撃から、確認へ。確認から、思案へ。思案の奥に、微かな警戒と、別の何か――懐旧めいたものが混ざる。

「その瞳……お主の魂に刻まれたものが、あまりにも濃いのじゃろうな」

ぽつりと、老人はそう言った。

俺は小さく瞬きをする。

やはり、そこまで見ているのか。

さすがに全部を見抜いているわけではないだろう。だが、ただ早熟なうちはの子どもでは説明しきれないことくらいは、あの目には分かるらしい。

魂に刻まれたもの。

そう言われると、妙にしっくりきた。

前々世の後悔も、喪失も、願いも。
前世の出会いも、痛みも、背中も。
全部、消えていない。

その重みが、この目の奥にまで染み込んでいる。

幼い身体には不相応なほど、深い赤だ。

鏡の中の自分を見て、改めてそう思った。

幼い顔。
まだ丸い頬。
少し伸びた黒髪。
そして、その中心にある万華鏡。

やっぱり怖い。

何度見ても怖いな、これ。

俺が若干引いた顔をしていたのだろう。六道仙人はそんなこちらを見て、ほんの少しだけ、妙な沈黙を挟んだあと、低く息を吐いた。

「……本人もそう思っておるのか」

そう思ってるよ。

めちゃくちゃ思ってる。

言葉にできない代わりに、たぶん顔へ全部出ていたのだろう。六道仙人の方が先に察したらしい。

何だその察し方。

いやでも、そうか。三つ巴の時も自分で鏡を見て怖がっていたし、万華鏡ともなればなおさらだ。俺がこの目を誇らしく見せつけているようには見えないのだろう。実際その通りである。

力は力として受け入れる。

だが、絵面は普通に怖い。

その二つは両立する。

しばらくして、六道仙人は膝を折るように少し身を屈め、俺と目線を合わせた。

「その瞳、軽々しく使うでないぞ」

声音は厳しかった。

だが、叱責ではない。忠告だ。よく知る者が、危うさを分かった上で言う言葉だった。

俺は小さく頷く。

三歳児にしてはやけにしっかりした頷きだったらしく、六道仙人の眉がぴくりと動いた。

あ、今ちょっと「やっぱり妙じゃのう」って思ったな。

まあ否定はできない。

三歳児らしくない自覚はある。あるが、今さらそこを気にしても仕方ない。むしろ気にすべきは、この万華鏡をどう隠すか、どう抑えるかだ。

祖母に見られたら洒落にならない。

いや、祖母は祖母で情の深い人だから、俺を切り捨てるようなことはしないと思う。思うが、それと驚かせないことは別だ。三歳児の孫が突然この目になっていたら、普通に心臓へ悪い。

何とかして制御を安定させないと。

そう考えていると、六道仙人が俺の表情を読んだのか、少しだけ呆れたように目を細めた。

「まったく……お主は本当に、幼子らしゅうない」

それには反論のしようがなかった。

本当にそうである。

前々世三十一年、前世二十一年、今世三年。

五十五歳の内実を抱えた三歳児が、幼子らしいはずもない。いや、体はしっかり幼子なので、祖母に抱き上げられると普通に落ち着くし、眠くなると抗えないし、転べば普通に痛いのだが。それでも中身まで三歳児には戻れない。

達観し過ぎな三歳児。

我ながらひどい肩書きだと思う。

六道仙人はしばらく無言で俺を見つめ、それから最後にもう一度、万華鏡の瞳へ視線を落とした。

その表情には、まだ衝撃が残っていた。

そりゃそうだ。

二歳で三つ巴。
三歳で万華鏡。

忍の歴史を引っくり返しても、そうそうない。うちはの業の深さも、瞳の力も知るこの老人からしてみれば、危険の塊みたいなものだろう。

だが、それでも六道仙人は、すぐに踏み込んでこなかった。

問い詰めるでもなく、力を封じるでもなく、ただ忠告だけを残して距離を取る。

その慎重さはありがたかった。

今の俺には、まだ整理しきれていないものが多すぎる。

写輪眼の先。
万華鏡の制御。
これから先の人生。
両親を失ったあとの家。
祖母との暮らし。

考えることは山ほどある。

そこへさらに神話級の事情まで積まれたら、さすがに処理しきれない。

六道仙人が気配を薄めていく。

消える直前、ちらりと俺を見て、またぼそりと呟いた。

「……やはり、怖いのう」

まだ言うか。

いや、分かるけど。

思わず肩が抜けそうになる。三歳児の身体でやるには若干渋い反応だな、と自分で思いながら、俺は鏡を膝の上へ置いた。

もう誰もいない。

昼の光だけが、静かに部屋へ満ちている。

鏡の中には、幼い俺がいた。

赤い万華鏡を宿した、どう見ても普通ではない三歳児が。

怖い。

怖いが、目を逸らす気にはならなかった。

この瞳は、俺が積み重ねてきたものの証だ。
失ったものも、守りたかったものも、背負ったものも、全部ここにある。
なら、怖くても見ていくしかない。

使いどころを間違えないように。
また道を踏み外さないように。
今度こそ、守るために。

鏡の中の自分へ向けて、胸の奥だけでそう言い聞かせた。

三歳。
五十五歳。
万華鏡写輪眼持ち。

情報量が多いな、と改めて思う。

そして現実の俺は、まだ祖母に昼寝を促される歳なのだから、余計にひどい。

ままならない。

本当に、ままならない。

それでも、この生はまだ始まったばかりだ。

小さく息を吐いて、俺は鏡をそっと元の場所へ戻した。

とりあえず今は、祖母に見つかる前にこの目を引っ込める方が先だ。

人生三周目、三歳。

万華鏡は、どうやら想像以上に早く訪れたらしい。


〆栞
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