方針計画
三歳になってしばらくした頃、祖母が俺にゴーグルを買ってくれた。
見た瞬間、思わず目を見開いた。
懐かしい。
それは、前々世の記憶にあるあのゴーグルによく似ていた。幼い頃の俺が額へ乗せていた、少し野暮ったくて、でも妙にしっくりくる形。子ども用らしく少し小ぶりで、けれどちゃんと作られていて、祖母がどれだけ丁寧に選んでくれたのかが分かる品だった。
「外で遊ぶなら、少しは目ぇ守らんとね」
祖母はそんなふうに言って、俺の頭へそれを載せてくれた。
その手つきはいつも通り穏やかだったが、俺は内心でわりと大騒ぎだった。
いや、助かる。
めちゃくちゃ助かる。
これ、目を隠せるんじゃないか?
鏡の前で位置を少しずつ調整しながら、俺は真面目に考え込んだ。普段は黒目のままでも、何かの拍子に写輪眼が浮く可能性はある。三つ巴どころか万華鏡まで行っている現状、露見した時の面倒は計り知れない。
とはいえ、今世の俺は、前々世みたいに自分を閉ざすために隠したいわけじゃない。
そこが決定的に違っていた。
隠したいのは、俺自身ではない。
普通の子どもとして見られたいのだ。
普通の子どもとして、浮かずにいたい。周囲にいらない警戒を抱かせず、変に構えられず、年相応の位置で生きたい。だから調整しようとする。自然に見える範囲へ、自分を寄せようとする。
……まあ、その“自然”の基準がだいぶズレているせいで、逆にやり過ぎそうなんだけど。
そこはもう、うん、頑張るしかない。
とにかく、このゴーグルはありがたかった。
写輪眼の開眼は、前々世に倣って神無毘橋の戦いまで秘密にしておこう。
そう決めると、妙に腹が据わった。
あの戦いまで、俺は“普通の子ども”でいる。少なくとも、そう見えるようにはする。万華鏡写輪眼に至ってはなおさらだ。あれは本当にまずい。使うとしたら、文字通り、本当にやばい時だけだろう。
神威は便利なんだけどな。
前々世でも前世でも、大変お世話になっております。感謝。
本当に。
物の出し入れ、回避、空間移動、緊急退避。便利すぎる。便利すぎて、つい頼りたくなる。だが今の俺が軽々しく使えば、間違いなく怪しまれる。となると、やはりゴーグル必須だ。
目を隠しつつ、必要な時だけ使う。
方針は見えてきた。
なら次は、手持ちの能力を整理する番だった。
今後の呪力とチャクラの運用を、ちゃんと試しながら考えよう。
そう決めた俺は、祖母が昼寝に入った頃合いを見計らって、家の裏手へ出た。集落外れのさらに外れ。子どもが少しくらい遊んでいても不自然ではなく、それでいて人目が少ない場所。三歳児としてはなかなか慎重な行動だが、やることがやることなので仕方ない。
まず確認するのは、呪力量。
これはもう、感覚の時点で分かっていた。
乙骨級だ。
相変わらず多い。
多すぎる。
前世でも思っていたが、これ本当にどうかしている。器の小さい今世では表面へ出る量自体は調整されているものの、底に沈んでいる総量の感覚は、やはりあの頃と同じだった。
乙骨先輩と後輩の俺。
懐かしいな、とふと笑いそうになる。
ああ、特級同士で慰め合ったこともあった。ブラック過ぎて、たまに会ったら互いに疲れた顔をしていたんだよな。任務の密度も責任も重い側に偏ると、どうしても顔に出る。乙骨先輩はあの穏やかさでちゃんと疲れていて、俺は俺で何となく死んだ魚みたいな目をしていて、会った瞬間に「あ、やばいっすね」「うん、そっちもね」みたいな空気になるのが妙に面白かった。
……ハッ。
いやいや、今は思い出に浸ってる場合じゃない。
確認事項だ。
俺は小さく頬を叩く気分で意識を切り替えた。
まずは、一番使い慣れたものから。
赤血操術。
前世の母が継いでいた、加茂家相伝の術式だ。俺はそれをほとんど執念で磨き上げ、最終的にはかなりの域まで持っていった。扱いやすい。応用が利く。近中距離の制圧力も高い。何より、自分の身体感覚と噛み合う。
だが問題もある。
血は目立つ。
とにかく目立つ。
知らない奴から見たら普通にホラーだし、しかも三歳児が使っていい術式じゃない。無駄に心配もされる。いや、体調が悪い時は確かに少し貧血気味になることもあるが、張相レベルにまで到達した身としては、そのあたりはもうだいぶ調整できる。
できるが、それを他人は知らない。
知らない人間が見たら、「子どもが自分の血を使ってる!?」で終わる。
うーん、と腕を組んだ。
使い勝手が良いだけに困る。
血液。
液。
液体。
……水?
そこで、ふと思った。
待てよ。水で赤血操術、できんじゃね?
発想としては単純だった。
赤血操術の肝は、血という媒体そのものだけではない。流動体を精密に制御し、圧縮し、硬化し、軌道を組み、殺傷や拘束へ転換する操作理論にある。なら媒体が“血液に近い流動体”であれば、かなりの部分は流用できるはずだ。
試してみよう。
俺は近くの水桶と、地面に残っていた小さな水溜まりへ意識を向けた。さらに空気中の湿気まで拾う感覚で、呪力とチャクラを薄く混ぜていく。
動け。
そう念じるより先に、水が応じた。
ひゅ、と細い筋になって持ち上がる。形状維持も追尾も問題ない。粘性を高めれば、赤縛のような拘束もできる。圧を鋭くすれば苅祓にも近い。刃へ変えれば血刃、粒へ散らして圧縮すれば血星磊、弾けさせれば超新星。
おいおい。
めっちゃできるな?
予想以上だった。
極めつけに、百斂。
圧縮。
収束。
そこからの穿血。
細く、鋭く、一直線に――水の槍が、空気を裂いて飛んだ。少し離れた木の幹へ突き刺さり、乾いた音を立てる。
結論。
ヤバ過ぎる運用性だった。
何だこれ。便利すぎるだろ。
空気中の水分、水溜まり、桶の水、周辺にある液体を、そのまま赤血操術の感覚で扱える。血より目立ちにくい。外から見れば高精度の水遁で押し通せる。いやこれ、下手すると本来の赤血操術より誤魔化しやすいまである。
すごいな、俺。
いや違うな。
前世であれだけ練り上げた術式理論がすごいのか。母さん、加茂家、張相、ありがとう。だいぶ勝手に改造してるけど。
一人で妙に納得してから、俺は次へ進む。
続いて、御厨子。
解と捌は、さすがにそのまま使うと異質すぎる。呪力でやるそれは、最小限の動きで呪霊を祓除できるレベルの切断力を持つ。便利だ。有能だ。だが対人には殺傷力が強すぎる。
なので、風で試す。
風遁へ落とし込むかたちで、見えない斬撃として流す。
す、と腕を払う。
風が走る。
目に見えない刃が、草を薙ぎ、細い枝を落とした。
……うん。
これなら対人用に使えるレベルかな。
呪力版の解・捌よりは殺傷力が落ちている。もちろん十分危険だが、それでも忍術として解釈できる範囲へ近づいた。外から見れば、異常に精度の高い風遁斬撃だ。言い張れば通る。
よし、忍術。
続けて、竈(カミノ)・開(フーガ)。
これは火だ。
だが、試した瞬間にすぐ分かった。
危ない。
いやもう本当に危ない。
火が、ただの火では済まない。圧縮と解放の加減を少しでも誤れば、周囲ごと吹き飛ぶ。ロマンはある。めちゃくちゃある。だが微細なコントロールができなければ大惨事である。
勿体ない……。
こんなに浪漫の塊みたいな技なのに、現状では気軽に使えない。いや気軽に使うもんじゃないんだけど。何か活用法ないかな、と未練がましく思うが、今は保留だ。考えよう。後で絶対考えよう。
次。
逕庭拳。
これはチャクラで試す。
虎杖の、あの独特な二段の衝撃。最初の打撃のあと、わずかな遅れで二発目が走る感覚。あれを忍の身体運用に乗せたらどうなるか。
やってみた。
結論、超便利。
ありがとう虎杖!
勝手に写輪眼でコピーして悪かった!
いや本当に助かる。近接での崩しが非常にやりやすい。最初の一撃で相手の体勢を揺らし、遅れて入る衝撃で防御の芯を外せる。三歳児の身体で大きな威力はまだ出せないが、理屈が身体へ馴染んでいる時点で大きい。成長したら普通に主力候補だ。
黒閃はどうか。
これは……狙って出せるんだよな、俺。
いや、これも本来おかしいんだけど。前世でもわりとそうだった。たまに無意識で出ることもあって、釘崎に「黒閃バカ」って言われたな、と少しだけ苦笑する。
要注意だ。
狙えるのは強い。だが無意識で出るのは困る。普通に困る。対人でぽろっと出したら洒落にならない。呪霊相手ならともかく、普段は意識して抑える必要があるだろう。
そして、前世でよく使った反転術式。
これは確認必須だ。
俺はそのへんに落ちていた小さなナイフを取り、少しだけ躊躇したあと、自分の手の甲へ浅く刃を走らせた。
痛い。
当たり前に痛い。
赤い線が浮く。そこへ反転術式を流し込む。呪力を反転させ、正の力へ変え、傷へ戻す。
みるみる塞がった。
よし、問題なし。
出力側も確認したいな、と思ったところで、不意に草むらの向こうに小さな鳥が見えた。羽の根元を傷めている。飛べずに地面でじっとしていた。
怪我してる。
試すか、と少し迷ったが、結局そっと手をかざす。反転術式を外へ流す。陽の適性も噛ませる。
鳥が、ぴくりと震えた。
傷口が閉じる。
羽の動きが戻る。
おお。
これも問題無し。
医療革命だな、と本気で思った。
だが、勢い余ってもう少し確認したくなった俺は、調子に乗って別の切り方を試し――
「痛ェ!」
思わず叫んだ。
何やってんだ俺は。
いや確認のためなんだけど。確認のためなんだけど、ざっくり行きすぎた。普通に痛い。三歳児の手には十分すぎるダメージである。ちょっと涙目になりながら反転術式+陽を叩き込み、あっさり回復。
……うん、強い。
強いけど、馬鹿みたいだな今の流れ。
一人で痛がって一人で治している。傍から見たら相当怪しい。いや見られてなくてよかった。
使うのは対呪霊の時ぐらいかな……いや、まあ臨機応変だな。味方を助ける必要がある場面では間違いなく使う。そのへんは状況優先だ。
ひと通り確認を終えたところで、俺はその場へぺたんと座り込んだ。
風が吹く。
木々が揺れる。
家の方からは、まだ祖母の気配が遠くある。
静かな時間だった。
そして俺は、今さらなことに気づいた。
……これ、どれもこれも印無しの術式じゃないか。
写輪眼を通した視認と理解、呪力とチャクラの混成、そこから生まれる異常な精密制御。やっていることは確かに戦闘技術だし、この世界の理屈へ寄せれば忍術っぽく見せられる。だが、手順だけ見れば印がない。術式の成立の仕方も、だいぶ忍のそれから逸脱している。
果たしてこれは忍術と呼べるのだろうか。
しばらく考えた。
考えて、結論を出した。
まあ良いや。
逸脱した忍術扱いで良しとする。
これは忍術だ。
言い張る。
忍術だ。
大事なので二回言った。
すると、少し離れたところから、呆れた気配が落ちてきた。
「忍術ではなかろう」
六道仙人である。
いたのかよ。
いやいるとは思ってたけど!
本当に、こういう時だけ妙に察しよく現れるなこの人。老人は腕を組み、いつもの困惑半分呆れ半分の顔でこちらを見ていた。
俺は即座に見返す。
「いいえ、忍術です」
言葉にはならない。だが、たぶん目がそう言っていた。
六道仙人は無言になった。
勝ったな。
いや別に勝ってないけど。
しかし実際、分類なんてどうでもいい部分もある。大事なのは、この世界でどう見せるかだ。忍の世界で生きるなら、忍術として扱える形へ寄せる。それで十分だ。
とはいえ、こうして棚卸ししてみると、思うこともある。
俺って、忍より呪術師適性が高いよな……。
汗が出そうになった。
いや、前々世は忍だった。間違いなく忍だった。だが前世で学んだことが多すぎる。影響も強く受けている。術の組み立ても、応用の発想も、どうしても向こう側の理屈が先に立つ。忍術を使っているつもりでも、実際は呪術的な再構築が深く噛んでいる。
まあ、それはそれで良いか。
前世で学んだことは、ちゃんと俺の力になっている。
虎杖の拳も、母さんの術式も、乙骨先輩との重さも、五条先生の背中も、全部、消えていない。なら無理に切り分ける必要もない。今の俺は、その全部を持ったまま、もう一度この世界で生きるのだ。
だったら使えるものは全部使う。
守るために。
まずは、手の届く範囲から。
そう胸の奥で結論づけたところで、不意にゴーグルの縁へ触れた。
額へ乗せたその感触が、妙にしっくりくる。
懐かしくて、少しだけむず痒い。
普通の子どもになろうとして、たぶんまた少しやり過ぎるのだろう。
隠しているつもりで隠し切れず、年相応のつもりで基準がズレて、結果として「何か変なやつ」になる未来が、今からうっすら見えている。
……まあ、それも俺か。
苦笑しながら立ち上がる。
祖母に怪しまれる前に戻らないといけない。今日は少し試しすぎた。手も服も痕跡が残っていないか確認して、呼吸を整えて、なるべく“三歳のオビト”らしい顔を作る。
普通の子ども。
普通の子ども、な。
難易度、高すぎるだろ。
そんなことを思いながら、それでも俺は家の方へ足を向けた。
方針は決まった。
写輪眼は神無毘橋まで隠す。
万華鏡は本当にやばい時だけ。
神威は便利だが慎重に。
呪術とチャクラの混成は、忍術として押し通す。
そして、普通の子どもとして生きようとして、たぶん少し失敗する。
うん。
上等だ。
人生三周目。
三歳。
方針計画、だいたい完了。
あとは――普通を装う訓練が、一番難しい気がする。
見た瞬間、思わず目を見開いた。
懐かしい。
それは、前々世の記憶にあるあのゴーグルによく似ていた。幼い頃の俺が額へ乗せていた、少し野暮ったくて、でも妙にしっくりくる形。子ども用らしく少し小ぶりで、けれどちゃんと作られていて、祖母がどれだけ丁寧に選んでくれたのかが分かる品だった。
「外で遊ぶなら、少しは目ぇ守らんとね」
祖母はそんなふうに言って、俺の頭へそれを載せてくれた。
その手つきはいつも通り穏やかだったが、俺は内心でわりと大騒ぎだった。
いや、助かる。
めちゃくちゃ助かる。
これ、目を隠せるんじゃないか?
鏡の前で位置を少しずつ調整しながら、俺は真面目に考え込んだ。普段は黒目のままでも、何かの拍子に写輪眼が浮く可能性はある。三つ巴どころか万華鏡まで行っている現状、露見した時の面倒は計り知れない。
とはいえ、今世の俺は、前々世みたいに自分を閉ざすために隠したいわけじゃない。
そこが決定的に違っていた。
隠したいのは、俺自身ではない。
普通の子どもとして見られたいのだ。
普通の子どもとして、浮かずにいたい。周囲にいらない警戒を抱かせず、変に構えられず、年相応の位置で生きたい。だから調整しようとする。自然に見える範囲へ、自分を寄せようとする。
……まあ、その“自然”の基準がだいぶズレているせいで、逆にやり過ぎそうなんだけど。
そこはもう、うん、頑張るしかない。
とにかく、このゴーグルはありがたかった。
写輪眼の開眼は、前々世に倣って神無毘橋の戦いまで秘密にしておこう。
そう決めると、妙に腹が据わった。
あの戦いまで、俺は“普通の子ども”でいる。少なくとも、そう見えるようにはする。万華鏡写輪眼に至ってはなおさらだ。あれは本当にまずい。使うとしたら、文字通り、本当にやばい時だけだろう。
神威は便利なんだけどな。
前々世でも前世でも、大変お世話になっております。感謝。
本当に。
物の出し入れ、回避、空間移動、緊急退避。便利すぎる。便利すぎて、つい頼りたくなる。だが今の俺が軽々しく使えば、間違いなく怪しまれる。となると、やはりゴーグル必須だ。
目を隠しつつ、必要な時だけ使う。
方針は見えてきた。
なら次は、手持ちの能力を整理する番だった。
今後の呪力とチャクラの運用を、ちゃんと試しながら考えよう。
そう決めた俺は、祖母が昼寝に入った頃合いを見計らって、家の裏手へ出た。集落外れのさらに外れ。子どもが少しくらい遊んでいても不自然ではなく、それでいて人目が少ない場所。三歳児としてはなかなか慎重な行動だが、やることがやることなので仕方ない。
まず確認するのは、呪力量。
これはもう、感覚の時点で分かっていた。
乙骨級だ。
相変わらず多い。
多すぎる。
前世でも思っていたが、これ本当にどうかしている。器の小さい今世では表面へ出る量自体は調整されているものの、底に沈んでいる総量の感覚は、やはりあの頃と同じだった。
乙骨先輩と後輩の俺。
懐かしいな、とふと笑いそうになる。
ああ、特級同士で慰め合ったこともあった。ブラック過ぎて、たまに会ったら互いに疲れた顔をしていたんだよな。任務の密度も責任も重い側に偏ると、どうしても顔に出る。乙骨先輩はあの穏やかさでちゃんと疲れていて、俺は俺で何となく死んだ魚みたいな目をしていて、会った瞬間に「あ、やばいっすね」「うん、そっちもね」みたいな空気になるのが妙に面白かった。
……ハッ。
いやいや、今は思い出に浸ってる場合じゃない。
確認事項だ。
俺は小さく頬を叩く気分で意識を切り替えた。
まずは、一番使い慣れたものから。
赤血操術。
前世の母が継いでいた、加茂家相伝の術式だ。俺はそれをほとんど執念で磨き上げ、最終的にはかなりの域まで持っていった。扱いやすい。応用が利く。近中距離の制圧力も高い。何より、自分の身体感覚と噛み合う。
だが問題もある。
血は目立つ。
とにかく目立つ。
知らない奴から見たら普通にホラーだし、しかも三歳児が使っていい術式じゃない。無駄に心配もされる。いや、体調が悪い時は確かに少し貧血気味になることもあるが、張相レベルにまで到達した身としては、そのあたりはもうだいぶ調整できる。
できるが、それを他人は知らない。
知らない人間が見たら、「子どもが自分の血を使ってる!?」で終わる。
うーん、と腕を組んだ。
使い勝手が良いだけに困る。
血液。
液。
液体。
……水?
そこで、ふと思った。
待てよ。水で赤血操術、できんじゃね?
発想としては単純だった。
赤血操術の肝は、血という媒体そのものだけではない。流動体を精密に制御し、圧縮し、硬化し、軌道を組み、殺傷や拘束へ転換する操作理論にある。なら媒体が“血液に近い流動体”であれば、かなりの部分は流用できるはずだ。
試してみよう。
俺は近くの水桶と、地面に残っていた小さな水溜まりへ意識を向けた。さらに空気中の湿気まで拾う感覚で、呪力とチャクラを薄く混ぜていく。
動け。
そう念じるより先に、水が応じた。
ひゅ、と細い筋になって持ち上がる。形状維持も追尾も問題ない。粘性を高めれば、赤縛のような拘束もできる。圧を鋭くすれば苅祓にも近い。刃へ変えれば血刃、粒へ散らして圧縮すれば血星磊、弾けさせれば超新星。
おいおい。
めっちゃできるな?
予想以上だった。
極めつけに、百斂。
圧縮。
収束。
そこからの穿血。
細く、鋭く、一直線に――水の槍が、空気を裂いて飛んだ。少し離れた木の幹へ突き刺さり、乾いた音を立てる。
結論。
ヤバ過ぎる運用性だった。
何だこれ。便利すぎるだろ。
空気中の水分、水溜まり、桶の水、周辺にある液体を、そのまま赤血操術の感覚で扱える。血より目立ちにくい。外から見れば高精度の水遁で押し通せる。いやこれ、下手すると本来の赤血操術より誤魔化しやすいまである。
すごいな、俺。
いや違うな。
前世であれだけ練り上げた術式理論がすごいのか。母さん、加茂家、張相、ありがとう。だいぶ勝手に改造してるけど。
一人で妙に納得してから、俺は次へ進む。
続いて、御厨子。
解と捌は、さすがにそのまま使うと異質すぎる。呪力でやるそれは、最小限の動きで呪霊を祓除できるレベルの切断力を持つ。便利だ。有能だ。だが対人には殺傷力が強すぎる。
なので、風で試す。
風遁へ落とし込むかたちで、見えない斬撃として流す。
す、と腕を払う。
風が走る。
目に見えない刃が、草を薙ぎ、細い枝を落とした。
……うん。
これなら対人用に使えるレベルかな。
呪力版の解・捌よりは殺傷力が落ちている。もちろん十分危険だが、それでも忍術として解釈できる範囲へ近づいた。外から見れば、異常に精度の高い風遁斬撃だ。言い張れば通る。
よし、忍術。
続けて、竈(カミノ)・開(フーガ)。
これは火だ。
だが、試した瞬間にすぐ分かった。
危ない。
いやもう本当に危ない。
火が、ただの火では済まない。圧縮と解放の加減を少しでも誤れば、周囲ごと吹き飛ぶ。ロマンはある。めちゃくちゃある。だが微細なコントロールができなければ大惨事である。
勿体ない……。
こんなに浪漫の塊みたいな技なのに、現状では気軽に使えない。いや気軽に使うもんじゃないんだけど。何か活用法ないかな、と未練がましく思うが、今は保留だ。考えよう。後で絶対考えよう。
次。
逕庭拳。
これはチャクラで試す。
虎杖の、あの独特な二段の衝撃。最初の打撃のあと、わずかな遅れで二発目が走る感覚。あれを忍の身体運用に乗せたらどうなるか。
やってみた。
結論、超便利。
ありがとう虎杖!
勝手に写輪眼でコピーして悪かった!
いや本当に助かる。近接での崩しが非常にやりやすい。最初の一撃で相手の体勢を揺らし、遅れて入る衝撃で防御の芯を外せる。三歳児の身体で大きな威力はまだ出せないが、理屈が身体へ馴染んでいる時点で大きい。成長したら普通に主力候補だ。
黒閃はどうか。
これは……狙って出せるんだよな、俺。
いや、これも本来おかしいんだけど。前世でもわりとそうだった。たまに無意識で出ることもあって、釘崎に「黒閃バカ」って言われたな、と少しだけ苦笑する。
要注意だ。
狙えるのは強い。だが無意識で出るのは困る。普通に困る。対人でぽろっと出したら洒落にならない。呪霊相手ならともかく、普段は意識して抑える必要があるだろう。
そして、前世でよく使った反転術式。
これは確認必須だ。
俺はそのへんに落ちていた小さなナイフを取り、少しだけ躊躇したあと、自分の手の甲へ浅く刃を走らせた。
痛い。
当たり前に痛い。
赤い線が浮く。そこへ反転術式を流し込む。呪力を反転させ、正の力へ変え、傷へ戻す。
みるみる塞がった。
よし、問題なし。
出力側も確認したいな、と思ったところで、不意に草むらの向こうに小さな鳥が見えた。羽の根元を傷めている。飛べずに地面でじっとしていた。
怪我してる。
試すか、と少し迷ったが、結局そっと手をかざす。反転術式を外へ流す。陽の適性も噛ませる。
鳥が、ぴくりと震えた。
傷口が閉じる。
羽の動きが戻る。
おお。
これも問題無し。
医療革命だな、と本気で思った。
だが、勢い余ってもう少し確認したくなった俺は、調子に乗って別の切り方を試し――
「痛ェ!」
思わず叫んだ。
何やってんだ俺は。
いや確認のためなんだけど。確認のためなんだけど、ざっくり行きすぎた。普通に痛い。三歳児の手には十分すぎるダメージである。ちょっと涙目になりながら反転術式+陽を叩き込み、あっさり回復。
……うん、強い。
強いけど、馬鹿みたいだな今の流れ。
一人で痛がって一人で治している。傍から見たら相当怪しい。いや見られてなくてよかった。
使うのは対呪霊の時ぐらいかな……いや、まあ臨機応変だな。味方を助ける必要がある場面では間違いなく使う。そのへんは状況優先だ。
ひと通り確認を終えたところで、俺はその場へぺたんと座り込んだ。
風が吹く。
木々が揺れる。
家の方からは、まだ祖母の気配が遠くある。
静かな時間だった。
そして俺は、今さらなことに気づいた。
……これ、どれもこれも印無しの術式じゃないか。
写輪眼を通した視認と理解、呪力とチャクラの混成、そこから生まれる異常な精密制御。やっていることは確かに戦闘技術だし、この世界の理屈へ寄せれば忍術っぽく見せられる。だが、手順だけ見れば印がない。術式の成立の仕方も、だいぶ忍のそれから逸脱している。
果たしてこれは忍術と呼べるのだろうか。
しばらく考えた。
考えて、結論を出した。
まあ良いや。
逸脱した忍術扱いで良しとする。
これは忍術だ。
言い張る。
忍術だ。
大事なので二回言った。
すると、少し離れたところから、呆れた気配が落ちてきた。
「忍術ではなかろう」
六道仙人である。
いたのかよ。
いやいるとは思ってたけど!
本当に、こういう時だけ妙に察しよく現れるなこの人。老人は腕を組み、いつもの困惑半分呆れ半分の顔でこちらを見ていた。
俺は即座に見返す。
「いいえ、忍術です」
言葉にはならない。だが、たぶん目がそう言っていた。
六道仙人は無言になった。
勝ったな。
いや別に勝ってないけど。
しかし実際、分類なんてどうでもいい部分もある。大事なのは、この世界でどう見せるかだ。忍の世界で生きるなら、忍術として扱える形へ寄せる。それで十分だ。
とはいえ、こうして棚卸ししてみると、思うこともある。
俺って、忍より呪術師適性が高いよな……。
汗が出そうになった。
いや、前々世は忍だった。間違いなく忍だった。だが前世で学んだことが多すぎる。影響も強く受けている。術の組み立ても、応用の発想も、どうしても向こう側の理屈が先に立つ。忍術を使っているつもりでも、実際は呪術的な再構築が深く噛んでいる。
まあ、それはそれで良いか。
前世で学んだことは、ちゃんと俺の力になっている。
虎杖の拳も、母さんの術式も、乙骨先輩との重さも、五条先生の背中も、全部、消えていない。なら無理に切り分ける必要もない。今の俺は、その全部を持ったまま、もう一度この世界で生きるのだ。
だったら使えるものは全部使う。
守るために。
まずは、手の届く範囲から。
そう胸の奥で結論づけたところで、不意にゴーグルの縁へ触れた。
額へ乗せたその感触が、妙にしっくりくる。
懐かしくて、少しだけむず痒い。
普通の子どもになろうとして、たぶんまた少しやり過ぎるのだろう。
隠しているつもりで隠し切れず、年相応のつもりで基準がズレて、結果として「何か変なやつ」になる未来が、今からうっすら見えている。
……まあ、それも俺か。
苦笑しながら立ち上がる。
祖母に怪しまれる前に戻らないといけない。今日は少し試しすぎた。手も服も痕跡が残っていないか確認して、呼吸を整えて、なるべく“三歳のオビト”らしい顔を作る。
普通の子ども。
普通の子ども、な。
難易度、高すぎるだろ。
そんなことを思いながら、それでも俺は家の方へ足を向けた。
方針は決まった。
写輪眼は神無毘橋まで隠す。
万華鏡は本当にやばい時だけ。
神威は便利だが慎重に。
呪術とチャクラの混成は、忍術として押し通す。
そして、普通の子どもとして生きようとして、たぶん少し失敗する。
うん。
上等だ。
人生三周目。
三歳。
方針計画、だいたい完了。
あとは――普通を装う訓練が、一番難しい気がする。
【〆栞】