赤い産声

火影になりたいと思っていた。

幼い頃のうちはオビトにとって、それは夢というより、胸の真ん中で燃えている火みたいなものだった。誰かに笑われても、置いていかれても、遅刻して怒られても、その火だけは消えなかった。自分はいつか皆に認められる。大事な人たちを守れる。そう信じていた。

けれど、その火は一度、泥の中で潰えた。

リンが死んだ。

目の前で、どうしようもない形で、守りたかったものが砕けた。世界はあまりにも残酷で、手を伸ばしたところで何も届かないのだと、その時のオビトは思ってしまった。見たくないものを見て、聞きたくない音を聞いて、信じていたものが全部、足元から崩れた。

それからの自分を、オビトは覚えている。

仮面の男として暗躍したこと。暁に関わったこと。九尾襲撃を起こしたこと。第四次忍界大戦へ至ったこと。無限月読で、世界そのものを眠らせようとしたこと。

自分は確かに、世界に絶望していた。

壊してしまえばいいと思った。痛みも、喪失も、裏切りも、選べなかった後悔も、何もかもない夢の中へ押し込めればいいと思った。そうすれば誰も泣かない。誰も失わない。そう言い聞かせて、数えきれないものを踏み潰した。

それが間違いだったと知ったのは、遅すぎるほど遅かった。

ナルトがいた。

何度叩き落としても立ち上がる少年がいた。諦めが悪くて、真っ直ぐで、馬鹿みたいに眩しくて、かつての自分がどこかに置いてきたものを、そのまま抱えて走っているような少年だった。

最後の戦いで、カグヤの放った共殺しの灰骨がナルトとサスケへ向かった時、身体はほとんど勝手に動いていた。

サスケを庇うカカシへ迫る灰骨を神威で飛ばした。ナルトへ向かう灰骨の前には、自分の身体を差し込んだ。避けるという選択はなかった。迷う暇もなかった。

ナルトは生きなければならなかった。

あいつは、自分が捨てた夢の続きを歩けるやつだったから。

崩れていく身体で、オビトはナルトを見た。痛みはあったはずなのに、不思議と遠かった。言うべきことは決まっていた。喉の奥が焼けるようでも、言葉だけは残さなければならなかった。

「ナルト、お前は火影になれ」

それは、呪いではなかった。

託す言葉だった。

自分が届かなかった場所へ行けと、あいつなら行けると、心の底から思えた。カカシにも、もう言えた。お前は六代目火影をやれよと。憎しみだけではなく、羨望だけでもなく、ようやく友として言えるところまで戻れた。両眼の万華鏡写輪眼を一時だけ貸して、戦場へ送り出すこともできた。

うちはの血は、サスケがいる。

ナルトには未来を託せた。

カカシとは、ちゃんと向き合えた。

だから、思い残すことはなかった。

何より。

リンが見ていた。

死の向こう側で、リンは変わらない目をしていた。責めるためではなく、許すためだけでもなく、ただ、ちゃんと見てくれていた。

「オビトは頑張ったじゃない」

その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた何かが崩れた。涙が浮かんだのを覚えている。情けないと思うより先に、ああ、終わったのだと思った。

長く、間違えて、遠回りして、それでも最後に、手を引かれた。

だから次に意識が浮かんだ時、オビトは本気で混乱した。

暗い。

狭い。

息が、できないわけではない。けれど、空気を吸っている感覚とも違う。身体が重い。指先を動かそうとしても、思ったように動かない。目を開けているのか閉じているのかも分からない。耳の奥に、遠くから水の中を通したような音が響いていた。

何だ、これ。

最初に浮かんだのはそれだった。

戦場ではない。神威の空間でもない。死後にリンといた場所でもない。柔らかくて、あたたかくて、しかし自分の意思ではどうにもならない場所に、全身を包まれている。

次の瞬間、強い圧が来た。

押し出される。

身体が勝手に進む。いや、進まされている。頭が締め付けられるように痛み、胸の奥がぐっと苦しくなった。大人の身体なら踏ん張れたかもしれない。だが今の自分の手足は、笑えるくらい頼りない。何もできない。

待て。

いや待て。

これ、まさか。

そこまで思った瞬間、眩しさが視界を焼いた。

空気が肌を刺した。冷たい。うるさい。光が多すぎる。誰かの声が飛び交っている。聞き取れない言葉ではないのに、耳がうまく拾えない。身体を持ち上げられた感覚がして、肺の奥へ初めて空気が流れ込む。

痛い。

苦しい。

寒い。

そして、腹の底から声が出た。

それは言葉ではなかった。泣き声だった。

自分の意思とは関係なく、喉が震え、口が開き、全身で泣く。第四次忍界大戦の首謀者だった男が、火影を夢見た少年の果てに死んだ男が、今、何もできない赤ん坊として泣いている。

いや、何でだよ。

内心だけは大人のまま、オビトは全力で泣いた。

柔らかな布に包まれ、誰かの腕に渡される。ぼやけた視界に、泣きそうな女の顔が映った。優しい顔立ちだった。目尻に涙を浮かべながら、壊れ物を抱くようにこちらを抱き締める。

「オビト」

その声を聞いた瞬間、泣き声が一瞬だけ引っかかった。

オビト。

今、確かにそう呼ばれた。

女は涙を拭いもせず、何度も名前を呼んだ。横から男の声がした。こちらも泣いている。声が震えているくせに、妙に明るく、感情が忙しい。

「綾乃、見てくれ。すごい。俺たちの子だ。オビトだ。小さい。小さいなあ……!」

「当たり前でしょう、生まれたばかりなんだから」

「でも小さい! 可愛い! 天才かもしれない!」

「まだ泣いているだけよ」

「泣き声が力強い。これは大物になる」

何だこの人たち。

状況の異常さより先に、そんな感想が出た。

女は綾乃と呼ばれていた。男の声は宗一郎と呼ばれていた。二人とも、こちらを見ている目が溶けそうだった。戦場では見たことのない目だった。警戒でも、憎悪でも、恐怖でもない。丸ごと抱えて、丸ごと受け入れるような目。

胸の奥が、妙に落ち着かなくなった。

泣き疲れて、意識がふわふわと沈みかけた頃、近くで何かの書類を確認する声がした。自分の名が呼ばれる。生年月日らしきものが読み上げられ、続いて名字が告げられた。

裏葉。

うちは。

そう聞こえた。

漢字の形までは見えていない。けれど、音だけは確かに耳へ届いた。うちは。自分の名字と同じ音。偶然にしては出来すぎている。だが、抱き上げている女の声も、横でまだ感極まっている男の声も、そこに何の不自然も感じていない。

裏の葉。

葉の裏。

うちは。

赤ん坊の身体は、考えるだけでも疲れる。けれど、その音だけは胸に残った。

自分はまた、うちはオビトなのだ。

それが救いなのか、冗談なのか、まだ分からなかった。

分からないまま、オビトは眠った。

次に目を覚ました時、世界は相変わらず分からないものだらけだった。

白い天井。柔らかすぎる寝具。規則正しく鳴る機械の音。窓の向こうに見える、真っ直ぐすぎる建物。夜になっても消えない街の灯り。廊下を動く人の足音。遠くで小さく響く、聞いたことのない甲高い音。

忍具ではない。

灯りも火ではない。

何かの術でもなさそうだった。

産まれたばかりの身体では首も動かせず、視界は限られている。それでも、世界が自分の知るものとまるで違うことだけは分かった。外で何かが走る音がする。馬ではない。車輪の音に近いが、もっと滑らかで、もっと速い。

あれは何だ。

敵か。

いや、誰も騒いでいない。なら日常のものなのか。

日常であの音が出るのか。怖ぇな。

赤ん坊は口に出せない。だからオビトは、内心でだけ呟いた。

綾乃はよく笑う女だった。泣いているオビトを抱き上げ、背を撫で、頬を寄せてくる。宗一郎はさらに騒がしかった。少しでもオビトが目を開けると感動し、指が動くと感動し、くしゃみをすると天才かもしれないと言い出す。

父親、なのだろう。

母親、なのだろう。

その理解はできる。だが、受け取り方が分からない。

前の生で、幼い頃に抱き上げられた記憶は薄い。守られる側だった時間より、失ってからの時間の方がずっと長かった。だから、何も求められず、何も証明しなくても、ただ生まれたというだけで泣くほど喜ばれることに、身体より心の方が追いつかなかった。

しかも赤ん坊の身体は、容赦がなかった。

腹が減れば泣く。

眠くても泣く。

不快でも泣く。

自分では何ひとつ解決できない。

特に、乳を飲むという行為には、最初かなりの抵抗があった。中身が三十一まで生きた男である。理性が叫んだ。これは無理だろ、と。だが身体は正直だった。空腹は遠慮なく腹を締め付け、口元に触れたぬくもりへ勝手に縋る。

負けた。

めちゃくちゃ飲んだ。

柔らかさとあたたかさと満腹感に包まれながら、オビトは何かが崩れていく音を聞いた気がした。尊厳とか、羞恥心とか、そういうものだ。さらに、布を替えられるたびに別の何かも崩れた。

丁寧なのはいい。

優しいのも分かる。

けど、そこは、と思うのに、泣くしかない。抵抗らしい抵抗もできない。第四次忍界大戦を引き起こした男は、綾乃の手際の良さに敗北し続けた。

日々は、奇妙に穏やかだった。

病室の窓から見える街は、何度見ても変だった。細い柱に無数の線が渡っている。夜でも明るい。人々は見たことのない服を着て、音もなく開く扉を通り、四角い板のようなものを手にして歩いている。宗一郎が時々、その板を耳に当てて話していた。

通信機か。

いや、巻物でも伝令鳥でもない。小さすぎる。便利すぎる。どういう仕組みだ。

理解できないものが多すぎて、オビトは途中から考えるのをやめた。赤ん坊の脳はすぐ疲れる。考えすぎると眠くなる。眠くなると身体が勝手にぐずる。自分で自分が面倒くさい。

そんなある夜のことだった。

病室の隅に、黒いものがいた。

最初は影かと思った。照明の具合でできた黒ずみか、家具の隙間に溜まった暗がりか。だが違う。そこだけ空気が濁っている。靄のようで、虫の群れのようで、目の焦点を合わせようとすると形が崩れる。

嫌な気配だった。

忍の殺気とは違う。獣の気配とも違う。もっと湿っていて、もっと腹の底を冷やすもの。

綾乃は気づいていない。宗一郎も気づいていない。看護師らしい人も、何も見えていない様子で通り過ぎた。

オビトは赤ん坊の身体で、じっとそれを見た。

黒い靄は、壁の隅で蠢いた。こちらを見ているのかどうかも分からない。ただ、近づいてくる気配がある。ゆっくりと、這うように。

身体は動かない。

声も出せない。

写輪眼は、今どうなっているか分からない。

神威など使えるはずもない。そもそも万華鏡の感覚が遠い。前の生のように空間へ逃がすことはできない。

なら、今あるものでやるしかない。

そう思った瞬間、指先の内側がちり、と熱を持った。

血だ。

ほんのわずかな血の気配が、身体の奥で動く。前の生にはなかった感覚だった。けれど、不思議と扱い方は分かる。糸を引くように、針を作るように、細く、鋭く、外へ。

赤ん坊の小さな指先から、赤い針が飛んだ。

それは音もなく病室の隅を裂き、黒い靄を貫いた。靄は声にならない震えを残して、薄くほどけるように消えた。空気が少しだけ軽くなる。

オビトは目を瞬かせた。

何だ今の。

血か。

いや、血だよな。

自分の血を、針みたいに飛ばした。赤ん坊が。病室で。

意味が分からない。

けれど、黒い靄は消えた。綾乃は眠っている。宗一郎も気づいていない。騒ぎにはなっていない。

なら、まあいいか。

赤ん坊の判断力は長く持たなかった。オビトはそのまま疲れて眠った。

それから、黒い靄や虫のようなものは時々現れた。

家に戻ってからも同じだった。裏葉家は明るい家だった。窓が大きく、日当たりがよく、綾乃の声と宗一郎の足音がよく響いた。宗一郎は朝になると見慣れない服を着て外へ出かけ、夜になると疲れた顔で帰ってきて、それでもオビトを見ると一瞬で元気になった。綾乃は家の中を整え、歌うように声をかけ、時々笑顔のまま宗一郎を黙らせた。

その家の隅に、黒い虫は湧いた。

天井の端。押し入れの隙間。玄関の暗がり。夜の窓辺。

見つけるたび、オビトは血針で潰した。最初は一本が限界だった針は、少しずつ増えた。糸のように曲げられるようにもなった。赤ん坊の身体から血を使うのは危ない。使いすぎると眠くなるし、身体が冷える。だから必要最小限にした。

それでも、見つけたものは潰した。

放っておく理由がなかった。

綾乃は時々、不思議そうに部屋を見回した。

「何だか、この家、前より空気が軽い気がするわ」

「分かる。オビトがいるからかな」

「何でもオビトに繋げるの、どうかと思うけど」

「でも可愛いだろ」

「それはそう」

それはそうなのか。

ベビーベッドの中で、オビトは半分呆れた。

宗一郎と綾乃は、昔はその黒いものを見ていたのかもしれない。時折、二人の動きにはただの一般人ではない名残があった。宗一郎は足音が静かすぎる。綾乃は手先の扱いが異様に細かい。抱き上げる動作ひとつにも、力の通し方を知っている人間の癖がある。

だが今の二人は、黒い虫に気づかない。

気づかないほど、幸せなのかもしれない。

それならそれでいい、とオビトは思った。

自分が見えているなら、自分が潰せばいい。

赤ん坊の身体はままならなかったが、時間だけは勝手に進んだ。

首が据わり、寝返りを覚え、這うようになり、立つようになった。初めて立った時、宗一郎は泣いた。初めて歩いた時、綾乃も泣いた。二人が泣くたびに、オビトは内心でどうしていいか分からなくなった。

歩けるようになると、世界はさらに変になった。

家の外には、車というらしい鉄の箱が走っていた。信号という光が人や車を止めたり進ませたりしていた。自転車は車輪二つで平然と走っていた。電車は長く、速く、恐ろしく大量の人間を運んでいた。

初めて電車を見た時、オビトは本気で身構えた。

長すぎる。

速すぎる。

あれが日常で走っているの、正気か。

しかし周囲の大人も子供も誰も驚いていない。なら、この世界ではそれが普通なのだ。普通の範囲が広すぎる。

幼稚園に通うようになってから、黒い虫を見る機会は増えた。

園庭の端、古い遊具の下、泣いている子供の背中のあたり、夕方の道路脇。どれも小さく、弱く、血針一本で消える程度だった。オビトは砂場で遊ぶふりをしながら、積み木を拾うふりをしながら、時々それを潰した。

その頃、自分の目に気づいた。

洗面台の前に踏み台を置き、顔を洗おうとして、鏡の中の自分と目が合った。黒いはずの瞳が、赤くなっていた。巴が三つ、はっきりと浮かんでいる。

「……は?」

声が出た。

幼い喉から出た声は頼りなかったが、内心はそれどころではなかった。

写輪眼。

あるのかよ。

この身体に。

いや、確かに自分はうちはオビトだ。名前も、顔立ちも、黒髪も、どこか前の生に似ている。だが、ここは知らない世界で、身体も新しい。神威は使えない。万華鏡の感覚もない。だから写輪眼もないのだと、どこかで思っていた。

あった。

しかも三つ巴だった。

幼稚園児の赤い目は、普通に怖い。

オビトはしばらく鏡を見つめ、それから深く息を吐いた。

隠そう。

そう決めた。

この世界にうちはがいるかどうかも分からない。写輪眼を知る者がいるかも分からない。だが、見せていいものではないことだけは分かる。赤い目は目立つ。目立てば面倒が来る。面倒は大抵、守りたい日常を巻き込む。

だから普段は黒目でいることにした。

幸い、切り替えはできた。前の生よりもずっと自然に、呼吸を整えるように沈められる。必要な時だけ開けばいい。

小学生になってからも、日々は続いた。

ランドセルは重かった。教科書は妙に綺麗で、紙質が良すぎた。鉛筆と消しゴムの便利さには少し感心した。授業の内容は、知らないことばかりだった。この世界の地図。言葉の使い方。数の扱い。理科という名の身近な仕組み。社会という名の人の暮らし。

知らないことを学ぶのは、嫌いではなかった。

むしろ面白かった。

ただ、体育だけは困った。身体が覚えている動きと、小学生として許される動きの差が大きすぎる。全力で走るわけにはいかない。跳ぶのもまずい。ボールを投げる時も加減がいる。手を抜きすぎても不自然で、出しすぎても危ない。

面倒くせぇ。

そう思いながら、ほどほどの子供を演じた。

それでも、困っている相手を見つけると身体が動いた。転んだ子に手を貸す。重い荷物を持つ。泣いている子の話を聞く。迷子を先生のところへ連れていく。年寄りが横断歩道で困っていれば、ランドセルを揺らして駆け寄る。

特別なことをしているつもりはなかった。

手が届くなら助ける。それだけだ。

だが、周囲の見る目は少しずつ変わった。先生に褒められ、近所の人に名前を覚えられ、同級生に頼られる。女子から妙に見られることも増えた。理由はよく分からない。挨拶をしただけで笑われる。落とした物を拾っただけで礼の声が上ずる。

何でそうなる。

オビトは本気で分からなかった。

黒い虫は相変わらずいた。

通学路の電柱の影。公園のベンチの下。川沿いの湿った空気の中。学校の裏庭。古い倉庫の隅。

見つけたら潰す。

血針は小さく、速く、目立たないようにした。時には水道の水を少しだけ借り、血を使わずに似た動きを試した。血より鈍い。けれど、流れを掴めば針にも糸にもなる。水たまりを少し揺らし、虫の足元を絡めることもできた。

やがて、家の周りや通学路の空気が変わっていった。

嫌な淀みが少ない。黒い虫が寄りにくい。夕方の帰り道でも、以前ほど重くない。

オビトは、自分が見つけたものを片っ端から潰しているからだと思っていた。数を減らせば、空気も澄む。それくらいの理解だった。

けれど時々、風が吹いた。

ただの風だ。言葉を持たない。姿もない。

それでも、危ない場所へ行く前に頬を撫でる。背後から来る嫌な気配を教えるように髪を揺らす。水針の軌道を少しだけ助ける。火を出しかけた指先から、熱を逸らしてくれる。

夜、理由もなく胸が詰まる時にも、窓の隙間から細く入り込んだ風が頬を撫でた。

オビトはそれを、ただの偶然だと思った。

少し都合のいい偶然。

それで済ませていた。

中学生になる頃には、身体はかなり動くようになっていた。

背も伸びた。筋肉もついた。まだ成長途中ではあるが、見た目よりずっと動ける。宗一郎に似た身体の強さがあるのだと、綾乃は笑った。宗一郎は当然のように感動した。

「俺に似たんだな、オビト!」

「顔は私にも似ているでしょう」

「もちろん綾乃にも似てる。つまり最高だ」

「その結論は嫌いじゃないわ」

親馬鹿が二人いる。

手に負えない。

それでも、嫌ではなかった。むしろ、胸の奥があたたかくなる。家族に愛されるということは、こういうふうに少し照れくさくて、少し逃げたくて、それでも戻りたくなるものなのだと、今世でようやく知った。

力の方も、少しずつ変わった。

赤い血は、以前よりずっと細かく動く。糸にして絡める。針にして貫く。膜にして受ける。刃のように薄く伸ばす。使いすぎると貧血じみた重さが来るから、無茶はできない。それでも、黒い虫を相手にする程度なら十分だった。

水も扱えるようになった。

血の感覚を水へ置き換える。完全には馴染まないが、流れを操ることはできる。蛇口の水を指先に集め、小さな針にする。雨粒をずらす。水たまりを薄く伸ばす。

ただ、街中で大きく使う気にはなれなかった。

洪水はまずい。

道路も家も店も人もある。水は便利だが、加減を間違えると迷惑では済まない。だから、使うなら小さく、狭く、確実に。

火はもっと面倒だった。

初めて掌から火が出た時、反射的に前の生の癖が口をつきかけた。

「火遁、豪火きゅ……いや違うな」

印を結んでいない。肺に熱を溜めてもいない。口から吐いたわけでもない。掌に集まった力が、そのまま火として弾けた。

火遁っぽい。

だが火遁ではない。

指先に小さな火を灯し、オビトはしばらく眺めた。そこへ、友人から借りた漫画かゲームか何かの記憶が浮かんだ。

「……メラじゃん」

呟いた自分で、少し嫌になった。

いや、違う。多分違う。けど、手から出る火としてはかなりそれっぽい。火遁と言うにはあまりにも発動の仕方が違う。鳳仙火と言うには飛び方が違う。龍火と言うには大層すぎる。

しばらくの間、オビトの中でその火は雑にメラ扱いされた。

火力は高い。だからこそ使いにくい。住宅地で出せば火事になる。学校で出せば大騒ぎになる。山林では論外だ。結局、黒い虫相手にも水や血の方が出番は多かった。

雷は、まだ分からない。

時々、戦う時に皮膚の下がばちりとする。掌の奥に何かが集まりかける。前の生の記憶が、白い光と千の鳥の鳴き声を連れてくる。

雷切。

カカシの技。

やってみたい、と思ってしまうのが悔しかった。

実用だ。これは実用目的だ。掌に雷を集めて刺突に使えたら強い。そう自分に言い聞かせる。だが、その奥にある憧れを完全には否定できない。

試しに少しだけ掌へ集めようとして、手が痺れた。

「いってぇ……」

焦げた匂いがしたので、その日はやめた。

風は、相変わらず分からない。

ただ、いる。

そう感じる瞬間が増えた。

火を細く伸ばす時に助ける。水針の角度を変える。敵意の流れを肌に知らせる。転びかけた子供の背中へ、ほんのわずかに追い風を送る。そんなふうに、風はいつも少しだけ都合よく吹いた。

オビトはまだ、それを自分の力だとは思っていなかった。

まして、もっと大きな何かが自分の内側にあるなど、知るはずもなかった。

火、水、風、雷、土、木、陰、陽。

そんなふうに名を並べて理解できる日は、まだ遠い。

中学二年の頃から、妙な視線が増えた。

黒い虫ではない。人の視線だ。

道の向こうで立ち止まる大人。学校帰りに同じ場所で見かける車。買い物帰りの綾乃を遠くから見る誰か。宗一郎は気づいているのか、気づいていないふりをしているのか、時々目だけが鋭くなった。綾乃も笑顔のまま、玄関の鍵を確認する回数が増えた。

聞き慣れない名字が、家の中で小さく落ちることもあった。

禪院。

加茂。

どちらも、オビトには馴染みのない音だった。

だが宗一郎と綾乃の反応を見る限り、ただの名字ではない。二人が昔いた場所に関わるものだろう。詳しく聞こうとすると、二人は困ったように笑った。

「オビトには、できれば関わらせたくないんだ」

宗一郎はそう言った。

普段の騒がしさが嘘のように静かな声だった。

「俺たちは、家を出た。お前には、お前の人生を選んでほしい」

綾乃は何も言わず、オビトの髪を撫でた。目が少しだけ揺れていた。

オビトはそれ以上、深く聞かなかった。

聞かないのではなく、待つことにした。二人が話せる時に話してくれればいい。言いたくないなら、無理に抉る必要はない。家族だからこそ、踏み込まない距離もある。

ただ、視線は増えた。

黒い虫も増えた。

今までなら寄りつかなかったはずのものが、遠巻きに集まるようになった。何かが動き出している。風がそう告げるように、制服の襟元を揺らした。

中学三年になった春、家の前に黒い服の男が来た。

夜ではない。昼下がりだった。宗一郎は仕事を早退していた。綾乃はいつもより丁寧に茶を淹れた。オビトは学校から帰ってすぐ、玄関先の空気の硬さに気づいた。

知らない大人がいる。

大柄で、硬い顔をした男だった。まっすぐ座っているだけで、妙な圧がある。忍ではない。だが、ただの大人でもない。黒い虫の気配とは違う、研がれた力の気配がする。

男はオビトを見ると、静かに目を細めた。

観察されている。

そう感じた。

宗一郎が立ち上がる。

「オビト、おかえり」

声はいつも通りにしようとしていた。だが、ほんの少し硬い。綾乃も笑っているが、目だけは男から外していない。

オビトは靴を脱ぎながら、男を見た。

「ただいま。……客?」

「そうだ。少し、大事な話がある」

宗一郎の言葉に、黒い服の男がゆっくりと頭を下げた。

「夜蛾正道だ」

聞いたことのない名前だった。

だが、風が窓の外で強く鳴った。

まるで、この先を教えるように。

オビトは鞄を下ろし、いつもの調子で息を吐いた。面倒なことになりそうだ。そう思った。けれど、逃げるつもりはなかった。

家族がいる。

守りたい日常がある。

なら、話くらいは聞くしかない。

「……分かった。聞く」

そう言って座ったオビトの目は、まだ黒かった。

けれどその奥で、赤い巴が静かに眠っていた。


〆栞
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