変化は容赦無く
「ポケッチ?」
「うん。スクールで助けた子のお母さんがお礼とお詫びにって、わたしとジュンにくれたの」
ヒカリが嬉しそうに腕にはめた真新しい桃色の機械を見せてくれたのは、そろそろ夕食の準備に取り掛かろうかどうしようか悩む夕方のポケモンセンターの一室でのことだった。
手首を傾けて色々な角度からその機械を眺めるヒカリは堪えきれないと言うようににやけて、スンと真顔に戻ったと思えばまたにやけるのを繰り返している。
よっぽど嬉しかったんだろう。
私はよく知らないが、最近発売されたというポケッチは、アプリを追加することで機能を増やすことが出来るらしい。ポケモントレーナーにとって嬉しい機能が多いそうだが、その分可愛くないお値段で新米トレーナーにはまず手が出せない、普通なら私やヒカリ、ジュンが手にすることなど夢のまた夢、というシロモノだ。
それが、昼前に起こった出来事のおかげでヒカリはその手が届かない筈だった機械を手に入れた。嬉しくなるのも当然だと思う。
ただそのせいで私は、ほんの少しだけ困ってしまうのだけど。
鞄から散歩をしていた時に手に入れた箱を取り出して机の上に置く。
「………………ポケッチ?」
「そう。キャンペーン中だったらしくて、タダで貰えちゃったんだよねぇ。ヒカリにあげようかと思ってたんだけど……」
箱に描かれているのは、今ヒカリの手首に嵌っている物と同じ物だ。中身も同じ。
散歩中に気紛れに話し掛けたピエロはポケッチカンパニーの従業員で、あれよあれよという間にキャンペーンに参加することが決まってしまった。
最初はポケッチなんて私は使わないだろうから断ろうとしたのだけど、ヒカリなら使うかもしれないなと思い直して取り敢えず貰ってきたのだが。
「二つも使わないよね」
「二つは……使わないね。お姉ちゃんが使ったら?」
「私トレーナーじゃないんだけど」
「腕時計機能とかあるし、アプリ追加したらマップも見れるようになるよ。タウンマップは一枚しかないし、別にトレーナーしか使えない訳じゃないからお姉ちゃんが持っててもいいと思う」
「うーん……」
腕時計は買おうと思ってたし、マップが見れるのは正直ありがたい。
なら何が引っ掛かるのかと言えば……他人から見て私もトレーナーだと思われるかもしれないという事だ。
ポケモントレーナーは他の仕事と兼業している人も多いが、中にはポケモンバトルで得た賞金だけを収入としている人もいる。そういう人はトレーナーと見るとすぐにバトルを挑んできたりする。
今の私はヒカリのおまけとしてくっついているが、このコトブキシティに着くまでの間に数度バトルを挑まれたことがあった。その度にトレーナーではないと訴えポケモンを持っていないことを示してとすこぶる面倒臭かった。
ポケッチはトレーナーに便利な機能を揃えた機械。
ポケッチを持っているのはほぼトレーナーの筈で、トレーナーではないのにポケッチを持っているなんて人はまず居ない、と思う。
ポケモントレーナーだと思われて何度も何度もバトルを挑まれて説明してとなるのは御免被りたい。
だが、あれば便利だと思うのも事実。
「……袖で隠せるのかな」
「それは……どうだろう?」
ポケッチはそれなりにごつい。袖で覆ったとしても形は出るだろう。隠しきれないのは分かり切っている。
「……まぁ、何とかするか」
ポケッチは高価な物だから子供だけで売る訳にはいかないし、誰かに譲渡するというのも難しい。
仕方ない、使いこなせるかは分からないけど自分で使おう。
そう結論づけたところでぽーんと軽やかなチャイムが室内に鳴り響いた。
「あ、回復終わったみたい」
ほっとしたような顔でヒカリは椅子から立ち上がり、駆け足で扉へと向かう。
このチャイムは回復のためポケモンセンターに預けていたポケモンの治療が終わったことを知らせるものだ。
「わたし迎えに行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
ヒカリは今日のレベリング中に仲間を一匹増やしたらしい。
ポケモンに苦手意識を持つヒカリが自分から仲間にしたいと思った子だ、どんな子なのだろうか。
きっと良い子だと思うけど。
ヒカリが戻ってくるまでの暇潰しにポケッチの箱から取扱説明書を取り出して流し読みする。書いてあるのはポケッチの操作方法と最初からインストールされているアプリの使い方だ。
子供にも使えるようにか大して難しい操作方法じゃない。機械に強い人なら説明書を読まなくても使いこなせてしまいそうだ。
取扱説明書を鞄の中に仕舞い、外箱は潰してゴミ箱の中に投げ入れる。
「…………あれ」
ポケッチを手首に装着しようとして、ベルト部分がぐらつくことに気が付いた。
軽く触ってみるとポケッチ本体がベルトに固定されていなくて自由に動くようになっているのが分かる。ビス穴はあるから元はちゃんと固定されているものなのだろう。
初期不良、という単語が思い浮かぶ。
「……………………」
そっとベルトを引っ張れば、それは容易く小さな機械から抜き出すことが出来た。
ころりと手のひらの上にポケッチが転がって、何か使えそうな紐はあっただろうかと考える。
腕時計のように手首に付ければ他人から見えてしまうが、キーホルダーのようにして鞄にぶら下げれば目立たないかもしれない。恐らくとても不格好なことになるだろうが、それがポケッチだとはパッと見分からないように出来ると思う。
鞄を漁って目を付けたのは、寝間着用のパーカーのフード。
フードの首元からは調節用の紐がぶら下がっていて、紐の先の結び目を解いて引けば簡単にそれは外れてしまった。外した紐をポケッチのベルトが通してあった穴に通して外れないように一度固結びにし、鞄の持ち手に結び付ける。
ポケッチ本体を鞄の内側に入るようにすれば、外からは見えない。
「こんなもんかな」
適当に弄ったにしてはまぁまぁ上出来だろう。紐はまた何処かで良さそうなストラップでも見繕って付け直せばいい。
外れたベルト部分は鞄の底に放り込んでおく。
「ただいまー」
タイミング良くヒカリが帰ってきた。
ヒカリが開けた扉からアリマサが入ってきてこちらをちらりと見てからグググッと背伸びをする。
次いでヒカリが入ってきて、その後ろから追い掛けるように小さな影がちょこちょこと入ってきた。
きょとりと瞬いた金色の目がこちらを見る。
「レンゲ、って名前を付けたの」
はにかみながらヒカリはその子を抱き上げて私に見せてくれる。
青い体毛に大きな耳が特徴的なポケモン、コリンク。
何も言わずじっと見つめてくるその目は何かを見透かそうとしているみたいだ。
「声がすごく可愛くてね、ずっと聞いていたくなったから仲間になってもらったの」
きゅ、とヒカリがコリンクを抱く腕に力を込めた。
くぅん、ともきゅうん、ともつかない甘えるような鳴き声をあげたコリンクは嬉しそうにヒカリの頬に擦り寄る。
少し離れたところからぶふぅと奇妙な音が聞こえて視線を向ければ、拗ねたようにそっぽを向いたアリマサの姿。……わかりやすいなぁ。
「初めまして、私はヒカリの姉の名前。ヒカリのことよろしくね」
コリンクのレンゲに視線を戻して名乗る。笑顔を浮かべるのは忘れない。
大きな金の瞳は逸らされることなく私を見ていた。一瞬の、間。
「──初めまして。なるほど、アリマサに聞いた通りの人だね。あたしはレンゲ。これからよろしく頼むよ」
ヒカリの持つポケモン語翻訳機から流れてきたのは、まるで透き通った鈴が歌っているような声。はきはきとした口調のせいで可愛らしいというより綺麗という印象を受ける。
ヒカリがずっと聞いていたくなったと言ったのも理解出来た。
「アリマサに聞いた通り? どういうことかな」
「姉妹だけどあんた達はさっぱり似てないって話さ。気にするもんでもないよ」
きゅっとレンゲの鼻先が上向く。ポケモンの表情なんてよく分からないけど、なんとなくニヤリと笑ったのではないかと思った。
声はすこぶる可愛らしいが、喋り方や性格、仕草は可愛らしいとはちょっと違うらしい。
さて、自己紹介も済んだことだし、そろそろ夕食の準備に取り掛かろうか。
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