トラウマは意外と近くにある


 
 フタバタウンとマサゴタウンはそう距離は離れていない。
 とはいえ私とヒカリは初めての旅で、引き籠もりだった私とポケモンが苦手で家の中で遊ぶことが多かったヒカリはあまり体力が無い為、最初のうちはゆっくり旅をすることにした。
 慣れないことをすれば体調を崩す。
 しかも家に居ることが多かったということは風邪などに対する免疫力はかなり低い。
 急ぐ旅でもないしということでまずはフタバタウンとマサゴタウンの間にある草むらでアリマサのレベル上げをして、マサゴタウンで必要なものを買ったらそのままポケモンセンターで一泊することになった。

「あ、だめだよアリマサ」
「キキッ」

 ポケモンセンターの一室、そう広くない二段ベッドのある部屋は現在買ったばかりの旅道具で溢れ返っている。
 まずは食料品、二人分の保存食として缶詰数種類にお湯で戻せるドライフード、アリマサ用にポケモンフードとクッキーなどのポケモンも食べれるおやつ。アリマサはおやつが気になるようで頻りに手を伸ばしてはヒカリに注意されている。
 私の目の前には携帯用の鍋や小型のコンロ、調理道具などがあった。これらは野宿用である。基本的にはポケモンセンターに泊まる予定だけれど、世の中何が起こるか分からない。もしもの時のためにこういった物はしっかり準備をしておいた方が良い、というのはフレンドリィショップで色々教えてくれたお姉さんの言葉だ。
 ポケモンセンターはトレーナーなら無料で解放されているが、運が悪いと部屋が空いてなかったりするし、旅をする中でどうしてもポケモンセンターに辿り着けない日もあるのだそうだ。
 とりあえず食料品は半分に分けて私とヒカリの鞄両方に入れる。万が一はぐれた上に野宿なんてことになっても、食べる物があれば数日は何とかなるだろう。
 調理道具の類は箱に入れて私の鞄の中に仕舞う。調理道具は金属でできているものが多く、携帯用として軽量化されてはいるもののやはりそれなりに重い。私が姉なのだし、ヒカリの旅に着いていく身でもあるので今後も重たいものは積極的に持たせてもらうつもりだ。
 そのかわり、ポケモンに持たせる道具やわざマシン、モンスターボール、戦闘時に使える道具などはヒカリが持つことになった。私は自分のポケモンを持つつもりは無いので持っていても使うことはないし。念の為回復アイテムはいくつか持っておくが、きっと使うことはないと思う。

「ん? ヒカリ、この包みってなに?」
「あ、それジュンに届けるやつ。ジュンせっかち過ぎて忘れ物したんだって」

 寝袋を小さく畳もうと格闘していると薄い封筒が目に入る。ジュンといえばヒカリと幼馴染の騒がしい少年だ。直接会ったことは無いけれど、声だけはよく部屋まで聞こえていた。

「あの子も旅に出たんだね」
「うん。……わたしのライバルなの」

 封筒を鞄のすぐ出せるポケットに大切そうに仕舞うヒカリは離れた場所に居る幼馴染の姿を思い描いたのか勇ましく目を光らせる。
 この様子だともうバトルをしたことがあるのかもしれない。
 ヒカリの横で大人しくしていたアリマサも気合を入れるようにお尻の炎を揺らめかせた。

「……ちょっと複雑な気分、かな」
「え?」
「よし、早く荷物整理して、早く寝よう。明日にはジュンに追い付いて、忘れ物届けてあげないとね」
「あ、う、うん!」

 あとは服とか下着の整理だ。
 オスのアリマサには少し離れてもらって、ヒカリと二人服のタグ切りに勤しむ。
 母が全部新しく買うようにと言った意味は、フレンドリィショップに行って分かった。下着なども旅用のものがあったのだ。動きやすく丈夫で、汚れが落ちやすい素材で作られたものが。
 服も新しく買ったので今着ている服は当分鞄の底に埋もれることになるだろう。

「そういえばね、旅に出ることを決めた時、ナナカマド博士から頼まれたことがあるんだ」
「へぇ、どんなこと?」

 替えの服を畳みながらヒカリは鞄のポケットから何やら赤い機械を取り出した。
 見たことが、ある。テレビで、世界的権威の有名な博士と映っていたような気がする機械。

「新型のポケモン図鑑なんだって。このシンオウ地方のポケモンを調べてほしいって、頼まれた」

 それは、また、すごい頼まれごとをしたものだ。正直に言って、こんな幼い少女に頼むことではないだろうに一体何を考えているのか。

「旅に出るって決めてみたものの、わたし成り行きと勢いで決めちゃったようなものだから何がしたいかとか全然考えてなかったの。ジュンはお父さんみたいな強いポケモントレーナーになるってちゃんと目標があるのに」

 俯きながら話す声は独り言のように聞こえる。半分独り言のようなものなんだろうと結論付けて私は相槌を打つだけに留めた。これはヒカリが自分で考えて見つけなければいけない答えだと思う。ヒカリが進む道のことだから。

「ポケモンのことを調べて、アリマサのトレーナーとしてちゃんと出来るようになって、わたしそれからでも何がしたいか考えれるかなぁ」

 自分の分の服をポーチに詰め終えて、私はヒカリの頭をぽんぽんと軽く叩いた。結局他人である私には大丈夫、だなんて軽くは言えないけど、それでもヒカリなら大丈夫だと伝えたくて。
 ヒカリの前にはまだ少し畳まないといけない服が残っている。

「私ご飯作りに行ってくるね」
「あ、ごめん! すぐ畳むから手伝う!」
「ゆっくりでいいよ」

 慌てて動き出したヒカリに手を振って私は給湯室に向かった。コンロが二つに小さな流し台。冷蔵庫の中には無料で使える食材が入っている。
 ポケモンセンターはほぼ無料で使える施設だ。有料なのはレストランぐらいで、その料金も調理をしてくれる人への手間賃ぐらいの金額で普通の店と比べてものすごく安い。
 トレーナー、特に私達のような子供の為の施設だかららしい。ポケモントレーナーでもエリートトレーナーのようなバトルである程度金銭を稼げるような人はポケモンセンターには泊まらず、宿などを利用するのだそうだ。流石にポケモンの回復はポケモンセンターに頼るしかないが、泊まるなら最低限のサービスしかないポケモンセンターよりちゃんとした宿泊施設である宿の方が利点が多いのだとか。

「ウキャー」
「ん、まだご飯は出来ないよ、アリマサ」

 冷蔵庫の中身を確認しているとすぐ近くにアリマサが来ていた。
 さっきまで窓を覗いていたのにいつの間にこちらに来たのだろうか。
 じっと見上げてくる瞳からは親しみより警戒を強く感じた。

「ヒカリはあまじょっぱい味が好きなんだけどね、君は何か好きな味とかあるのかな」

 にっこりと笑いかけてみてもアリマサの態度は和らがない。ただ窺うようにこちらを睨めつけるだけ。これは困ったなぁ、と頬を掻いて、でもアリマサはヒカリのポケモンなのだから無理に私と仲良くしなくても良いのではないかと思う。
 うん、別にいいか。
 冷蔵庫の中を漁って私が扱えそうな食材を見繕う。引き篭っていた間に読んでいた本の中には料理本もいくつかあったからレシピは知っているけれど、実際に料理をするのは初めてだ。なるべく失敗しなさそうなものを作ろう。

「キィ」
「うんうん、もうちょっと待ってね。多分すぐ出来るから」

 火加減さえ間違えなければ食べられるものが出来るはずだ。大丈夫、大丈夫。
 選んだ食材を出して調理道具も取り出す。

「アリマサは、ヒカリのこと好き?」
「キーッ!? キャウ、キャッキャッキィー!」
「うーん、何言ってるかわかんないなー」

 無言で居続けるのもどうかと思って話を振ると飛び跳ねながらアリマサは何事か喚き始めた。お尻の炎が朱色を増している気がする。顔が少し赤いのを見ると、アリマサはヒカリのことを嫌ってはいないようだ。何を言っているかはさっぱり分からないから勝手な憶測だけれど。

「ヒカリは私の大事な妹だからね、楽しい旅をしてほしいんだ。パートナーとしてヒカリのことよろしくね」
「……ウーキャ」

 ぶすくれたような顔で、けれど小さくてもしっかりとした声でアリマサは答える。了承、ということで良いだろう。この子はきっとヒカリと良い関係を築ける。築き始めてる。

「………………」

 胸を過るのは、さっきヒカリとアリマサの表情を見た時に感じたのと同じ感覚だ。ぐるぐるとかもやもや、そんな感じの不快感。『旅に出た後のわたしがお姉ちゃんを連れ出そうとしても、着いてきてくれないでしょう』。家を出る時にヒカリは私にそう言った。その通りだ。私はヒカリにあの家から連れ出してほしいと思っていたけど、それは私の知っているヒカリじゃないと駄目だった。
 旅に出てしまえば絶対にヒカリは変わってしまう。
 ライバルとパートナーを得てヒカリは少し変わった。旅をすることで更に変わっていくだろう。そうすれば、私の味方でいてくれたヒカリが居なくなってしまうかもしれない。いや、私が、変わってしまったヒカリを味方だと思えなくなる。旅を終えたヒカリに手を差し伸べられても、私はその手を取れない。疑心と劣等感でヒカリを拒絶する。
 そうして引き篭ったままの私は、きっとそのまま。

「お姉ちゃん手伝いに来たよ!」
「ああ……ヒカリ。急がなくても良かったのに」

 掛けられた声に振り返れば腕まくりをするヒカリが目に入った。
 ぱたぱたと駆け足で近寄ってきたヒカリは何を作ってるの? と聞きながら私の手元を覗き込む。

「そういえばヒカリは料理って出来る?」
「うっ……た、多分お手伝いは出来るよ? やったことないけど……」
「ふむふむ。アリマサは……やったことないよね?」
「ウキキー」

 こくりと頷くアリマサ。器用なポケモンなら人間の手伝いも出来るらしいがアリマサは多分まだ幼いし料理なんてしたことないだろうと思えば案の定だ。
 料理経験者がいない。

「まぁなんとかなるでしょ」
「焼いてソースかければ食べれると思う!」
「……キキィ」

 不安なんて、無い。大丈夫。
 ちょっとだけ胃薬を買っておいた方が良かったかもと思ったことは内緒にしておこう。

 夕食は、とりあえず食べれるものだった。味付け要課題。



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