トラウマは意外と近くにある


 善意の塊のようなコウキはトレーナーズスクールに案内してくれるらしい。
 ヒカリには心の準備が必要そうだがそんな時間は与えられない。せめて五分、まだコトブキシティに着いたばかりなのだから一息つかせてもらいたい。
 何か、何か無いだろうか。きょろきょろと辺りを見回して街灯の陰に動くものを見つける。

「……? なんだあの人」
「サキさんどうかしたんですか?」
「いやなんか、変な人がいる」

 いかにも怪しい動きをする男が一人。あまりお近付きになりたくない雰囲気だ。よし、危ない人には近付かないようにする為、あの男が居なくなるまでトレーナーズスクールに行くのは後回しにしよう。そう提案しようとして、二人の姿が不審者に近付こうとしていることに気付く。

「ちょ、待って待って」
「おじさん何やってるんですか?」

 いやコウキこそ何やってるの!
 不審者、茶色いコートを着た剣呑な目付きの男が弾かれたように振り返った。

「ナヌー!! ……何故私が国際警察の人間だと分かってしまったのだ!?」

 私は今心の底から回れ右をしたいと思う。怪しい。怪しすぎる。
 ヒカリの背中に張り付いていたアリマサといつの間にかボールから出てきたコウキのナエトルと私はヒカリとコウキの服の裾を引っ張って逃げようとするも、好奇心旺盛な二人はぐいぐいと私達にお構い無しに不審者に歩み寄る。ヒカリ、トレーナーズスクールに行きたくないからって誤魔化すのにこんな怪しい人選ばなくてもいいじゃないの!

「えっと、普通に話し掛けただけですけど」
「……へっ、普通に話し掛けただけ? いーや、私を只者では無いと見抜いて話し掛けたのだろう?」

 確かに只者では無い。こんな怪しい人只者だなんて言えない。二人はこの男に興味津々なようで軽い力では動きそうにない。話し始めてしまったこともあり、私は今すぐに二人を引き摺って逃げることは諦める。その代わり何かあれば二人を庇えるように身構えた。非力でも囮や時間稼ぎなら出来るはず。

「その眼力恐るべし……! 君達出来るな!! 正体がバレたんだ、自己紹介をさせて頂こう」

 いや結構です、と言えたならどれだけ良かっただろう。妙なテンションに気圧され何も言えないでいるうちに、怪しい人は何故か決めポーズらしきものを決める。

「私は世界を股に掛ける国際警察のメンバーである。名前は……いや、君達にはコードネームを教えよう。そう、コードネームは、ハンサム! 皆そう呼んでいるよ!」

 バン! と効果音が付きそうな勢いで最後のポーズを決め怪しい人、ハンサムさんはドヤ顔を私達に向けた。紛うことなき変な人だ。
 なんだか、酷く疲れた。唖然とするヒカリとコウキの服を引っ張ればさっきとは違いあっさりと引き摺ることが出来る。ハンサムさんとは反対の方向に私は二人を引き摺りそのままとんずら出来るか、と思ったけれど怪しい人は私の目の前に回り込んできた。

「ま、待ってくれすまない、久し振りに人と話せて少しテンションが上がっただけなんだ! ……ほら、これが私が国際警察だという証拠だ」

 少しテンションが上がったくらいで決めポーズを決めるのは変な人だと思う。目の前に差し出された黒い手帳を怖々と覗き込めば国際警察の文字と顔写真、コードネームが書かれていたが、この人が本当に国際警察だとしても変な人だという印象は変わらない。

「それで、国際警察の方がわざわざ引き留めるだなんて、私達に何か用でもあるんですか」

 結構低い声が出て、ハンサムさんはへにゃりと眉を下げ、けれどすぐに咳払いしてキリッとした顔を作り直すと話し始める。

「ところで君達、人のものを盗ったら泥棒という言葉を知っているか?」
「え、はい。知ってます」
「当然のことですよね」
「そうとも! 人のものを盗るのは悪いことだ! で、このシンオウ地方にも人のポケモンを奪ったりする悪い奴らがいるらしい」

 酷く深刻そうな顔でハンサムさんは言う。彼はそんな悪い奴らについて調べ、捕まえる為にこの辺りを探っていたのだそうだ。
 怪しい奴を探していたというが、あんなにあからさまに隠れながらキョロキョロしていては探している本人が一番怪しいのではないだろうか。

「そ、そんなに私は怪しかっただろうか……」
「かなり」
「思わず話し掛けちゃうぐらい挙動不審だったよね、ヒカリ?」
「うん。なんかそのままにしてちゃ駄目な感じだったかも」
「ウヌゥ…………だから、君達のポケモンも、君達を私から遠ざけようとしていたのか……」

 そういえばと思い出して足元を見れば、アリマサとナエトルは訝しげにハンサムを見ていた。ナエトルはいつでも体当たり出来るよう後脚を少し曲げて、アリマサはすぐさま引っ掻くことが出来るよう爪を剥き出しにしている。
 ハンサムさんは何かを考えるような仕種をした後、おもむろにコートのポケットをごそごそと漁り始めた。

「私が怪しいというのは甚だ遺憾であるが、怪しい人物に不用意に近付くのは推奨できん。ということで、君達にこれをあげよう!」

 突然ハンサムさんから差し出されたのはクリップのようなものだった。とてもシンプルな形の黒いクリップに、何故クリップを渡されるのかさっぱり分からず首を傾げる。ヒカリとコウキも興味深そうにクリップを見てはいるが、これが何なのかは分からない様子だ。

「これはポケモン語翻訳機! 使い方は身に付けるだけ! まだ試作品ではあるが、問題無く使えることは保証する。……警戒心や危機感知能力は、人間よりポケモンの方が優れているからな。何かあれば君達のポケモンが教えてくれることだろう」

 一人一つずつクリップを渡され、つける位置について教えてもらう。耳に近すぎるとポケモンの声が大きかった時に耳を痛めるし、遠すぎると音が聞こえないので実際に身に付けてみてつける位置を調節するらしい。音量を調節出来ないのは試作品だからだそうだ。

「なんで、こんな凄いものを私達みたいな子供にくれるんですか?」
「子供だからこそ、だよ。危険を危険と感じない、危険でも自分なら大丈夫だろうと過信する、そんな子供にこそこれは必要だと私は思っている。これはただの私の予感なんだがね、君達は今後危険に巻き込まれる気がするんだ」

 ハンサムさんはふっと優しく笑う。先程までのキリッとした表情より余程自然に。

「君達は危険や怪しいものを見過ごせない優しい子達だ。そんな君達をポケモンは絶対に助けてくれる。この翻訳機は君達とポケモンの意思疎通の助けとなるだろう」

 そう言うハンサムさんはもう怪しい人には見えなかった。ヒカリがクリップを大切そうに握り込むのを横目に見ながら私は考える。
 これが本当にポケモンの言葉を翻訳出来るものでハンサムさんが善意でくれるものだとして、私にこれは必要なのか。私はトレーナーじゃない。今後もなるつもりは無いし、ポケモンを持つつもりも無い。ヒカリやコウキにはあって困るものではないだろうが……。

「それでお願いだが、もし私を見かけても仕事だから話し掛けないでくれ。いや寂しいから……じゃなくて、怪しい奴を見かけたら、何かあれば声を掛けてくれ!」
「……つまり、何事もなければハンサムさんのことはスルーして、何か情報を持っていればハンサムさんに伝えればいいんですね」
「う、うむ、そういう事だな!」

 矛盾の多い言葉だが、彼にも事情があるんだろう。仕事上誰かと話すことは極力控えないといけないがたまには誰かと話したい。誰かと話すのは久し振りだと言っていたし、確かに一人で誰とも話さず過ごすのは精神的にくるものがあるのは私もよく知っている。

「それではな。良い旅を!」

 しゅぴっと敬礼のようなポーズをとってハンサムさんは去っていった。またあの怪しい動きをしながら怪しい奴を探すのだろうか。逆にジュンサーさんに職質されなければいいけれど。

「……国際警察って、大変なんだね」

 コウキがしみじみと呟く。ヒカリも本当にねーと相槌を打ち、この嵐のような出来事は終わった。
 さて。

「ナエトル、ちょっと何か喋ってみて」
「えぇっ、私ですか!? な、何かだなんて、そんな、急に言われても困りますよぅ!!」
「おお」

 年頃の少女のような、幼い少年のような、初めて聞く声だ。今ここに居るのは私とヒカリとコウキ、アリマサとナエトルのみ。そして声が聞こえてきたのは、私が手に持っているクリップからだ。

「ナエトル今急に言われても困りますよーって言った? あってたら頷いてくれる?」
「はい、はい、確かに言いました! あってます!」
「ふむふむ」

 首振り人形のように勢いよくカクカクと首を縦に振るナエトル。パニックになっているのか目がぐるぐるしている気がする。あがり症なのだろうか。

「すごいね、本当にポケモンの言葉を翻訳できるんだ」

 一体どういう仕組みになっているのやら。怪しい物だが、機能は言われた通りの物のようだ。
 ヒカリとコウキが慌てたようにクリップを身に付けようとする。服の襟に、首に巻いたマフラーに、それぞれ身に付けて自分のパートナーに話し掛ける。

「アリマサ、アリマサ!」
「ああ、なんだ?」
「すっごーい! アリマサの声が聞こえる!」
「おいこら! 苦しいぞ、ヒカリ力入れ過ぎだ!」

 感極まったのかヒカリに抱き着かれてアリマサが呻き声をあげながらもがいた。けれど嬉しそうなヒカリはそのままぎゅうとアリマサを抱き締め続ける。一頻りもがいた後、アリマサは諦めたようにぐったりと大人しくなった。……落ちてないよね?
 まぁ、ヒカリはすこぶる嬉しそうだし、アリマサは尊い犠牲だったのだ。

「あ、ごめん。そういえばトレーナーズスクールまで案内する途中だったね。といってももうトレーナーズスクールは隣なんだけど」
「……え」

 コウキがすっと指差す。そういやここだったな、と横目で左手にある建物を見る。私が七歳の時、トレーナーズスクールに通っていた頃のコトブキシティはまだこんなに高層ビルは建っていなかったし、スクールも煤けた古い外観の建物だった。
 今では何の会社が入っているかさっぱり分からないビルが聳えたち、スクールも真新しくなっていて記憶の中のコトブキシティとはちっとも重ならないが、ポケモンセンターの場所は変わらず同じ所にあるしトレーナーズスクールも場所は変わっていないようだ。
 ヒカリの顔色がまた酷くなる。

「ヒカリ、どうする? ジュンが出てくるの待つ?」

 向けられたヒカリの瞳はまるで縋りたいと思っているように見えて、けれど口は閉じられたままだ。

「…………俺が行こうか? ジュンに届け物を届けるだけだろ」

 声をあげたのはアリマサだった。
 アリマサならジュンの顔を知っている。届けるだけなら簡単だろう。
 ヒカリは迷うように俯いてぎゅっと強く目を瞑る。コウキが心配そうにしていた。事情はさっぱり分からなくても、ここまで顔色が悪いのが明らかだと何かあると察せる。
 ヒカリの拳が強く握られた。そして、───ヒカリは首を横に振る。

「わたしが、行ってくる。確かトレーナーズスクールって見学出来たはずだし、トレーナーになったんだもん、ついでに少し勉強してくる」

 ヒカリは無理に笑顔を作ってコウキに道案内ありがとうと伝えると、ジュンに会ったらすぐに渡せるようにか届け物の封筒を鞄から取り出す。アリマサはヒカリの腕に捕えられたままだ。

「アリマサ、一緒に来てくれる?」
「当然だろ。なんたって俺は、ヒカリのパートナーだからな!」

 にかっとアリマサは笑う。ヒカリもぎこちなくも無理に作ったものではない笑みを浮かべアリマサを抱え直した。

「じゃあ、これもジュンに届けてほしいな」
「え……!?」
「サキさんそれ、ポケモン語翻訳機……」

 手に持ったままだったクリップをヒカリの持つ封筒に入れると二人に物凄く驚いた顔をされる。そこまで驚く事だろうか。私はトレーナーではないしポケモンも持っていない。このポケモン語翻訳機はあれば便利だろうが、普通は誰も持っていない物だし無くても問題無い。
 それに何より。

「ハンサムさんは危険に飛び込んでいきそうな子供だからってこれをくれた。でも、私達の誰より危険に飛び込んでいきそうなのはジュンでしょう? ならこれは、ジュンこそ持っていた方がいい」

 否定の言葉は返ってこない。
 私はジュンと直接会ったことは無くて正直どんな子か知っている訳じゃない。けれど一つだけ分かる。ジュンには、ストッパーが必要だ。きっと二人も同じ事を思ってる。

「ジュンのポケモンには申し訳ないけど、なんとかジュンが暴走するのを止めてもらわないと。ハンサムさんが言ったことが本当なら危ない奴が出没してるみたいだし」
「……分かった。ジュンに渡してくる」

 ヒカリは神妙な面持ちで頷き、トレーナーズスクールの方を向いた。と、思ったらまたこちらを見る。

「お姉ちゃんは、どうするの?」
「私? 私はポケモンセンターに行って部屋を借りて、適当に時間潰すよ」
「そっ、か。うん、じゃあ行ってくる。あ、コウキもありがとう。またね!」

 着いてきてほしい、と言おうとしたのだろうか。でも私はトレーナーじゃないし、なるつもりもないからトレーナーズスクールには行けない。トレーナーズスクールは、トレーナーのためのスクールだ。
 手を振ってヒカリはトレーナーズスクールへ、私はポケモンを回復させたいというコウキと連れ立ってポケモンセンターへ向かう。

 ちらりと視線を向けたトレーナーズスクール。ヒカリの旅に着いていくと決めた時、私はここに来て何を思うか、何をするか考えた。泣くのか、怒るのか、怯えるのか。昔ここで酷く嫌な思いをして、平気な顔で近付くことが出来るのか。
 私は今何を感じているのか。正直、さっぱり分からない。
 何も感じない。けれど胃がぐるぐるとしているような不快感がある。
 この不調が、心理的なものなのかただ体調が悪いだけなのか判別出来ない。心理的なものだとしても理由がトレーナーズスクールに近付いたせいなのかも分からない。何せ初めての旅だ。無意識に緊張しているのかもしれない。

 ただ、一つ分かるとしたら、この場所で特に何かを思うことは無いが、わざわざ近寄りたいとは思えないということだけだ。
 今度こそトレーナーズスクールを視線から外し、私は感情が上手く動かないという気持ち悪さを抱えて歩き出した。

20181005

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