おつかれさま、頑張ったね。
奏でる音は至上の音。楽しそうに遊ぶように鍵盤の上を彼の指が滑る。眺めながらも耳を傾けていると聞き覚えのあるリズムだと気が付いた。あの貰った楽譜の音だ。携帯でずっと鳴らしているのだから間違えるはずがない。誰も知らない事実に驚いていると月永レオと目線が有って彼の口が動く。
歌え。無声で動いた口はいたずらを秘めた目で楽しそうに見ている。
いや、歌えって待って。色々おかしい。いやいやとそっと首を振ってから近くの斑さんを見たら呼んでいるぞお。と笑って背中を押す。いや、待って違う。そうじゃないって!。止めてくれると思ったのに。斑さんまで裏切り者だなんて大声で叫ぶわけにもいかないし、楽曲は頭からに急に飛んでる、早く来いと言わんばかりに片手でこっちに来いとのボディーランゲージまで入った。確定じゃん。人々の視線が月永レオの先―つまりこちらに向く。
「さぁどうする?うちの真っ新な秘蔵っ子」
「何かあったら収集つけてくだしゃい。」
「緊張で噛んでいるなあ。レオさんから聞いてる限り、お墨付きだから心配なんてないんだがなあ?」
噛んでしまったことが恥ずかしいのか、周囲の視線が刺さっていることが恥ずかしいのかわからない。あの日から聞きまくっている音は変わらずに、よく聞くままだ。背筋を伸ばして、外面だけは冷静を保つが内心は汗ダラダラ。小心者一般人……いや、一般人じゃなくなったんだった。まともに外にも立ったことないのを実践に出すのはやめてほしい。どんだけブラック会社なのかとも考えてしまう。思考は不思議な方向フルスロットルに飛ばしてるので、本気辞めてほしい。
平然とした表情筋だけを武器にステージに上ると、月永レオはすっとピアノ椅子の中央から端にずれて、ここに座れと言うようにピアノ椅子半分を叩いた。断る理由もないし鍵盤に背を向けて隣の熱を感じる距離、そこに落ちつけていると、歌に入るぞ。と耳打ち一つ、返事をする暇なく演奏し出すので、慌てて記憶を引っ張り出しながら旋律を乗せる。
多少声も震えを覚えながら、視線をさまよわせてると遠くで斑さんがこっちを見て頷いていた。ちょっとこっち見ないでよぉ!心の中でヤジを飛ばしながらも一曲歌いきると、月永レオは一曲まるっと引き終わると同時に立ち上がり私の手を掴んで上にあげる。
「うちの事務所『NEW DIMENSION』の新入りナマエだ!苗字は忘れた!でも、これから売り出しになるからよろしく!ほらいくぞ、ナマエ!」
「えぇ、ちょっと!」
挨拶よろしく腕を下げるので、つられて頭を下げた瞬間に無理に腕を引っ張られ、ヒールが床にたたきつける軽快な音と軽いどよめきを背中に受ける。振り返れば、誰も追いかけてくる気配もない。ちょっと、と隣の月永レオをいさめれど聞く耳を持たず子どものように大口開けて笑っている。数日前のデジャビュ。
会場を大々的に抜け驚く人々の間を通る。多少申し訳なさもあるのですいませんと謝るが聞こえてるかは定かでなく、走り続けてガーデン的なところでようやくその足が止まった。ヒールで走ってるのでとても足が痛いし、息切れがすごい。ベンチの前で止まったので腰を下ろしたら先ほどまでの恐怖と今の疲労がどっと押し寄せてきた。
「はー楽しかったな!」
「疲れました。急に呼ばないで、ください」
スカートでドレスだけど、足を広げて間に肘を入れて頭を垂らして肩で息をする。転ぶのを耐えた結果か、乱雑に走ったからかセットした髪の毛も多少ほどけ始めている。ドレス汚れてないかな、とも思ったけど引っ張り出したのはこの目の前の男だ。瀬名泉が出てきたら戦える気はしないけど、諸悪の根源はこの月永レオだ。
「ピアノ弾いてたら楽しくなって、ナマエの顔が見えたからつい誘っちゃった。ごめんな」
「ごめんな、じゃないですよ。心臓が持たない……。」
「でも、アーティストになるんだろ?」
「ならされたの間違いですけどね。」
「オバちゃんが驚いてたけどな。」
レコーディングブースでの歌がよかったからと録音したテープを副所長さんと瀬名さんに聞かせて本人の意思ほぼ無視で進んだ結果。瀬名さんの半ば脅しに近い形で『NEW DIMENSION』とアーティスト契約を結ぶ事になった。人あたりのよさそうな、副所長さんが本当に大丈夫かと再三再四確認をとってくるのだから、詐欺にちかい商法でもやってるのかと勘繰ってしまった。ありえそう、瀬名泉脅迫商法。マルチ商法になるのではないのだろうか。
「そうか?でもさ。いい声はいい歌を歌うんだぞ。」
「ちょっと、髪の毛!」
そう言いながら肩で息する私の頭を犬よろしくの撫で方でワシワシと強めに撫でて、お疲れよくできました!と満面の笑みを浮かべている。今のでかろうじて生き残っていた髪の毛も、ボロボロになってしまって人様に見せれるような頭になってない。走って汗もかいてしまってるので化粧だって流れ落ちているだろう。あぁ鏡を見るのが怖い。っていうか、元着ていた服は何処に行ったんだろう。事務所か。
強めに頭を揺さぶられる撫で方はひとしきりされて満足したのか、子どもを寝かせるような手つきで頭を撫で始めた。優しい手で撫でられているのがくすぐったい。
「急に呼び出してほんとゴメン。でもな、ナマエが俺のピアノに合わせてくれたら最高に楽しいだろうな!って思った。」
だって、ナマエが俺の隣に座って俺の歌を歌ってくれるのが幸せだなーって思っちゃったんだよな。初めて声をかけてくれた時。一言二言話した声が、おれの霊感をくすぐってナマエの声で聴きたいな!って思って携帯落としていった!
どうもこの告白からするに見事に仕掛けられたらしい。やっぱり『NEW DIMENSION』詐欺集団。そう思うと、副所長さんが哀れにも思えてきた。というか本人を目の前に、そう宣言してくるこの現象に呆れも覚えた。これ、なに仕込まれてる?ドッキリ?カメラは?っていうか、一般人だから画像加工してくれるよね。周りを見回しても誰の気配もない。周りを確認してる間に、月永レオは私の耳元で先ほどとは違い艶めいた声色で囁く。
「なあ俺の作った歌うたってよ。うん、っていうまで離さないから。」
そしてリップ音。ここで、私の記憶はショートした。したがゆえに、愉快に奇妙な立ち位置のシンガーの誕生した瞬間であり、月永レオの手のひらで転がされる日々がここで成立した。おい、月永レオ。緩急の差が激しい。