心が揺れ動いた
「見つけたよ、ぼくのおひめさま」
「……っ、」
斑さんとの生活が心地好すぎて、すっかり忘れていた。
私には家が、帰らなければならない場所があったこと。そしてそれは逃れようのない牢獄のような場所であったこと。
耳に届いた声は確かに日和さんの声で。私は反射的に駆け出した。
「もう逃がさないよ。きみはぼくの……ぼくだけのおひめさまだね」
「……!」
必死に逃げたはずなのに、あっという間に追い詰められてしまう。怒りを滲ませた日和さんの声が、こわい。
「さぁ、帰ろうね。みんな心配していたよ」
「……、」
「きみが居なくなってから、もしきみに何かあったらと思うと不安で仕方なかったね。誰かに酷い目にあわされたりはしなかった?」
諦めにも似た心地で頷く。
束の間の幸せだった。でも、きっともう斑さんの元へは戻れない。
せめて斑さんに迷惑がかからないようにしないとと思い、スマホにメールを打ち込む。
迎えが来ました。もう戻れません。今までありがとう。
文字を打ちながら勝手に溢れ出る涙を止める方法は分からなかった。
話せないはずじゃなかった私の声は、いつの間にか本当に出せなくなっていた。
声を発しようとしても音にならない。
異変に気づいた日和さんが病院へ連れて行ってくれたけれど、原因は見つからなかった。
「恐らくは精神的なものでしょう。最近まで家を出ていたそうですが、そこで何かあったのでは?」
「……」
「本当はぼくに言えないような、酷いことをされていたの?教えてくれないとわからないね」
酷いことなんて何もされてない。むしろすごく幸せで、素敵な時間だった。
でも、斑さんの名前を出す訳にはいかない。彼らは斑さんに何をするかわからないし、あんなにいい人を巻き込むなんてできなかった。
「或いは、その事象自体がショッキングすぎて記憶を封じているのかもしれません。時間をかけ、安心させてあげるのが良いかと」
「……そう。今のところは仕方がないね。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて診察室を出る。
そっと肩に回された日和さんの腕が、私を逃さない鎖のように思えた。
日和さんと過ごしていても、家族の元で過ごしても、斑さんと居た時ほどに心は動かない。
逆に斑さんへの想いは募るばかりで、ただただ苦しかった。
あの日投げ出した命の続きを生きるなら、斑さんとが良かったなぁ、なんて、もう叶うことのない願いを胸に抱いては一人俯くだけの日々。
きっとこれからもこんな毎日が続いていくんだろう。そう、思っていた。
『俺は先日まで人魚姫と暮らしていたんだが、毎日がすごく楽しくてなあ』
「……!」
テレビから不意に聞こえてきた懐かしい音声に思わず顔を上げる。
そのテレビに映っていたのは、紛れもない斑さんだった。
『人魚姫って……ゲームか何かか?』
『ははは!そこは秘密にしておこう!だが、その人魚姫が突然いなくなってしまったんだ』
『え〜何それ、海に帰っちゃったの?あれっ、でも人魚姫って最後は泡になるんだっけ?』
『スバルさんの言う通り!物語では人魚姫は泡になって消えてしまったんだなあ。……でも』
斑さんが真っ直ぐにこちらを見ている、気がした。
『それが君の意思じゃないなら、俺は何度でも君を攫いに行く』
「っ……!」
「何度だって捕まえて、笑顔にさせてみせるぞお」
テレビ越しではない肉声が聞こえて振り向く。斑さんが小さく苦笑した。
「迎えに来たぞお、人魚姫。王子さまじゃない俺では不服かもしれないが」
「……っ、」
勢いよく斑さんに向かって駆け寄る。いとも容易く私を抱きとめた斑さんの腕に安心して、顔を上げた。
「斑さんが、いいです。斑さんじゃなきゃ嫌です」
「……君、声が」
「あ……」
すんなりと出た声に驚いたのはお互いだった。何となく照れくさくて笑って誤魔化せば、斑さんは優しく頭を撫でてくれる。
「ようやく君の声が聞けて嬉しいぞお」
「ずっとずっと、迷惑かけてごめんなさい」
「謝罪より、君には笑っていて欲しいなあ」
「……ありがとう」
私の住む屋敷に斑さんを手引きしたのは、他でもない日和さんだったらしい。
斑さんが凪砂さんから話を聞き出し、日和さんに白手を投げつけたのだと聞いた時は思わず笑ってしまった。
非公式の決闘で斑さんは日和さんを制し、私を迎えに来たという。
「日和さん、あの」
「きみはぼくだけの、おひめさまだったね。でも、そんな風に笑うきみは初めて見た。……ぼくには、王子さまの資格は無かったみたいだね」
「……ごめんなさい」
「もうきみの顔なんて見たくもないねっ、海でも山でもどこにでも好きな所に行くといいね!」
「……ありがとうございます」
斑さんはいつの間にか私の家の事情も全て調べあげ、財閥への資金援助の話も取り付けられていた。その条件が、私を自由にすること。
こうして私は、斑さんと暮らしていたアパートへ戻ってくることが出来たのだった。
「そうしていると、やっぱり新妻さんみたいだなあ」
「もうっ、あんまりからかわないでくださいね?まだそんなに慣れてないんですからっ」
真新しいエプロンを着て、いつかのように斑さんのために料理を作る。
そんなにレパートリーは多くないけど、これから勉強して、色々なことを出来るようになっていけたらと思う。
そしてそれはできれば、大好きな斑さんとずっと一緒に。
敷かれていたレールはなくなったけど、私はきっとこれからも生きていける。
それが嬉しくて、自然と頬が緩んだ。
-11-「……っ、」
斑さんとの生活が心地好すぎて、すっかり忘れていた。
私には家が、帰らなければならない場所があったこと。そしてそれは逃れようのない牢獄のような場所であったこと。
耳に届いた声は確かに日和さんの声で。私は反射的に駆け出した。
「もう逃がさないよ。きみはぼくの……ぼくだけのおひめさまだね」
「……!」
必死に逃げたはずなのに、あっという間に追い詰められてしまう。怒りを滲ませた日和さんの声が、こわい。
「さぁ、帰ろうね。みんな心配していたよ」
「……、」
「きみが居なくなってから、もしきみに何かあったらと思うと不安で仕方なかったね。誰かに酷い目にあわされたりはしなかった?」
諦めにも似た心地で頷く。
束の間の幸せだった。でも、きっともう斑さんの元へは戻れない。
せめて斑さんに迷惑がかからないようにしないとと思い、スマホにメールを打ち込む。
迎えが来ました。もう戻れません。今までありがとう。
文字を打ちながら勝手に溢れ出る涙を止める方法は分からなかった。
話せないはずじゃなかった私の声は、いつの間にか本当に出せなくなっていた。
声を発しようとしても音にならない。
異変に気づいた日和さんが病院へ連れて行ってくれたけれど、原因は見つからなかった。
「恐らくは精神的なものでしょう。最近まで家を出ていたそうですが、そこで何かあったのでは?」
「……」
「本当はぼくに言えないような、酷いことをされていたの?教えてくれないとわからないね」
酷いことなんて何もされてない。むしろすごく幸せで、素敵な時間だった。
でも、斑さんの名前を出す訳にはいかない。彼らは斑さんに何をするかわからないし、あんなにいい人を巻き込むなんてできなかった。
「或いは、その事象自体がショッキングすぎて記憶を封じているのかもしれません。時間をかけ、安心させてあげるのが良いかと」
「……そう。今のところは仕方がないね。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて診察室を出る。
そっと肩に回された日和さんの腕が、私を逃さない鎖のように思えた。
日和さんと過ごしていても、家族の元で過ごしても、斑さんと居た時ほどに心は動かない。
逆に斑さんへの想いは募るばかりで、ただただ苦しかった。
あの日投げ出した命の続きを生きるなら、斑さんとが良かったなぁ、なんて、もう叶うことのない願いを胸に抱いては一人俯くだけの日々。
きっとこれからもこんな毎日が続いていくんだろう。そう、思っていた。
『俺は先日まで人魚姫と暮らしていたんだが、毎日がすごく楽しくてなあ』
「……!」
テレビから不意に聞こえてきた懐かしい音声に思わず顔を上げる。
そのテレビに映っていたのは、紛れもない斑さんだった。
『人魚姫って……ゲームか何かか?』
『ははは!そこは秘密にしておこう!だが、その人魚姫が突然いなくなってしまったんだ』
『え〜何それ、海に帰っちゃったの?あれっ、でも人魚姫って最後は泡になるんだっけ?』
『スバルさんの言う通り!物語では人魚姫は泡になって消えてしまったんだなあ。……でも』
斑さんが真っ直ぐにこちらを見ている、気がした。
『それが君の意思じゃないなら、俺は何度でも君を攫いに行く』
「っ……!」
「何度だって捕まえて、笑顔にさせてみせるぞお」
テレビ越しではない肉声が聞こえて振り向く。斑さんが小さく苦笑した。
「迎えに来たぞお、人魚姫。王子さまじゃない俺では不服かもしれないが」
「……っ、」
勢いよく斑さんに向かって駆け寄る。いとも容易く私を抱きとめた斑さんの腕に安心して、顔を上げた。
「斑さんが、いいです。斑さんじゃなきゃ嫌です」
「……君、声が」
「あ……」
すんなりと出た声に驚いたのはお互いだった。何となく照れくさくて笑って誤魔化せば、斑さんは優しく頭を撫でてくれる。
「ようやく君の声が聞けて嬉しいぞお」
「ずっとずっと、迷惑かけてごめんなさい」
「謝罪より、君には笑っていて欲しいなあ」
「……ありがとう」
私の住む屋敷に斑さんを手引きしたのは、他でもない日和さんだったらしい。
斑さんが凪砂さんから話を聞き出し、日和さんに白手を投げつけたのだと聞いた時は思わず笑ってしまった。
非公式の決闘で斑さんは日和さんを制し、私を迎えに来たという。
「日和さん、あの」
「きみはぼくだけの、おひめさまだったね。でも、そんな風に笑うきみは初めて見た。……ぼくには、王子さまの資格は無かったみたいだね」
「……ごめんなさい」
「もうきみの顔なんて見たくもないねっ、海でも山でもどこにでも好きな所に行くといいね!」
「……ありがとうございます」
斑さんはいつの間にか私の家の事情も全て調べあげ、財閥への資金援助の話も取り付けられていた。その条件が、私を自由にすること。
こうして私は、斑さんと暮らしていたアパートへ戻ってくることが出来たのだった。
「そうしていると、やっぱり新妻さんみたいだなあ」
「もうっ、あんまりからかわないでくださいね?まだそんなに慣れてないんですからっ」
真新しいエプロンを着て、いつかのように斑さんのために料理を作る。
そんなにレパートリーは多くないけど、これから勉強して、色々なことを出来るようになっていけたらと思う。
そしてそれはできれば、大好きな斑さんとずっと一緒に。
敷かれていたレールはなくなったけど、私はきっとこれからも生きていける。
それが嬉しくて、自然と頬が緩んだ。