01.不思議なこの夜が明けたら
午前0時 聖地マリージョア
「はぁ…はぁ…」
またとないチャンスが巡ってきた。
この機会を逃せば一生このままかもしれない。
そう自分に言い聞かせて、私は必死に走った。
咄嗟の判断で飛び出したから白のノースリーブのワンピースしか着ていない。
靴だって履き忘れた。
夜の寒さは身に沁みるし足は痛いけど、今そんなことはどうでもいい。
ここから逃げないと!
「…はぁ…はぁ……っ!?」
突如、目の前に現れたのは断崖絶壁。
しまった…!
思えば一人で外に出るのは初めてだった。
右も左も分からず闇雲に走った結果がこれ…。
土地勘がない自分がどうして無事にここを脱出できると思ったのか…。
どうする…どうする…!?
そんなことを考えていたその時。
「あそこだ!急げ!」
振り返れば私を追ってきたであろう男が数人。
持っていた明かりを顔に向けられ、眩しさに思わず目を細める。
「…っ!」
もう一度断崖から先を見た。
見渡す限りの暗い海。
恐る恐る足元に目を向ければ、ゴツゴツした岩肌ばかりが続きザザーンと岩に打ち付ける荒々しい波音が聞こえてくる。
暗いせいか海面まで何メートルあるのかも分からない。
どうする…?
このまま連れ戻される…?
あそこに…?
その間にも迫ってくる声と足音。
「…大丈夫…きっと大丈夫」
こんな所で捕まってたまるか!
部屋から一歩踏み出した時に心は決まっていたじゃないか。
足音の方を振り向くと、私を捕まえようと伸ばされた腕が目に入った。
「残念でした。私は自由になりたい!」
海の方へ体を傾ける。
瞬間、ぞくっとした浮遊感に襲われた。
伸ばされた男の腕は、私に届くことはなかった。
***
「1時か…」
ふと時計を見ると日付はとっくに変わっていた。
ベポが言うには明日にはシャボンディに着く。
眠気は全くないが、そろそろ明日に備えてベッドに入った方がいいかもしれない。
おれは読み耽っていた医学書を閉じるとソファを立った。
ドォオオオオンッ!!!
けたたましい音と同時に船が不規則に揺れる。
おれが思わずソファの背に捕まりバランスを取ったのと、所定の場所に立て掛けてあった鬼哭がガタンと床に倒れたのはほぼ同時だった。
寝ていた奴も目を覚ましたのか、船内をバタバタと走り回る足音が聞こえ始める。
最初の衝撃後、大きな音はしなくなったものの尚も船は揺れている。
誰かが報告に来る気配もない。
「チッ」
なんだ?
こんな夜中に海軍…?
いや、違う。
海軍の気配じゃねェ…。
何故か直感でそう思った。
おれは机に上に放っていた帽子を被ると鬼哭を拾い上げ、自室を出た。
◆
「何があった!?」
足早に甲板へ向かい荒くドアを開ける。
ペンギンやシャチ、ベポを始めほとんどのクルーが集まっていた。
そして一応に上を見上げている。
「キャプテン!あれ!!」
「なっ!?」
ベポが指差す先。
巨大な龍のような、ドラゴンのような生き物がこちらを見ている。
海も空も真っ暗だが、それでもはっきりと分かる綺麗なスカイブルーの巨体。
海面から10メートルは出ているであろう体から察するに全長はかなりの大きさがあるだろう。
海王類か!?
しかしここは”凧の帯”の近くでもなければ、寧ろよく漁船も利用するような海域。
こんなのがここにいるにはおかしい。
「キャプテンどうしますか!?」
「どうするも何も無理だろこんなの!逃げるぞ!」
声を荒げたのはシャチとペンギンだ。
確かにこれを相手にするのは厳しそうだ。
よく見れば尖った口先から沢山の牙のようなものも確認できる。
「ペンギンの言う通りだ!お前らすぐ持ち場に…っ!?」
指示を出そうとしたその時、今までこちらをじっと見ていた奴が一気に潜っていく。
「なんだ!?逃げたか?」
すぐ様、その姿を追いかけシャチが甲板の先から海を覗き込む。
するとゴゴゴッという音と共にまた船が静かに振動を始めた。
まるで何かが海中から迫って来ているような感覚。
「シャチ!今すぐそこから離れろ!」
嫌な予感。
咄嗟にシャチに声をかけると慌ててこちらへ走ってくる。
そしてシャチが舳先から離れた後を追うようにさっきの巨体が再び水面に現れ、今度は勢いよく船を飛び越えた。
「キャプテン危ない!」
ベポの声が聞こえるやいなや、おれはオレンジのつなぎに包まれる。
ザーーーーッと雨のように海水が降ってきたのは次の瞬間だった。
凄まじい水飛沫を上げ、水面にその姿は消えていくが、奴が潜った衝撃の強さからしばらく船はユラユラと揺れていた。
シンと静まり返る船。
もうさっきのものの気配は感じられない。
「大丈夫?キャプテン」
「あァ、お陰で助かった」
代わりにお前がびしょ濡れになっちまったなとベポをクシャクシャと撫でる。
一体今のは何だったのか。
よくよく考えるとおれ達に敵意は無かったように思える。
迷惑な話だがただ遊んでいただけの可能性もある。
考えを巡らせているとまたクルーがざわつき始めた。
「お前ら…今度はなんだ」
溜息混じりに言うと、一応に甲板の先を指差す。
そこには白い塊のようなものが落ちていた。
よく見ると手足のようなものも見える。
「あれ…人…?」
イッカクが恐る恐るボソリと呟いた。
「っ!人だろ!?おい!大丈夫か!?」
今まで固まっていたクルー達が人だと思しき影に一気に駆け寄っていく。
おれも続いて近くへ寄った。
「女の子ですキャプテン!かなり酷い怪我をしてるが…」
「息は?」
「…弱いがあります!」
ペンギンが女の首に手を当て脈を測っている。
白いワンピースらしきものは所々赤く染まっていて、足は正常ではない方向に曲がっていた。
さっきの海王類に襲われた…?
いや、その逆で奴がここに連れてきた…?
周りを見ればクルーはおれの指示を待っているようだった。
どちらにしてもこのまま海に放り込めるような雰囲気でもない。
「キャプテン…この子どうするの…?」
ベポが泣きそうな目でおれに問い掛けた。
海賊は良いことなんてしないんだがな…。
「ベポ、こいつを急いで手術室へ運べ。それと補助はイッカクだけでいい。残りは船体に破損がないかの確認と交代で見張りだ。予定通り明日にはシャボンディに上陸する!」
「アイアイ!」
おれの声を受け一斉に動き始めるクルー達。
この女を助けるのは海賊のただの気紛れ。
明日、シャボンディに上陸したら街の医者にでも預ければいい。
そう簡単に考えていた。