▼バレンタインの話
「ニートの一松くん、今日は何の日か分かる?」
「…何、その挑戦的な前置き」
「働いてないし日付感覚狂ってないかなって思って」
僕がニートである事を名前ちゃんが良く思っていないのは知っていたが、あまりにも流暢に言われたので面食らってしまった。彼女は悪びれた様子も無く、僕をじっと見つめてくる。今日は何の日か。確かに日付が分からなくて横目で壁に掛かったカレンダーを盗み見る。2月14日。
「……あー…バレンタイン」
記憶から抹消しかかっていた忌まわしい行事。どうせ誰からも貰えないからと期待もせず、いつも通り無為に過ごす日。
「そうそう。って事で、これ良かったら受け取ってください」
「………」
「いや、一松くんに言ってるんだよ!振り向いても後ろ誰も居ないから!」
はにかみながら綺麗に包装された直方体を差し出す名前ちゃんに、つい背後を確認してしまう。即座に少し不服そうな声で否定された。
「ま、まさか手切れ金…」
「今までの話の流れは!?違う違う!バレンタインデーのチョコレート!」
ついに絶縁を言い渡されるかと思えばこれも頭を振られた。バレンタインの、チョコレート。そう鸚鵡返しする僕に彼女はやっと頷く。しかし呆気に取られてなかなか受け取れずに居ると表情が不安げに曇った。
「……嫌だったら突き返してくれても」
「超嬉しい。貰う」
彼女が引っ込めようとしたそれを慌てて引っ手繰る。その勢いに目を丸くした名前ちゃんは「最初からそうやって素直に受け取ってよ」と唇を尖らせた。いや、だって母親以外に貰えるなんて思わないだろ。況してや好きな子にとか。僕今日死ぬんだろうな。
「………ぎ、義理?」
「一応本命のつもりなんだけど…」
もう死んでもいいわマジで。車に轢かれるなり鉢植えが落ちてくるなり隕石が僕にだけぶつかるなりしてもこの世を恨まず優しさに包まれながら逝ける。
「…もしかして手作りだったり…?」
本命って言ったしそれも有り得るよな、と聞いてみる。手作りチョコに髪とか血とか入れる女おっかねぇなって思ってたけど名前ちゃんなら寧ろ入れてくれていい。僕からの期待の籠もった問いに対し、名前ちゃんは自信ありげに微笑んだ。
「大丈夫だよ!買ったやつだから安心して」
「ハァ!?何で!?」
彼女の言葉につい声を高くしてしまった。名前ちゃんは突然声を張り上げた僕に驚き、首を傾げる。
「え?一松兄さんは手作りチョコ地雷だよってトッティくんが言ってたから…」
「トッティ殺してくる」
「も、もう少し穏やかに…」
何つー嫌がらせだあのドライモンスター。名前ちゃんから貰う初めての本命チョコに茶々入れやがって。はー、殺そう。あいつを殺して僕も死ぬ。そう思い立ち上がりかけた僕を名前ちゃんは宥めた。
「……つーか、先に僕に聞けばいいじゃん。何でトッティの言う事鵜呑みにしちゃうの」
「な、なんかそれっぽいなーって思っちゃって…ごめんなさい」
あー、違う。名前ちゃんを責めたい訳じゃない。苛々してて此方こそすみませんね。少し気まずい雰囲気になってしまった。どうしよう。幸福の中で死ぬ事さえ僕には許されないのか。日頃の行いがそんなに悪いのか。
「…ごめんね。来年は手作り頑張るから」
しかし名前ちゃんが放ったその一言で弾かれたように顔を上げる。来年は。来年もくれるってのか。
「………僕こそごめん…た、楽しみに、してる…」
「…うん」
単純だとは思いつつ、それだけでさっきまでの暗い感情が一気に吹き飛んだ。来年までに愛想尽かされる事の無いよう気を付けないと。あ、ホワイトデーにはお返ししなきゃいけないんだっけ。センスの良いお返しは出来ないだろうけど。
「来年は一松くんにも手作りかぁ…俄然気合い入れないとね」
「……僕、にも?」
「あ、違うの!本命は毎年トト子ちゃんにしかあげてないよ!」
手作りで本命を毎年。トト子ちゃんにはほんと勝てない。
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