No.139-side:CP9




白いテーブル、黄色い椅子、レースの掛かったソファー。
自分の部屋とは何もかも違う雰囲気に、最初は居心地が悪かった。
花を模る白いアイアンで囲まれた鏡、その前に置かれた大小様々な形の小瓶。
どう使うのかも検討の付かない化粧品類に、中年の夫婦の写真が入ったフォトフレーム。
彼女と同じ髪色の夫婦がにこやかに笑う写真を見つめ、改めて自分とは生きる世界が違うと思い知らされる。

窓辺には、右から左へ麻紐が渡され、そこには花束がいくつかドライフラワーとなって吊るされている。
それらは、ワシがいつか、気まぐれに彼女に買ったものだ。
彼女は、ただ花瓶の中で枯れゆくのを見守るよりは形に残したいと言い、それからワシが贈る花はこうして吊るされ、乾かされる。

窓辺に立つと、ちょうど視線の高さに、色褪せたが黄色いバラが逆さまにぶら下がっていた。
そのバラはイエロードットと言うのだと、彼女は言った。とっても大好きな花なのだ、とも。
中心が色濃く、外側の花弁になるにつれ薄い生成にグラデーションになっている。
その花を指先で抓むと、その一本は意外にも簡単に束から引き抜くことが出来た。
細い茎をポキンと折り、小さな花部分を手のひらに転がす。
小さな黄色いバラの花は、手のひらの中でカサカサと乾いた音を立てた。

「……見納めじゃ。」

ぽつりと呟き、二度と訪れる事のない部屋をもう一度見渡す。
バラの花をそっと上着のポケットに忍ばせた。

小さく息を吐き、部屋から出る。
ドアを閉め、サムターンに引っ掛けておいたビニール紐を引き抜くと、ガチャリと錠が閉まる音がする。
鍵なしで開けるのも閉めるのも、なんて容易い錠なのじゃろう。
こんなチャチなセキュリティーでも安心して住んでいられるのが一般人。
そして、これくらいのドアならば、ブルーノの力などなくても簡単に出入りしてしまえるのが諜報員じゃ。

さて、嫌な事はさっさと済ませてしまおう。
いま会社に戻れば、丁度彼女が仕事を終える頃じゃろう。
ナツと、話すまでもない。
ワシ達の最後なんて決まってる。
ハッピーエンドなんて、最初からないんじゃ。

見上げれば、まだ高い位置に太陽があり、空には青空が広がっている。
しかし、そんな爽やかな空を飛んで帰る気にもなれず、胃に鉛でも注ぎ込まれたかのような重い陰鬱な気分で足を踏み出した。





自分を鼓舞するように階段を上る足に力を込める。
人伝に彼女を屋上に呼び出したものの、いまだかつてないくらい足が重い。
普段のワシは、ひと蹴りで屋根の上まで飛べるというのに。

ギイ、と大げさなくらい大きな音を立てて、屋上のドアが開く。
其処には人は誰もおらず、下階から人々の賑やかな声がまるで別世界のように響いていた。
屋上の真ん中、何もないコンクリの床に尻を付け、あぐらをかく。

CPの初任務の時も、ルッチとのスパーリングの時だって、緊張などしたことがない。
なのに、彼女が今この場に向かっていると思うと、わけもなく逃げ出したい衝動に駆られた。

一生来なければいいのに、なんて思ったって、時間は無情に過ぎるし、彼女はワシの呼び出しを無視できるような子ではない。
ワシが開けた時より、キイと控えめに鳴った扉に顔を上げれば、栗色の髪をふんわりと靡かせた待ち人がそこにいた。
彼女の隣にはナツともう一人誰か控えていたようだったが、彼女はナツ達を入り口に残し、一人此方へ向かった。


「仕事、終わったのか。」

「ん、もうちょっと残ってるから、話し終わったら戻らなきゃ。」


ワシの問いに、穏やかな声で返すダリア。
彼女の目元は泣いたあとのように赤く、浮かべている笑みもぎこちない。
まともに彼女と向き合ったのは久しぶりかもしれない。
最近は、彼女と別れなければいけないという苛立ちが先に立ち、まともに目を見る事が出来ていなかった。
きっと、最近のワシは彼女を不安にさせたりもしたじゃろう。

改めて向き合うと思い出されるのは、不意にキスを落とした時に恥ずかしそうに伏せられる瞳や、ワシの冷たい鼻先を柔らかな彼女の皮膚に沿わせた時に擽ったそうに浮かべられる笑み。
もう、あの顔を、見る事は出来ないんじゃな。

視線を上げると、扉の隙間から心配そうなナツの顔が見えた。
わかったわい。さっさと決着を付ければ良いんじゃろ。


「ダリア。」

「うん。」

「あのな。」


ダリアの口元が小さく震え、大きな瞳がワシの顔から地面に落とされる。
すう、と息を吸い込み、扉の所に居るであろうナツにも聞こえるように、意識的に声を張った。


「ダリア、悪いんじゃが、別れてくれんか。」

「好きな女が出来たんじゃ。」

「今まで付き合ったことのないタイプで興味本位に手を出してしもうたが、正直、飽きた。」

「ワシが、真剣になることなんでない。お前さんは、遊びじゃ。」


それは、今までの女性を切り捨てるときに幾度となく口にしてきた常套句。
一気にまくし立てるように口にし、はあ、と息を吐く。


瞬間、視界に入ったのは、金色。

左頬に重い衝撃が走り、地面を滑る感覚と共に、上着のポケットの中でクシャリと小さなバラの花が潰されたのが分かった。

今自分が殴られたのだと認識できたのは、ぐわんぐわんと頭蓋骨と脳に走る余波を認識してからじゃった。
自分が今しがた立っていた場所には、何故かパウリーが興奮した獣のようにふうふうと呼吸荒く仁王立ちで立っており、扉の所には口元を両手で押さえたナツが立ち尽くしている。

なんでこんなところに、と疑問を浮かべた直後に、この場所はパウリーのお気に入りの場所だったと思い出す。
時間が止まったようにしばらくパウリーの呼吸だけが聞こえていたが、耐えられなくなったようにダリアが踵を返し、その場を立ち去った。


「カク……お前ぇ……最低だ。」


葉巻の隙間からパウリーが言葉を吐き捨て、がしがしと大股で屋上を出て行く。

じんじんと痛む頬を、指先で触れる。
完全に油断していたために口の中も切ったようでピリと頬の内側も痛んだ。


こんなパンチも避けられなくて、何がCP9じゃ。


もう、動く気にもなれず、そのままコンクリートの上に仰向けで寝そべる。
夕方を連れてきた雲が、薄らとオレンジに色を変え、風と共に流れていく。


「馬鹿だね、カク。」


そう言って覗き込むように視界に入ってきたのは、手も口も出さずに一連を傍観していたナツだった。
自分を見下ろす顔を眺めながら、小さなバラが上着の中で潰される感覚をリフレインしていた。

乾いた音で。


―クシャリ。



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