6-1
「いい?此処がスーパーよ。ママと来たことあるわね。」
ある日のこと、私はママに連れられて街に出ていた。
どこに行くんだろう。何を買ってもらえるんだろう。
きっとこれから与えられるであろう楽しみを胸に秘め、繋いだママの手をぶらぶらと揺らした。
ここが、薬屋さん。
ここが、郵便局よ。
ここが、文房具屋さん。学校へ行く前に、色々買いに来たわね、覚えてる?
ああ、そこの角が歯医者さん。
全てママと一度は来たことのある場所なのに、ママは言い含めるように、ひとつひとつのお店の前で立ち止まって何の店か私に伝える。
その都度私は、うんうんと頷き、なぜママは今更そんなこと私に教えるのだろう。と首を傾げた。
うろうろと徒歩で街中を歩き回るうちに、すっかり草臥れた私は、座りたいとママに訴えた。
ママは近くのカフェに入り、私にオレンジジュースとお砂糖のたっぷり掛かったドーナツを買ってくれた。
口の周りを砂糖で派手に汚しながらドーナツにかぶりつく私を笑っていたママが、ふとコーヒーカップをテーブルに置いて真顔になった。
「エレナ、そういえば貴女。もう数字は分かる?」
「うん、わかるよ。」
一年生に上がって、ちゃんとテキストを開いての授業が始まっていたけど、相変わらずまだまだ私にとって簡単な内容であることには変わらなかった。
「……そう、エレナは凄いのね。」
ママは目を伏せて、口元は微笑んでいるのに、どこか寂しそうに呟いた。
何か悪い事を言ったかしらと、不安な気持ちでママを見上げながら、ジュースのストローを口に含んだ。
ママは気持ちを切り替えたように顔を上げ、バッグの中からシルバーのピカピカしたカードを取り出した。
「これね、エレナにあげる。」
「なあに?これ。」
「キャッシュカードよ。ほら、ここ見て。」
「……ママの名前。」
「うん、でもパスワードはエレナの誕生日なの。」
あげると言われて渡されたものが、可愛い猫のキーホルダーでもステッキの形のキャンディーでもなくて、私は正直がっかりしていた。
なんでママが今これを私にくれたのか全然わからなくて、でも、ママに悲しい顔をさせたくないから「ありがとう」と呟いた。
顔は……あまり嬉しそうには出来なかったかもしれない。
ママにすぐに仕舞うように言われ、肩から下げていたお気に入りのマリメッコのショルダーに、きちんと仕舞った。
このショルダーはママが若い頃使っていたもので、自分にはもう子供っぽいからとお下がりでくれたのだ。
肩ひもだけは大人用で長すぎたから、それだけ付け替えて使ってる。
カードはママの名前が入った大事な物だから、いい匂いのするハンドクリームを入れていたポーチの中に一緒に入れた。
カフェを出て、ママは私を地下鉄の駅の近くのATMに連れて行った。
「カードを入れたら、パスワードを入力して。パスワードはカフェで教えたわね?あ!口に出さなくていいの!そうよ、いい子。
パネルを押すときは必ず逆の手で手元を隠すのよ。そう、ENTERを押して、次は……」
ママに言われるままに、50ポンド引き出し、それもショルダーに仕舞う。
ママはその足で可愛い雑貨屋さんに入り、私にお財布を選ばせてくれた。
私は今肩から下げている、ショルダーみたいなのが良いとママに言ったら「マリメッコはもう少し大きくなったら買ってあげるわ」と困った顔で返された。
結局、お花と鳥の刺繍がしてあるピンクの生地のお財布を選んだ。
さっき引き出した50ポンドで支払い、おつりを今買ったお財布に入れた。
ママに、さっきのカードもここへ入れるように言われ、ハンドクリームと一緒に入れていたカードをお財布へ移した。
「エレナはもうお姉さんね。」
帰り道、手を繋ぐママが私に言った。
「たとえば、消しゴムとか、ノートとか、すぐに欲しいけどママが買いに行けない時があるかもしれない。そしたら、エレナは自分でお買物できるかしら。」
やっとママが今日、何のために私を連れ出したのかを知った。
不安な気持ちが胸に渦巻く。思わず私は俯いたけど、ママはそれを私が頷いたと思ったみたいだった。
「……そうね。エレナは大丈夫ね。」
そして、やっぱり少し寂しそうにした。
「おこずかいは出来るだけママがお金を上げるようにするけど、急に必要な時は今日の事を思い出してカードを使いなさい。」
今度は俯いたままの状態で頭を揺らした。これは、ちゃんと頷いたつもりだ。
それからしばらくしたある日、毎日どんなに遅くても必ず帰って来ていたママが、帰ってこなかった。
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