3-3
「シャーロック、お外に車が停まってる。」
「……ああ。」
玄関から中に入り、丁度そこに居たシャーロックに声を掛ける。
彼は玄関横の窓から外を見て私の言う車を確認し頷いた。
「あれ何の車なの?」
ホームズ家の門扉の前に横付けするように停まっていた車は普通の自家用車ではなかったのだ。
後部座席以降が荷台になっている商業用のワゴン車だった。
私の問いに。彼は唇を真一文字に結び、片眉を上げた。
「エレナ、こちらへ。」
シャーロックは首を僅かに傾げ、自分の座っている隣を示す。
一人掛けのソファだったが、小さな子供が楽々二人並んで座れるくらいの大きさである。
私は示されるがまま、素直に彼の横に腰掛けた。
「君はあの車は何だと思う?」
「わかんない。」
「即答するな、君その目は何のためにそんなに大きいんだ?物をよく見るためだ。ちゃんと観察して考えろ。」
にべも無く即答した私に彼は眉根を寄せるが、すぐに気を取り直したように彼は顔を私に寄せ、視線の高さを合わせるように頬を寄せた。
「オーケー、エレナ。あの人から分かる事を言ってみて。」
彼がワゴン車から降りてきた男性を示して言う。
シャーロックはたまにこうやって私に推理ゲームのような事をさせる。
それから何十年か同じような事をたまにするが、私が彼に勝てたことは一度も無い。
「たぶん……工事の人。」
私は彼が見ているのと同じ人を見つめながら答えた。
「なぜ?」
「えっと、工事の人が着るつなぎを着ているから。」
「なぜ工事と?つなぎは塗装屋だって着る。」
「だって、つなぎも車もペンキで汚れてないもの。それに工事のお道具箱を持っている。ペンキ屋さんだったらハケを持っているでしょ?」
「いいね。確かに彼は塗装ではない作業をしに我が家へ来た。他には?」
「あ、パイプ。車に色んなパイプが乗っているのが見えた。きっと彼は水道屋さんね。」
「エクセレント。洗濯機の水漏れを直しに来たんだよ。」
シャーロックが私から顔を離し、満足そうにニッと笑った所で玄関のチャイムが鳴った。
家の奥から「はいはい。」とミセスホームズが出てくる。
ミセスホームズに迎えられた水道工事の人は、私とシャーロックに笑顔を見せ、「Hi」と手を上げながら洗面所に入って行った。
「うちの前に2軒作業をしてきた。2軒目の家には猫が……2匹。煙草は吸わない。酒は好きだ。昨日の夜は随分飲んだ。朝食を食べてない。飲んだせいで起きるのが普段より遅かったのか。シャツが昨日と同じだ。ふぅむ、妻が居ないのか?オゥ、指輪だ。彼は独身じゃない。しかし別居中。髪を切ってひと月以上。別居してからずいぶん経つ。」
ぶつぶつと口の中で呟くように、今来た水道屋のプライバシーを淡々と暴いていくシャーロックの言葉を聞きながら首を捻る。
一体彼が初めて会った男性の何処を見て、酒が好きだとか、奥さんと別居中だとか判断しているのか全く分からない。
私の観察眼を総動員して、ようやく家に入ってくる前に水道屋だと見抜いたレベルで、それでも上出来だと自画自賛できる。
シャーロックは口に出さないが、たぶん私についてもアレコレ見破っているのだと思う。
でも口に出すのも馬鹿らしい事しか私自身の身の上に起こらないので、あえて言わないだけなのだろう。
「わたしにはわからない。」
「何が?」
「今日初めて会ったおじさんのシャツが昨日と一緒なんて。」
「君が馬鹿なのは今に始まった事じゃない。」
なんでわかるの?という質問はそれまでに数えきれないくらいした。
最初は何とか教えてくれようとしたシャーロックだが、最近はいちいち説明するのも億劫といった感じだ。
よほど気の向いた時にしか教えてくれない。
教えてもらっても、あんまり理解は出来ないのだけど。
今になって思えば、シャーロックに“馬鹿”と形容されるだけまだ私は人として見られているのだと理解できる。
だって彼は数年後、その他大勢の子供たちの事をゴールドフィッシュと形容した。哺乳類ですらない……。
しかしこの時の私は3歳児らしくありふれた貶し言葉に傷ついた。
「馬鹿って言わないで。」
「本当の事だ。」
飄々とした顔のシャーロックを睨み付けて前言の撤回を求めるが、彼は相変わらず飄々と返してきた。
私はシャーロック程色んな事は見抜けないけど、馬鹿ではない。……はずだ。たぶんきっと。
たまにママとコミュニケーションが取れた時には「あなたは賢いわね。」と言われることが多い。
あー、でもこれは親の欲目という線も否定できない。
「馬鹿だ」「馬鹿じゃない」の論争中、キッチンから本を片手にリンゴを齧るマイクロフトが出てきた。
その時の私は深く考えることはせず、丁度良く大人が来たと、シャーロックの隣から立ち上がってマイクロフトに走り寄った。
「マイクロフト!シャーロックがわたしのこと馬鹿って言うの!」
一言あなたからシャーロックに言ってやってよ!
当然そういう意図で言い付けた。
相手がミスターホームズやミセスホームズであったなら「シャーロック、貴方の方がお兄さんなんだから年下を悪く言うのは止しなさい。」と注意してくれただろう。
しかし、マイクロフトは口いっぱいに頬張っていたリンゴを嚥下すると、口元に笑みを浮かべて優しく私を見下ろした。
「そんなの、今に始まった事じゃないじゃないか。僕はその、素直で子供らしくて馬鹿な君が好きだよ、エレナ。」
彼は、間違いなく、シャーロック・ホームズの兄だ。
歳が7つも離れていようが、根底に流れるそれは兄弟共通している。間違いない。
ちっともフォローになっていない事を笑顔で言われ、ぽかんと彼を見上げると、マイクロフトは心外そうに表情を曇らせた。
「褒めてるのに。」
「……それは……ありがと。」
褒められた気がしなかったのは、きっと私が幼すぎて言葉の解釈が拙いからに違いない。
「そして、シャーロック。」
マイクロフトが呆れた視線をシャーロックに向けた。
「利口ぶるんじゃない。ついこの間おむつが取れたばっかりの妹を相手にしたってお前は全然利口じゃない。」
「おむつはもっとずっと前に取れてるもん!」
マイクロフトの話に思わず口を挟んだ。
しかし彼は私の異議には聞く耳を持たない。
私の相手はさっきの会話で終了なのだ。
「僕の方がもっと利口だ。残念なことにね。」
7歳も下の弟にそんな大人げない捨て台詞を残した彼は、薄ら笑いを浮かべてからもう一口リンゴを齧った。
シャクシャクと音を立てながら去って行く後姿を見送る。
すっかりおとなしくなっているシャーロックに目を向けると、下唇を噛んでじっと一点を見つめていた。
傷ついたような表情を見せた彼に、こんなことならマイクロフトに怒ってもらおうなんてするんじゃなかった。と少し後悔した。
これがミセスホームズやミスターホームズが相手だったら、彼はこんな顔をしない。
少し唇を歪めて肩を竦めて見せるだけだ。両親相手なら平気な事も、彼は兄には平静でいられない。
「……シャーロック。」
ごめんね。と言いたかったけど、自分が何に対して謝っているのか説明がつかず、彼の名前を呼ぶに留まった。
手を伸ばして彼の背中でもさするべきかと、もぞもぞ指先を動かしていると、静かに近づいてきた赤ひげがシャーロックの膝に顎を置いた。
「僕よりお前の方が利口だな、赤ひげ。」
シャーロックが小さく呟いて、赤ひげの鼻先を撫でた。
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