午前零時の不完全なまぼろし
起きてる?とLINEが届いたのは日付の超えた頃だった。就寝する予定ではあったが、起きてると返した。こういうことを送って来るときは、何か話したいことがあるんだろうと想像できたからだ。既読が付いてから、しばらく返事はなかった。それでも、読みかけの本が切りの良い所に来るまで待つことにしている。このまま寝落ちたのならそれでもいいと思っていた。数ページ進んだところで、スマホが鳴る。
『部屋の前にいる』
長くため息を吐く。予想していなかった訳ではないが、無いだろうと頭の片隅に追いやっていたのだ。仕方なく部屋のドアを開けると、名前がそこにいた。
「何してんだ」
「聞いたらダメって言うと思ったから」
「分かってるならやるな」
そう言えば、でもと名前は口ごもる。そうしているだけでも時間が過ぎていく。夜風に身体を震わせた名前に、折れるしかなかった。深夜とは言え誰にも見られないとは言えない。任務で夜更けになるのはよくあることで、誰かが通りかかってもおかしくない所だ。それに、騒いで隣人に気付かれるのも面倒だった。
部屋に入れた名前を椅子に座らせて、ベッドの淵に腰を下ろす。眠れないのかと問いかければ、ゆっくりと頷いた。
「何かあった訳じゃない。でも、目が冴えちゃって……」
申し訳なさそうにこちらを見上げる名前から目を逸らす。何を言いたいのか分かっているからこその細やかな抵抗であるが、そうしたところで名前が大人しく部屋に帰る訳がない。名前は眠れないとき、誰かと一緒に居たがる。人の体温があると安心するらしい。小さい頃は任務の後や怖いテレビを見たときだとか、よく家に来て津美紀と三人で雑魚寝をしていた。狭いアパートの一室で川の字になって寝たことは数え切れないほどある。
「……朝、絶対に起きろよ」
「分かってる。ありがとう」
布団を捲ってやれば、名前がおずおずと中に入り込んだ。元々一人用のベッドに二人で入れば手狭なのは当たり前で、どうしたって触れてしまう。身体を捩って壁のほうへ横向きになれば、名前が手を掴んだ。なんのつもりかと抗議をする前に名前が口を開いた。
「ごめん、触れてないと不安で」
本当は分かっている。あの時だって手を繋いで寝ていた。名前がそうしないと眠れないことも、全部。でも、もうそういうことをしていい歳じゃない。分かってるだろ。俺に、俺たちにその気が無くても、これは続けていい訳がない。
「恵、お願い」
「…………これが最後だからな」
名前に掴まれていた手を繋ぎ直す。いい加減、俺たちは離れなきゃいけない。それでも、名前に求められたら拒めない、突き放すことのできない自分がいる。今日が最後だと無理矢理言い聞かせて、目を閉じた。
翌日、二年の先輩たちと合同で体術訓練をしていたとき、休憩している俺のところへパンダ先輩がやってきた。器用にペットボトルの蓋を開ける姿は、少し経った今でも慣れない。
「そういや、昨日遅くに伏黒の部屋に誰か入ってくの見たんだけどよ」
あれ誰だったんだ?とパンダ先輩に問われる。自ずと名前が来たことが思い出される。誰かに見られまいと部屋に入れたはずが、結局見られていたらしい。
「……記憶に無いですけど」
「いや〜あれは確かに伏黒の部屋だったぜ」
「虎杖でしょ」
同じく休憩していた釘崎が会話に入ってくる。普通ならそう解釈するはずだ。だったらわざわざパンダ先輩が俺に聞く必要もないだろう。
「俺もその時はそうだと気にしてなかったけど……」
そう言いかけたパンダ先輩は名前に目を向けた。嫌な予感はしたが、黙ってその先を待つしかない。何も知らない名前は真希さんから繰り出される蹴りを間一髪で避けていた。
「今朝、男子寮の方から出てくる人がいたんだよ」
「は?アンタ女連れ込んでたんじゃないでしょうね」
釘崎の鋭い視線が刺さる。
冤罪だ。連れ込んではいない。大体パンダ先輩も誰か分かって聞いてくるのは相当悪意があるだろう。してやったりと笑みを浮かべているのも憎たらしいが、一応先輩である手前その口を塞ぐことが出来なかった。
「伏黒、恥ずかしがらなくても良いんだぞ」
「ここに来て白を切るつもり?」
「違いますよ。大体釘崎はなんも見てねぇだろ」
パンダ先輩や釘崎の想像しているようなことは無いが、それを否定するには名前自身のことを話さなくてはならない。それを自分が言っていいことだとも思わないから身の潔白も証明できないのだ。それに、二人の想像しているであろうことが無かったとはいえ、名前を泊めたことには変わりはない。
「知りたいなら本人に聞いてください」
傍に置いていた訓練用の得物を持って、名前の元に向かう。後ろから釘崎たちの抗議の声が聞こえたが、構わず彼女へ声を掛けた。真希さんとの組手を止めた名前は、一度汗を拭ってから俺に目を向ける。パンダ先輩が呼んでいると言えば、なんだろうと向かって行った。
「代わりに相手してくれんのか」
「そのつもりです」
長物を持った真希さんに答えれば、不敵な笑みで返される。この人に伸されたのは数え切れないが、簡単に負けるつもりもなかった。
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