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 目を、覚ますと今度は白では無かった。
 カントリー風の木目のうつくしい天井とファンが緩く回っている。瞼がとろとろと張り付いたように重たかったが、クラウスは何度か眼球を動かして、辺りを見渡した。
 右には壁、左には扉。部屋の中は実に殺風景で、あとは何もない。
「……」
 一体ここは、どこだ?
 クラウスの疑問は口をついて出ることは無かった。喉がひりつき、舌がうまく動かない。一体どれほど眠っていたのか。それすらも思い出せない。一度は、恐らく病院で目がさめたはずだ。あの時のように機械があるわけでも、まして白のリノリウムでもなかった。
 ここはどこかの部屋だ。けれど、どこだ。わからない。
 起き上がろうとして、クラウスは蠢いた。しかし、シーツを腕がすべる。
 なんだ、一体。
 違和感がひとしおになって襲い、クラウスはそっと自分の身体を見た。そこには。
 両腕、両足、のない、己の姿が、あった。
「……は?」
 理解できない。脳が処理できない。病院では確か、両腕はあったはずだ。あったはずなのだ。それとも既になかったか?
 わからない、誰か。だれも、いないのか?
 ぐるぐるとする思考に光明を差したのは、扉の開く音だった。視線をそちらにやれば、見知った顔が、驚きに染まり、盆に持っていた水差しを床に落としたところであった。
「クラウス……ッ!」
 感極まった声のスティーブンが、クラウスに駆け寄り、きつく抱きしめる。彼の腕の中に容易に収まったクラウスはやはり自分の手足が失われているのだと思った。伸ばした腕が幼子のように揺れ、スティーブンの背に回ることはない。
「……す、ふぃ、ぶん」
 舌がうまく、動かない。涙腺が痛いほどに目の奥で熱くなる。どうして、どういうことなんだ。説明をしてくれ。言葉にしたかったがすべて、嗚咽になった。
「ああ、クラウス。クラウス、そんなに泣かないでくれ。君が目覚めてくれて僕は本当にうれしいんだ。君、あのまま死んでしまうのかと思ったんだけど、やっぱり君は強いんだね……。そういうところがたまらなく好きだよ。ああ、クラウス、ほら顔をあげてくれないか。涙を拭ってやれないよ。あと、無理に喋ろうとしないで、まだ君の頭も体も正常に動いてはいないんだから。ゆっくりでいい、嗚咽を上げたければ上げればいいんだ。――大丈夫、僕はここにいてあげるよ。どこにもいかないから、たんと泣いて」
 低く柔らかで優しい声だ。クラウスは安心して、スティーブンの肩口に顔を埋めて、泣いた。みっともない、と詰る声も無い。ただひたすらに優しく、スティーブンはクラウスを慈しんだ。
 不意に浮遊感がして、身体を抱き上げられる。手足のなくなったクラウスなどまるで今や赤子のように小さかった。「それにしても」スティーブンが、機嫌のよさそうな声を上げる。涙に濡れたクラウスの眦をそっと指先で拭ってくれながら、部屋の外へと連れ出した。
 しかし、その扉から続くのは廊下ではなく上にあがるための階段だ。と、すればここは地下なのだろうか。一体、ここはどこだ。
 クラウスはてっきり、スティーブンの自宅だと思っていた。彼のマンションであれば何度か行ったこともあったけれども、そう彼の部屋は高層階だ。地下室などない。では、此処はどこなのか。
 階上には、リビングルームにしては殺風景で、布地の柔らかそうなソファーと少し広いローテーブル。その上にはいくつかのパソコンがあった。
 ウォールラックは白で誂えてあり、一目で品の良いものだと見て分かる。
「それにしてもクラウス、やっぱり君はこんな怪我をしても痛いとは言わないからよかった。一応止血止めと縫合はしたんだけど、包帯に血が滲んでいるからもう一度変えようか。あ、今はもう止まっているんだよ、安心して。ああ、そうそう、君にひとつ謝らないといけないんだ。病院で、どうしても君が死んでしまうんじゃないかと思って、キスをしてしまったんだ。許してくれるかい?」
 スティーブンの呟きに、驚きに目を丸くしてぱちくりとクラウスは瞬いた。思わず涙など引っ込み、スティーブンの顔を赤くなった顔で見つめた。
「君のことが好きだなんて、きっと知ってただろ? ――ふふ、ほらやっぱり。で、君が生きていたことに感動して、思わず唇を奪ったんだ。悪かったね。……なに、気にするなって? よかった。じゃあ、君も僕のことが好きかい、クラウス。ああ、勿論君に無理に頷いてもらう必要は無いんだ。でも出来れば答えてくれるかな? ああ、ほんとに? 僕のこと好きなんだね、良かった。それが聞けて安心したよ」
 「ハレルヤ!」スティーブンが叫び、クラウスの眦な牙にキスを落としていく。くすぐったい思いで目をぎゅっと閉じるも、クラウスはこの不信感から抜け出せない。
 それにしても、スティーブンは、自分をどこへ連れて行く気なのだろうか。クラウスはちらちらとあたりを見渡すと、目の前には大きな箱があった。白いひんやりとした煙が漏れているので、冷凍庫か何かだろうか。
 クラウスは、いやな予感がした。なぜか、背筋の寒気が止まらない。
「そうそう、クラウス。君の右足なんだが、残念なんだがBBに飛ばされてね。なくなってしまったんだ。義足か再生か。どちらか望むことが君には可能だよ」
 そうだ、確かにクラウスは右足をなくしていた。
 けれど、それでは、他の部位は?
「あと、もうひとつクラウス。君に謝らなければならないんだ。僕はね、いや、僕の性癖は人よりずっと特殊で。君にも申し訳ないと思っているんだけど、僕と君は相思相愛だと前から思っていたんだ。事実そうだった。告白が前後したことに関しては本当にすまないと思っているんだ。けれど、このチャンスを逃すと、どうしようもないからさ」
 支離滅裂な言葉の真実を上手く捕えられないのは、まだ回復しきれていないからだろうか。それとも、スティーブンは、なにを。
 だから、とスティーブンは言葉を切った。
「だから、ごめんよクラウス。君の身体全部、切ってしまったんだ」
 スティーブンが何を言っているのか理解できなかった。
 金属の箱のノブを回し、冷気が身体を覆った。
 中には瓶の中で氷づけにされた自分の――手足だ。
「ぅ、ぅああ、ぉ、ええ」
「ああ、クラウス! ごめんね、少し刺激が強かったかな? バスルームに行こうか。身体を拭わなきゃね。大丈夫、もう一度眠っている間にすぐ済むことだから」
 饐えた匂いが鼻腔を覆う。クラウスは滲んだ視界の端で、いつの間にか注射器を手にしたスティーブンを見る。ちくりと、腕に刺された注射器に、視界の端からどんどん闇が迫ってきて、クラウスの視界はそこでフェードアウトした。








 クラウスが眠ったのを見て、スティーブンは歓喜に打ち震えていた。
 夢にまで見た、自分の願いが叶った瞬間だった。
 短い手足は、何度見ても最高だった。切り口は真っ白な包帯に巻かれていて、まさに背徳的。嘔吐に濡れた口許を拭ってやりながら、自分も肩口に吐かれたシャツを脱ぎ捨て、汚れた床をそのまま拭った。スティーブンは開け放したままの扉をゆるりと閉じ、再度クラウスを抱き上げる。
「一緒にお風呂に入ろうな、クラウス」
 こめかみに、額に、頬に、瞼に。
 唇を落とし、スティーブンは幸福でたまらなかった。
 足取りは軽く、スティーブンは一昨日までを思い返す。
 病院からこの場所へと移動してきたスティーブンは、まず私設部隊と腕のいい医者を準備した。クラウスの手足を落とすためだ。
 自分でやっても良かったのだが、万が一失敗してしまうわけにもいかなかったし、スティーブンは後できちんとクラウスの腕と足を付けるつもりでいる。だから、時間は有限でしかない。この状態のままにクラウスをしておくつもりは元より無いのだ。
 医者とも話し合ったが、異界の技術であれば容易だと確約も得ている。念のため自分でもその付け方を調べたが、驚くほど雑な紹介しか載っていなかった。いわく、接着剤でくっつけるようなものです、という表記を一番よく目にした。
 一応切り落とす前に、本当にくっつくのか適当な奴で実験もしてみた。一応、その医者の言うとおりくっついたのでなるほど、確かに簡単なものだな、と感心した。とはいえ、一人しか調べてはいないので、いささか心配もよぎったが、スティーブンとしては自分の欲をそのまま叶えることを優先したのである。
 切り落とした腕は密封し、自分で急速冷凍させた。そのまま冷凍庫の中に放り込んだ。のちほど、くっつけるのだから細胞を殺すわけにもいかない。当然の処置だ。
 あとは、クラウスが目を覚ますのを待つ。簡単な話だった。
 それまで、スティーブンがすることと言えば、久方ぶりにライブラの事務所を訪れ、己の仕事を片付けることであった。
 事務所は、あまり騒がしくもなく、若者三人はいつものようにソファーの上でじゃれていた。スティーブンの姿に目を輝かせ、レオナルドが飛びつく。
「スティーブンさん!」
 実に二週間ぶりだろうか、もう少し経っていたかもしれない。ライブラの事務所に顔を出したスティーブンに三人は詰め寄り、クラウスのことを口ぐちに聞いてきた。
「クラウスさん、大丈夫なんですか?!」
「ああ。身体的外傷はもう殆ど完治している。あとは目を覚ますのを待つばかりだよ」
 その言葉に安心したのか、レオナルドとツェッドは安心した表情で、胸をなでおろす。ただ一人、ソファーにいたザップもほっとした顔をしていた。なんだかんだ、クラウスのことを慕っている奴だ。本音で言えば、ずっと心配していたのだろう。
「あの、それじゃあ、クラウスさん、もう帰ってきますか?」
 ライブラの重鎮が揃って不在なのは、不安も大きいことだろう。しかし、それでもまだスティーブンはこの事務所に戻ってきてやる気は無かった。幸いにもここのところ大きな事故も事件もおきていない。小事ならば三人で充分対処できている。
 端末で報告は上がっていたので、スティーブンはその書類に目を通し、電話とメールのやり取りだけにとどめていた。なんとかそれで回してはいたのだろうが、二週間ぶりの自分の執務机の上は書類の山が三つも出来ていた。
「……すごい量だなァ。お前たちに少しでも事務能力があると助かるんだけど」
「はは、済みません。帰ってきて早々、スティーブンさんの手を煩わせちゃって」
 レオナルドが困った様に、笑った。しかし徐々に、声が震えるのが分かった。背後からザップが近寄り、唐突にレオナルドの柔らかな髪を掻き混ぜた。「うわっ」驚き、つんのめりかけるのを横目に、ザップがスティーブンを見据えた。
「番頭、誤魔化さないでください。もう旦那、帰ってくるんすか?」
 ザップの言葉に、さっきの書類の件で話を逸らしたのが分かったらしい。苦く笑って、こういう時ばかり目敏く、しっかりするザップの性格があまり好きではなかった。クズでどうしようも無いやつだが、スティーブンとよく似たところもある。だから嫌いでは無いが、こういったまっすぐな目をしてくるのは、果たして誰の影響だろうか。
 苦笑をどう捕えたのか、三人の顔がわずか歪む。泣きそうになってるレオナルドの鼻の頭は赤くなっていた。ツェッドは表情がよく分からないけれど、悲痛そうにしているのは伝わってきた。ザップも同様だ。まだまだ青いな、と内心で思う。
 とはいえ、一番死にそうな顔をしていたのはきっと間違いなくスティーブンだろう。
「……クラウスはまだ帰らないよ。目が覚めてないし、それにあの身体だ」
 苦虫を噛んだような表情のザップに、ついに泣き出したレオナルド。三人は、クラウスの右足がないことを目の当たりにしている。
「僕も時々は覗きに来るようにはする。けど、クラウスに関してはもう少しまってくれないか。あの足だ、色々と準備も必要だと思うんだ。ギルベルトさんも不在の中、悪いね。なるべく、此処に来るから許してくれないか。心配と迷惑を掛けるだろう。あとそうあまり悲観するな。クラウスは生きている、これだけは真実だ」
 ベッドの上に寝転がるクラウスは、もう両手も、ひとつしかなくなった片方の足も無いけれど。生きている。スティーブンは薄く笑みを作った。
 それから、仕事道具と今後の三人に仕事を割り振り、部屋に戻って二日が経ち、クラウスが漸く目を覚ましたということだった。
 猫脚のバスタブに湯を張り、抱きかかえてやりながらスティーブンは風呂へ入った。意識の無いクラウスの身体に触れながら、胸元に手を当て、生きている実感を確かめる。
 ようやく、クラウスの目が開いた。
 スティーブンがしたいことが出来るのだ。起きたばかりの病人には酷であることなど充分に承知している。やっていいはずもない。けれど、もう準備は疾うに済ませた。後戻りをする気も無い。
 寝入る呼吸に口づける。口内も愛してみたかったが、それはクラウスが目を覚ましてからにしよう。楽しみは一度に味わうべきではない。もしかしたら、噛み切られてしまうかもしれないが、それはそれで甘美なものだ。
 バスタブから上がり、スティーブンはクラウスを柔らかなタオルへ包む。その姿に喉を鳴らして、洗面台に置いた携帯で写真を撮った。
 切り取ったグラビア写真などもういらないのだ。クラウスの写真があれば、それでいい。それでよかった。
 どうせ元に戻してしまう身体なのだから、目いっぱい収めておこう。夢中でシャッターを切り、スティーブンの欲望が擡げる。下半身に熱が集中してきた。
「……ああっ、どうしよう。こんなこと、いいんだろうか!」
 感極まった声を知る者は無く、スティーブンは己の陰茎を握り夢にまで生身の欠損した身体から目が離せなかった。これを好き勝手に揺さぶれば、手足はぶらぶらと力なく蠢くだけで、いやいやと振る表情をきっと隠せもしないのだ。
 妄想の中のクラウスはずっと愛らしくて、スティーブンの獣のような息がバスルームに木霊する。
「はぁ、っ、クラウス、あぁ、クラウスっ、クラウスッ」
 呆気なく解放された熱量が、クラウスの腹から顔をべったりと汚した。白濁を引き締まった腹の上に塗りたくるように指を動かし、その脈動する呼吸の嵩を楽しむ。悩ましいほどにいやらしいクラウスの姿がそこにはあった。
「ああ、君のここに入って揺さぶってやりたい。――色々準備しなきゃなァ」
 女のように陰唇があれば良かったのだが、残念ながらクラウスは紛うことなき男だった。それでは使うとこなど一つである。
 子種の詰まった陰嚢をゆるりと除き、その下の口の皺をゆるゆるとなぞる。今は風呂に入ったばかりで、赤く色付いて少し緩くなってはいるが、指の一本でもきついことは予想がついた。
 それにまずは、中を洗浄しなければ突っ込めもしない。男同士は面倒だとだれかがぼやいていたのを思い出す。偶然となりに座ったバーの男だっただろうか。スティーブンに夜の相手を迫ってきた馬鹿だったはずだ。スティーブンも知識としては知っていた。手順を覚えたのはつい最近のことで、クラウスのためならば、なんら厭うことも無かった。
 だが、拡張している時間もそんなに無い。眠らせた今が一番簡単にコトを終えられる。
「……目が覚めたところで、ひどいことをしてる自覚はこれでもあるんだぜ? でもこんな機会滅多にないんだよなァ。クラウス本当に悪いな。ごめんな?」
 じりじりと燻る昂揚感。これから始まることへの期待感にスティーブンは押しつぶされそうなほど、呼吸が荒くなる。胸が痛いほどに興奮している。
「大丈夫、痛くないようにしてやるから」
 ぬるぬると白濁を掬い取って、クラウスのひくんと動く下の口に塗る。思わずくふん、と笑みをこぼした。あまりに愛らしかったからだ。一度、クラウスの身体を離し、リビングへと向かった。
 戻ってきたスティーブンの手にはクラウスと繋がるための準備をする道具たちだ。
 注射器、猿轡、グリセリン、ジェル、アナルパールそれからプラグをひとつ。
 スティーブンはまず、針のついた方の注射器を手にし、クラウスの上腕に打つ。遅効性の媚薬の入ったもので、静脈から浸透し、身体の中をじんわりと快楽で追い詰める。効果は遅いが効いたときの悦楽は、カタブツな女も一瞬でとろけさせるほどだという。それにクラウスは、痛覚症を患っているので、おそらくこういった快楽は人一倍感じるに違いない。
 未知の経験に狂っては仕舞わないだろうか。それだけが心配だったが、スティーブンは止めるつもりなど毛頭なかった。
 もうひとつ大き目の針のついていない注射器へ、ボトルに入ったグリセリンを抽出する。一本丸ごと入れる気でいた。ジェルで口の部分をなるべく滑りを良くし、注射器の先を挿入する。わずか呻いたクラウスだったが起きる気配はない。
 注射器で少しずつ、グリセリンを腹に溜めこんだころにはクラウスの下腹部は少しばかり妊婦のように膨らんでいた。子供が出来たらこんな感じだろうか、と愛しく撫でる。
 あとは漏れないように蓋をするだけだった。ジェルでよくぬめらしたアナルパールをひとつふたつ、といれていく。口の端からぐじゅりとグリセリンが漏れ出るのがいやらしくて、早くこの中に己の性器を突っ込んでやりたかった。
八つ目を入れ終わり、リング状の輪っかだけが口から覗かせていた。
 最後に、少しきついだろうが大き目のスーパーボールくらいの太さのものを差し込む。拡張にはもってこいのものだ。流石にディルドなどは最初からきついだろう、とスティーブンなりの気遣いだった。
 その状態のクラウスを抱き上げ、地下の寝室へと運ぶ。ベッドに寝かせ、最後に舌を噛み切ったりしないよう、猿轡をかませて、完成だ。
 スティーブンは恍惚とその眺めを見て、満足気に笑みを作った。
 さて、準備が整うまではまだ時間がある。半日ほどはほっておいてもいいだろうか。扉の鍵を落とし、スティーブンはクラウスの部屋を出た。次に入ったとき、どんな風になっているのかほくそ笑みながら、仕事を片付けるべく、ひとつ伸びをしたのだった。




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