記憶力は良かった。
クラウスの記憶は試験管の中から始まり、目覚めるとクラウスになっていた。転げ落ちた中身には手足が無く、私はまるで芋虫のように濡れた床の上を這っていた。最初から手も足も無ければ不便だとは思わないが、頭上から見下ろす複数の視線にはどうにか太刀打ちできないかとよく思案したものだった。とはいえ、自力で上体を起こすことも出来ず、口を利くことも適わず、不鮮明に「あー」と白痴のように音を発して抵抗とコミュニケーションを試みてはみたものの、結局のところ複数の人間の一人のつま先にころんと蹴飛ばされ、試験管の方へと身体が回転したのだった。視界は真っ暗になっていて、次に目が覚めると現在の父親と母親の腕の中に抱かれていた。手足はあった。姉や兄が私を欲しがり手を伸ばす。
そんな記憶をクラウスは、もっていた。
「なんだそれ」
談笑のひとつにとも思って話をした内容に、目の前のスティーブンは顔をしかめたきり訝し気な表情をしてクラウスを見つめてみせた。「それ、本気で言っているのか?」嘘か誠かと言えば、本当のことであったしクラウスがこんなことで嘘をつく必要など微塵もなかった。とはいえ、突拍子の無い話だという自覚もしていた。生まれたときの記憶があるのだといえば、普通の人は嘘だと疑って掛かることだろうし、クラウスもまたこれを正気で聞いてほしいとは微塵も思っていなかった。だから、返事としは「さぁ、どうだろう」とティーカップに口をつけて、ゆるゆると視線を伏せて曖昧に濁すのだった。
私の、クラウスの記憶力は良かった。小さなころから現在まで、ありとあらゆるメモリをこの矮小な脳みその中に蓄えておくことは何も難しいことではなく、視認すればまるでビデオカメラのように溜めることが可能だったからだ。瞬間記憶力、というのだと教えられた。私の記憶は生まれたころから存在している。幼いころ、同じ話を執事のギルベルトや母と姉にしたことがある。姉は、今のスティーブンと同じような反応だった。「なあにクラウス。何か本でも読んだのかしら」姉に本当だと言えば揶揄われ、それから「あんまりそういうお話はしない方がいいわ」と言い竦められた。とても頭の良い人であったので、私の言葉を最後には信じてくれた。そうして「クラウスのその記憶力はとても素晴らしいものよ。でも、あまり言葉にしてはいけないわ。特にお父様やお母様には。きっと手足が無かっただなんて言ったら、とても悲しまれるもの。きっと前世の記憶がクラウスにはあるには違いないわ。だって私の出会ったクラウスは、こうして一緒に本を読める手があってお散歩に行ける足があるんだもの」姉は、その繊細に清められた手のひらと指先でクラウスの腕と脚を撫でたのだった。
母も、同じように言われた。唯一ギルベルトだけがほかの誰とも違う反応をしてそっと耳打ちをするように「坊ちゃまは、とてもご聡明であられます。そのうちご理解されるでしょう」と包帯の隙間から眼光を和らげて呟いた。
「そもそもさ、お前の言う手足の無い目覚めっていうのは実に曖昧だよクラウス」
「……む」
「俺は君が嘘吐きだとは思わないが、だって目の前の君の手はある。足もある。継ぎ目も無ければ義足でもない。ともすれば、それは生えてきたってことにほかならないだろう? ヘルサレムズロットで君が生まれたっていうんならまだ俺だって安易に信じたかもしれない。でも残念ながら、お前も僕も、紐育が崩落し再構築された結果、ヘルサレムズロットになった瞬間に立ち会っているわけだ。そのときに君の手足は十分健在だった。しかも、僕はお前と出会ったのは少なくとも三年以上前だ。その時の君に腕はもちろん、足もあった。そこらの一般人より余程、頑健で屈強な出で立ちで、俺と出会っているわけだよ」スティーブンはそう言って、猫のように艶笑したものだからクラウスはつまるところ、やはり姉のときと同じように相槌を打つ他ない。男のくせにやけに口がうまく、おしゃべり女みたいに口を動かすスティーブンの愛想のいいおべっかと活劇のような演者らしい喋り口調に、やはりクラウスは「ああそうか」と呟くだけであった。
いやしかし、スティーブンのその倫理詰めた説明には確かに四の五の言わず納得するところがある。「手足の継ぎ目がないことを僕はよぉく知っているんだ。今からでも確かめてやろうか、クラウス」意地悪な顔をして、それからスティーブンはクラウスの指先をひとつ娼婦の女みたいな手練で齧ってみせた。なまじ長い睫毛をけぶらせて此方を見るもんだから、日の光と相俟って女性の影のように這い出てくる。舌をべろりと差し出し男を誘う姿にも見えて、クラウスは怪訝に顔を顰めた。「アッハッハ!」ぱっ、と翻し手を離したスティーブンは、耐えきれないとでも言うように大声で笑った。
「下品は嫌いだったかクラウス? 夜はお前の方が品が無くてまるでケダモノみたいだっていうのに」
「そうかもしれないが、私は、その時の私をよくは覚えていないので」
「そうかい」スティーブンは冷めた珈琲を啜ってにんまりと笑う。「残念だよ、知らないなんて」
齧り付かれた指の関節は赤く歯型が付いていた。濡れた指先をナプキンで丁寧に拭い取り、クラウスは冷めた紅茶など飲みたくなどなくて、入れ直すようにギルベルトへと申し出た。主人の言葉に嫌な顔もせず、執事は一礼し、スティーブンは「傲慢だ」と嘲笑した。話の種で投げた私のことなど、結局のところスティーブンにはくだらない有象無象と一緒くたなのだと悲観するでもなく当たり前だと受け入れた。ギルベルトが去る背に、テーブルに肘を付いて顎を手の上に載せた質の悪い表情を張り付けた行儀の悪さで、ぷらぷらと自分のマグカップを振った。ギルベルトは、良くできた執事だ。彼の空っぽのマグカップを恭しく受け取る。自分にも淹れて来いと言っているのかと思い、どちらが傲慢なのかと思わず顔をしかめた。ギルベルトはクラウスの従者であり、スティーブンのものではない。そんな幼い独占欲を向けてみせたが、スティーブンは終ぞどこ吹く風だ。
「おかわりは必要ないんだ、ギルベルトさん。少しクラウスを貸してほしくて。しばらく温室に誰も入れないでくれよ」
承服しかねる、と言った表情でギルベルトは私を見た。「スティーブンの言うとおりに」諦念の声で呟くと、一瞬何か言いたげにしたギルベルトは一礼しその場を辞した。主人が決めたことに口を出すような男ではない。温室の扉が閉まり、外から鍵が掛けられた。内側からは開くことが出来るので特に問題は無い。スティーブンは、くふんと女みたいないやらしい声で「ねエ、ミスタ・フランケン」揶揄を含んだ呼称に、クラウスがゆるりと視線を向けた。「なんだろうか、ドクター」腕に伸ばされた指先が表面をなぞるようにして二本の指先で柔らかに辿った。そのうち、裾の中へと潜り込んでいやらしく撫でさすってくる。
赤い目がうっとりと細められ、蠱惑的に光っていた。「フランケンシュタインの妄執のように君は言うけども、僕は矢張り君のそんな継ぎ目には覚えが無いんだよ。けれど、僕は君が嘘吐きだなんて到底思えないし、冗談を好まないことを知っている。ああ、突拍子もないジョークを呟くことはあったかな。……まァ、そんなのは僕らの下世話の前ではとんだ上品さだよ。それでさァ、クラウス。俺は、お前の継ぎ目を確かめてみたくてさァ。きっと暗い中だから、わからなかったんだよ。温室の此処みたいな明るさの中じゃきっと、俺だってお前のそれを視認出来るかもしれない。なァ、なぁ……クラウス、頭の良いお前のことだ、俺の思惑など見抜いていて、黙ってギルベルトさんを下がらせたんだろ? 夜の下品さを昼間のこの一時に、僕に見せてくれよ、なァ、クラウス。荒々しく吠えて俺がきっとこうふんで目の前に真っ赤に染まっていくような激情が見たいんだよ。クラウス、クラーウス、どうした、黙っていないで何か言ってくれよ、なァ」スティーブンはすっかり陶酔して、へらへらと舞台上の俳優のように私を誘った。
目を伏せったきりの私の横顔を眺めながらスティーブンはどこもかしこも三日月のように細めてしまって笑っている。指先はずるずると私の袖内に潜り込み、それからゆっくりと爪を立ててくる。やんわりと立て、みゃおうとふざけて笑っていた。
「さァ、クラウス。裸になって俺に見せてくれよ」
スティーブンは、笑っている。そのうつくしいかんばせを私に向けて。機械じかけの歯車をキイキイと巻くように、スティーブンは私の腕に爪を立て、急き立てる。私は、そうしてとうとう彼の手を払い除けると明るい空の下に服を投げ捨てることにしたのである。ああそうだ、いいぞクラウス。スティーブンが囃し立ててゆびを指してくるのを傍目に、クラウスは下手なストリップ小屋のダンサーの一人みたいにするするとシャツを放り投げてスラックスを脱ぎ捨ててみせた。明るい各々の下はクラウスの真っ白い肌を青白く浮き立たせては太陽の熱光線にじりじりと灼かれている。乱反射するガラスのあかりを一身に受けたクラウスはまさにヨーロッパ彫刻のごとくうつくしい。
隆々とした筋肉の凹凸に、ああ、とスティーブンは官能の声を上げた。きっと女ならば、いまの声は股ぐらを濡らして達してしまっていてもおかしくは無いだろうとクラウスは胡乱な表情でみつめていた。恍惚に口を開き笑い、スティーブンはうふふと肘を付いて此方を見ている。まるで夢見る少女だ。「はやく、此処にきて」スティーブンが机を示し、私は裸のまま其処へと赴く。机に座ってくれ、と言われればスティーブンの目の前に腰掛け、膝を開いた。クラウスの重さに耐えかねた机が僅かに軋んだ音をこぼす。
「さァ、継ぎ接ぎを見つけよう。まずは腕だ、さてどこにあるかな。俺の目じゃ見えないのかな、それじゃあ触って確かめてやろうな」
ざりざりと継ぎ目のありそうな部分をこするスティーブンの手は、腕を一周すると興味をなくし、腹の腹筋の割れ目をなぞり、それからゆるゆると下腹の茂みに指を差し入れて、恥骨の線をなぞっては、足の付け根を撫でてこすった。「脚もだっただろう? お前がケダモノになるころ、俺の目は暗がりに赤く染まって快楽の底で喘ぐばかりになるからよく見ていないんだよ。ほらしっかりと見せてくれよ、ああ、もしかして裏側にあるのかな? クラウス後ろを向いて、机にしがみついてくれよ。僕は太ももの裏側を見たいんだよ」彼の言葉に、私は机から足を下ろすと机に縋り付くような形で腰を高く上げた。スティーブンの実に楽しそうな空気が背後からして、それから濡れた感触が太腿の内を這った。際どくも撫で回していた指は尻を割り開いては付け根をべろべろと舐めている。「どこにあるのかな君の継ぎ目は」すっかり、興に乗ってしまったらしいスティーブンをとどめる術を私は残念ながら持っていなかった。口で何度か嫌だと呟いてはみたものの「何を馬鹿なことを」と正しく受け取ってくれやしなかった。
「ここじゃ無いのかもしれない」そんな戯言を言い始めたのは、私の太ももを散々舐め回しびしょびしょにして、尻の割れ目にその高い鼻を押しつけ、尻の孔と陰嚢の裏辺りを存分に形のいい唇で吸い尽くした頃だった。とっくに息も絶え絶えで、私は喘鳴の中でだらだらと唇の端から涎をこぼれ落として、テーブルをドロドロにした頃だった。
すっかりとろけきった顔をさらしたクラウスのほっぺたにスティーブンは、機嫌良くキスをくれながら「なァ、妄執のフランケンシュタイン」と耳許にこっそりと声を注いだ。クラウスの身体がびくびくと震えるのをおかしそうに、形の良い肩甲骨をなぞりながらうっそりと尋ねてくる。「こんなに明るい日の下でも、お前の継ぎ目はどこにも見当たらない。分かったのはお前の淫らさだけだ。……なんてひどい顔をしているんだ、俺にもっとよく見せてくれよ。舐め回されたのがそんなに良かったのか? 今度は此処にバターでも塗って犬の前に置き去りにしてやろうか。きっと悦んでお前の好きなとこを舐め回してくれるぜ、クラウス」より一層、軽快さが追い立ててきた。クラウスはじくじくと泣き喚きたいような衝動に駆られた。
ずび、と鼻を啜ればスティーブンは「なんだい、もう音を上げてしまったのか?」とクラウスをバケモノの延長線上のように扱う。腕を取られ、ひっくり返され、狭いテーブルの上に仰向けになれば、スティーブンのうつくしく冴えたかんばせが目に入った。
「ヴィクター・フランケンシュタインはひとりぼっちだったけれど、お前には俺がいるだろう? 何を泣くことがあるんだ? 意地悪をしすぎたかい?」
「う、ううっ……」
嗚咽を震わせ、幼児のようになきじゃくると、おおよしよしとスティーブンの腕が頭を抱え込む。「犬になんて喰わせてやらないし、君はつぎはぎのバケモノでもない、さァ仲直りをしてくれよ。僕を君の中に迎えいれてくれ」ぐずぐずにとろけた下半身の中心部、クラウスの孔はひくついて口を開閉させている。スティーブンが少し離れて、スラックスの前たてをすっかりくつろげてしまうと、張り出した性器が下着を押し上げ今か今かと待ちわびている。
明るい日差しの下でセックスをするのは初めてだった。
いつもならば、あの傘電球の橙のほの暗い光の中で、黒く陰って陰影の深さが浮き彫りになって額に浮かぶ珠のような汗すら影を落としているというのに。今はずっと明るく、彼の首から全身を包む入れ墨の赤さすら鮮明に目の前で踊っている。クラウスは喉を鳴らしながら、そっと彼の墨の後に指を乗せる。そろそろと首へと抱きつけば大きく開かされた足の間でスティーブンの性器がずっぽりと中に潜り込んでくる。はくりと、一瞬呼吸が止まり、目の前が白んだ。
瞼を閉じれば赤くチカチカと陽光が焼き、快楽に目がぐるぐるととろけてめまぐるしく駆け抜けていく。背骨から駆け上がった快感が脳内のシナプスをチカチカと点滅させ、クラウスをスティーブンから抜け出せないようにするのだ。
「あっ、ゥん、んっ、ぁあっひ、ん」
「ほら、お前のなめらかな肌のどこに継ぎ目があったんだ。こうして駆動する足のどこが生えてきたものだって言うんだ。ああ、いや腹の中でというならば俺だって、きっとどっかの女の腹の中で胴体から手足を生やしただろうさ。こうしてお前を抱いてやれる腕を身につけることが出来たのは僥倖だったよ。……さァ、クラウス、もういいこだ。お前はフランシュタインの悪夢のような妄執を口にしないと約束が出来るかい? 出来るだろう。ほら頷くだけでいいんだ」
私の口からこぼれおちるのは意味の無い音ばかりで、彼が揺さぶるたびにテーブルはキイキイと鳴いてぐらぐらと所在なさげにしている。「んぅ、あン、ああ……ッ」けして激しくは無いその腰使いは私の中に形を鮮明に残し、そうして内臓ごと持って行かれそうな奇妙な感覚へと落としてくるものだから、私はそうして、彼の背広をひっつかみ耐え抜くのだ。
クラウスとスティーブンの体格は倍ほどもあって、クラウスはすっかりスティーブンを腕の中へとしまい込むと、その卓越した腕力で潰さないように、あとはひたすらに快楽を耐え忍ぶほかない。理性の焼き切れる音が脳内でする。声を上げてひいひいと啼いた。くぐもった笑声が胸の奥でする。うっふっふっふ。スティーブンが笑っている。ちょうど胸に唇が当たるので、しゃぶりねぶられていた。ふたつおりにされたクラウスは無茶苦茶な態勢で、スティーブンの性器を深くに飲み込んで、声を上げるほかなく、祈るように、だめ、と繰り返していた。
「らめえ、も、う、らめ、っ、あんァ、っ、ひい」
「いいこだね、クラウス。明るいところはいいな、お前のいやらしい顔も、真っ赤になった乳首も見える。極めつけは俺と繋がってるアナルのいやらしいこと。こんなに真っ赤に充血して、ふっくらとさせて俺のをじゅぽじゅぽ吸い付いてきやがって」
「いやぁ、ア、ん、あんっぁんん、きぼ、ぢ、いいの、すてぃ、あはっ、あっ、すてぃっ」
いんらんめ、と彼が女のように笑いながら言った。淫乱め、亀頭の先をこすりつけられればもう何も言えなくなる。彼は再度、質の悪いペテン師のような口ぶりで「さぁ、頷くだけで中に注いでやるよ」とうっとりと言った。私は必死に頷いた。中に出してほしくて、自分も達してしまいたくて。
スティーブンはとうとうクラウスの足を持ち上げ、顔の両側まで押し上げてやれば、ずっぽりと残りの陰茎もクラウスの中へとしずんでいく。クラウスが一瞬呼吸を止めても、ただひたすらにおかしそうにそのうつくしいかんばせに咲いた睫毛をけぶらせて、ふつふつと咲うばかりであった。赤い目は百合の雌蕊のように揺れている。中が蠕動して、スティーブンの精子を欲しがってちゅぽちゅぽと吸い付いていた。
「んぁああっ、あっァんゥ、らめ、ェ、えっ、い、ひ、いいぐ、いく、のっ、おく、おぐうう、そんな……っ、は、ぁあっ」
「奥にあるくびれた部分は最高だな。俺の亀頭をきゅうって吸い付いて、気持ちいいったらないよ。ああ、クラウスそんなに出して欲しいのか? 尻の孔がひくひくしてびしょびしょじゃないか。ほら、たぁっぷり出してやるからしっかり腹の中で飲んでくれよ」
じょぼじょぼとまるで小便のようにスティーブンの精液が腹の中を汚した。直腸はすっかりスティーブンになじんで、竿を搾り取るように蠢いているのが分かる。スティーブンの性器の筋すら数えられそうなほど鮮明に形を覚えている。ぢゅるぢゅると飲み込む私の胎内はすっかりスティーブンの精液を悦ぶと私にも充足とした気持ちが沸き起こり、ようやく下ろされた足は、それでも快楽に達したきりつま先まで引きつってしばらくはもどってこれず、地面の上に踏ん張ることも出来ないまま、スティーブンとのつながりだけが支えになっていた。
だから、クラウスの中に収まったままのスティーブンの性器がまた狭窄した引っかかりでむくりと大きくなったのも手に取るように理解が出来ることだった。
「な、やっ、すてぃ」焦るように逃げを打ってはみせたが、スティーブンはやっぱり女神のようにうつくしい顔をみせながらゆるゆると腰を蠢かせている。しなやかな身体をはねのけることなど、クラウスの腕力ならば造作も無いことだが、一度ドライオーガズムで達した身体は、既に力を入れることもままならず、しかしてそうなるように昔からクラウスは躾られていた。「もう、もう、いやぁ……」幼子の声など聞く耳を持ってはくれない。力の入らない腰を抱きかかえ、机から引き摺り下ろされると、燦々と照るガラスドームの中央に倒され、そのまま最奥をゆっくりとした動作で犯される。「ぁあう、あう」激動など忘れたかのような、性器で快楽に弱くなった腹の中を散々に愛撫されているかのようなもどかしさで、私はとうとう嘔吐いた。
気持ちいいともどかしさと快楽が、ない交ぜで追いつけない。日の中のスティーブンは神様みたいに神々しい。クラウスは、ちゅぷちゅぷと卑猥に腹の中で水が跳ねる音を聞く。精液が泡だって結合部からだらだらと落ちて、温室のタイルを汚している。
「クラウス、折角なんだ。僕はもっと明るい下で君のことを見ていたいんだよ。だからほら、僕の性器はまだまだ元気だし、君のことを抱きたがっている。裸の君を余すことなく愛してあげるから、君はただ頷いて啼いているだけでいいんだよ」
「やァ、すてぃ、いやぁ……もぉ、ばかァ……いやあ……んッ」
「何がいやなもんか。君は、無駄に頭がいいからね。きっとなんでも考えすぎるキライがあるのさ。俺とのセックスでぜんぶ空っぽにしてしまえばいいんだよ。いいかい、クラウス、君がどうして僕にそんな面白くも無い話をしたのかは分からないけれど、つまるところ、お前は悪い夢を覚えているだけなんだよ。試験管ベビーでもあるまいし、君が研究室で産まれたわけじゃないって俺はよく知ってるぜ」
汗みずくの身体がタイルの上をすべる。ふんばろうとした足の裏までも汗がまとわりついて、クラウスはずるずるとスティーブンの元へと戻されては、何度となく穿たれいた。はぁはぁと荒い呼吸が木霊するが片一方がスティーブンのもので、クラウスはもう自分がスティーブンの一部に取り込まれてしまったかのような錯覚を覚える。繋がったままぐるりと身体をひっくり返され、クラウスはのけぞり、ぴんと胸を反らした。
そのまま、四つん這いのなり損ないのように、尻だけを高く掲げた格好で背後からスティーブンの性器を呑み込まされる。私は何か彼の気に障る話をしただろうか。私の妄執など取るに足らない話のひとつだと言うのに。なぜ。なぜ。あのとき、分かる日が来るといったギルベルトならば教えてくれはしないだろうか。
「はうんっ」
「まだ、考えごとかい? 上の空だなんて良い度胸だなクラウス。君はあんまりイくのは好きじゃ無さそうだから手加減してあげていたんだけど、余裕そうだから、とことんして上げるよ。数時間、立てないかも知れないけど、許してくれよ? ああ、有事の時は俺がなんとかしてやるから安心してくれ。ほら、クラウス、もっと啼いてくれよ。きみの喘鳴の嬌声をおれにおしえてくれ」
「ああっ、いや、やだ、やめて、すてぃ、いや、ひっ、――っ、ああッいや、らめ、あああッ!」
懸命に振り返ったそこには見たことも無いようなスティーブンの顔があった。壮絶な微笑を浮かべて、太陽の下だというのにすべてがお月様みたいな顔をして、暗がりにうっそりと顔を覗かせた悪魔みたいな表情をしていた。いやだもうたすけて。クラウスはなぜスティーブンに記憶の話をしてしまったのか後悔していた。凶暴なまでの女神を引き摺り起こしたのは間違いなく自分だった。娼婦のような下品さで捨て置いておけば良かったのに。そんなことは後の祭りだと、クラウスの中のもう一人がささやいた。
結腸と前立腺をこすり上げるストロークが襲い来る。射精もしたい、中でもいきたい。もうどちらを叫んでいるのか分からなかった。スティーブンの望むがままに、叫んで出してクラウスは声を嗄らし嬌声をひたすらに零していた。日に照った白い肌は、スティーブンの熱で灼かれ赤く熟れている。
「たすけ、っ、ぁああっ、うぐうう、い、って、いっで、る、も、なかッ、あ"っ、ひいい、いやっ、あんっ、――――〜〜〜ッ!」
「はは! クラウス、ほらまだ僕は元気だよ。大丈夫、君がもう二度とそんなことを口にしなければいいだけだからね。ね、クラウス」
腫れ上がった乳首を引っ張り、手綱のようにして腰をたたきつけられながら、頬をタイルに押しつけ、クラウスはひたすら喘いだ。スティーブンの言いなりになった思考は、ゆるして、とだれに請うでもなく呟いた。私は、もう、彼に逆らわないので。約束は重く、スティーブンは最後は満足げに、ゆっくりとクラウスの中へと何度目かの射精をして、クラウスにやさしいキスをくれたのだった。
*
タイルに沈みん込んだクラウスに、スティーブンはうっとりと上体を寄せ、浅く呼吸するクラウスの鳴動する身体を楽しんだ。「ゆる、してくれ……」と夢の中でもどうやら苛まれ弄ばれているらしく、嗚咽に小さく啼いたクラウスが可哀想で可愛くて仕方がなくて、スティーブンは心地の良い愉悦の中に沈みこんで口角を上げた。スティーブンによって変貌する夜の顔を明るいうちから、ぞんぶんに楽しむことが出来たのは一等幸いなことだった。クラウスはきっとしばらく起き上がることも目覚めることも出来ないだろうけれど、それでいい。彼には安息と休息の場が必要なのだから。いいかい、クラウス。仄暗く心底甘えるような声で、スティーブンは顔を歪めて寝入るクラウスの耳許へそぉっと、唇で注ぎ込む。「いいかい、君がどうしてそんな話をしてしまったのか僕にはさっぱり分からないけれど、頭の良い君はきっと取り留めのない本の内容と記憶を綯交ぜにしてしまっているにすぎないんだよ。もう二度とそんなことを口にはしてはいけないよ、クラウス」神父のように諭すものだから、クラウスは寝入りばなにスティーブンの深い深い呪いのような言葉をうん、うんと頷いてはぐるぐると身体を丸めた。
結局それっきりスティーブンは沈黙してしまって、クラウスは子供の様にぐずぐずと鼻を啜って泣くほかなかったのである。目覚めた頃にはとっぷりと空は暮れていて、それから彼は悠然とした様子で先ほどまでクラウスを食べていたテーブルにアフタヌーンのティーセットを用意して珈琲を飲んでいる。なんだそれは。ぱしぱしと目を瞬かせながら、温室の扉はすっかり開かれてしまっていて、クラウスはおざなりにスティーブンのジャケットを掛けられて放置されている。ドロドロだった身体は綺麗にしてくれたようだったが、このままいつでも開かれている状態というのも実に心許ないものである。
ああもう、参ったなぁ。心中で溜息を吐くと、目覚めたことに気付いた彼はゆるゆると片眉を上げて「おはよう、僕のクラウス」と巫山戯た調子で呟いた。まだ上手く力の入らない腰に、ずいずいとスティーブンのそばへと近寄り、膝の上に軽く頭を乗せ、ほぉ、っと息をした。頭を撫でてくれる彼の指先は、慈愛に溢れていて、母が子供を寝かしつけるような仕草に似ている。「なんだい、少し苛めすぎたか? 君のそんな弱った顔は好きじゃないなァ。もっと前を向いていてくれよ」勝手な言い分に、胡乱な顔で睨め付けた。クラウスの顔はとても恐ろしいが、スティーブンにとってはちっとも効きやしなかった。クラウスの顔なんて微塵も怖くなどないし、俺はそれ以上に怖いものを知っているよ、とまるでささめごとみたいに言うもんだから、クラウスは結局のところ口をへの字に曲げてむっすりとするばかりだった。クラウスの気持ちなんてひとつも推し量ってくれないスティーブンの太腿に額をこすりつけて、頭を振った。「なんだよクラウス。どうしたんだ?」なにも分からなくていい。スティーブンの気持ちだって、クラウスには分からない。お互い様なんだと、思った。私のそれから、大きな手をぎゅうっと抱き締めて「そろそろ洋服を着て、執務室に戻ろう。そしたら、君はそんな妙な顔つきをやめて、いつも通りにするんだ。出来るだろ、クラウス。お前はいい子だからね」私は彼の操り人形で、無作為な悪意が背を撫でて落ちていく。そう言って私を飼い殺す気なんだ。
被害妄想だと、誰かがクラウスを詰って笑っている。ああいやだ。じわりと微睡む頭の底を満たすのはスティーブンの声ばかりだ。
不意に、つんざくようなサイレンの音に、クラウスは顔を上げた。スティーブンもすっかり副官の表情に戻っていて、クラウスの腕を引っ張りあげしゃかりき立たせると「いけるか?」と呼び掛けるので、黙って頷く。畳まれた衣類に袖を通し、クラウスはスティーブンの後を追う。股関節がしくしくと痛むような違和感に顔をひそめると、気付いたスティーブンが「ゆっくりでいいよ」と唐突な優しさを振りかざすものだから、なんだかクラウスはよく分からない感情に支配されながらも「大丈夫」と背筋を伸ばした。ギルベルトがどこからともなく現れると、ナックルを片手に「車の準備は出来ています」というのを聞き及び、地下の駐車場へと向かう。
サイレンの音は、ヘルサレムズ・ロットに事件が発生したという合図だ。突如発生して、ライブラ自体が巻き込まれる形で対処をすることもあれば、こうして発生から遅れて連絡が来ることもあった。今回は後者であるらしい。ははあ参ったなァ、なんてスティーブンが後部座席に一緒に乗り込みながら、自前の武器である靴の調子を確認していた。クラウスもまた同じくしてナックルの金具に触れ、グローブを右手に装着する。
この街はすぐに壊れる。法など無いも等しいような混沌さで、クラウスはなんとか平穏と平等を保つべく活躍していた。別段、だれに何かを言われたわけでもなく、なるべくしてなったと言うべきか。そもそも、自分に特別な血の能力が目覚めてからは、そうするのが当然だと思ったので、世界を救うという大げさな使命を何も重責を覚えてはいない。クラウスにはそれが必然でありことわりでしかないのである。
街は阿鼻叫喚の渦の中に陥っており、先に到着していたメンバーが奮闘を見せている真っ最中であった。瓦礫が飛び交い、粉塵が舞う。ああ、畜生と、スティーブンが心底うっとうしそうに呟いた。「血が飛んできた。落とすの面倒なんだよ」「異界のクリーニング店ならば、どんな汚れも落とすそうだが」「雑なんだよなァ、仕上がり」そんな会話をしながらも、目の前では、暴れ回るビヨンドの影を処理していった。スティーブンの氷が舞い、クラウスが殴打し粉砕する。静と動の如く、対照的な二人の攻撃の展開は息のあったものだ。
「なァ、おいクラウス。あんまり無茶するな。まだ回復していないだろう」
動きがのろまだったわけでも無い。クラウスも腰に違和感はあったが、何もひねり潰すような大げさな動作を取ったわけではなかったが、咎められる。前線を張るタイプではないスティーブンに、無意識のうちにしまい込まれてしまい、何だかなぁ、という気分になるのも当然だった。「俺が頑張るって言っただろう? 無茶してケガして君とセックスができなくなるのはやだなァ」冗談を言う余裕があるらしく、いつもよりも積極的に動き回るスティーブンを横目に、クラウスは横から覗いた影に拳を向けたところだった。
が、しかし。
「あ」
大口を開けたビヨンドの、暗い口の中。どこまでも長く続くトンネルのように、身体が吸い込まれる。ずるりとそう簡単に浮遊することのない己の身体が踏ん張りも利かずに、呆気なくそのビヨンドの体内へと呑み込まれていく。「クラウス!」叫んだのは彼の声だった。クラウスが驚愕するよりも早く、スティーブンが叫んでいた。私の手を取るための繊細な指先が空を切る。暗闇が視界を覆う瞬間見えたのは、彼の放つ氷の刃だった――。
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