1



 昔見た映画に、女が手足の無い男の世話をしているものがあった。
 十代の盛んな実り善き脳内には、その映像を全く判じえることなど出来もしなかったけれど、ただひとつ理解できたのは、それがずいぶんと幸せそうだったという事実だけだった。
 手足の無い男へ奉仕する充足感、愛し愛されるというその行為が、幼気な童心には、まるで憧れのヒーローを見るように、羨望した。二人の関係が、ひどく羨ましく、愛しいと思ったのだ。きっといつの日か、己にもそう言った相手が出来るだろうか。なぜだか、その映画はどんな恋愛ものを押し並べても勝てはしないのだろうと、根拠も無い決定事項となっていた。真に、それ以上の恋愛映画を己は知りもしない。
 手足の無い醜い男に追い縋るうつくしい女の光景に、その日、己は一歩新たに大人に近付いたのだと思った。張りつめた股間の熱さに、ああこれが興奮なのだと理解した。はじめての精通だった。どろりと吐き出した白濁は、存外呆気の無いものだったし、汚れた手のひらを洗面上で洗い流すという背徳さは、いささか十代の心を悩ませては、部屋にこもり、女の裸体を妄執で犯したのだ。
 その時になって、ようやく己はこの事態の異常さに気付いた。
 そうだ。
 級友たちが皆、グラビアアイドルの写真や、その先の袋とじの中身、道端に落ちている少し卑猥な雑誌に煩雑をしていたのを思い出す。己はまだその時、級友の女の子の清楚さに憧れを抱き、夢を見ていた頃だ。それこそマザーグースの如く、女の子は御砂糖とスパイスってやつだ。そんな気分で、見つめていた。だから、己は級友がはしゃぐ裸体の女の姿に興味などわかなかったし、少しばかり下品だと、あたかもそれらが汚物のように思えたのだ。
 けれど、そうか、そうだったのか。
 己は、高貴と純粋と、そして少しばかりの憎悪をその時愛しているのだと気付いた。
 あの映画には、最後、秀逸なラストがある。一体どんな気持ちでそうしたのだろか、矢張り十代の知識の無い己には到底分かりもしないことであったけれど、それで幸せなのだということだけ分かった。
 ――暗い世界でただふたり。触覚と触覚だけを頼りに、ただ愛を全うする。
 女は自分の手足を切り落とし、男と同じ体躯で暗闇に沈む。終幕の生死は分かりもしない。二人を覆う暗闇は、画面の暗転で幕をおろし、エンドロールを迎えた。
 そして、己は射精したのだ。女の乳房でも、股の間でも無く、腰を振って声を上げる官能の姿でも無い。手足の無い女にこうふんしたのだ。
 異常だと、思った。なんて猟奇的な性的興奮なのかと、己に絶望した。これでは全く今後、己は女に希望を持てないのだと気付いた。手足の無い女など、早々いるはずもない。しかも、己の異常さは加速し、理解していたのだ。これが先天性であってはいけないのだと。
 己の手で綺麗に切り落とし、包帯を巻きつけ、恍惚に満ちた顔を欲しているのだと。そうなってくれば、もうただの犯罪者だった。脳内の想像だけで、取り締まることが出来るならば、己はもう何度も警察に出頭する羽目になっているはずだ。
 有難いことに現代の警察は、この妄執程度ならば実行しなければ許してくれた。それが、幸か不幸か。己はなんとか潔白のままに生きてこられたのだ。
 ただ、己は残念なことに青春の一ページ、女の裸体に興奮をすることは無かった。異常な性癖を隠すため、会話に混じる努力をし、童貞を捨て去る際にはなんとか彼女の手足の無い姿を思い浮かべたものだった。
 出来ることならば、叫んでやりたかった。己が自慰の時、どうするか知っているのか、と。
 引出の奥には大量のスプラッターになった写真が仕舞われている。気に入りの女の手足を挟みで切って、それを見ながら興奮に染まった性器を必死に絶頂まで高めるのだ。
 異常だった。ずっと異常だと思えた。自分自身でさえ、分かっているのだ。けれど、止められやしなかった。
 好みは、リコリスのように燃えるような赤の髪をして、少し目つきの悪い女が好きだった。映画の女優がそうだったからかも知れない。髪の長さは背の中腹まであれば最高だった。
 この異常さを今まで誰も知らず、そしてこれからも知られることなど無いのだと生きてきた。理解などされなくていい、ただ己のこれは純粋な愛であると、自分自身が分かっていればいいことなのだ。
 手足の無い彼女を抱き上げ、ずっとひとしきりに世話して愛を与えて生きていければ最高の人生だと思うが、それが叶うことが無いのは、どう見たって周知の事実だ。だから、己は引出の奥の宝物をこれからも愛せればいいのだと思っていた。――そう、ずっとひとりで、薄い紙切れと愛を唱えていくはずだった。
 赤く燃えるようなリコリス。
 バリアリーフでも閉じ込めたかのような翠の目。
 どうして、出会ってしまったのだろうか。どうして。どうして。どうして。どうして。どうして。

 ――その日から、己の毎日は地獄に変わった。



next