02

朝からどんよりとした曇り空が広がっている。結局一睡もせず曲作りに勤しんでしまったため、曇り空といえども朝日が目に痛かった。おかげで無事曲はできたが、代償として全身のだるさとまぶたの重さ、さらに激しい頭痛が襲ってきている。携帯をのぞくと珠江からおはようというラインが来ていたが、返すための体力は残っていない。通話ボタンを押して、珠江が出るのを待つ。

「もしもし?」
「あ、はよー…です…」
「ふふ、眠そう。徹夜?」
「徹夜ぁ………。でさ、今日、」
「お休みでしょ?先生に言っとくよぉ」
「さすがたまちゃん…よろぴこ…」
「はぁい」

電話口から珠江のゆっくり寝てねという声が聞こえた気がしたが、二日目の徹夜は思いのほかダメージが大きく、返事をする前に意識を手放した。


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目が覚めると夕方だった。朝までの曇り空が嘘のように綺麗な夕日が差し込んでいる。ボーッとしながら目をこすっていると、キッチンからかたかたと音が聞こえてきているのに気がついた。まさか母親が帰ってきているわけはないし、まぁ、十中八九珠江だろう。自室を出て、一階にあるキッチンへ向かうとまさに珠江が何かを作っていた。

「あ、おはよぉ。よく寝てたね。勝手にキッチン借りちゃった」
「おはよー。んん、いいよいいよ」

珠江は旅行好きな名前の母親に代わり、こうしてたまに夕食を作りに来る。というか名前1人だとろくに食事も取らないため、名前の母親が珠江に自宅の鍵を預けて行くのだ。そのせいで名前よりも珠江の方が母親の旅行日程を把握している場合が多い。

「おばさん、今回は3週間くらいいないって」
「まじか、娘が心配じゃないのかっての」
「名前の面倒よろしくって」
「私はペットか」

テレビをつけてまだよく働かない頭で夕方のワイドショーを見ていると、珠江が目の前でひらひらと手を振ってくる。

「おーい、起きてるかな?」
「んん、起きてる起きてる…」
「お醤油ないから今からジュネス行くけど一緒に行く?」
「んー…アイス食べたい…から、いく」
「じゃあ着替えてきてね」
「ふあーい」

ジュネスは夕方の買い物客で賑わっていた。食料品売り場には子供連れの母親や、仕事帰りのサラリーマンで混みあっている。

「こういう時さぁ、仕事おわりの1杯ーって言ってビール飲めたら気持ちいいのかな」
「未成年だからコーラにしてね」
「飲まないけどぉ」

名前はブツブツと呟きながら買い物かごにコーラとオレンジジュースをぽいぽいと放り込んでいく。お醤油とアイスを買いに来たはずが、食料品売り場ではセールをやっていて思いの外多く買い込んでしまった。

「あ、花村だ。おーい」

棚に飲み物を補充している花村を見つけ声をかけると、心なしか少しげんなりした様子の花村が手を振り返している。彼の父親はジュネスの店長らしく、息子の花村もジュネスでバイトをしているのでセールの時は忙しいと以前漏らしていた。

「頑張ってるねぇ花村くん」
「ファイトだよ!ジュネス王子!」
「その呼び方やめてくださいよ…てか名前先輩、今日休みだったっスよね?もう体調大丈夫なんスか?」
「ん?あぁ、うん、もう平気ー」

花村達は名前の仕事のことを知らないため、おそらく珠江が体調不良と説明したのだろう。適当に話を合わせておいた。

「名前先輩ってガサツそうに見えて意外と病弱ッスよね。よく学校休んでるし」
「あれ?もしかして私今ケンカ売られてる?」
「いやいや、そーいうギャップがいいって男もいるかもって話で」
「歯食いしばってもらってもいい?」
「いや!いやいや!!俺は結構ギャップに弱いタイプなんで!!」
「花村の好みは聞いてない」
「あれ?名前先輩?」

花村と言い合いをしていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえ、雪子と鳴上が買い物かごをさげながらこちらに向かってきていた。

「おおー、仲良しだねおふたりさんヒューヒュー」
「名前ちゃん、おじさんっぽいよ」
「真顔やめて」
「名前先輩、もう体調大丈夫なんですか?」
「うん、もう大丈夫だよー。天城はいい子だねぇ」
「いや俺も同じこと聞いたんスけど…」
「花村シャラップ」
「名前先輩とたまちゃん先輩もお夕飯のお買い物ですか?」
「う、うん…そう…だね…」

雪子のかごの中には何を作るための材料なのかよくわからないものが大量に詰め込まれており、無言で鳴上を見つめると光の入らない目でゆっくりと首を振っていた。完全に死刑宣告をされた人間の顔だ。

「みんなよくジュネスに来るのかな?」
「あ、いや、今日はテレビに入った帰り…じゃなくて、えーと」
「花村頭おかしくなったの?」
「俺に対して当たり強くないっスか?!」
「今日はみんなで勉強会してて」

鳴上がやれやれといったような顔でフォローを入れると、花村もとってつけたようにそうそうと首をたてにふった。

「ふーん。まぁなんでもいいけどさ、花村はバイトがんばりすぎないようにねー。過労で若ハゲするよ。アイス溶けるから帰るわ、たまちゃん行こー」
「あ、うん!じゃあみんな、また明日学校でね」

花村の頭をぽすぽす、と撫でてからレジに向かう名前のあとを珠江が小走りで追いかけていくのを見て、三人はなんとも言えない顔をしていた。

「名前先輩とたまちゃん先輩、本当に仲良しなんだね」
「確かに。なんか熟年夫婦って感じだな」
「……」
「花村?」
「えっ、あぁ、そうだな」
「花村くん…若ハゲ、気にしてるの?」
「禿げてねーよ!!」
「陽介、気にするな」
「だから禿げてねーよ!!え?!禿げてねーよな?!」


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ジュネスではしょっちゅうセールが開催されていて、花村はその度に駆り出されていた。人に頼られるのは嫌いではないが、慢性的に人の足りないジュネスでは例えばテスト前だから無理だと言っても頼み込まれることが多く、さすがに困っている。今回も例に漏れず帰宅するなり人が足りないと駆り出され、テレビの中から帰ってきたばかりの体は早く休ませろと悲鳴をあげていた。

「あ、花村だ。おーい」

げんなりしながら商品を並べていると、少し離れたところから聞きなれた声がする。確か苗字は今日体調不良と珠江から聞いていたが、もうよくなったのだろうかと考えながら手を振り返す。苗字は自分のひとつ上の先輩だが、一年のころから何かと話すことが多く自然と仲良くなった。どこか少しとぼけた掴みどころのない性格で、何を考えているのかたまにわからないという印象だ。受験生のはずだが全くといっていいほど勉強はしておらず、(珠江曰く成績はほどほどとのことだが)この人はこれで大丈夫なのだろうかといらぬ心配をしてしまう。体も弱いようでよく学校を休んでいるし、勉強にはついていけているのだろうか、さすがに留年して来年自分達と同い年ってのはないといいなぁなどと考えてしまう。

「ふーん。まぁなんでもいいけどさ、花村はバイトがんばりすぎないようにねー。過労で若ハゲするよ。アイス溶けるから帰るわ、たまちゃん行こー」

しゃがんで棚に商品を並べていた自分の頭をぽんぽんと軽く撫でて去っていく。自分よりも身長の低い人に頭を撫でられるのは新鮮で、特にそれが女性だと思うと不覚にもドキリとしてしまった。普段あっけらかんとしていておちゃらけているのに、こういう時不思議としっかりして見える。

「これがギャップ…ってやつか?」

ぶんぶんと頭を振り、いやねーわ、名前先輩だしな…と自分の考えに思わず苦笑いをこぼした。


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「名前ちゃん、何かあったの?」
「ふえ?」

ジュネスから帰る途中、アイスが溶けそうだったので食べながら帰っていたところ、珠江の唐突な質問がとんできた。

「何か、とは」
「わかんないけど…今日ずっと様子おかしいから」
「ええ〜まじか…様子おかしかった?私」

何かあったかと聞かれればりせのことだが、そんなに深刻に悩むほどの事でもない。おそらく今は何かスランプのようなものに陥っているのだろうが、そのうちいつものりせに戻ってくれるはずだ。

「なんかずっと考えてる」
「あは…たまちゃんってたまに鋭い…たまだけに…」
「おもしろくないかな」
「ですよね……まぁ、なんていうか、仕事でちょっとね」

帰り道を小石を蹴りつつ歩く。随分と日がのびて、もう18時だというのにまだオレンジ色の夕日がふたりを照らしていた。

「言えないこと?」
「んー…私の仕事相手…ていうか、相棒みたいな子がいるって話したじゃん?その子がさ、無期限活動休止したいって言ってて」
「うん」
「でもさぁ、私、その子以外に曲作る気なくて…その子が歌ってくれなきゃ、意味無いっていうか…」
「うん」
「まぁ、少し子供みたいなとこがある子だから…たぶんそのうちケロッといつものその子に戻ってくれるって思うんだけどね。本当、ちょっとわがままだけどちゃんとしてる子なんだ」
「ふふ」
「なに?」
「前から思ってたけど、その子のこと話す時の名前ちゃん、恋人のこと話してるみたい」
「は?!やめてよ…この歳で仕事が恋人みたいなのさすがにいやだよ…」

アイスを持った手をぶんぶんと振りながら否定する名前を見て、珠江は仕事相手の人はどんな人なのかと考えを巡らせていた。いつか会ってみたいとは思いつつ、芸能人なんて自分が関わることは一生ないだろうなぁと名前の手から今にも溶けて落ちそうなアイスを見ながらぼんやり考える。

「あ、そいえばさ、私来週少し東京行ってくる」
「レコーディングだっけ?」
「そうそう、だからその時は夕飯大丈夫」
「ん、わかったよー」

名前はレコーディングの度に毎回自ら東京に赴いている。何か珠江にはわからないこだわりがあるようで、学校を休んで仕事をしているのだ。名前がいない学校生活は少しつまらないが、必ずお土産を持って帰ってくるので楽しみでもあった。他の生徒には名前が仕事をしていることは黙っているという条件で学校側にプロとしての活動の許可を得ているので、こういう時体調不良ということなるため、名前は体が弱いと思われがちだ。確かに年がら年中体調を崩してはいるが、徹夜で寝不足だのエナジードリンクの飲みすぎで気持ちが悪いだの1週間ゼリー飲料で暮らしていたら貧血でひっくり返っただのと割と自業自得なことばかりだった。

「お土産はなにかなぁ」
「何がいいかなぁ」
「おいしいものがいいな」
「おっけ。塩辛とか?」
「…できれば甘いものがいい、かな」