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翌、六月三日月曜日。
IH宮城予選三日目・最終日。
どこか重苦しい空気のなかで昼休みのチャイムが鳴り、廊下に出た鶫は反対側の廊下を全力疾走する日向の背中を見かけた。
「何処に行くんだろう……」
自分たちは昨日終わってしまった試合だが、今日も別の学校同士の試合は続いている。
複雑な気持ちになってしまうのは仕方ないとは思いつつも心配になった鶫が日向の背中を追いかけるように教室を後にすると、その背中を見ていた月島は少しだけぼんやりとした目で窓の外の空を見上げた。
「……何処に行っちゃったんだろう」
全力疾走の日向に対して小走りで追いかけた鶫が追いつけるはずもなく、途中で彼の背中を見失ってしまった。外に出たかもしれないと靴を履き替えて中庭に出てみたものの、日向の姿は此処にない。
「此処じゃないとしたらあとは――」
「俺はここで退いた方がいいと……思ってる」
「!」
鶫の耳に届いたのは澤村の声。声がした方へ顔を向ければ其処は三年の教室がある階のベランダで、東峰と菅原もその場にいた。
「え」
「春高に三年が出られるようになって、絶対そこまで残って東京行って戦ってやるって思ってた」
「……」
「でも一・二年を見てたら、少しでも早くあいつらに明け渡した方がいいんじゃないかって思ったんだよ」
何時もよりも少しだけ重い口調でそう言う澤村。てっきり残るとばかり思っていた鶫は目を丸くし、彼らの話に耳を傾けた。
「将来有望なあいつらメインの新体制チームで早くスタートした方が、チームとしては絶対――」
「大地。それって本音?」
「!」
真っ直ぐな目と言葉で菅原はその話を遮り、目の前で息をのんだ彼から目を逸らさずに言葉を続ける。
「確かに大地は主将っていう重い立場だけど、自分を完全に殺す必要は無いんじゃねえの」
「……」
「前からそう決めてたなら何も言わないけど、そうじゃないなら最後くらいもっとやりたいようにやんなよ」
俺は昨日言ったように居残ると菅原は宣言し、後輩に出て行ってくださいと言われたらその時に考えると意気込んだ。そんな彼に続くように東峰も残る旨を話し、進学希望じゃないからと苦笑いをする。
「一・二年に出てってくださいって言われたら……凹む」
「……俺は」
「……」
「俺はまだやりてえよ!」
まだ、バレーしてえ。
「そうこなくっちゃな!」
「っおい!」
よく言ったと菅原は澤村の肩を叩き、それに恥ずかしげに澤村は一歩後退ったもののその手を振り払うことはしなかった。
そんな彼らの話を下の中庭で偶然聞いた鶫はほっと胸を撫で下ろし、見つかって邪魔をしたら悪いとその場を離れようと一歩足を踏み出した時、僅かに視界が揺れてその歩みを止めた。
「……あれ?」
ほんの僅かな眩暈。日差しのせいかと思ったが鶫がいる場所はちょうど日陰で今日は風も出ている上、外に出てから五分と経っていない。
「……」
――嫌な感じ。
昨日の最終セットの時も何か変だった。何時もは“見聞きできる範囲のもの”が遠く感じて、唯一の私の武器が消えてしまうような気がした。
「……ふふ、変なの」
私はとっくに戦う術なんて持っていないのに。
――試合出られたな。どうだった。楽しかったか、忠。
試合の後に部員たちとの食事を終えて真っ直ぐに嶋田の元を訪れた山口は、その問いかけにはっきりといいえと答えた。ボールを弄っていた手を止めた嶋田はだろうなと溢して目を細め、手元のボールへ視線を落とす。
「自分で思うように身体は動かない、ボールは飛ばない。楽しいわけねえよな」
「中学までは皆でワイワイやるのがたのしーって思ってました。それが俺にとってのバレーでした」
でもそういうんじゃない、そういうんじゃなくて。
俺もあいつらみたいに自分の身体を操りたい、ボールを操りたい。
強い奴らと対等に戦いたい。
「――勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る」
「?」
突然嶋田が口にした言葉に山口は首を傾げれば彼はふっと笑って山口の方に顔を向け、爺さんの方の烏養監督に昔よく言われたと笑顔を浮かべる。
「俺は勿論エースじゃなかったしスタメンでもなかった。練習もきっついしやめたいと思ったこともあった」
「……」
「でも初めて試合でサービスエースを決めた時、思ったよ」
ああ、俺はこの一本の為に何十時間も練習したんだ。
「そんでこの一試合この一本、この瞬間をまた味わえるならキツい練習もやれるって思ったよ」
嶋田の最後の言葉と共に座っていた山口がビールケースから立ち上がる。その真っ直ぐな目と決意に嶋田は笑みを浮かべ、ボールを持つ手に力を込める。
「よっしゃやるか! 次の大会までだって時間足んねえからな!」
「ハイ」
昨日のことを思い返し気合いを入れ直した山口は席を立ち、窓の外を見ていた月島の方へ足を向けた。
「ツッキー、ご飯食べよう!」
「山口うるさい」
「ごめんツッキー!」
煩いと言うのも気に留めていない謝り方も何時も通り。ただひとつ何時もと違っていたのは、昼休みになれば鶫を迎えに来る影山が来ないことと鶫が食事の時に持っていくランチバッグがそのまま机脇にかけられていることだった。
「……放っておけばいいのに」
「あれ、そういえば舞雛は?」
「……さあね」
IH宮城県予選、最終日。
「白鳥沢! 白鳥沢!」
「行っけー行け行け行け行け青城!」
男子決勝、青葉城西VS白鳥沢学園。
「今日こそ凹ましてやるから覚悟しなよ、ウシワカちゃん」
「その呼び方をやめろ、及川」
最終戦を告げるホイッスルが鳴り響いた同時刻。
第二体育館では影山から受けたボールを日向が取り落とし、腰が高いと影山から苦言を呈されながら転がったボールを拾い上げた。
「……そろそろ決勝始まる頃だな」
「おお」
「それに勝った方が全国に進むんだな。いっぱい試合すんだな」
「……おお」
脳裏に過ったのは、IHで通ってきた試合の数々。
自分が囮として最大限に機能し、10番と相手チームに声を張り上げられた瞬間。
「くそ……」
「……」
「ったらあああああ!」
「!」
第二体育館に響く日向の叫び声。ちょうど第二体育館へ足を運んでいた鶫がその声に驚いて目を丸くし、一番手近な窓から室内を覗く。
中では日向と影山が悔しさを吐き出すようにひと頻り叫んで暴れまわり、最後は床に転がって動きを止めた。
「勝ち、てえ」
「……俺は、もう謝んねえ」
「?」
「謝んなきゃいけないようなトスは上げねえ……!」
「!」
日向と影山そして鶫の脳裏に過ったのは、試合会場外で武田が日向と影山にかけた言葉だった。
“君たちがそこに這いつくばったままならば、それこそが弱さの証明です”
「時間、ない」
止まってる暇、ない。
決意を新たにその場から腰を上げた日向と影山。その二人の真っ直ぐな目に鶫は息を飲み、また自分の至らなさと不甲斐なさに下唇を少し噛むとその場から背中を向ける。
不意に影山の視線が窓の方に向き、鶫の背中を捉えると少し驚いたように目を丸くした。
「鶫?」
「でもお昼はちゃんと食べなさい」
「!?」
突然かけられた声に日向が驚いて声のした方へ顔を向けるとそこには呆れた表情を浮かべた清水が立っていて、彼女は少しだけ息を吐いた。
「しっ、清水先輩……!」
「あとあんまり奇声を発しないように。部室まで聞こえた」
「ハッ! フィ!!」
動揺と驚きで舌が回らない日向を何してんだコイツと言いたげに影山が見つめるなか、彼は清水に歩み寄る。
「あ、あの」
「なに?」
「三年生は――三年生は残りますよね? キャプテンは春高行くって、東京のでかい体育館で戦うって言ったの変わらないですよね!?」
「うん、変わらない」
「!」
迷いなく即答した清水に日向は目を輝かせ、ありがとうございましたと頭を下げると影山に飯にしようと声をかけた。その声色は先ほどの悔しげなものではなく、そんな彼らの様子を見て胸を撫で下ろした清水は体育館を後にする。
清水に遅れて二人も体育館を出たが、影山が何かを探すように周囲を見回したので日向は首を傾げた。
「何だよ?」
「……いや、さっき鶫がいたんだけどよ」
「え、鶫ちゃん?」
影山の言葉で日向も周囲を見回したが鶫の姿はない。見間違えじゃねーのかと日向が首を傾げながら言ったが影山はそんなことねえよと即座に否定して、少しだけ眉を寄せる。
「……昼、迎えに行ってねえから探しにきたのかもしれねえな」
「何時も鶫ちゃんと食べてんの!?」
「? ああ」
「……」
当然だろと影山が答えたのを聞いた日向は少しだけ複雑な顔をしたが、早く迎えに行かなければと言うように先を急ぎ始めたので、その後を追うように駆け出した。