39
――土曜、田中家。
田中の自室で勉強会を開いていた二学年の面々。飲み物とお菓子を手にして戻ってきた田中の前のテーブルでは縁下に勉強を見てもらっている西谷がいる。
「国語は基本的に文章の中に答えがあるから、よく読めば分かるハズ――」
問三。「紀男」の矛盾した二つの気持ちを最も良く表している一文を文中から抜き出しなさい。
「……」
もっと男らしく生きろ! 紀男!!
「文中から抜き出せって書いてあんじゃん! 問題も紀男も無視すんなよ!」
「ノヤさんかっけえぜ……」
「あっ暗記はイケるだろ西谷!? 漢字とか四字熟語とかで点は稼げるから――」
「四字熟語任せろ!」
「それはテストに出るヤツじゃないから!」
三点倒立と書かれたTシャツを誇らしげに掲げる西谷にツッコミ切れないと縁下が頭を抱えた時、アンタ勉強してるのと部屋の外から女性の驚いた声が聞こえてきた。それに田中と西谷を始め他の面々もそちらへ顔を向けると、ライダージャケットにスキニージーンズ姿で明るいボブヘアーを揺らす田中の姉、冴子がヘルメットを片手に部屋を覗いていた。
「大丈夫!?」
「大丈夫って何だよ!」
「姐さんチーッス!」
「おお夕! 今日も格好良いな!」
「あザース!」
西谷と冴子のテンションにややついていけない他の面々は控え目に挨拶をすると冴子はどうぞどうぞと笑いそのまま田中の頭をぐりぐりと撫で回すと、勉強を教えてやろうかと口角を上げる。それに田中は脳みその出来は一緒なんだから無駄だろと反撃し、それに冴子はむっとして立ち上がった。
「おい現役女子大生ナメんなよ!」
「バイトと練習しかしてねえだろ!」
「田中の姉ちゃんかっけえな……」
「うん」
「後で泣きついても知んないかんな!」
舌を出してそのまま部屋を出て行った冴子を見送ると田中は渋い表情をし、木下が練習とは何のことだと訊ねると、和太鼓でチーム作ってんだと田中は答えた。祭りになると張り切ってんぞと続けた田中に西谷もビバサラシと声を上げると、これ以上脱線する前にと縁下が勉強続けるぞと声をかけ、田中家での勉強会は再開された。
同時刻、一旦家に帰ってから教科書を持って影山が部屋に来るので簡単に部屋を整理していた鶫。何時も部屋は綺麗にしているので三分もかからず整理が終わろうとしていた時、テーブルに置いておいた携帯が断続的に震えて電話の着信を告げた。
誰からだろうとスマホを手にした時、着信欄には黒尾の名前が踊っていた。
「はい、もしもし」
『おう。久しぶりだな鶫』
「鉄朗くん、久しぶり」
『今平気か?』
影山が来るまでまだ余裕があるので鶫が黒尾の問いかけに大丈夫と返すと、電話口で黒尾がそうかと嬉しそうに笑った声が聞こえてきた。明日がIH予選だというのに自分に電話をかけてきてくれたことが鶫も嬉しくて少しだけ笑うと、それを同じく電話口で聞いていた黒尾は東京の自室でふっと表情を緩めた。
「……明日、こっちはIH予選だ」
『うん』
「忙しいだろうから見に来てくれとは言わねえ。だけど声が聞きたくなった」
『……うん』
「こっちは良い感じに仕上がってる。良いトコまで行けるはずだ。ぜってえ勝ってやる」
電話の向こうで優しく微笑んでいるであろう鶫を思い浮かべながら黒尾が片手をぐっと握り締めた時、電話からピロンと短く電子音が鳴った。テレビ電話に切り替わった音に気付いた黒尾が耳から携帯を離すと画面には鶫の顔が映し出されている。
それが妙に嬉しくて黒尾が僅かに目を細めていると、更にやっぱり顔が見たくてと笑う鶫の笑顔に目尻が緩んだ。
『ごめんね、勝手に切り替えて』
「構わねえよ。どうせ俺の部屋だからな」
『それなら良かった。あ、そうそう』
「ん?」
コロコロと表情が変わる鶫に自然と表情が緩んでいた黒尾だったが、ふいに鶫が何かを思い出したようにそう言ったので何かあるのかと首を傾げた。すると鶫はふわりと笑って、片手で拳を握る。
『鉄朗くんと音駒の皆ならきっと大丈夫。IH予選、頑張ってね』
「……」
『……鉄朗くん?』
「! おう、当然だろ。ありがとうな、鶫」
『ううん、私こそ直接応援に行けなくてごめんなさい。本当なら見に行きたいんだけど……』
「いや、良い。その気持ちだけで十分だ」
お前の応援だけで、俺は誰より強くなれる。
「本当にお前には敵わねえよ」
『どういう意味?』
「分かんなくて良い。まあ俺がお前に心底惚れてるからだと思っとけ」
『!』
ニヤリと笑ってそう言った黒尾に鶫は頬を赤くして返答に困っていると、その様子を見て更に黒尾は楽しそうに笑う。困ったようにこちらを窺ってくる鶫が可愛くて黒尾が嬉しそうに微笑んだ時、鶫の向こうからインターホンの音が届いて来た。
「誰か来たみてえだぞ」
『あ、うん。これから飛雄くんの勉強を見る約束をしていて……』
「烏野のセッターか」
『うん』
影山は日頃から鶫の部屋に出入りしていることを悟った黒尾は良い思いをしていなかったが鶫をそういった意味で困らせることは本意ではない。本当ならば帰らせろと言うところをぐっと飲み込んで、ひとつため息をつくだけに止めた。
「良い、行ってやれ」
『ごめんね』
「気にすんな。じゃあまた合宿でな。会えるの楽しみにしてる」
『うん!』
それじゃあまたねと言ってテレビ電話は切れ、ブラックアウトしたスマホをベッドに放った黒尾はまた深いため息をつき、その耳はやや熱を持っていた。
「……切る間際に満面の笑顔は狡いだろ」
これだから鶫には敵わないと言うように黒尾はベッドに倒れ込み、IH予選への気合いを新たにした。
「ごめんなさい、待った?」
「そんなに待ってねえよ」
黒尾との電話を切った鶫が慌てて玄関のカメラを確認すると其処には着替えを済ませた影山がいて、ちゃんと来客を確認してからドアを開けた。影山は慣れたように家に入ると、鶫以外に人の気配がないことに気付き、おばさんたちいねえのかと問いかければ鶫はひとつ頷いた。
「今日も帰りは十時くらいだって言ってたかな」
「そうか」
「先に部屋に上がっていて。後から行くから」
「おう、分かった」
二階に続く階段の前でそう会話を交わした影山は先に鶫の自室に上がると適当な場所に腰を下ろして荷物を床に置く。相変わらず綺麗な部屋だなと溢した影山はテーブルの端に放られたように置かれた鶫の携帯に目が止まった。
「何だよ、置きっぱなしか」
こんなトコに置いておくと落とすぞとそれに手を伸ばした時、電話を切って画面がそのままだった為に着信履歴が目に付いた。当然先程まで電話をしていたのは黒尾なので履歴の一番上には彼の名前があり、それを見た影山はむっと眉を寄せる。
「……あのミドルブロッカー」
練習試合の帰り際に鶫に手ェ出しやがったアイツか。幼なじみだろうが何だか知らねえが、それが手を出す理由にはならねえ。
影山はやや不機嫌になりながら鶫の携帯を落ちない位置へ置き直すとちょうど鶫が飲み物やお菓子を乗せたトレイ持って部屋に戻ってきた。影山はそれを見て持っていたそれらを彼女の手から攫うと適当に床に置く。
「お前、携帯こんなトコに置いとくなよ。落ちたらどうすんだ」
「あ、ごめんなさい」
「気ィ付けろよ」
「うん、ありがとう」
じゃあ勉強始めようかと鶫が教科書を開くと影山は渋い表情をしたが、それを予想していたのか鶫は少しだけ苦笑いをしたが直ぐに微笑んだ。
「飛雄くん、夕食なんだけど良かったら食べて行かない?」
「お前が作んのか?」
「うん。今日はね――」
ポークカレーの温玉のせ。
「!!」
「どうかな?」
「食う」
「決まり。ちゃんと夕食食べて帰るっておばさんに話しておいてね」
「おう!」
「じゃあ夕食まで頑張ろうね」
「おう!」
影山の気合いも入った所で改めて二人は勉強を始める。鶫は前のように影山に頼ってもらえることが嬉しくてこっそり表情を緩めていたのが、それを影山は知らない。
「先生」
「!」
ある日の放課後、職員室を訪れた田中は先程の授業を担当していた教師に声をかけた。まさか田中が職員室に自ら赴くとは思っていなかったその教師は一瞬怯み、田中は澤村に言われた、分かんないことは分かんないままにすんなという言葉を思い返し持ち込んだ教科書を開く。
「ココよく分かんなかったんスけど、もっかいいいスか」
「え、うん。ええっ!?」
その様子を遠くから見ていた武田はいよいよ東京遠征が現実的になってきたと表情を明るくし、ちょうど授業から戻ってきた二人の教師の会話に耳を傾けた。
「一組の田中、最近授業中に寝ないだけじゃなくて、授業後に質問に来たりするんですよ! 正直びっくりで!」
「おお、分かります! 三組の西谷もですよ。今日の小テストも今までに無い点でした! いやあ、やれば出来るんですなあ……」
歳を取ると涙腺がと片方の教師が目尻を拭っている様子を見て武田は思ったより順調だとガッツポーズをすると、あとは清水さんの方かと言葉を溢して以前のやり取りを思い返す。入部可能な時期だとはいえ、問題の新マネージャーとしての人材がいなければ意味がない。
上手くいっただろうかと心配そうにしている武田の対象である清水は、部活前の第二体育館へ足を向けていた。部活前の自主練習に励んでいる部員たちを見て、そのままドアの前で息を吸い込む。
「あの、ちょっと良いかな!」
「!?」
清水の影から緊張気味に姿を見せたのは、一人の女子生徒だった。