弱虫の理由
「――飛雄くん」
「ん?」
何時もの道で部員たちと別れた鶫と影山。街灯がポツポツと灯る帰り道で鶫が歩く足を止めるとそれに気付いた影山も同じように足を止め、自分より小さな鶫を見下ろした。
「どうした?」
「……話が出来て良かったなって」
「……そうか」
「少しだけ、前に進めそうな気がする」
今まで誤魔化しながら生きてきたことが恥ずかしいくらいと鶫は笑ってふうと少しだけ息を吐き、初夏の生温い空気を纏う夜空を見上げた。
「もう逃げることは止める」
「鶫」
「皆が先に進むなら、私も前に進まなきゃ」
今まで目を背けていた過去と、向き合わなきゃ。
「弱虫な自分と、さよならしないと」
ねえ、ひとつだけお願いしても良い?
「何だ?」
「私の背中を押して」
「!」
触れてほしくない背中だった、押してほしい背中だった。
矛盾しながら共存していたこの気持ちに、“あと一歩”をちょうだい。
「俺で良いのか」
「飛雄くんだからお願いしてるの。ね、お願い」
「……分かった」
影山が了承してくれたことに鶫は嬉しそうに笑い、彼の三歩ほど前に歩み出てその足を止めた。
“ただ背中を押すだけ”と人は言うだろう。
“背中を押すくらいが何だ”と人は笑うかもしれない。
でも“それ”は彼女にとって必要なことだった。
「……」
「……」
その意味をよく分かっている影山はゆっくりと鶫の背後に立ち、声をかけずにそっと彼女の華奢な背中に触れた。影山の手が触れた瞬間だけ鶫は息を詰めたが、混乱することも動揺することもない。
腹を括り覚悟を決めたのだと悟った影山はゆっくりと息を吐き、目の前の華奢な背中を見下ろした。
「頑張るのは良い、でも無理はすんな」
「うん」
本当なら無理はしてほしくねえ、怖い思いも辛い思いもしてほしくねえ。泣いている姿は、一番見たくねえ。
でも、お前自身が決めたことなら。
「何かあれば俺を頼れ」
「うん」
お前がそう決めたなら、俺はお前と一緒にどこまでも行く。
どんなに怖い思いをしても辛い思いをしても、俺が支えてやる。泣いたなら涙を拭いて、立ち止まりそうになったら何度でも背中を押してやる。
「一緒にデケエ体育館へ行く。世界の舞台にも一緒に行く」
「うん」
「――約束だ」
「うん、約束ね」
あの頃、笑い合って交わし合った約束を、もう一度。
「ああ、約束だ」
こんな小さい体で尊敬できる技術と才能を持ってるくせに、怖がりで泣き虫な鶫。
俺が守ってやらねえと、俺が見ててやらねえと。どっかで泣いてるかもしれねえし、どっかで怖い思いをしてるかもしれねえ。何時も何時も心配で仕方ねえ。
「……」
「飛雄くん?」
そんなお前がもし弱虫を克服したら、俺が追いつけなくなるかもしれねえ。何時の間にか俺の知らない遠いトコにいて、俺の手の届かない場所にいるかもしれねえ。でも俺は、お前と一緒にいたい。傍にいて同じモンを見て聞いて感じて、ずっと同じ道を歩いて行きてえ。
お前を笑顔にするのは、俺だけで十分だ。
「……ああ、そうか」
俺は、鶫とずっと一緒にいたいのか。
「……鶫」
「?」
今まで分からなかった答えが分かった。
お前みたいに頭が良くない俺でも分かった。
学校の勉強なんか比べ物にならねえくらいに、単純で簡単な答えだった。
「――一緒に頑張るぞ」
静かに前に押し出された背中は鶫の”一歩”を作り出し、彼女はその“一歩”からくるりと反転するように影山の方に振り返ると嬉しそうに微笑んだ。
その微笑みに影山も表情も釣られて緩くなり、何時もよりほんの少しだけ心音が早く走り始めた。
「ありがとう、飛雄くん」
「いや。……俺も嬉しい」
――周りから天才だと持て囃されても、それが原因で独りになったとしても、何時も変わらずに傍にいてくれたのは鶫だけだった。周りが変わっても、俺が道を踏み外しても、お前だけは俺を俺として見てくれた。
俺という一人の人間として、何時も傍にいてくれた。
「鶫」
「何?」
その優しさが当たり前すぎて、気が付くのが遅くなった。
何時の間にか大切な――幼なじみ以上の目で見てた。
「……いや、何でもない」
「ふふ、何それ。飛雄くんったらおかしいんだから」
「おかしくねえよ」
俺は、鶫が好きだ。