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 翌日。土曜日の午前練習を終えて後片付けに入ってた鶫は、日向が谷地に声をかけている様子が偶々視界に入った。話に耳を傾けてみると、日向はこのあと影山と一緒に勉強を見てもらう旨について話をしている。偶然耳にした話に鶫は先日影山と交わした会話をふと思い出した。

「そういえば――」

「飛雄くん、明日の午前練習が終わったらテスト勉強する?」
「いや、明日は他に教えてもらう奴がいるから大丈夫だ」
「そう? それなら良いけど……」
「今度頼む」


 鶫の自宅前でその話をした時にはどういうことかと不思議に思っていたが、なるほどそういうことかと合点がいった。そして同時に自分以外の部員と部活外で交流するようになった影山に少し嬉しくなってつい表情が緩む。

「……ふふ、そっか」
「なに一人で笑ってんだよ」
「飛雄くん」

 噂をすれば何とやら。鶫の思考の渦中にあった影山本人が鶫の様子を見て声をかけてきた。一人で笑っていた様子をしっかり見られていたらしく影山の顔は訝しげに眉が寄せられていたが、鶫には嬉しい話なので彼の表情は気にならなかった。

「今日、仁花ちゃんたちと勉強会するんでしょ?」
「何で知って……」
「そこで日向くんと仁花ちゃんがお話しているのが偶々聞こえて」

 鶫の”そこ”と一般人の“そこ”には大きな差があるが、そのことは鶫自身も昔からの付き合いの影山もよく知っていることなので特に言及はしなかった。

 勉強会楽しそうねと笑う鶫に対して影山はブワッと冷や汗をかき、隠してたわけじゃねえからなと慌て、まるで言い訳をするかのように声がやや裏返った。

「お前に負担かけたくねえから、日向のついでに頼んだだけだ!」
「別に気にしてないけど……」
「隠してたわけじゃねえ!」
「私は別に気にしてないから。むしろ良いことだと思ってるの」
「は?」
「部員と部活外で交流するなんて前ならなかったし、良いことだなって。仁花ちゃんも同学年同士の交流ができて嬉しいと思う」
「そ、そうか……」

 谷地との勉強会のことを気にしているらしい影山に鶫が気にしていないからと本音を口にすれば、彼は肩の力を抜いてそれなら良いとほっと胸を撫で下ろす。何を気にすることがあるのかと鶫は不思議そうにしていたが、二人の会話を近くで聞いていた菅原だけが影山があのように言い訳を重ねているのか分かっていた。

「……そっか、なるほどなあ」

 これから別の意味でもライバル、か。

 気付いてくれないままいてくれれば俺に有利だったのに。そう少しだけ狡いことを思う反面、それはそれで張り合いがないかなと菅原は苦笑いを溢し、これから二つの意味でライバルになる後輩の姿を眺めながらボールを籠に放り込んだ。



 後片付けを終えた二年の面々は田中の家で縁下に勉強を見てもらい、日向と影山は谷地の家で勉強を見てもらう予定になっている。鶫以外の家へ行ったことが殆どない影山はソワソワしていたが、そのソワソワした様子が微笑ましく映った鶫は思わず笑みを溢した。

「鶫」
「飛雄くん?」
「お前、一人で帰れるか?」
「うん、大丈夫だよ」

 それがどうかしたのかと鶫が首を傾げれば影山は渋い顔をして、一人で帰すのかと心配そうに呟く。烏野から鶫の自宅まではそう遠くない上に、部活帰りとはいえ昼間なのでそれほど心配する必要はないのではないかと鶫は苦笑いをした。

「大丈夫だよ、飛雄くん。そこまで子どもじゃないし。ちゃんと帰れるから」
「でもな……」

 鶫を家まで送ってから谷地の家へ行くことも影山の考えにはあったが、彼女の自宅は影山と鶫の家の方向とは重ならないので、やや方向音痴ぎみの影山では谷地と一緒に行かなければ辿り着くことは難しい。

 どうするべきかと影山が頭を悩ませていると、傍でその話が聞こえていた菅原がひょっこりと顔を覗かせ、何時もの笑顔を浮かべながら親指で自分自身を指し示した。

「それなら俺が送ってくよ。それで良いだろ?」
「スガさん」
「え、でも……」
「良いって良いって。午後暇してたし、道も途中まで一緒だし」

 ひらひらと手を振った菅原が笑ってそう言えば、影山はそれならお願いしますと頭を下げ、菅原もまた任せろと笑顔で胸を張る。こうして本人が困惑している間に菅原に送り届けてもらうことが決まり、影山は家に帰ったらメールを入れるように言うと日向と谷地に合流し、三人で肩を揃えて別の方向へ向かって歩いて行ってしまった。

「……ええと」
「じゃあ行くか、舞雛」
「は、はい!」

 断ろうにも断れなくなってしまった鶫はそのまま菅原と肩を並べて歩き始め、隣を歩く彼の様子を窺うようにチラリと視線を横に向ける。隣を歩く菅原はとても上機嫌で、今にも鼻歌を歌い出しそうなくらいだった。

 何が彼をそこまで上機嫌にさせているのかと鶫が不思議そうに首を傾げれば、その様子が偶々目に入った菅原がどうかしたのかと彼女に視線を向ける。

「どうかした?」
「菅原先輩の機嫌が良さそうだったので、どうしたのかなと」
「……あー、そういうことか」

 そりゃあ、好きな子と二人きりで帰れるなんて嬉しくない男なんていない。

「――なーんて言えないけど」
「え?」
「あー、いや、何でもない」

 曖昧に微笑んで頬を掻きながら適当に誤魔化した菅原は、そうだと言うように人差し指を立てて首を傾げた。

「テスト勉強は順調?」
「はい。多分大丈夫です」
「学年主席だから心配いらないなんて皆は言ってるけどさ、だからこそこう、プレッシャー? みたいなのとかあるんじゃないかと思って心配してたんだ」
「うーん、あまり一番が良いとか一番じゃないと駄目って考えたことはなくて。やれるだけのことをやった結果がそうだったというか……」
「なるほど。でもそれで主席なんだから凄いんだよなあ」

 努力の結果だなと笑った菅原に釣られて鶫が嬉しそうに笑みを浮かべると、彼は一瞬跳ねた心音の所為で息が詰まりかけたがそれを誤魔化すように一度咳払いをする。何か喉に引っかかったのかと鶫がやや心配そうに菅原の様子を窺ったが菅原は大丈夫だからと笑い、そこでふと“今だからこそできること”を思いついた。

「……舞雛ってさ、この後用事とかある?」
「特にはないです」
「――じゃあさ」

 俺と気分転換しにいかない?



「あ、あの……影山くん」
「あ?」

 一方、谷地の家で勉強を教えてもらっていた影山は谷地に声をかけられてノートから顔を上げた。日向はちょうど今さっきトイレに席を立っていて此処にはおらず、話をするにはちょうど良いタイミングだと意を決した谷地は聞きたかったことを口にした。

「鶫ちゃんなんだけど」
「鶫?」

 アイツがどうかしたのかと影山が訝し気な顔をすれば谷地は一瞬聞こうとしていたことを口にするか迷ったが、声をかけてしまったのはこちらだと腹を括り聞いてしまうことにした。

「えーと、幼なじみなんだよね?」
「小三から一緒だからな。それがどうかしたのか?」
「聞いて良いかどうか迷ったんだけど、その……」

 鶫ちゃんのこと、どう思ってるの?

「……かなーって」
「……」
「いや、あの、でも何となく聞いてみたかっただけだから! もし野次馬っぽいならゴメ――」
「鶫は俺に必要だ」
「へっ?」

 気分を悪くさせてしまったら申し訳ないと谷地が慌てて質問を取り消そうとしたが、その前に影山が真っ直ぐな口調と目で彼女の問いに答えた。あっさり答えられてしまった谷地がきょとんとしていると影山は不思議そうに首を傾げ、聞きたいんじゃねえのかと眉を寄せる。谷地は慌てて何度か首肯し、聞いて良いのならと影山の話に耳を傾けた。

「鶫には、今まで色々と支えてもらってきた。だから今度は俺が、俺とアイツの夢を叶える番だ」
「夢?」
「“デケエ体育館でバレーをする”」
「!」
「アイツはプレイヤーとしてコートには行けねえ。俺がその分プレーヤーとしてコートに立つ、そんでアイツはサポートで一緒にデケエ体育館に行く」

 昔から一緒に叶えるって決めてた、大事な夢だ。

「そうなんだ。……素敵だね」
「ああ」

 鶫が以前言っていた“約束”は恐らくこのことなのだろうと谷地が二人の絆を改めて感じた時、ちょうと日向がトイレから戻ってきて部屋は再び騒がしさを取り戻した。

 日が暮れかけ夕方と言って良い時間帯までしっかりと勉強をした日向と影山。谷地は一先ずテスト範囲はおさらいできたから大丈夫だろうと踏んで、二人をマンションの前まで見送ることにした。

「谷地さん土曜なのにアリガトな!」
「あざす」
「これでテストばっちりだよ! たぶん!」
「多分かー……」

 至極はっきりと嘘をつかない日向の感想に谷地は苦笑いを溢したが、それでも多少力になれたのなら良かったと眉を下げる。谷地の家は住宅街の一角にあるマンションで古い一軒家の日向の自宅とは様相がかなり違っていて、そのことにはしゃいでいる日向の脇ではそういえばというように影山が周囲を見回した。

「なあ、この辺って白鳥沢の近くだよな」
「あっ、うん。確かうちから二駅先くらいにあったと思うよ、白鳥沢」
「白鳥沢って“ウシワカ”の!?」

「俺に何か用か」
「……」
「……」

 白鳥沢の話題に日向が加わった時、彼らの後方から聞き慣れない低い声が飛んできた。

 聞き慣れないが聞き覚えのあるその声の主に直ぐ気が付いた日向と影山がゆっくりと後方に顔を向けると、其処には白いジャージを身に纏った牛島若利の姿があった。

「ジャパン!!」
「でかーっ!?」



 ――カラン

「どした、舞雛?」
「あ、いえ……」

 何処かぼんやりしていた鶫に菅原がそう声をかければ、彼女は何でもないですと小さく首を横に振る。

 菅原の誘いを受けた鶫は自宅を通り過ぎた先にある新築に近いマンションや住宅が並ぶ場所の一角のカフェにきていた。落ち着いた雰囲気のカフェは若い世代の客が多く、OLや大学生らしき人たちの姿もある。高校生が来ても背伸びをしすぎていない雰囲気のカフェは菅原のお気に入りだそうで、稀に足を運ぶという話をしていた。

「でも少しだけ意外でした」
「何が?」
「菅原先輩がこういうカフェに偶に来ているって聞いて」
「何それ、心外だなー」
「悪い意味ではなくて! ちょっと意外な一面を見られたなと思ったんです」

 言葉が足りなかったと慌てて言い直しをする鶫にクスクスと菅原は笑い、分かってるよと何時もの笑顔を浮かべてテーブルに頬杖をついた。

「バイトしてないし余裕あんまないし。でもこの雰囲気が好きでたまーに来るんだ」
「私もこのお店好きです」
「気に入ってもらえて良かった。“これ!”って時にしか来ないからさ」
「? そうなんですね」

 “これ”という時とはどんな時だろうかと鶫は考えたが、後輩に気を遣ってくれているということだろうかと曖昧に微笑んでおくことにした。対して鶫の反応を見た菅原は彼女が言葉の意図を正しく理解していないことに少しだけ残念に思ったが、彼女らしいかと少し微笑んで穏やかに目尻を下げた。

「舞雛ってさ」
「?」
「“鈍い”ってよく言われない?」

 でもそれが可愛い。

「……」
「あ、やっぱり言われる?」
「中学生の時、及川先輩によく言われていました……」
「はは、だろうなー」

 ちょっとだけ焦らされてる気分だけど、それも悪くないかな。

 

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