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「俺に何か用か」
「ジャパン!」
「でかーっ!?」

 絶対王者と言われている白鳥沢のウシワカはこの人かと谷地が度胆を抜かれている中、牛島はしばらく返答を待っていたものの用がないなら行くと顔を背ける。それに影山は一歩その場から踏み出し、彼の背中を呼び止めるように声を張った。

「俺たち烏野から来ました。白鳥沢の偵察させてもらえませんか」
「!」

 影山の堂々とした要求に日向は内心で偵察ってこっそりやるもんじゃねーのかと驚いていたが、牛島は影山の口から聞いた烏野という言葉を反芻すると脳内であることに行き当たったのか視線を少しだけ上に上げた。

「おかしな速攻を使うチームだな」
「!」
「好きにしろ。お前たちの実力がどうであっても」

 見られることで俺たちが弱くなることはない。

「……」


 無意識なのか意識的なのか挑発的な言葉を口にした牛島に日向と影山は表情を変え、隣に居た谷地はそんな二人を見て冷や汗をだらだらと流し始める。どうなることやらと谷地がハラハラとする中、牛島はこれから学校に戻るので見たいならついてくれば良いと太っ腹な言葉を口にした。

「ついて来られるなら」

 しかしその言葉の次に続いたのは、更に日向と影山の闘争心を煽るひと言だった。

「行くだろ。春高で倒す相手だ。見て損はねえ」
「!?」

 本人の前でそんなことを言ってしまうのかと谷地はビクビクとしていたが日向と影山はその場で軽く足のストレッチを始め、ふとあることに気付いた日向が牛島へ顔を向けた。

「一人でロードワーク中ですか?」
「他の連中が遅いだけだ」

 後ろのどこかにいる。

「!?」

 そう言って再びロードワークに踏み出した牛島。彼の背後には人気のない道がずっと続いており、見える範囲では牛島と同じ白いジャージに身を包んだ人の姿はない。ロードワークに詳しくない谷地でさえ牛島がかなりのハイペースで走っていることが分かり、近くにいた日向に小声で死ぬからやめなよと止めに入ったが日向は何時も通りの笑顔を彼女に向けた。

「じゃあ谷地さんアリガトね! また明日ー」
「……生きて帰ってきてね」
「影山フライングすんなよ!」
「てめーが遅えんだよ!」

 止めるつもりが一切ないらしい日向と影山を止めることはできなさそうだと谷地はその場で二人を見送り、牛島を先頭にした日向と影山のロードワークが始まった。

 牛島が他の連中が遅いだけだと言えるだけのハイペースのロードワーク。しかし十分についていけるペースだと影山が考えていた時、脇にいた日向が突然大きく飛び跳ねて影山の前に躍り出た。

「ヤベー! なんかテンションあがる! ウエーイ!」
「落ち着けボゲが! 犬か! 初めての散歩か! アホが!」
「……」

 喋りながらというよりも言い争いをしながらロードワークに余裕でついてくる日向と影山に牛島は訝し気な視線を一度送ったが、ロードワークのペースは乱すことなくそのまま住宅街を走り抜けて鷲のオブジェが飾られている白鳥沢学園へと到着した。

「うおっおー! 広ーっ!」

 ホテルのような様相の大きな校舎や馬術部の練習風景、そしてバレー部専用のバス。目移りするものばかりで周囲を見ていたせいか途中で牛島を見失った二人はしばらく校内を走り回り、ようやく体育館に辿り着いて小窓から様子を窺った時には既に練習試合の為に対戦校と共にアップをしていた。

「練習試合? 相手は?」
「大学生じゃねーか?」
「大学!」

 日向の問いかけに相手校の選手の体格や表情から影山がそう予測すると日向は目を丸くしたが、影山は相手が大学生と予測を立てても相手に対して驚くことはなかった。

「県内には白鳥沢の相手になる高校はもう無えから、県外に行くか大学生相手にしか練習になんねえんだろうな」
「ジャパンめ……」
「遅かったな」
「!」

 強豪白鳥沢の現状に日向がぐぬぬと表情を顰めた時、二人の後方から牛島が声をかけてきた。中を覗くように屈んでいた腰を真っ先に上げた影山は牛島の背中を追い、彼と偶然会った時にかけた言葉と同じ言葉をかけた。

「俺は烏野高校の影山です。偵察しても良いですか」
「カゲヤマ……北川第一か」
「! ハイ。白鳥沢を受けて落ちました」
「――だろうな」
「!」

 牛島は影山の言葉を疑問に思うこともなく、ただ当たり前のことを当たり前のように肯定したように見えた。彼は中学の時の影山の試合を見たことがあると静かに話を続け、あの時の試合のことを思い返しながらゆっくりと影山へと顔を向ける。その目は妙な威圧感と迫力があった。

「俺に尽くせないセッターは、白鳥沢には要らない」
「! ……」
「ブハッ!」
「!」
「確かにお前、“尽くす”って感じじゃねーな!」
「あ!?」

 影山の普段の様子を知る日向が思わず笑えば影山が突っかかったが、それもまた普段通りの二人のやり取り。日向は一頻り影山のことを笑った後、不意に及川のことを思い出してそういえばと不思議そうに首を傾げた。

「でもそれだと“大王様”もだよな。県内最強セッターなのにな」
「及川さんは今関係ねえだろ!」
「……」

 日向の口から出た“大王様”が誰のことを指すのか牛島は最初分からなかったが、影山の口からそれが及川であることを知るとそういうことかと合点がいったように静かに目を細め、今ここにいない及川の姿を思い浮かべた。

「及川……奴は優秀な選手だ。白鳥沢に来るべきだった」
「!」
「……及川さんなら貴方に尽くすってことですか?」

 及川をそう評価しているとは思っていなかった影山がストレートに訊ねた。

「及川はどこであろうとそのチームの最大値を引き出すセッターだ」

 チームの最大値が低ければそれまで、高ければ高いだけ引き出す。

「それが奴の能力だ」
「……」
「能力……そういえば」
「?」

 烏野には、お前と同期の舞雛鶫がいたな。

「!」

 この流れで鶫の名前が出てくるのは予想外だった日向と影山が目を見開いたが、牛島は特に気にした様子もなくそのまま話を続ける。

「白鳥沢に来るように進言したが、結果的に来なかった」
「鶫にそんな話をしてたんスか」
「舞雛が中学二年の春季大会の時だ」
「……」

 そんな話鶫から一度も聞いてねえぞと影山は眉を寄せ、帰ったら早々にこのことを問いたださなくてはと心に決めた。

 横でピリピリし始めた影山に日向はビクリと一度だけ体を震わせたが、鶫のことになると妙に心配性になることを知っているのでまたこれかと口元を引き攣らせた。

「静かに全てを見通し、統括し先を見据え、相手を徹底的に叩き潰す指揮を取る軍師」
「……」
「その能力は、個人とチームの力を急激に引き上げる」

 謂わば、奇才。

「だからこそ此処に来るべきだった。俺とチームの為に尽くすことが舞雛にとっても良い経験となり糧になる。今でもコンタクトを取ろうと試みてはいるが、生憎機会がない。だがこのままあの才能をあの場で殺してしまうのは惜しい」
「……あの場?」

 “あの場”という言葉が烏野を指し示していることに直ぐ気付いた二人がどういう意味だと眉を寄せれば、牛島はここまで言わないと分からないのかと少しだけ息を吐く。そして自分と二人が地面に一度視線を落としてから、ゆっくりとその両手を広げた。

「優秀な苗にはそれに見合った土壌があるべきだ。痩せた土地に立派な実は実らない」

 牛島の視界には優秀なプレイヤーやサポーターを育てる為の肥沃な大地が映り、彼らの実力や才能は其処に実る果実や穀物の数々へと概念化されていく。

 しかしその言葉の意味をイマイチ理解できなかった日向が牛島の言葉を反芻して問いかけた。

「ヤセた土地? どういう意味ですか?」
「? 青葉城西は及川以外は弱い、烏野は舞雛の能力を生かせない場所――という意味だ」
「……弱い、生かせない」

 静かにそう呟いた日向の瞼の奥にコートで戦った青葉城西の面々がはっきりと呼び起こされ、何時も部活を共にしている健気で頑張り屋な鶫の姿は眩しいくらいの笑顔だった。

 その中の誰一人として弱く劣っているはずはない。プレイヤーではないとはいえ、鶫もまた真っすぐな目と意志でコートの外から戦っていたのを、日向はよく知っていた。

「――青城が“ヤセた土地”なら」

 おれたちはコンクリートか何かですかね。

「!」
「……」
「……」

 ピリッと肌を刺す威圧感が日向から迸ると牛島は一瞬怯み、何時も初対面の強そうな相手にはビビる日向だがこういう時には一歩も引かないことを知っている影山は“それ”に慣れているとはいえ少しだけ冷や汗を浮かべていた。

「何か気に障ったのなら謝るが、青葉城西に負け県内の決勝にも残れない者が何を言ってもどうとも思えん」
「……」

 牛島の正論に日向がぐっと息を飲んだ瞬間、体育館の方から大きくボールが弾かれる音がした。

 開け放たれたままだった正面出入口に背を向けていた牛島、そして正面に向かい合うようにして立っていた日向と影山の顔が跳んできたボールへと向けられる。 

「すまん、取ってくれー!」

 バレーではよくあることに対処する為、牛島がその場から跳び上がり目の前のボールへと手を伸ばす。大きな手がボールへと触れそうになった瞬間、牛島と向かい合っていたはずの日向が何時の間にか地面を踏み込んでいて、彼の前に回り込むと掬い上げるようにしてボールを受け止めた。

 先程まで自分の背後にいた日向があっという間に目の前に飛び出してきた上、自分のジャンプを超えボールを拾い上げたことに牛島は言葉を失くして地面へと着地する。同時に日向も地面に綺麗に着地しながらしっかりボールを両手で持ち、目の前に立つ牛島を静かに見上げた。

「コンクリート出身、日向翔陽です」
「……」
「あなたをブッ倒して全国へ行きます」

 日向と影山の背後にはコンクリートの地面。積み上げられた雑誌とバケツいっぱいのゴミと入りきらなかったゴミ袋が散乱したゴミ捨て場があり、そのゴミを漁る烏の群れが何羽も舞い上がる。対して牛島は青々とした草で覆われた肥沃な大地に木々が生い茂っていて、一羽の大きな鷲が広い翼を広げて舞い降りていた。

 三人の間にあるヒリヒリとした空気が頂点に達しようとした時、日向と影山に気付いた白鳥沢の教師が他校生が勝手に入っては駄目だよと声をかけてきたことでその緊張感は一気に開放された。

「中見せてくれてありがとうございました。失礼します」
「あの」
「?」
「及川さんが県内で最強のセッターなら」

 それを超えるの俺なんで。

「失礼します」
「……」

 日向に続いて頭を下げた影山も牛島に背中を向け、二人は白鳥沢の体育館を後にする。そんな二人の後ろ姿をその場で見つめていた牛島は彼らとの短いやり取りを思い返しながら、何時もならば気に留めようとしない他校の選手の顔を少しだけ思い返していた。

「――スタミナ・スピード・瞬発力・バネ・闘争心……」

 ヒナタショウヨウ、カゲヤマトビオ。



「――まあ、実際には白鳥沢に勝てない俺たちだけどな」
「どっちも倒せばカンケー無い」
「分かってんじゃねーか」
「だから東京に行く。強くなるには強えやつと沢山戦んのが一番だろ」

 その言葉は尤もだと影山は肯定するようにニヤリと笑い、不意に携帯がメールの着信を告げたことに気付くと携帯を開いてメールを確認した。メール自体は短文だったので確認するのには然程手間ではなかったが、その内容に驚いた影山は目を丸くして思わず携帯を両手で握り締めた。

「ハア!?」
「!?」
「何だってんだ!?」
「何なんだよ!」

 急に大声を出す意味が分からないと日向が声を上げる中、影山は凄い勢いでボタン操作をすると何処かに電話をかけ始める。メールを見て驚いたかと思えば次は電話かよと日向が渋い顔をしていたが、その理由は直ぐに分かることになる。

「おい、鶫!」
「え?」

 どうやらメールと電話の相手は鶫だったらしい。影山が何時も以上に動揺したり心配したりと“普段通り”でなくなる時はほぼ鶫関連のことが多い。今更ながら考えれば分かることだったが、驚きの方が勝ってしまった日向に先を考えることは難しかった。

『どうしたの、飛雄くん?』
「どうしたじゃねえ! お前真っ直ぐに家に帰ったんじゃねえのか!?」
『菅原先輩とお茶をして今帰ってきたってメールを――』
「そんなこと聞いてねえぞ!」

『そんなこと聞いてねえぞ!』
「だ、だって今言ったし……」

 帰宅してメールを入れた直後に電話がかかってくるとは思っていなかった鶫は少々驚かされたが、どうにも電話の向こう側の影山の様子がおかしいことに気付いた。
 
 具体的にどこがおかしいかと聞かれれば言葉にするのは難しいが、何となく“普段”の彼とは少しだけ違うように思えた。

「どうしたの、飛雄くん?」
『どうもこうも――ッチ。良いか、今度は出かける時も連絡入れろ! 良いな!』
「そんなに子どもじゃないから大丈夫だよ」
『子どもじゃねえから困ってんだろうがボゲェ!』
「ええ?」

 前と言っていることが違うと鶫が困惑しているが電話の向こうでは影山が何か悩むように唸っていて、しばらくすると日向聞いてんじゃねえと少し遠くから罵声が飛んだ。どうやら影山は日向と一緒にいるらしく、この電話に聞き耳を立てていた彼を叱っているのだろうと鶫は少し苦笑いをした。

『とにかく俺もこれから帰る。お前、おじさんとおばさんは』 
「何時も通り遅いって聞いてるけど……」
『分かった。一回家帰ったらお前の家行く。話してえことがある』

 じゃあなと言って電話を切った影山だが鶫はほとんど事情が分からないまま。向こうで何かあったのだろうかと不思議そうに首を傾げることしかできなかった。


 

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