03
菅原の言葉に日向が唸り始め、それを見た鶫はチャンスだと校舎の影から姿を見せた。それに気付いた菅原が手を振ると日向もこちらに振り返り、顔を輝かせた。
「あ、鶫ちゃん!」
「お疲れ様です」
「お疲れー。こんなところでどうしたの?」
菅原の言葉に鶫はひとつ頷くと持っていた紙パックジュースを二人に差し出す。それに日向は更に目を輝かせ、嬉しそうにそれを受け取った。
「日向くんと菅原先輩が練習をしているのを見かけたので」
「うわー、ありがとう!」
「俺の分まで……何だか悪いな」
「気にしないで下さい」
二人に紙パックのジュースを渡し終えた鶫は先程の会話を聞いていたことを黙っているのは気が引けたのでそのことを二人に打ち明ければ、二人は気にしていないと笑う。それにほっと鶫が胸を撫で下ろすと、菅原はそうだと言葉を漏らして日向に目を向ける。
「日向。舞雛にもレシーブ練、付き合ってもらったらどうだ?」
「えっ?」
「舞雛もバレーやってるんだよ。凄く上手いから上達もすると思うし……舞雛が良ければだけど」
「……はい、私で良ければ」
「本当に!?」
「でも今はサポーターが手元にないから、また今度ね」
それに嬉しそうに頷いた日向に対して菅原は何かを言いたげだったが、彼にパス練習の再開を求められたので特に何かを言うことはなかった。
「日向、正面!」
「ふぐっ!」
「ご、ごめんなさい!」
菅原のボールの強さやスピードを見てから始めた翌日のパス練習。鶫からのボールを受け止めきれなかった日向がそれを顔面で受けると彼女が小走りで駆け寄る。日向は顔を摩ってはいるが、それほど痛めてはいないようだった。
「いたた……」
「大丈夫?」
「うん、平気平気。それにしても鶫ちゃんってホントにバレー上手いね!」
ニッコリ笑う日向に鶫も表情を緩めると彼の体勢やボールの受け方にアドバイスをしてもう一度レシーブ練習を始める。それを脇で見ながら声を飛ばしている菅原の意識はほとんどそちらに向けられているものの、僅かに鶫へと向けられていた。
そして数日経った木曜日の早朝練習。何時ものようにレシーブ練習を始めた影山と日向。影山がボールを打つと、それは日向の腕に吸い込まれるように飛んで、彼はそのボールを上げた。
「日向くん凄い!」
「この強さのボール、この前までは取れなかったのに……」
「おいっ、手加減すんな!」
「! 上等だァ!」
日向の言葉に挑発された影山が返球されたボールを打つと共にその言葉を吐くと、それを見ていた鶫は大丈夫かと二人を交互に見つめる。ボールは落ちることなく二人の間を行き交い、軌道を描く。どうなるかとそれを見つめている鶫に、今来たらしい菅原が声をかけた。
「よース」
「おはようございます。菅原先輩」
「ん、おはよ。……って、あの二人何してんの?」
「少しパス練習を……」
「……それにしては激しいけど」
「ちょっと色々あって……」
言葉を濁した鶫の様子を見て何かを察した菅原は苦笑いをして納得すると、荷物を下ろしてマフラーを解いた。そのまま鶫の隣で二人のレシーブ練習を見ながら柔軟を始めた菅原は鶫に背中を押してもらう。
「くー……やっぱ寒いから体ガチガチだな」
「無理しないでゆっくり伸ばしてくださいね」
「うん、ありがと。……それにしてもあの二人、結構続いてんね」
言われてみればと鶫が顔を上げて時計へと視線を向ければ、今の時点で既に十分程は経過していた。
「え……これ、どのくらいやってるんスか」
「俺が来てからは十五分経ってる」
「連続っスか」
「うん」
ゲッと言葉を漏らしたのは早朝練習に僅かに遅れて合流した田中。鶫も作業をする手を止めて二人の様子を見守っていた。
「そろそろ限界だろ! もうこのくらいで――」
「まだっ、ボール、落としてない!」
「!」
途切れ途切れに呼吸をしている日向の顔はグシャグシャだったが、其処にはまだ意地が残っている。それに気付いた影山がムッと表情を変えて、ボールを打つ腕に力を込める。その瞬間、ボールは大きな軌道を描いて日向の後方へと飛んで行った。
「うわっ、影山性格悪っ!」
「!」
「日向の運動能力……中学ん時から凄いよな」
「――でも日向くんには運動能力とは別に、勝利にしがみつく力があると思います」
「ああ、そうだね。俺もそう思う」
恵まれた体格、優れた運動能力。そういうのとは別の、武器。
――苦しい。もう止まってしまいたい。
そう思った瞬間からの、一歩。
日向は大きく足を踏み出すとそのまま後方へと駆けて行き、滑り込むようにしてボールを上げた。普通なら上げられない程遠くまで飛んだボールだったが、それを上げた日向。以前では考えられない程の成長に影山は僅かに目を細めた。
「……」
「――飛雄くん?」
彼の些細な変化に気付いた鶫が彼の名前を溢すと同時に彼の腕は天井へと向けられて、柔らかに肘で衝撃を緩和すると――そのままボールを上げた。
「トス!?」
「影山がトスを上げた……!」
「でも……」
田中と菅原が驚いている傍らで鶫は日向へと顔を向ける。息を切らしている日向がスパイクを打てるかギリギリだと心配していたものの、それは杞憂に終わった。日向はトスが上がった事を確認すると目を輝かせ、その場から床を蹴り飛び上がる。そしてその腕と手はボールを捉え、反対側のネットへとそれを沈ませた。
「ひー。相変わらずよく飛ぶなあ」
「あんな状態から打ちやがった。しかも、あんなに嬉しそうに」
「……凄い」
私も昔はあんな風に跳ぶことができた。
今はもうないものを強請っても仕方のないけど、でも純粋に羨ましいと思う。
「――セッターからのトスが上がるっていう俺たちにはごく普通のことが、日向にとっては特別なことなんだろうな」
――友達でも本当のチームメイトになれる訳じゃなかったから。
その言葉を思い出した鶫が菅原から日向へと視線を移すと、彼は床に手をついて息を切らしている。もう限界らしく汗やら涎やらを垂らしている日向に影山は歩み寄ると、目の前で足を止めた。
「……おい」
「?」
「土曜日、勝つぞ」
最強の敵だったなら。今度は最強の味方。
日向は目の前に居る影山をじっと見つめていたがその視線に耐え切れなくなった彼が背中を向けると、慌てて声をかけた。
「あっ! っ……あたっ、当たり前――ど、うおえっ……!」
「!?」
「日向くん!?」
影山に返答しようとしたがとうとう限界がきたらしい日向が床に嘔吐して、影山は反射的に後ろへと飛び退いた。菅原の声で水を手に取った田中が駆け寄り、その間に鶫は慌ててバケツと雑巾を取りに掃除用具入れへ向かう。掃除用具入れから目的のバケツと雑巾を手にした鶫は少しだけ緩和した日向と影山の関係にふっと表情を緩め、未だにぎゃいぎゃいと騒ぐ彼らの声を背中に水道へと急いだ。