03
放たれたボールは宙に飛んで真っ直ぐに軌道を描く。それを受けようとした日向の体は前へと華麗に突っ込むと、何とも情けない声を上げて体育館の床へダイブした。
「ボエーッ!」
「オイ、足止まってんぞ! 昨日のサーブレシーブの反応何処行った! もっと集中しろ!」
「うう……ずっとパスだけ……時間なくなっちゃうじゃんか! スパイクもジャンプもしたい!」
「そこらで跳ねてろ!」
「おい、お前ら!」
口喧嘩を始めた日向と影山に鶫が駆け寄るよりも早く田中の声が飛び、それにピタリと喧嘩を止めた二人が彼の方へと顔を向ける。
「……ひとつ言っておく。大地さんは普段優しいけど、怒ると凄く怖い。すごくだ」
「? 知ってます」
「この早朝練がバレたらヤバい。俺がヤバい。……別にビビってるとかじゃねえぞ。全然、全く全然」
「……」
「けどとにかく、この早朝練を知ってるのは俺たちだけだから、くれぐれも――」
「おー! やっぱ早朝練かあ」
「!」
田中が神妙な顔つきでその話をしていた時、体育館の入口方向から声がかけられ、四人はビクリと肩を震わせてそちらへと顔を向ける。引き攣った顔をした四人の視線の先にはシューズを片手に微笑み、くせ毛を揺らす一人の部員が立っていた。
「おーす」
「す、スガさん!? 何で……!」
「だってお前、昨日明らかに変だったじゃん。何時も遅刻ギリギリのくせに鍵の管理申し出ちゃったりしてさあ」
「えっ、あっ、くっ……!」
「あの、田中先輩は悪くありません!」
「ああ、大丈夫大丈夫。大地には言わないよ。なーんか秘密特訓みたいでワクワクすんねー」
鶫が庇おうとしたがそれは杞憂に終わり菅原は楽しげに笑ってマフラーを解くと、そう言ってアップを始めた。それを見た四人はほっと胸を撫で下ろすと、鶫は菅原の後ろ姿をじっと見つめた。
「……確かセッターだったよね」
どんなボールを出して、どんな風に司令塔の役割を果たすのか……ちょっと気になるかも。
「ラッシャアアアイ!」
影山のトスを受けてスパイクを打つ田中と、そのボールを拾う鶫。その傍らでは菅原に手伝ってもらいパスの練習をする日向がそれを羨ましそうに見つめて、ボールを頭で受けた。菅原に余所見をするなと声をかけられたが、日向の意識は既に影山へ行っていた。
「おれもスパイク打ちたい! おれにもトス上げてくれよ!」
「ひ、日向くん……」
「だって鶫ちゃん、影山はトスが好きなんでしょ? だったらおれにも上げてくれよ! 一本だけ! 試しに一本! なっ!?」
「……」
必死に頼み込む日向を止めるのも気が引けた鶫はどうするのかと影山へ視線を向ける。それに気付いているのかいないのか、影山は眉を寄せて目を細めた。
「……嫌だ」
「やっぱり……」
その言葉に鶫が声を漏らしたのと同様に周囲に居た菅原や田中も目を丸くして、どういうことだと口を開けている。影山に心底嫌そうな顔をさせるまでの威力がその言葉にあるとは思えなかったが、鶫だけは彼の心境を察したのか微妙な表情を浮かべている。
「何だよ、ケチか!?」
「そーだそーだ」
「レシーブあってのトスと攻撃だ。それがグズグズのくせに偉そうに言うな」
「飛雄くん、それは言い過ぎ――」
「土曜の三対三でもトスは極力田中さんに集める。攻撃は田中さんに任せて、お前は足を引っ張らない努力をしろよ」
「! ……おれが満足にレシーブ出来るようになったら、お前はおれにもトス上げんのか」
ピリピリとした空気に鶫が怯んで二人の顔を交互に見つめている間にも、その話はどんどん進んで行く。
「勝ちに必要な奴になら誰にだってトスは上げる。試合中、止むを得ずにお前に上げることもあるかもな」
――でも、今のお前が「勝ち」に必要だとは思わない。
そう言い切った影山はレシーブは簡単に上達はしないと続け、七時前に差し掛かった時計を見て片付けをすると言ってその話を切り上げた。それを見ていた菅原や田中は何か言いたげに話をしているものの、それが直接影山の耳に入れようとはしていない。
鶫は持っていたボールを抱えたまま影山に駆け寄ると、それに気付いた彼は片付けの手を止めないまま意識を彼女へと向けた。
「どうした?」
「……あのね、勝ちに必要って話なんだけど」
「ああ、さっきのか。それがどうした?」
「それって……チームを勝たせる為?」
「そうだ。――勝たねえと、お前をデケェ体育館に連れて行けねえだろ」
影山の言葉に鶫は僅かに顔を伏せるとボールを持つ手に力を込めた。黙ってしまった鶫の様子に影山が手を止めてどうしたのかと問いかけてくると彼女は僅かに首を横に振って、ボールを片付ける為に籠がある場所へ小走りで駆けて行く。
「……飛雄くん」
……チームを勝たせる為。それなら尚更、チームメイトを見ないといけない。飛雄くんにそれを教えるのはとても簡単なことだけど、それを一から全部教えたら意味がない。……早く、早くそのことに気付いて。
昼休みの教室。目の前に広げられているノートにはバレー関係の図と文が書き込まれていて、それを見ながら鶫は困ったように唸っていたがしばらくしてそれをゆっくりと閉じた。その様子を見ていたらしい月島が椅子を横にして彼女の方へ体を向ける。
「さっきから何唸ってるの」
「え? あ、ごめんなさい。煩かった?」
「別に。それでどうしたのか聞いてるんだけど」
月島の問いかけに鶫は困ったように微笑むと、持っていたペンを置いて月島へと顔を向ける。
「ちょっと部活のことというか……友達のことで」
「ふーん」
「……どうしたら、もっと周りを見られるようになるのかな」
「……」
「ごめんね急に。少し外に出て来るから」
「ちゃんと帰ってきなよ」
小さく呟いた鶫の言葉に月島が訝しげに目を細めたがそれを知らない鶫は気分転換にと廊下へ出て、そのまま校舎を宛てもなく歩き始める。
影山と日向、この二人が上手く連携出来れば烏野は爆発的に進化する。その澤村の言葉は鶫も尤もだと思った。しかしそれにはきっかけが少な過ぎる。
「本当に、どうしたら良いのかな……」
どうしたら良いか答えが出ないまま鶫がため息をついて窓の方へ顔を向けた時、ちょうどその下に日向と菅原の姿が見えた。体育館でしているパス練習、それを見た鶫は慌てて階段を下りると手近にあった自販機で紙パックのジュースを二本買って靴を履き替えた。
「明日の朝から俺がトス上げたろーか?」
「ほっ、本当にですか!?」
「俺、これでも烏野の正セッターだぞ。スパイクの練習したいんだろ?」
「あっ、はい! おれスパイク大好きで……! 決まると気持ち良いし何より格好良いし!」
日向の嬉しそうな声に誘われるように足を進めていた鶫だったが、その足は続けられた言葉によってほんの僅かな距離で止まった。
「……でも、中学の時はセッターどころか三年になるまで部員がいなくて。何時もバスケ部の友達に上げてもらってました。一年生とかママさんとか女子のセッターとか、色んな人に上げてもらったけど――」
「……」
「どんなに仲が良くて友達でも、本当のチームメイトになれる訳じゃなかったから……」
日向の声に鶫は校舎の影で僅かに顔を伏せた。持っていた紙パックのジュースの角が僅かにへこんだが、それ以上形を変えることなく彼女の手に留まった。
「だから高校行ったらどんなセッターがいんのかなって……期待して、来たんですけど……」
「だから俺もセッターだってば。上げてやるって」
「! ……いや、でも此処で菅原さんに上げてもらったら……何かま、負けた気がするっていうか」
日向の言い分が分かるような気がした鶫は少し笑ってようやく顔を上げると、菅原はそれにため息をついて困ったように笑う。
「日向は何でそんなに影山に張り合うの? 俺なら出来るだけ強い奴とは争いたくないけどなあ」
「……中学の試合、影山は何やっても上手くて、背もおれよりずっとデカくて。とにかく強くて――目の前に立たれるの、スッゲー嫌でした」
「……分かる気がする」
菅原の言葉に鶫も共感して小さく頷いていると、そっと頭を撫でるように手を置かれて驚いた。しかしそれをする人物が一人しか居ないことを知っていたので鶫はそのまま後ろを振り向く。
「飛雄くん」
「よう。此処で何してんだ」
「えと、ちょっと……」
鶫に声をかけた影山が自販機にお金を入れながら問いかけてきたが、それは説明が難しい。鶫がどうしようかと思っている間にも、日向と菅原の会話は進んで行く。
「だからその影山を倒してやろうと思って烏野に来たんですけど……」
「ふーん……じゃあ日向はさ、影山を倒したくてバレーやるの?」
その菅原の声が耳に届いたらしい影山が鶫へと視線を向けると、彼女が曖昧な返事をした理由を察して小さくため息をついた。黙っていたことに鶫が申し訳なさそうな顔をすると影山は然程気にしていないのか彼女の頭を撫でて、自販機から出て来た紙パックのジュースにストローを差して、それに口をつける。
「えーっと……」
「影山を倒せるくらい強くなりたいんです。そうすればきっと、色んな強い相手とも互角に戦えるし、試合で負けたりしない」
おれ、もう負けたくないんです。
その日向の言葉に影山は僅かに眉を寄せると、何も言わず鶫の頭を撫でてその場から背中を向けた。それを追おうか鶫は迷ったが影山が後ろ手に手を振ったので追いかけるのを止め、その場に残る。
「ふーん。つまり今のところで、日向の中で同年代で同性の最強の位置づけにあるのが影山ってことか」
「えっ! いっ……は、んいい……」
意地でもそれを肯定したくない日向に菅原は苦笑いを溢すとふっと笑って目を細める。
「最強の敵だったならさ、今度は最強の味方じゃん」