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次のセットに向けて烏野の面々は各々の練習をしている中、烏養は成田と日向に声をかけ、交替するように指示を出す。何かあったのかと影山と田中は首を傾げていたが、烏養に呼び出された日向は彼の顔を見上げてどうかしたのかと首捻った。
「――お前と影山の“変人速攻”は今のままでも十分凄えと思う」
「?」
「でもお前と舞雛の言うように、あの速攻がまだ進化するなら」
俺はそれを見てみたいと思う。
「!」
「まあ、何をどうすりゃ良いかとか全然分かんねえけど!」
取り敢えず今までの打たされている感覚を捨てることが最優先なので今日は日向の出番がないことを烏養が伝えれば、日向はかなりショックを受けながらも素直に引き下がる。
烏養と日向の会話を聞いていた影山は静かに彼らからコートへと視線を移し、鶫はそんな彼の様子を窺いながら、今まで静かに持ち歩いていただけのノートを抱えて烏養に声をかけてそれをそっと差し出した。
「ノート?」
「今後、烏養さんが“気付いた時”に開けて下さい」
「“気付いた時”?」
「皆さんのプレーに役立つはずです」
「え? あ、舞雛!」
ノートを押し付けた鶫はにっこり笑うとそのままマネージャーの仕事に戻っていき、そんな鶫の言葉の本質が分からないままノートを手にした烏養は少々困ったような顔をしたものの、妙に存在感があるそのノートを静かに見つめた。
「ねえねえ鶫ちゃんは誰が好きなの!?」
「え?」
昼食を摂り終え午後の練習の準備を手分けして整えている時、生川高校のマネージャー、宮ノ下がそう声をかけてきた。鶫は突然のことに目を丸くしているが一緒に居た谷地は慌ててその輪に加わり、彼女と同じような目で鶫を見つめる。
「そろそろ白状しちゃいなよー。昨日の夜に送ってきてくれた夜久さん? それとも――」
「あ、あの私は特にそういうのは……」
「 あっ、それとももう彼氏がいるとか!?」
「いませんけど……」
「それならどうなの?」
「ええと……」
この手の話題はあまり得意ではない鶫は答えに迷っていると、視界に飛び込んできた空のボトルケースを言い訳に使いその場を離れることにした。逃げられちゃったと宮ノ下は残念そうにしていたが、鶫の性格を知る谷地は何とも言えない表情をしていて、聞けたら良かったなあとぼんやり考えていた。
空のボトルケースを両手に逃げて来た鶫は手近な場所でドリンクの準備を始め、手慣れた様子でひとつまたひとつとドリンクを作る間で先程宮ノ下に聞かれたことを思い出していた。
「……好きな人、か」
そんなこと、考えたことなかった。
ぼんやりとそんなことを考えていた鶫だが、ポケットに入れていた携帯がメールの着信を知らせて震えたことで思考はそちらへと向けられる。烏養や武田を始め他の監督やコーチからの電話連絡があった時のために何時も携帯していたが、メールの相手はこの合宿に参加していない及川からだった。
「……及川先輩?」
やっほー、鶫ちゃん。IH以来だけど元気にしてる?
ちょっと日は近いんだけど、今週の月曜日に暇してたら息抜きがてら何処かに出かけない?
「……月曜日、か」
「何が月曜日なの?」
「!」
急にかけられた声に驚いて思わず携帯を取り落しそうになったが鶫は慌ててそれを握り直し、声のした方へ顔を向ければ其処には訝し気な顔をした月島が立っていた。
「何、どうかしたの」
「ううん、別に。月島くんこそどうしたの?」
「食堂が煩いから出て行こうとした時に、偶然舞雛の姿が見えたから声かけただけ」
「そ、そう……」
「両手にいっぱいドリンクケース持ってたから。どうせ何も考えないで出てきたんでしょ」
「え?」
「それ、持ち切れるの?」
確かに空のボトルがいっぱいになりケースに入れれば当然重くなる。この程度の重さなら普段でのマネージャー業で慣れている鶫はこれくらい大丈夫だよと微笑んだが、月島はその答えに納得いかないのかピクリと眉を上げて、彼女の傍にあったケースを二つ共持ち上げた。
「!」
「手伝ってあげるって言ってんの。ほら、行くよ」
「ちょっと月島くん……!」
「走ると転ぶよ」
口は悪いが歩く速度を鶫に合わせて緩めた月島。鶫はそれに気付かないまま彼の隣を歩きつつ自分が持つと抗議したが、月島はどこ吹く風で彼女の抗議をものともしない。
その二人が通過した廊下の交わる場所で偶然影山が鶫の声に気が付いて顔を向け、彼女の隣を歩く月島の姿を見るとぐっと眉根を寄せた。鶫と月島は影山から遠い場所にいた為に彼に気付くことなくそのままその場を後にしてしまったが、影山は長い髪を揺らす鶫と並んで歩く月島の涼し気な表情が妙に目に残っていた。
「……何だ」
スゲエ苛々する。ただ隣に並んで歩いてただけのアイツに。
「つーか今更だけど、そっちも三年全員残ったんだな」
「おお」
昼食後の食堂。食休みを兼ねて休憩をしている多くの部員たちの中に澤村と黒尾の姿があった。お互いにバレー部の部長の二人が何かしらのタイミングで顔を揃えているのは珍しいことではなく、珍しがるように彼らの会話に耳を傾けている者はいなかった。
「そっちは二日目に去年の優勝校と当たったんだろ、IH予選。日向伝いに聞いた」
「ああ。ベスト8止まりだ」
「東京都のベスト8とかすげえな」
「勝ち残んなきゃ意味無えよ」
「――そうだな」
都内ベスト8。他者からすれば誇らしい順位だが、それは全国大会への切符をできない枠。あくまで目標は全国制覇だと真っ直ぐな目をした黒尾に澤村もまたひとつ頷いた時、宮ノ下が午後始めますと食堂にいる部員たちを呼びに来た。
間もなく始められた午後の練習では午前中に引き続き日向に出番はなく、代わりに控えメンバーである二年の縁下を中心にチームが組まれていた。時折声を飛ばし指示をしながら練習試合を見ていた烏養が隣に座る鶫へさり気なく視線を向けたが、彼女は不思議なほどに普段通りの様子だった。
「……」
「……」
――“何時も通り”すぎて逆に怖いな。
やや冷や汗をかきながら鶫から視線を逸らした烏養は、彼女から押し付けられるように手渡されたノートの存在を思い返す。何時もデータをまとめている物とはまた別のノート、あるひと言と共に手渡されたそれは烏養の傍にずっと置かれていた。
「……」
日向のこと影山のこと、チームメイトのことチームのこと。アイツらの成長の余地と導く術を、恐らく舞雛は知っている。そしてその答えは、このノートに書かれているんだろう。
全てを分かっているのなら提示すれば話は早い。でもそれをしない理由は恐らく、アイツらの心境が変わらなければ意味がないと考えているからだ。まあ、俺をコーチとして立てている部分もあるんだろうが……大半の理由はプレイヤーの気持ちの方。
「――足りないモノを補うのも、ひと苦労ってことだな」
先が視えすぎるのも苦労する。ただ提示すれば良いってモンじゃない。他者の働きかけではどうにもならない、本人の気持ちが動かなければ意味を成さないこともある。
だがその答えに本人が一歩踏み込めば、舞雛の軍師としての才能が生きる時だ。
「ありがとうございましたー!」
「したー!」
「次は再来週……夏休み最後の合宿だな」
「ハイ! 宜しくお願いします!」
ここからが本番だな。
「春高予選前、最初で最後の長期合宿だ」
「……ハイ」
「一週間毎晩飲みに付き合ってもらうからなー」
「ハイッ!」
練習メニューを消化し後片付けも終えた面々が顔を揃える中で、烏養と武田に猫又はそう言いながら声を弾ませる。最初で最後、同じメンバーで出来る長期のしのぎの削り合い。
さてどうなることかと鶫が烏野の面々――主に日向と影山に目を向けていると、騒がしい輪を抜けてきた赤葦が彼女に声をかけてきた。
「舞雛さん」
「赤葦先輩?」
「少し時間をもらっても良いですか」
「はい、何でしょうか」
赤葦に声をかけられるとは思っていなかった鶫は一瞬目を丸くしたが、合宿中に全く話をしていない間柄でもないので特に訝しがることもなく彼の話に耳を傾ける。すると赤葦はジャージのポケットから半分に折り畳んだメモ用紙を取り出して、何の用かと首を傾げている鶫へとそれを差し出した。
「これ、俺の連絡先です」
「えっ?」
「電話番号とメールアドレスと、あともし無料の連絡アプリを使っていたらそのIDも」
「え、あの」
あっさりと連絡先を渡してきた赤葦とどういうことかと首を傾げる鶫の会話が偶々耳に届いた影山が二人の方へ勢いよく顔を向け、相変わらず鶫に対して過保護な影山の様子に谷地は苦笑いを溢した。
「二日間の合宿では時間がなくて少し話し足りなかったので」
「ええと……」
「貴女に色々話を聞きたくて。連絡待ってます」
「分かりました。電話の方が良いですか?」
「どちらでも。舞雛さんの都合の良い方で。気を付けて帰って下さい。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
最初こそ戸惑っていた鶫だがバレーのことで話がしたいのかもしれないと自己完結すると彼の連絡先を受け取り、帰りますよという武田の声に慌てて赤葦に頭を下げて車に乗り込む。赤葦と鶫のやり取りを見ていた影山は眉を寄せて短くを息を吐き自分の荷物を肩にかけてから此処まで送ってくれた冴子に頭を下げたが、日向との間に会話はなかった。
烏野高校に向けて発車した車は高速に乗り、夕暮れの空を仰ぎ見ながら東京を後にする。何時も通り鶫の隣に腰を下ろした影山はしばらく黙っていたが、鶫が先程赤葦から受け取った連絡先を携帯に登録しているのを見てようやく口を開いた。
「……おい、鶫」
「うん?」
東京遠征を終えて疲れた部員たちを乗せた車内はとても静かで、そのほとんどはシートに体を預けて眠っている。その静けさの中で何時もより声量を抑えて声をかけられた鶫が隣に座る影山へ顔を向ければ、彼は眉を寄せて複雑そうな表情を浮かべていた。
「お前、連絡すんのか」
「え?」
「梟谷のセッターに連絡先受け取ってただろ」
「赤葦先輩のこと?」
「そうだ」
鶫の口から赤葦の名前が出ると影山は更に眉間に皺を寄せたが、鶫は彼の複雑そうな表情に内心で首を傾げながらもその問いかけにひとつ首肯した。
「多分バレーの話だと思うし、それに折角なら梟谷の練習メニューも聞けたら良いかなって」
「……」
「飛雄くん?」
「……他の奴にフラフラついていくなよ」
「え?」
たったひと言だがどこか重く感じた言葉に思わず鶫が聞き返すと影山は一度ぐっと唇を締め、それから不思議そうな顔をしている彼女の前髪を骨ばった指先でそっと払い除ける。
「心配かけんな」
お前のことは俺が守ってやる。
あの“約束”もあの“夢”も絶対に叶えてやる。
だから。
「飛雄くん……?」
「!」
「急にどうしたの?」
「な、なんでもねえ!」
「ええ?」
「向こう着くまで時間かかるから寝てろ」
「え、ええ? ……もう、何だったの」
急に何か言い出したかと思えば言葉の意味ははぐらかされ、最後には寝ろと押し切られた鶫は仕方なくシートに背中を預けてそっと目を閉じた。
しばらくして部員たちの騒がしい寝息の中に鶫の静かな寝息が混ざり始めると影山はそっと息を吐き、隣で穏やかな寝息を立てる幼なじみの少女に二度目のため息をついた。