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東京の夕焼けを背にして高速を走り続けること数時間。空はすっかり暗くなり星が明るい夜空が広がる時間に烏野高校に到着し、全員がバスから降りて荷物を降ろしたところで武田が全員の前で解散前の伝達事項を改めて部員たちに話して聞かせた。
「ハイ! 皆さんお疲れ様でした!」
「した!」
「で、明日はお伝えしていた通り、体育館に点検作業が入るので部活はお休みです。まあIH予選以降休みなしでしたので、ゆっくり休んでください」
伝達事項が話し終わると早々に挨拶をして現地解散になり、それぞれが帰路につき始める。武田と烏養に明後日から始まる部活について話を終えてから影山と一緒に帰ろうと鶫が彼の姿を探していると、騒がしい人波の中で影山に歩み寄る日向の姿を捉えた。
「……影山。トス、上げてくれよ」
「……」
日向の声に影山はしばらく黙っていたが鶫に一度視線を送ると体育館の方へと歩いていき、日向の後に続くようにして鶫も第二体育館へ足を踏み入れた。鶫が倉庫にボールを取りに行く間も日向と影山の間には会話がなく、ネットを張り終えたところで第二体育館の明かりに気付いた谷地がドアの隙間から顔を覗かせた。
「あれ、三人はまだ帰らないの?」
「谷地さん。良かったらちょっとだけボール出ししてくれない?」
「えっ、私にできる!?」
「影山の頭上に山なりにボール投げるだけ。ボール拾いは慣れてないと流れ玉に当たるからそっちは鶫ちゃんに頼みたいんだけど」
「う、うす! やってみる!」
「……」
日向の頼みで第二体育館に足を踏み入れた谷地は鶫からボール出しのコツを教わり、手にボールを馴染ませながら多分できそうだと頷いた。そんなに難しくないからと鶫は谷地の肩を軽く叩いて三人とは反対側のコートに回り、ボールを拾い上げるために静かに重心を落とす。
どこかピリピリとした空気の中、慣れないながらも谷地は教えられた通りにボールを山なりに上げ、そのボールを受けた影山は日向の位置を確認し何時も通りにトスを上げる。しかし日向がボールに気を取られていてジャンプが何時もの最高地点に達していない為、ボールは彼の手を掠めてコートに落下した。
「……」
――ほんの少しのズレは致命的なズレ
「もう一回!」
「……」
もう一回もう一回と何度も繰り返されたスパイク練習。鶫の元にボールが届くのは稀で、ボールのほとんどが日向側のコートへと落下し、足元にはスパイクしきれなかったボールが点々と転がっている。しかし諦めることなくもう一回と叫んだ日向に、影山は眉を顰めて腕を下ろして短く息を吐いた。
「この出来るか分からねえ攻撃を繰り返すより、今までの攻撃とかサーブとかブロックとか、他にやること山程あんだろうが!」
「――でもおれは、この速攻が通用しなきゃコートに居る意味が無くなる……!」
「だからこの速攻にお前の意志は必要無いって言ったんだ! 俺がブロックに捕まんないトスを上げてやる!」
「それじゃあおれは上手くなれないままだ!」
「!」
「……」
何時までも飛雄くんに引っ張られたままでは上手くなれない、チームとしてだけではなく個人としても上手くなれない。日向くんの考え方は至極尤もで正しい答え。それでも他人は、飛雄くんが言うように今足りないものを補うことも大切なことだと言う。それが現状を維持してチームを崩壊させない最善の手段だから。
――でも、私はそうは思わない。
「……春高の一次予選は来月だ。直ぐそこだ。そん時武器になんのは完成された速攻と現時点で全く使えない速攻どっちだよ!? あ!?」
「けっ、喧嘩だめだよ……!」
「……」
“おれは上手くなれないままだ”といいう日向の言葉に思うところがあった影山は一瞬だけ息を飲んだが、直ぐに日向の胸倉を掴んで自分の意見が正しいと言い返す。谷地は日向と影山の喧嘩を止めようと声をかけていたが鶫はそれに反して冷静に二人の様子を彼らの傍で足を止めて様子を見ていた。
「……っ」
――くそ! 俺の言ってることの方が正しい筈なのになんで……!
「……」
「……っ」
何でコイツは喰い下がる!?
「おれは自分で戦える強さが欲しい!」
「てめえの我が儘でチームのバランスが崩れんだろが!」
「な、仲良くしよ……ね……!?」
「……」
ただ静かに自分の意見を真っ直ぐにぶつけてくる日向と、正論を言っているはずなのにどこか彼に押されている影山。二人はしばらく睨み合っていたが、影山が日向の胸倉を掴んでいた手で彼を突き飛ばし、日向はその反動で体育館の床に尻餅をついた。
「……“勝ちに必要な奴になら誰にだってトスは上げる”」
「でも今のお前が“勝ち”に必要だとは思わない」
「今も変わり無えからな」
「っか、げやまああああああ」
「!?」
「くっそが放せ!」
「トス上げてくれるまで放さない!」
「……はあ」
ある意味言ってはいけないワードに触れた影山に鶫が嫌な予感を覚えた瞬間、飛び出すように床から立ち上がった日向が影山に飛びつき体にしがみつく。その光景に鶫は此処までかなと言うようにため息をひとつつき、隣でオロオロとしている谷地に顔を向けた。
「仁花ちゃん」
「鶫ちゃん、ど、どうしよ……!」
「誰でも良いからバレー部の人を呼んできて。できればこの二人を力尽くでも止められそうな人」
「わ、分かった……!」
急いで誰か連れて来ると慌てて谷地が体育館から出て行くのを見送った鶫は、自分の目の前で殴り合いとまではいかなくとも掴み合いの喧嘩をしている二人の様子を静かに見ていた。大事になれば一発スパイクを当てて黙らせようかとも思っていたが、予想よりも早く谷地が田中を連れて戻ってきたのでそこまでは至らなかった。
事情を察した田中は両手を突き出すようにして止めなさーいと声を上げて二人の頬に拳をめり込ませ、強制的に二人の喧嘩を止めることに成功した。
「お前らなあ……」
「田中先輩」
「鶫ちゃ――おわっ!?」
其処には何時も通りの様子の鶫がいたが静かに立腹している空気が滲み出ていて、喧嘩の当事者である日向と影山は勿論、思わず田中と谷地もその威圧感に口を噤んだ。
「田中先輩、お手数をおかけしました」
「あ、いや大丈夫だけど……あー」
「ゆっくり休んで下さい。お疲れ様でした」
「お、お疲れ……」
お手数をおかけしましたと再度田中に言って頭を下げ、体育館の外へ彼の姿が消えるのを見送った鶫は床に転がったままの日向と影山に目を向けた。先程と変わらず静かに怒っている鶫の様子にビクリと体を震わせた日向と影山だが、この場に彼らを助けてくれる人物は誰一人として存在しない。
今まで彼女が怒ったところを見たことがない日向はヒイと声にならない悲鳴を上げていたが、しばらくすると鶫はふうと大きく息を吐いた。
「……怪我は?」
「えっ?」
「怪我、見せて。仁花ちゃん、悪いけど救急セットを持ってきてもらえる?」
「わ、分かった!」
谷地が救急セットを取りに行くすれ違いざまに鶫は二人の前に膝をつき、呆然としている日向と影山の目の前で二人の怪我を凡そ視診する。殴り合いをしていないのは終始事情を見ていたことで知っているので、何かの拍子に手や足を捻っていなければ軽い打撲や擦り傷しかないことが見て取れた。
「腕や足は痛めてない?」
「な、ない」
「飛雄くんは?」
「ねえ、けど……」
「そう、良かった」
「鶫ちゃん、持ってきた!」
「ありがとう。日向くんの手当てをお願いできる? 何かあれば私に声をかけてね」
「うん!」
救急箱を挟んで鶫は影山を、谷地は日向の手当てを始める。テープを切る音や消毒液が滲みて漏らす声だけが響く第二体育館は何時もより静かだったが、先程の喧嘩の空気の重さは緩和されることはなかった。
手当てと片付けが終わってからも会話らしい会話がないまま日向と影山はそれぞれの帰り道に爪先を向け、影山は鶫と何時もの帰り道を進んだが、日向は谷地を近くのバス停まで送り届ける為に自転車を押して彼女の少し前を歩く。カラカラと乾いた音だけが響く静かな商店街をしばらく歩くと谷地は足を止め、自分から見て右手側を指差した。
「わ、私直ぐそこのバス停だから此処で大丈夫! ありがとう!」
「谷地さんごめんね」
「いっ!? いいよ、そんな! 良いよ、私は何でもないよ……」
――でも、日向が
「――おれ、中学の最初で最後の大会で影山にボロ負けしてさ。その場には影山と同じ学校のマネージャーで鶫ちゃんも居て。リベンジ誓って高校来たら影山本人居るし予想以上に感じ悪いしで散々だったけど」
「……」
「試合になると考えてることが解るっていうか――」
初めて「友達」じゃなく「相棒」が出来た気がしてたんだ
「……」
「――じゃあまたね!」
「……うん」
谷地の瞳にはじわりと涙が浮かび、彼女と別れた日向は何時も以上にペダルを踏みしめて自転車を走らせる。普段なら真っ直ぐに前を向いている顔は、終始何かを堪えるように歯を噛みしめて伏せられていた。
「――なあ、鶫」
「……」
「鶫」
日向と谷地が別れた一方で、何時もの帰り道を歩いている影山は先程怒らせてしまった鶫の様子を窺いながら声をかける。鶫とは長い付き合いの影山だが彼自身も彼女をあれほど怒らせたことや怒っている様子は早々見たことがなく、静かに向けられた鶫の顔や雰囲気に先程までの怒りが滲んでいないことにほっと胸を撫で下ろしつつも申し訳なさそうな顔をした。
「……悪い、手間かけさせた」
「うん、そうね」
「!」
「でももう良いの。男の子にはああいうぶつかり合いが必要だって聞いたことがあるし」
「……誰だよ、それ」
「岩泉先輩」
「!」
「あとは私の勝手な考えもあるけど」
言葉だけで伝わらないことは、この世界に沢山あるから。
「!」
「でもやり過ぎは良くないけどね」
「……」
先程のような喧嘩をすれば次は怒ると暗に伝えられた影山は静かに冷や汗を流したが、鶫はそうそう怒らないけどねと笑い、肩にかけていた鞄の紐をかけ直すと星が輝く空を見上げた。
「とにかく、飛雄くんはもう少し柔軟な考え方を持ってね」
それから、セッターの最大限の仕事は何かをきちんと理解すること。
「!」
「それは飛雄くんへの“宿題”です」
「はあ!?」
にっこり微笑んだ鶫が口にした言葉に影山が驚きとショックで思わず足を止めて口元を引き攣らせれば、彼女はその反応を見てまたにっこり微笑み彼の脇を通り過ぎて歩いていく。小柄な姿が自分の先を歩き出し自宅に入りかけたのを見てはっと我に返った影山は慌ててその背中を追いかけて鶫の前に回り込み、鶫は目の前に立った影山を見て足を止めた。
「おい、どういうことだ!?」
「言葉のまま」
「……マジか」
「飛雄くんは私より強くなってくれるんでしょ?」
「当たり前だろ!」
「それなら、それくらいの宿題はきちんと熟してもらわないとね」
「うっ……」
「ふふ」
だから頑張ってねと何時も通りに笑う鶫に影山は複雑な思いになりながらも、彼女の言うことは一理あるので反論はできず渋い表情を浮かべる。
「大丈夫」
「?」
「今の飛雄くんならきっとできるから」
私、飛雄くんのこと、信じてる。
「!」
「それじゃあまた明日。おやすみなさい」
「お、おう。おやすみ……」
目の前に立ちふさがっていた影山の脇をすり抜けて自宅の門を開けた鶫は小さく手を振って玄関の向こうへ姿を消し、影山は鶫が姿を消したドアをしばらくぼんやりと見つめた後、その場にしゃがみこんで頭をぐしゃぐしゃと掻きながら大きく息を吐いた。
「……はあ」
ああもう、どうすれば良いんだよ。
「本当に、俺は馬鹿だ」
アイツの顔と行動ひとつひとつに、こんなにも振り回されてる。
それが嫌じゃねえんだから相当アイツのことが――。
「……帰るか」
何時までも此処で座り込んでいたらまた鶫に心配かけると影山は腰を上げ、鶫の自宅の目の前にある自宅の玄関を開けた。
玄関脇には回覧板とその上に無造作に置かれた一枚の広報チラシがあり、影山が通った際にひらりとサンダルの上に落ちる。ありふれたフォントとイラストが使われたチラシには、ちびっこバレーボール教室という文字が躍っていた。