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「――で。その“変人速攻”をどうすりゃ良いのかお手上げ状態で逃げてきたのか。ええ? “コーチ”」
「んぐぬ……」
「おめーのチームだろが、根性無しかオラアアアアア!」
「コーチィ!?」
会話を始めて十秒そこそこで烏養元監督に勢いよく投げ飛ばされた烏養に日向は思わず声を上げたが、その脳裏には田中から聞いた烏養元監督の話が過っていた。
「あわ、あ……」
無名だった烏野を全国へ導いた名将。“烏養”という名前がもう有名だった。
――“凶暴な烏飼ってる”っつって。
「お、お、お――お願いしアアース!」
「……何をだ」
勢いと気合いで自分を指し示しながらそう言った日向に烏養元監督はそう返したが、誰彼構わずブン投げたりはしねーよと笑い腕を組む。
「ブン投げんのは根性なしだけだ」
「くそじじい……」
「おっ、おれはっ! 自分で戦える様になりたくて来ましたアアアアア!」
「その身長で空中戦を制したいと?」
「この身長“だから”です!」
「!」
その瞬間、烏養元監督の目にはかつての小さな巨人の姿が浮かんだ。
「おれ、変なこと言ってるのかもしれないけど――」
「何がヘンなんだ」
「?」
「例えどんな天才セッターが相手だろうが」
速攻という攻撃においての“絶対的主導者”はお前だ。
「……お、及川さん、何してるんスか」
「甥っ子の付き添い」
「オス!」
まさかこの場に及川がいるとは思わなかった影山がそう訊ねれば、及川の隣にいた坊主頭の男の子が元気よく挨拶をした。よく見れば目尻が及川に似ているような気がするとぼんやり思いながらも、まだ部活が終わるには早い時間に此処にいる及川に疑問を持たざるを得ない。
「部活は――」
「ウチは基本月曜はオフなの」
「しゅ、週一で休みが!? もったいない……!」
「“休息”と“サボリ”は違うんだよ。じゃ」
「! おっ、及川さん、あの」
「嫌だね! バーカバーカ!」
まだ何も言ってねーよ! と影山は内心で悪態をついたがそれをぐっと堪えてその場で頭を下げ、まさか影山が頭を下げるとは思っていなかった及川は立ち去ろうとしていた足を思わず止めた。
「……お願いします。話を聞いてください」
「なーんでわざわざ敵の話聞いてやんなきゃいけないのさ」
「お……」
「?」
「お願いしアアアアアアス!」
「わあああああ!?」
もの凄い勢いで回り込んだ影山に及川は驚いて目を丸くし、彼の必死そうな様子をしばらく見降ろしてからポケットから携帯を取り出す。何が始まるのかと不思議そうにしている影山の脇で及川は猛と呼んだ甥っ子に携帯の操作方法を教えると、頭を上げようとした影山に動くなと声をかけてから自分は携帯に向かってピースサインをした。
「イエーイ。トビオ、及川さんに頭が上がらないの図!」
「……」
「徹、こんな写真が嬉しいのか? ダッセー!」
「はっう、うぐう!?」
子どもだからこそ言える辛辣で正直な言葉に及川は心に傷を負ったが、ひとつ咳払いをして気を取り直すと気怠そうに首を傾げた。
「――で、何。俺忙しいんだよね」
「デートなくなったから暇だってゆったじゃん!」
「猛ちょっと黙ってなさい!」
「……」
年下の甥っ子に言われたい放題の及川に流石の影山も微妙な面持ちになったが、此処に長居しても仕方がないと早速本題に入ろうとするものの、ネット越しに戦う相手にアレコレ曝け出して良いものかということに気付き例え話で相談しようと頭を捻ることにした。
「あー……あの、もし大会が近いのに、えーと、あっ、岩泉さんが無茶な攻撃をやるって言い出したら」
「チョット、何か相談したいならヘタクソな例え話やめて直球で来なよ」
ただでさえバレー以外のことは要領が悪いんだからさと言いたげな及川の顔に影山はぐっと息を飲み、及川が言っていることは尤もなので例え話を止めて正直に相談することにした。
「……今までボールを見ずに打っていた速攻を、日向が“自分の意思で打ちたい”って言いだしました」
「へー、出来たら凄いじゃん。やれば」
「そんな簡単に言わないで下さい! 日向には技術なんて無いんですよ!」
「だから“俺の言う通りにだけ動いてろ”っての?」
まるで独裁者だね?
「!」
「お前は考えたの?」
チビちゃんが欲しいトスに100%応えているか、応える努力をしたのか。
「現状がベストだと思い込んで守りに入るとは随分ビビリだね?」
「……」
「勘違いするな。攻撃の主導権を握ってるのはお前じゃなくチビちゃんだ」
「……」
お前はセッターとしての自覚が足りないとばかりに目つきを鋭くする及川の脳裏に浮かんだのは、目の前の影山が背中を追い続けている一人の少女の姿。誰の前でも笑顔を絶やさず他者を鼓舞する、小柄な軍師。
「もう鶫ちゃんはお前どころかチーム全体のレベルアップに繋がる手段をもう持ってるはずだ。俺に相談してきたってことは、鶫ちゃんに“宿題”出されてるんだろ?」
「!」
鶫に宿題を出されていることを何故知っているんだと驚きと困惑している影山の様子に、及川は優越感を覚え彼を嘲笑うような笑みを浮かべる。
「な、んで、それ知ってるんすか」
「やっぱり。俺は中学の現役の時に言われたことあるよ」
「及川先輩への“宿題”です」
「あれっきり言われたことないけどね」
「……」
「お前、鶫ちゃんの期待に応えられないなら、傍にいるの止めたら」
「!」
「大きな体育館に行きたいっていう彼女の夢、俺なら叶えてあげられる。でも今のお前じゃそれは無理だ。それに――」
それを理解出来ないなら、お前は独裁の王様に逆戻りだね。
「行くよ、猛」
「……っ」
影山に背を向けてその場を立ち去った及川は体育館正面の階段を降り切ると鼻歌を歌い、それに猛がご機嫌なのかと訊ねれば彼は勿論と言うように満面の笑顔を浮かべる。
「思ってた以上に飛雄がポンコツで嬉しいねー!」
これ以上嬉しいことはないと言いながら携帯の画像フォルダを開けば先程の写真は自分だけがブレて写っていて、そんなことあるのかとショックを受けながらも仕方ないかと携帯をポケットに押し込んだ。
「あーあ! そもそも今日はデートする予定だったのに本当にツイてない!」
「フラレたんだろ!」
「まあ、そうなんだけどさー……」
「カノジョじゃないのか?」
「未来の彼女っていうか、彼女にしたい子っていうか……」
どうやって説明をしたら良いものかと及川が頭を捻ろうとした時、体育館の正門前に見慣れた小柄な姿があることに気が付いた。猛は当然その人物を知らないが及川はその人物を見つけると嬉しそうに目を輝かせ、その人物に向かって駆け出した。
「鶫ちゃん!」
「え? ……及川先輩?」
「偶然だね!」
烏野から急ぎ足で此処まで来た鶫は影山を探していたが、及川が此処にいるとは予想していなかったので驚いて目を丸くする。及川の後を追って猛も鶫の元に辿り着くが、やはり見覚えのない顔に首を傾げていた。
「今日は会えないって連絡貰ってたから、偶然でも会えて嬉しいよ」
「及川先輩がいるなんて思っていませんでした。青城のバレー部が月曜日はオフだって知ってはいましたけど……」
「流石鶫ちゃん、情報収集は抜かりないね!」
「徹! その人がカノジョ!?」
「え?」
鶫と及川の会話に割って入ってきたのは彼の隣に立っていた猛で、突然の問いかけに鶫は目を丸くしたが及川は機嫌が良さそうににこにこと笑って猛へ目を向けた。
「そうそう、俺の彼女になる予定の鶫ちゃん! 可愛いだろー?」
「うん! 一番カワイイ!」
「あ、あの……」
「おねーさんは徹のカノジョになるのか?」
「えっ!?」
「おねーさんなら徹とお似合いだぞ!」
「え、ええと……」
及川に似て押しの強い会話をする猛に鶫はどうしたものかと考えたが、一先ず自分よりも背が低い猛と視線が合うように膝を折ってその場に屈む。些細だが子どもに優しく接しようとする鶫の行動に及川はまばたきを数回して、それから彼女の優しさにふっと目尻を緩めて腰を屈めた。
「お名前は?」
「猛!」
「猛くんね。私は舞雛鶫、宜しくね」
「鶫おねーさん!」
「うん。それでね、ええと、及川先輩とはお付き合いはしていなくて……」
「そうなのか?」
「うん、ごめんね」
「そこで謝られると俺の立場ないんだけど……」
少し困った様子で猛の誤解を解いた鶫に及川が少々不満げに唇を尖らせた時、体育館の外から数人の子どもたちが駆けてくる様子が目に入った。子どもたちは追いかけっこをしているのか前を見ておらず、ちょうど鶫と接触する距離にある。
不味いと及川が冷や汗を浮かべて鶫を庇おうとしたが、それよりも子どもたちの内の一人の男児が鶫の背中にぶつかる方が早かった。
「わっ!!」
「っ!」
「鶫ちゃん!」
ヒュッと息を飲んだ及川が鶫の顔を覗き込むと、鶫は驚いて目を丸くしていたもののその目はしっかりと光が残っていて意識がはっきりしているのが直ぐに見て取れた。
今までなら考えられない状況に及川がどういうことだと驚いていたが、鶫は大丈夫ですと微笑んで、自分にぶつかって申し訳なさそうにその場に立っている男児の方へ体を向けた。
「大丈夫? 怪我はない?」
「あ……う、うん。ごめんなさい……」
「それなら良いの。ちゃんとごめんなさいが言えるなんて偉いね」
「お、おかあさんが言いなさいって」
「そう。今度はちゃんと前を見てね。いってらっしゃい」
「うん! ありがとう、おねえちゃん!」
自分にぶつかった男児を咎めることなく笑顔で送り出した鶫。その手先は少しだけ震えていたが、及川が知る彼女の今までの反応とは全く違っていた。
「……鶫ちゃん」
背中に急にぶつかられたのに、何で平気なの?
「今までなら――」
「及川先輩」
「!」
戸惑いと驚きの表情を浮かべている及川の言葉が意味すること、それは鶫が今まで目を背けて逃げていた“弱さ”に直結する。しかし今の鶫の目には恐怖や悲傷の色は一切なく、凛とした真っ直ぐな目で及川の姿を映し出した。
「――私、逃げるのを止めました」
「鶫ちゃん」
「皆が強くなると決めたなら、私も過去から背を向けたままではいられない」
「!」
真っ直ぐで純粋な眼には、烏野のアイツらが映っている。
その沢山の黒の中、ひと際黒い――俺の大嫌いなアイツが見えた。
「もう数年前のことなのにずっと立ち止まったままでした。……痛くて怖くて悲しくて――でも一番自分が情けなくて」
このままではいけないと思っていたのに、そのことにすら背中を向けていた。
「でも弱虫のままでいてはいけないと皆が教えてくれました。其処が見えない強さを見せてくれた人たちがいたから、私も強くなれるんだと一歩踏み出す勇気を出すことができました」
「……」
「そんな人たちを支えるならこのままで良いはずがない。――私も自分の背中と向き合わないといけない」
だからもう、弱虫のままではいられない。
「鶫ちゃん」
「皆が全国の舞台へ行くなら、私もそれに見合う強さを身に付けます」
「……」
――ただでさえ遠かった存在。
何時もきらきらしてて、俺の心を占めて離さなかった女の子。
優しくて温かくて、でも自分に一番厳しい子。
「……そっか」
「及川先輩?」
“あのこと”があってから鶫ちゃんは弱虫になったって言ってるけど、だからこそ遠い存在だった鶫ちゃんが近くなった気がしてた。ずっと傍で守ってあげられるような気がした。
でもその弱虫がなくなったなら、俺は鶫ちゃんに釣り合う男だって胸を張れるんだろうか。
「――鶫ちゃん」
「?」
それなら尚更目の前の“アイツ”に負けていられない。
目の前であっさりと攫われるくらいなら、みっともなく足掻いて釣り合う男だと胸を張れるほうがマシだ。
「あのさ――」
及川が口を開きかけた時、彼のポケットに突っ込まれていた携帯が震えた。タイミングが悪いにも程があると言いたげに及川は携帯を開きメールを確認すると、何時帰ってくるのかという内容のメールにため息をつき、鶫の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ごめん、そろそろ猛送っていかないと。また連絡するから」
「は、はい!」
「じゃあ気を付けてね。ああ、そうだ。飛雄なら体育館の前に居るから」
「えっ」
「飛雄探してたんでしょ。それじゃあまたね」
「お、お疲れ様でした……」
まさか自分の目的を察せられているとは思わなかった鶫は虚を突かれて目を丸くしたが、しばらくすると体育館の方から影山がこちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
「鶫!」
「飛雄くん」
「何で此処にいるんだよ」
「飛雄くんが何も言わないで帰ったから心配になって。回覧板のチラシでこのことを思い出して、もしかしたらと思って来てみたの」
「わ、悪かった。……そういえばお前、此処にいたってことは及川さんと会ったのか?」
「え? うん、ついさっき」
もう帰っちゃったけどと付け足せば影山はため息をつき複雑な表情を浮かべるが、その顔の意味を鶫は知る由もないので不思議そうに首を傾げた。
「なあ、体育館の点検ってもう終わってたか?」
「え? うーんどうかな、確認してみないと分からないけど」
「なんもねえなら終わってるか見に行かねえか」
「それは構わないけど……」
「練習、少しでもしておかねえとな」
お前の宿題、きっちり終わらせねえと。
「飛雄くん」
「体調が悪いなら送ってく」
「大丈夫、一緒に行く」
「じゃあ行くぞ」