04
誰かのためにボールと思いを繋ぐバレーが大好きだった。
ネット越しの景色は魅力的で、疲れていても何度でも跳んでいけた。どんなに高い壁でも相手がどれだけ強くても、それが大きければ大きいほど戦いがいがある。越えたいという気持ちが大きくなる。
でもそれが手に届かなくなったとき、目の前が真っ暗になった。
恒例になってきた早朝練習。鍵当番は一日目を終えてから鶫が申し出たので、彼女は何時も早く来て体育館を開け影山たちが直ぐに練習出来るよう準備を済ませていた。練習最終日である今日は何時も以上に熱が入った練習になるはずだと鶫は意気込みを新たにし、ふと時計を見上げた。
「……四時半」
最近では五時と言っている練習も彼らが早く来るので鶫も合わせて早めに準備をしていたが、それを考えても早く準備が済んでしまった。鶫は時間を潰すように入念にアップを取り、籠に入れてあったボールの山からひとつのボールを手に取った。
「……少しなら大丈夫かな」
手でボールの感触を確かめて床で弾くと正面に立つネットの向こうを見据える。当然ネットの向こう側には誰もいないが、その集中力はまるで向こう側で誰かが待ち受けているような気にさせられる。
鶫はボールの感触を確かめるように手の平で回してからボールを宙に放ると助走を取り、高く跳び上がった。
「今日で早朝練も最後かー」
何か寂しい気もするけどと笑った菅原は遠目に第二体育館が開いているのを見て、既に彼女が体育館にいることを察して表情を和らげる。
「ほんと、あの子も頑張ってるよな」
火曜日から皆よりずっと早く来て準備してる。暗い道を一人で来るのも大変だろうに、そんな様子全然見せないし。健気っていうか頑張り屋っていうか、こっちも頑張らないといけないと思わせてくれる。
第二体育館の靴箱には鶫の靴しかなかったので、菅原は自主練メンバーのなかで一番乗りらしかった。早々に靴を履き替えてマフラーを取りながら体育館のドアを開けた菅原がおはようと言おうとしたが、目の前で小柄な体が跳び上がったのを見て思わず息を飲んだ。
「――え」
不思議と重力を感じさせない滑らかな跳躍。小柄な体は驚くほどしなやかに跳び、宙に放り上げていたボールを正確に捉えてサーブを打ち込む。そのサーブは鋭さを保ったままネットを超えてサイドラインを捉えてコート内に沈み、鈍く重い音を立てた。
静かで滑らかな動きとは対照的に、そこから繰り出されるサーブは鋭く重い。一本のサーブだけで彼女の実力が分かってしまった菅原は挨拶をすることも忘れ、その場に立ち尽くした。
「……凄い」
それ以外の言葉が見つからなかった菅原の言葉に鶫は気付くことなく、脇の籠からまたボールを取り手に馴染ませるように擦ってから宙へと放った。ボールが宙に浮くと同時に踏み出された助走はほんの僅かなスキール音だけの静かな動作で、至極滑らかだった。
放られたボールが重力に従って落下し、鶫が最後の助走を踏み込む。同時に菅原の脳内には酷く静かで鋭いサーブのイメージが浮かびあがったが、それは思いがけなく裏切られることとなった。
「!」
「え」
最後の助走で踏み込んだ左膝が急にガクンと大きく崩れ、それを予想していなかった鶫はそのまま体勢を崩して派手に転んだ。あいたたと言いながらゆっくりと身を起こす鶫に菅原はようやくその場から体育館に足を踏み入れて彼女に駆け寄り、彼女の傍に膝をついた。
「大丈夫!?」
「菅原先輩? 何時から此処に?」
「そんなことどうでも良いから。怪我は?」
「ちょっと転んだだけなので、多分大丈夫です」
「ほら、手貸して」
菅原の手を借りてその場に座った鶫は左足につけたサポーターを外して膝を見たが、見たところ腫れたり熱を持ったりしている様子はない。心配そうにこちらの様子を窺っている菅原に鶫は大丈夫ですよと微笑みかけ、少しだけ自嘲的に目を伏せた。
「少し無理をすると力が入らなくなってしまうんです。でも一過性なので――」
「それ大丈夫じゃないから!」
「え、でも……」
「肩貸すからあっち行こう。このまま冷たい床で座ってたら良くないよ」
「は、はい」
腕回してと言いながら首を擡げた菅原に鶫は少しだけ迷ってから彼の肩に腕を回し、背中を支えてもらいながらその場から立ち上がった。背中に腕を回してもらった際に鶫が少し体を震わせたがそれ以上何かがあったわけではないので菅原はそのまま彼女を端の方へ連れて行き、ゆっくりと体を下ろす。
「ちょっと見せて」
「え、あ」
ちょっとくらいだったら手当てできるかもと菅原は鶫の前に膝をつき、サポーターを外したままの足に優しく触れ患部であろう膝を確かめるように撫でたが、体温以上の熱を持っている様子はない。
「痛む?」
「大丈夫です」
「じゃあちょっと曲げるけど――これは大丈夫?」
「はい」
「……一先ず大丈夫そうかな」
ゆっくり曲げ伸ばしをしてみたが痛まないらしい鶫にほっと胸を撫で下ろした菅原だが、ふと彼女の細い脚を見て息が止まった。
細い脚だがしなやかな筋肉がついた足は白く、足は自分の手で余るくらいの小ささ。当然といえば当然の“差”に気が付いてしまった菅原は慌てて彼女の足から手を離し、熱を持つ頬を隠すように顔を少しだけ逸らした。
「菅原先輩?」
「な、何でもない……」
先程まで何気なしに触っていた脚だったが一度それに気付いてしまった菅原は何だか申し訳ない気持ちになったものの、こちらを見上げて不思議そうな顔をしている鶫への適当な言葉も見つからない。
「ちわス!」
「!」
「あ、飛雄くん」
妙な静けさが続くかと思われた体育館に運動部特有の挨拶が響き、影山が姿を見せた。彼は鶫がサポーターを外して床に座っていることで何かを察したのか直ぐにこちらに駆け寄ってきて、彼女の前に膝をついた。
「お前、無理したのか!?」
「酷くないから大丈夫」
「ったく……」
「ご、ごめんなさい……」
キッと睨んだ影山に鶫は申し訳なさそうな表情を浮かべて影山をじっと見つめると、それに彼は少々押し負けてため息をついた。普段の影山では考えられない反応を目の当たりにした菅原は目を見開いたが、鶫は見慣れているのか特に驚いた様子はなかった。
「……別にやるなとは言わねえよ。ただ無理はすんな」
「ごめんね」
「良い。もう平気か?」
「うん、大丈夫」
「それなら少しボール出してやる」
「本当!?」
「嘘言わねえよ」
影山は鶫の頭をポンポンと撫でると近くに転がっていたボールを拾いあげ、目を輝かせた鶫はその場から立ち上がった。嬉しそうに笑う鶫に菅原はふっと表情を緩め、ボールは俺が出すよとその輪に加わることにした。
菅原の出したボールはセッターの位置へと吸い込まれるように飛び、構えていた影山が肘をクッションにボールを受け止める。その先にはしなやかに跳んだ鶫が腕を振り上げていて、影山のトスで運ばれたボールは鶫のスパイクで重い音と共に床に沈み込んだ。
「――やっぱお前スゲエな」
「ううん、そんなこと」
楽しげだが流石だと言うように笑みを浮かべる影山の褒め言葉に鶫は謙遜して首を横に振ったが、彼女のサーブとスパイクを一度ずつ見た菅原は改めて彼女のポテンシャルの高さに舌を巻く。
「……ほんと凄いな」
“あの異名”は、伊達じゃない。