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七月×日・快晴。最高気温は34℃。
「うーん……」
埼玉は比較的涼しい所だけれど東北よりは暑い場所。一週間の合宿遠征も三日目の折り返し地点で、皆疲れが溜まりつつある。
それから日向くんと飛雄くんが喧嘩をしてから凡そ三週間くらい経つけれど、一緒に練習をするようになっても会話らしい会話はひとつもない。
「……あんまり心配はしていないけれどね」
少しずつだけれど他の皆もミスが減ってきたし点差も前より縮まっている。月島くんもあれから練習に対する姿勢が変わりつつある。皆がそれぞれ新しい物を手にしていく中で、私はどうするべきか分かっていても上手く手をかけられずにいた。
「……」
日差しが強いうちのペナルティはフライングにしようと監督たちの間で話がまとまる中、慣れない長期遠征中盤を迎える烏野の面々は疲れが徐々にプレーに滲み出していた。
東峰のブレたレシーブを田中がカバーしセンターに上げたがネットに近かった為に押し合いになり、日向のスパイクはリエーフの長い腕により叩き落される。
「くっそおおおお!」
――皆、上手くなってる。月島もさっき一瞬だけ何か違った。
おれだけ、まだ何も無い……!
「あんなにイライラしてる日向、初めて見たかもな……」
「はい……」
上手くプレーができず苛立つ日向の様子をコートの外で見ていた菅原と山口がそう話している中、同じコート内にいた影山も彼の不調と異変に気付いていた。
音駒と烏野の得点は18-15と音駒がやや優勢。相手からのチャンスボールを西谷が綺麗にセッター位置へ返し、速攻のチャンスが生まれた。センターからややライト寄りに日向が跳び、影山がトスを上げる為にボールに触れる。
「!」
――手首と指先の動きが、違う。
影山の動きが違うことに鶫は目敏く気が付き、コート内にいた日向は彼が上げたボールの変化に気が付くと驚きながらもボールの軌道を読んで相手コートにボールを落とす。田中と東峰が日向の器用さと上手くカバーしたことを褒めようとしたが、それより早く日向は影山に駆け寄ると彼に噛みつくように声を飛ばす。
「オイ! 今、手ェ抜いたな!?」
「!?」
「……手を抜く?」
俺が、バレーで?
「もう一回言ってみろよ……」
「コラ」
「オイ!?」
苛立ち混じりの日向に言われたことにカチンときた影山が日向に食って掛かろうとしたので、武田が慌ててタイムアウトを取る。そんな中で唯一鶫だけが影山の変化と彼が無意識でやろうとしていたことに気が付き、これはどちらの言い分も分かるわねと苦笑いを浮かべていた。
「今の“落ちてくる”トスじゃなかった!」
「……やっぱり」
他人が見れば“言われてみればそうかもしれない”くらいのレベルの小さなこと。
「舞雛、今のって――」
「飛雄くんがやろうとしているのは日向くんの打点で“落ちる”トスです。打点で一瞬止まるイメージを持ってもらえれば良いと思います」
コートの外で日向と影山の会話を聞いていた菅原が鶫に話しかければ、鶫は自分の思っていたことと今まさに目の前で起こったことを説明していく。
「飛雄くんの場合、その“止まる”精度が非常に高いので、日向くんの打点ぴったりに上げなければ即ミスに繋がります」
たった今目の前で上げられたトスは目の前で落ちるものではなく、少し放物線を描く柔らかいトスだった。
「飛雄くんは日向くんに打たせてあげたかったんだと思います」
「ここしばらく日向は気持ちよくスパイク打ってないもんな」
「そういうことです。スパイカーにとって相当なストレスになっている現状で調子を落とすことを、飛雄くんは無意識に危惧した結果そうなったんだと思います」
――だとしても日向くんがそれに気付いたことは純粋にびっくり。
「……」
俺は今、無意識に妥協したのか……?
「止めんな影山!」
「!」
「……ああ、やっぱり」
日向くんは飛雄くんが欲しい言葉を真っ直ぐにぶつけていく。
お陰で迷いが消えた飛雄くんの眉間の皺が消えてなくなったわ。
「もっと精度が上がるまで試合での新しい速攻は封印しよう」
「えっ」
「じじいのとこで言われた“テンポ”は覚えてるな? そこで練習したファースト・テンポの速攻を使え。お前らが言うところの“普通の速攻”だな」
「ハイ」
「“狭義のファースト・テンポ”だ」
「きょーぎ?」
「影山には前に説明したが――」
お前らの速攻とファースト・テンポについてもうひとつ教えておくことがあるんだ。
「?」
「今日の夜から俺はお前と練習しない」
「!?」
練習後に影山がそう言うと日向は驚いた顔をして、傍でそれを偶然聞いた谷地は二人の関係が悪化してしてしまったのかと顔を青ざめた。しかし同じく傍でその話を聞いていた鶫は影山の意図に気付いているのか驚いた顔はせず、むしろそうするのも良いかもしれないわねと言うように微笑んでいた。
「なんでだよ!?」
「俺がトスミスってるうちはお前の練習になんねえだろ」
「!?」
「……」
影山から日向を気遣うような言葉が出てきたのは少し意外だったのか鶫は少し目を見開いて、気を遣うなんて怖いと言いながらも落ちるトスを早く打ちたいと我が儘を言った日向を影山が投げ飛ばす様子を見ていつもの二人だわと苦笑い混じりに目尻を下げた。
「……飛雄くんならトスを完成させられる、きっと」
みんな飛雄くんを“王様”と呼ぶけれど、今日は日向くんが“王冠”をかぶっているみたいね。
「おい。烏養さんが言ってたじじいって誰だ」
「烏養元監督」
「!? てめええええ!! 一人だけ烏養監督に教わったのか!」
「コーチに連れてかれたんだ! 抜け駆けしたみたいに言うな!」
「……ふふ」
「鶫?」
思わず笑い声を溢した鶫に影山が訝しげな顔を向ければ彼女は何でもないのと小さく手を横に振って、抱えていたバインダーを持つ手に力を込める。
「それなら二人共、練習頑張らないとね」
「おう」
「おうっ!」
「カブんじゃねー!」
「おめーだよ!」
「……ふふ」
約三週間ぶりに“変人コンビ”が再起動、ね。
「お前、一人でもちゃんと練習してんだろうな?」
「当たり前だろ! スンゲーのやってんだからな!」
「ぷっ……“スンゲーの”……」
「何だよ月島ァ!!」
「別に」
「ふふ、今日も賑やかなんだから……」
この心地良い喧騒も今日で最後。
練習試合は今のところ3勝と61敗。木兎先輩が日向くんに“必殺技”を教えていたって鉄朗くんが言っていたけれど……運が良ければ今日見られるかしら。
「さあ、泣いても笑っても今日が最後よ」
――合宿、最終日。