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「すみません田中さん……すみません」
「良いっつってんだろうが。それより、おめーは大丈夫なのかよ?」
「途中休んだし……バス降りたら平気です」
「そうか、なら良い!」

 ちょっとした問題が起きたもののバスは無事に私立青葉城西高校に到着し、校門脇に停められた。鶫は影山が差し出した手を借りてバスから降りると田中の手からジャージを受け取り、一度清水に声をかけてから体育館脇の水道を借りてジャージを洗いに向かった。

 練習試合が行われる第三体育館付近で水道を見つけた鶫はゴム手袋を嵌めてビニール袋を解くと、傍にあったホースを借りて雨水を流す側溝の上でジャージの汚れをざっと流す。一度水気を切りホースを片付けてから本格的に洗濯をしようとした時、近くから誰かの話し声が聞こえてきた。

「なあ、今日来る烏野ってさ。アレがいる学校だろ?」
「はい?」
「“コート上の王様”。お前出身中学同じだろ、金田一?」
「ああ……影山っスか?」

 二人分の話し声の一人は鶫の同期であり、影山とチームメイトだった金田一のものだった。彼が青葉城西に進学していたことは知っていたので鶫は彼が偶然近くに居合わせたことに驚いたが、早く洗濯を終わらせなくてはと我に返り作業を続けながらその会話に耳を傾ける。

「別に大したことないっスよ? 確かに個人技は頭ひとつ抜けてましたけど――チームプレイっていうモンが根本的に向いてないんスよ」

 あいつ、自己チューだから。

「へーっ……まあ、行った先が烏野だしな。昔は強かったのか知らんけど――」
「……そういえば」
「何だよ?」
「烏野……確か舞雛もそこに進学したって言ってましたね」
「舞雛って……舞雛鶫?」
「先輩知ってるんスか?」
「当然だろ!」

 まさか高校の男子バレー界にまで名前が知れ渡っているとは思っていなかった金田一だがそれは当事者である鶫も同じで、金田一から見ると先輩にあたる彼はやや興奮気味に目を輝かせた。

「舞雛って言ったら相当な有名人だろ」
「いやまあ、中学ではそうでしたけど。高校の方でも名前知られてるとは思ってなかったんで」
「美人でバレーの腕前もピカイチ、有名にならないはずがない! 北一の試合見に行ったことあるけど、噂以上だったな」
「あー……そうっスね」
「何だよ、ああいうのタイプじゃないのか?」
「いや、その、舞雛に見られると思うと緊張するんスよ」

 頬を掻きながら眉を下げる金田一の様子を見た隣の男子生徒がどういう意味だというように首を傾げると、彼は少々言いにくそうに口籠ってからゆっくりとその口を開いた。

「あの観察眼は鈍らないから、ちょっと怖いんスよ」
「噂のアレか」
「できれば敵に回したくないというか……。逆に味方だったら百人力なんスけどね」
「監督もそれ言ってたなー。こっちに進学しなかったのが惜しいとか何とか」

 少しずつ遠ざかっていく彼らの会話が聞こえなくなった頃、鶫が洗っていたジャージはすっかり綺麗になっていた。

「……観察眼、ね」

 今の私には、もうそれしか残っていない。
 滑らかに跳ぶための脚力も、最後までコートに立つための力もない。

 

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