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「ねー、及川さん。まだ出ないのなかあ」
「馬鹿! ちゃんとウォーミングアップしないと怪我しちゃうんだから!」
「えーっ! それは駄目ー!」
及川が姿を消してから女子生徒の会話の八割はそれを占めていて、それに煽られた田中がスパイクをどんどん決めていき、得点は20−24まで動いていた。烏野が四点差をつけてマッチポイントを迎えたが、負けてはいられないと歯を食いしばった金田一がスパイクを決めて三点差に追い詰める。
「アララー。ピンチじゃないですか」
「……アップは?」
「バッチリです!」
及川がアップから戻ってきたのを横目で確認した鶫はコートの影山へ視線を送り、その視線を受けた影山はひとつ頷く。主審のホイッスルがと共に13番のビブスを着た及川が国見と交代をし、ボールを受け取った。及川の本来のポジションはセッターだが、今回は彼が得意とするサーブを生かしピンチサーバーとしてチームに入るつもりらしい。
「今の烏野メンバーであのサーブを取れる人は……」
恐らく、飛雄くんか澤村先輩。
「――いくら攻撃力が高くてもさ、その“攻撃”まで繋げなきゃ意味ないんだよ?」
鶫の嫌な予感と共に放たれた及川の声。彼がボールを持ったままの右手で指し示したのは、後衛で控えていた月島だった。その指し示した意味を知る鶫が息を飲んだ瞬間及川の手からボールが放たれ、鈍く重い音を立てたサーブは的確に月島の元へ飛ぶ。現段階ではそのサーブを取ることができなかった月島はそのボールで腕を弾かれ、威力のあるボールは勢いをほとんど殺さないまま二階のテラスの柵に当たった。
及川のサーブの威力はバレー未経験者の武田の背筋さえも凍らせ、菅原と山口は目の当たりにした彼のサーブの威力とコントロールに息を飲む。そんな烏野側の様子を見た及川は静かに目を細め、穏やかに微笑んだ。
「うん、やっぱり。途中見てたけど――」
6番の君と5番の君、レシーブ苦手でしょ?
「一年生かな?」
「うっ!」
「正直だねー。……じゃあ、もう一本ね」
ボールの感触を確かめた及川は主審のホイッスルを合図に二本目のサーブを打ち、月島はやや右に体を寄せながらそれを受けたがボールは横へと逸れて弾かれる。その月島を見ていた山口がいたたまれなくなり月島の名前を思わず叫んだが、それで状況が変わるはずもない。悔しげに眉を寄せる月島を横で見ていた日向は徐々に口をへの字に曲げると及川に顔を向け、地団駄を踏んだ。
「おい、こら! 大王様! 俺も狙えっ、取ってやるっ! 狙えよっ!」
「みっともないから喚くなよ!」
「なんだとっ!?」
月島に制された日向は先程田中に言われた言葉が脳裏を過り、彼の真正面に回り込むとその小さな体で目一杯両腕を大きく広げて彼を見上げた。
「バレーボールはなあ! ネットの“こっちっ側”に居る全員! もれなく味方なんだぞ!」
「……」
「なんて素晴らしい名言!」
日向が自分の言葉を言ったことに田中が目を輝かせ周囲の空気が多少和らいだのを見た澤村が目尻を下げた時、ベンチにいた鶫と目が合った。すると彼女は持っていたペンを前衛と後衛の間を指し示すように持ち、静かに後衛の方へペンを横に移動させる。
その小さな仕草に澤村は少しだけ目を丸くしたものの鶫の意図を察してひとつ頷き、コート内にいたメンバーを集めた。
「……よし、全体的に後ろに下がれ。月島は少しサイドラインに寄れ」
「はい」
前衛の日向と縁下はそのままの位置で固定させ、月島はややサイドラインに寄せる。ライト側の田中もまたサイドラインに寄り、その隙間を埋めるように澤村が中央に場所を取った。
「ふーん……なるほどね」
レシーブが得意な主将くんの守備範囲を広げていく作戦か。情報収集も兼ねてるんだろうけど、相変わらず鶫ちゃんはその場でできる指示出しがちょっと憎くなるくらい上手い。
「……でもさ、一人で全部は守れないよ!」
「でもコントロール重視の分、威力はさっきより弱いはず」
「!」
あくまでこの陣形はちょっとした囮みたいなもの。澤村先輩が取れればそれはそれで御の字だけど、私はもうちょっとだけ月島くんのレシーブが見たい。だからこそ彼に狙いが定まるように、その分だけほんの少しだけ威力が落ちるサーブを打つように仕向けた。
「っ!」
ほんの少しだけ勢いが抑えられたことと真正面からボールを受けられたことで月島はボールを上げることに成功したがボールの勢いを殺しきることはできず、ボールはそのまま青葉城西側へと戻っていく。
「上がった! ナイス月島!」
「おっ、取ったねえらーい。ちょっと取りやすすぎたかな?」
でも、こっちのチャンスボールなんだよね。
「くそっ……」
「ホラ、おいしいおいしいチャンスボールだ。きっちり決めろよ、お前ら」
緩い軌道を描いたボールを及川は綺麗なレシーブでセッター位置へと返し、矢巾がボールの落下地点を見極めながらトスを上げるために跳んだ。烏野側のブロックは日向と澤村と縁下という一番高さのないローテーション。矢巾のトスはライト側に跳んでいた金田一の元に上げられ、縁下がやや遅れて追うが恐らく間に合わない。烏野側の面々が焦る中でたった一人、ベンチに座る鶫だけは、縁下の後方から飛び出す小柄な影を正確に捉えていた。
完全にこちら側のブロックが振り切ったと確信した金田一がスパイクを打とうとした瞬間、金田一の目の前に一枚の手の平が飛び出した。
「!?」
男子にしては小さな手。しかしその手は金田一のスパイクに触れてその勢いを殺し、ボールを烏野側のチャンスボールへと変えた。
「よしっ!」
「ナイスワンタッチ、日向!」
「チャンスボール!」
「くそが! 今度は俺が叩き落としてやるよ!」
悔しげな金田一がネット越しに日向を睨み付けながら声を張り上げると、床に着地した日向は踵で急旋回してライト側へと駆けて行く。ネット際では既に影山がトスを上げるために待機していて、岩泉と金田一が日向を追ってライト側へ駆け出したがもう遅い。
「――」
一歩、一瞬。ほんの少しでも遅れれば、もう日向には追いつけない。
追い付けるのは――ボールだけだ!
影山の鋭いトスは及川をその目で捉えている日向の手へと的確に運ばれ、彼の眼を正面から見た及川がその気迫で背筋に寒気を覚えた時にはボールは既にコートに落ちていた。
――セットカウント2ー1。勝者、烏野高校。